アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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番外編その三 あるイフの日に

 

 

 

 ───高校教師ってどう振る舞うのが正解なわけ?

 

 愛染(あいぞめ)ノエル、と先ほど学生に自己紹介したその女は、薄暗い廊下を歩きながら考える。

 

 朝のあれは彼女にとって考えうる限り最良の自己紹介だった。事実として男子生徒には大変好評であり、この心をガシッと鷲掴みにした。……のだが、女子生徒からは顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまったのだ。

 

 ノエルは自分が女に嫌われるタイプの女だと自覚している。けれど、そうならないように努めて振る舞ったというのに、結果は同じになってしまった。

 

 ───ま、いいけどね。

 

 強がりにも取れる考え。実際強がりなのだが、それでも構わないというのもまた確かな真実であった。

 

 ノエルは潜入捜査官である。

 

 この高等学校において『新任教師の愛染ノエル』として通っているが、その正体は『聖堂教会の代行者ノエル』である。

 

 聖堂教会が追う、転生する吸血鬼"ロア"。

 そのロアである可能性が高い遠野家の長男……即ち、遠野志貴を調査する───というのがノエルの仕事だ。そのために高校教師などと偽っている。

 

 調査を開始してまだ初日。

 この総耶高校に潜入したのも今日が最初。

 

 ノエルも焦ってはいない。焦ってはいないが……高校教師としての行動を自然にしながら遠野志貴に接触する、という計画は上手くいかないかもしれないと彼女は考えていた。

 

 というのも、先の自己紹介を引き摺っているのだ。

 

 男子生徒に気に入られるのはいいだろう。遠野志貴も男子だから。けれど軽薄そうな先生だと思われて避けられるようになったら……。そんな事態はノエルからすれば困りものだ。

 

 

「あーあ、志貴くんったら硬派だからなー」

 

 

 故に、ノエルは高校教師らしさとはなにか、と考えていたのだ。あまりに違和感がある言動を取ればターゲットから疑問を持たれかねない。場合によってはターゲット以外にも。

 

 彼女の師匠──同時に潜入しているもう一人の代行者にも迷惑を掛けかねない。

 

 ───小言を言われるのもねぇ。

 

 尊敬しながらも嫌悪している年下の上司の顔を思い浮かべながら、明日からはどうしようかと思考する。

 

 

「────あら?」

 

 

 と、夕暮れの校舎に人影がひとつ浮かび上がった。

 

 廊下の向かい側から誰かが歩いてくる。ノエル視点では斜陽で顔はよく見えない。が、スーツを着ていることから学生ではないこということは読み取れた。

 

 彼女の考えは間違いではなく、確かにその男は学生ではなく教師だった。ノエルと同じ新任教師。けれど、彼女より半年ほど早く赴任してきた男だ。

 

 男はノエルに気付いたようで、片手を上げて挨拶をする。ノエルも合わせるように軽く会釈をした。

 

 

「やあ、ノエル先生も校舎の見回りですか? 熱心ですね!」

 

「あ、いえ、私は……」

 

 

 パッと相手の名前が思い浮かばず、ノエルは曖昧な返事をしてしまった。

 

 

「あれ、違いました?」

 

 

 そんなノエルの真意も知らず、その若い教師は笑顔で会話を続ける。

 

 

「まあ、似たようなものではあります。どこになんの教室があるのか把握するために少し歩いていた、と云いますか」

 

「あっ! そうですよね! 今日来たばかりですもんね! すみません、僕ってば早とちりを……」

 

「いえいえ。それより、えっと、先生はこうして毎日見回りを?」

 

 

 とうとう名前が出て来ず、ノエルは相手を"先生"と普遍的な呼び方で誤魔化した。一般的に見て、その会話に不自然なところはない。おそらく相手の教師も違和感は覚えなかったであろう。

 

 ただし、彼が普通の教師であったならば、だが。

 

 

「ええ、すぐに帰らない不良生徒がいたりするんですよ。ああ、あと、()()()()()()()()()()()、とかね」

 

「…………あの、先生?」

 

 

 不審者。

 その言葉だけを、男はゆっくりと強調するように喋った。そして、じっとノエルの目を見つめてくる。

 

 その視線に耐えきれず、それになんだか妙な胸騒ぎもして、ノエルは訊ねるようにして男に呼びかけた。

 

 しかし男がまともに取り合うことはなく。

 

 

「何が目的ですか、ノエル先生?」

 

「えっと、なんの話ですか? あ、もしかして私が教師を志したきっかけとか、そういうの訊いてます?」

 

「とぼけるなよ。学校すべてを巻き込むような大規模な『暗示』までかけて、何のつもりですか……って訊いてんだよ」

 

「!」

 

 

 ───ウソでしょ!?

 

 ノエルの脳内は半分パニック状態に陥っていた。まさか上司──あのシエルが施した『暗示』の秘蹟が破られるとは夢にも思っていなかったからだ。

 

 男は詰問する。何故、と。

 何故、この高校に教師と偽って入り込んだのか。何故、数百人以上いる学校関係者すべてに『暗示』の魔術を掛けたのか。何故───。

 

 対してノエルは考える。突破口を。

 この男を昏倒させ、再度『暗示』を掛けるか。いや、自分には無理だろう。シエルに知らせなくては。けれどいま放置していいものなのか。そもそも『暗示』だと分かっている時点でこの男は魔術師なのではないか。仮にそうだとして、でも───。

 

 放課後の廊下は静まり返る。対峙する二人は身動きひとつせず、黙ってお互いを見つめ合っていた。

 

 しかし……。

 

 

「ぷ」

 

 

 突如、空気が弾けるような音が男の口から漏れた。

 

 ノエルがそれを"笑い声"だと認識するのにしばしの猶予があって、気付いた時には目の前の男はそれはもう盛大に笑っていた。

 

 

「ぷっははっ! あはははははは!」

 

「なにを、笑って……」

 

 

 ノエルにはもう、なにがなんだか分からなくなっていた。理解の外側とでも言えようか。男が笑うのを困惑の顔で眺めることしかできない。

 

 

「───いや、まったく。代行者も質が落ちたもんだなァ、ええ? こんなのが埋葬機関(シエル)の相方かよ。ガッカリだ」

 

「……っ!」

 

 

 それを聞いて、やっとノエルも切り替えた。

 

 ───ただの魔術師にしては私たちの事情に詳し過ぎる。まったくの第三者とは思えない!

 

 懐に隠していた黒鍵(こっけん)を取り出す。心許ない装備ではあるが、丸腰よりはいいだろうという考え。焼石に水もいいところであり、ノエルもそれを自覚していた。

 

 

「やめとけよ。シエルならともかく、お前みたいな木端に負ける俺じゃあない。戦っても死ぬだけだぜ?」

 

「わかってるわよ、そんなのこと! ……あなた、いったい何者?」

 

「あれ、朝に自己紹介したよな? もしかして忘れた?」

 

「そうよ、悪い!?」

 

 

 逆ギレかよ、と男は笑う。

 

 あまりに余裕綽々(しゃくしゃく)な態度の男を前に、しかしノエルは動けないでいた。敵対関係かどうか分からないというのもあるが、それ以上に男の持つ覇気とでも云えるものに気圧されてしまっているのである。

 

 ひとしきり笑って、男はノエルの顔を覗き込むように、一歩、近づいた。

 

 

釧路(くしろ)だ。ああ、苗字だけで結構。偽名なんでね」

 

 

 寒冬の月のような琥珀色の瞳がノエルを射抜く。蛇に睨まれた蛙に同じく、彼女はただ硬直していた。返事をするための口すら固まっていた。

 

 

「シエルに伝えておけ。……ロアを追うなら手伝ってやってもいい。こんな雑魚を連れ歩くよりはよっぽど役に立つ、ってな」

 

「……あなた、本当に何者なの?」

 

「何って、ただのファンだよ。シエルのな。アイツにはドデカい借りがあるんだ。少なくともそれを返すまでは、俺は人間共の味方をするって決めている」

 

 

 ───人間共って、まるで自分はそうじゃないみたいな言い草ね。

 

 そう思うものの、ノエルは口には出さなかった。

 

 本当は言ってしまいたいのに、言えば取り返しがつかないことになる気がして言えなかった。もし目の前の男の正体が、自身が嫌悪する怪物だったとして、もしそれとシエルが親しげにしていたのなら───。

 

 ───私は、自分を抑えられる自信がない。

 

 それは逃避だった。

 聞いてしまえばそれで終わりだから、聞かないだけ。なんの解決にもなっていない。

 

 けれど、運命はそのような"逃げ"を許さない。

 

 

「……帰るわ。シエルには、釧路とかいう教師からって伝えてあげる」

 

「ああ、いや、そうか!」

 

 

 失念していた、とばかりに男は大きな声を出した。

 

 

「シエルには釧路じゃ伝わらないな。ハ、これはお笑いだ。伝言の意味がない」

 

「じゃあ、誰って伝えれば……」

 

 

 訊かなければよかったのに。

 

 

「アインナッシュだ」

 

「……………………………………………は?」

 

 

 ノエルの脳がその音を拒絶する。

 

 

「死徒二十七祖 第七位 アインナッシュ。代行者なら名前くらい知ってるだろ?」

 

「……死徒、二十七……祖…………」

 

「では、麗しのシエルによろしく、ノエル()()

 

 

 男が去り、校舎が暗闇に呑まれても、結局ノエルは石像のようにその場から動けないでいた。

 

 

 

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