アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか? 作:木彫りの心臓
───高校教師ってどう振る舞うのが正解なわけ?
朝のあれは彼女にとって考えうる限り最良の自己紹介だった。事実として男子生徒には大変好評であり、この心をガシッと鷲掴みにした。……のだが、女子生徒からは
ノエルは自分が女に嫌われるタイプの女だと自覚している。けれど、そうならないように努めて振る舞ったというのに、結果は同じになってしまった。
───ま、いいけどね。
強がりにも取れる考え。実際強がりなのだが、それでも構わないというのもまた確かな真実であった。
ノエルは潜入捜査官である。
この高等学校において『新任教師の愛染ノエル』として通っているが、その正体は『聖堂教会の代行者ノエル』である。
聖堂教会が追う、転生する吸血鬼"ロア"。
そのロアである可能性が高い遠野家の長男……即ち、遠野志貴を調査する───というのがノエルの仕事だ。そのために高校教師などと偽っている。
調査を開始してまだ初日。
この総耶高校に潜入したのも今日が最初。
ノエルも焦ってはいない。焦ってはいないが……高校教師としての行動を自然にしながら遠野志貴に接触する、という計画は上手くいかないかもしれないと彼女は考えていた。
というのも、先の自己紹介を引き摺っているのだ。
男子生徒に気に入られるのはいいだろう。遠野志貴も男子だから。けれど軽薄そうな先生だと思われて避けられるようになったら……。そんな事態はノエルからすれば困りものだ。
「あーあ、志貴くんったら硬派だからなー」
故に、ノエルは高校教師らしさとはなにか、と考えていたのだ。あまりに違和感がある言動を取ればターゲットから疑問を持たれかねない。場合によってはターゲット以外にも。
彼女の師匠──同時に潜入しているもう一人の代行者にも迷惑を掛けかねない。
───小言を言われるのもねぇ。
尊敬しながらも嫌悪している年下の上司の顔を思い浮かべながら、明日からはどうしようかと思考する。
「────あら?」
と、夕暮れの校舎に人影がひとつ浮かび上がった。
廊下の向かい側から誰かが歩いてくる。ノエル視点では斜陽で顔はよく見えない。が、スーツを着ていることから学生ではないこということは読み取れた。
彼女の考えは間違いではなく、確かにその男は学生ではなく教師だった。ノエルと同じ新任教師。けれど、彼女より半年ほど早く赴任してきた男だ。
男はノエルに気付いたようで、片手を上げて挨拶をする。ノエルも合わせるように軽く会釈をした。
「やあ、ノエル先生も校舎の見回りですか? 熱心ですね!」
「あ、いえ、私は……」
パッと相手の名前が思い浮かばず、ノエルは曖昧な返事をしてしまった。
「あれ、違いました?」
そんなノエルの真意も知らず、その若い教師は笑顔で会話を続ける。
「まあ、似たようなものではあります。どこになんの教室があるのか把握するために少し歩いていた、と云いますか」
「あっ! そうですよね! 今日来たばかりですもんね! すみません、僕ってば早とちりを……」
「いえいえ。それより、えっと、先生はこうして毎日見回りを?」
とうとう名前が出て来ず、ノエルは相手を"先生"と普遍的な呼び方で誤魔化した。一般的に見て、その会話に不自然なところはない。おそらく相手の教師も違和感は覚えなかったであろう。
ただし、彼が普通の教師であったならば、だが。
「ええ、すぐに帰らない不良生徒がいたりするんですよ。ああ、あと、
「…………あの、先生?」
不審者。
その言葉だけを、男はゆっくりと強調するように喋った。そして、じっとノエルの目を見つめてくる。
その視線に耐えきれず、それになんだか妙な胸騒ぎもして、ノエルは訊ねるようにして男に呼びかけた。
しかし男がまともに取り合うことはなく。
「何が目的ですか、ノエル先生?」
「えっと、なんの話ですか? あ、もしかして私が教師を志したきっかけとか、そういうの訊いてます?」
「とぼけるなよ。学校すべてを巻き込むような大規模な『暗示』までかけて、何のつもりですか……って訊いてんだよ」
「!」
───ウソでしょ!?
ノエルの脳内は半分パニック状態に陥っていた。まさか上司──あのシエルが施した『暗示』の秘蹟が破られるとは夢にも思っていなかったからだ。
男は詰問する。何故、と。
何故、この高校に教師と偽って入り込んだのか。何故、数百人以上いる学校関係者すべてに『暗示』の魔術を掛けたのか。何故───。
対してノエルは考える。突破口を。
この男を昏倒させ、再度『暗示』を掛けるか。いや、自分には無理だろう。シエルに知らせなくては。けれどいま放置していいものなのか。そもそも『暗示』だと分かっている時点でこの男は魔術師なのではないか。仮にそうだとして、でも───。
放課後の廊下は静まり返る。対峙する二人は身動きひとつせず、黙ってお互いを見つめ合っていた。
しかし……。
「ぷ」
突如、空気が弾けるような音が男の口から漏れた。
ノエルがそれを"笑い声"だと認識するのにしばしの猶予があって、気付いた時には目の前の男はそれはもう盛大に笑っていた。
「ぷっははっ! あはははははは!」
「なにを、笑って……」
ノエルにはもう、なにがなんだか分からなくなっていた。理解の外側とでも言えようか。男が笑うのを困惑の顔で眺めることしかできない。
「───いや、まったく。代行者も質が落ちたもんだなァ、ええ? こんなのが
「……っ!」
それを聞いて、やっとノエルも切り替えた。
───ただの魔術師にしては私たちの事情に詳し過ぎる。まったくの第三者とは思えない!
懐に隠していた
「やめとけよ。シエルならともかく、お前みたいな木端に負ける俺じゃあない。戦っても死ぬだけだぜ?」
「わかってるわよ、そんなのこと! ……あなた、いったい何者?」
「あれ、朝に自己紹介したよな? もしかして忘れた?」
「そうよ、悪い!?」
逆ギレかよ、と男は笑う。
あまりに余裕
ひとしきり笑って、男はノエルの顔を覗き込むように、一歩、近づいた。
「
寒冬の月のような琥珀色の瞳がノエルを射抜く。蛇に睨まれた蛙に同じく、彼女はただ硬直していた。返事をするための口すら固まっていた。
「シエルに伝えておけ。……ロアを追うなら手伝ってやってもいい。こんな雑魚を連れ歩くよりはよっぽど役に立つ、ってな」
「……あなた、本当に何者なの?」
「何って、ただのファンだよ。シエルのな。アイツにはドデカい借りがあるんだ。少なくともそれを返すまでは、俺は人間共の味方をするって決めている」
───人間共って、まるで自分はそうじゃないみたいな言い草ね。
そう思うものの、ノエルは口には出さなかった。
本当は言ってしまいたいのに、言えば取り返しがつかないことになる気がして言えなかった。もし目の前の男の正体が、自身が嫌悪する怪物だったとして、もしそれとシエルが親しげにしていたのなら───。
───私は、自分を抑えられる自信がない。
それは逃避だった。
聞いてしまえばそれで終わりだから、聞かないだけ。なんの解決にもなっていない。
けれど、運命はそのような"逃げ"を許さない。
「……帰るわ。シエルには、釧路とかいう教師からって伝えてあげる」
「ああ、いや、そうか!」
失念していた、とばかりに男は大きな声を出した。
「シエルには釧路じゃ伝わらないな。ハ、これはお笑いだ。伝言の意味がない」
「じゃあ、誰って伝えれば……」
訊かなければよかったのに。
「アインナッシュだ」
「……………………………………………は?」
ノエルの脳がその音を拒絶する。
「死徒二十七祖 第七位 アインナッシュ。代行者なら名前くらい知ってるだろ?」
「……死徒、二十七……祖…………」
「では、麗しのシエルによろしく、ノエル
男が去り、校舎が暗闇に呑まれても、結局ノエルは石像のようにその場から動けないでいた。