アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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四話/『天使』

 

 

 

 ふと、目が覚めた。

 

 何があったわけでもない。

 

 ただ、今日は月が明るかった。

 

 もしかしたら、窓から差し込む月明かりが眩しかったのかもしれない。

 

 ベッドから身体を起こす。

 

 しわくちゃのシーツが月光を反射して、暗い部屋の中で淡く浮かび上がっている。どうも、カーテンを閉め忘れて寝てしまったらしい。

 

 ぼんやりとした頭のままで手を伸ばす。ぼんやりとした光が腕に触れて、ベッドに蒼い影が落ちる。

 

 あれ。

 

 と、思った。

 

 影のカタチが変だ。大きさも、なんだか違和感がある。起きがけの頭でもはっきりと分かる異常性。

 

 すっと月光から手を引く。

 

 そうしたら、影も同じように引かれて消える。

 

 そのはずだった。

 

 でも、影はそのまま残り続けた。月の光に惹かれるように、手のひらを伸ばして広げている。

 

 見上げれば、昏い空に浮かぶ青い(かげ)

 

 降り注ぐ光は針のようで。目に沁みて痛かった。

 

 窓から差し込むさめざめとした冷たい光。ゆらゆらと揺れる様はまるでカーテンみたいだった。

 

 夜が寒いのは、きっとこの光のせいだ。

 

 世界の体温を奪っていく。部屋の体温を奪っていく。わたしの体温を奪っていく。

 

 遥か、遥か遥か遠くから降る、ツメタイヒカリ。

 

 ほう、と吐いた息が白くなっている。

 

 腕には鳥肌がびっしりと。指先はもう感覚がなくなっていた。

 

 ああ────目が痛い。

 

 表面が乾いていく。いいや、違う。凍っていく。

 

 視界がどんどんとぼやけていく。

 

 きっとすぐにでも窓から離れなくちゃいけない。だって凍ってしまう。冷たくなってしまう。動かなくなってしまう。死んでしまう。

 

 死んでしまう。

 

 死んでしまう。

 

 死んで──────────。

 

 

 ドクン

 

 

 と、心臓の音がした。

 

 生命が響いたとき、途端に視界が明瞭になった。

 

 そこでわたしは、はたと気付いた。

 

 なんて勘違い。

 

 わたしが伸ばしていたのは手ではなかった。

 

 正確には、手も伸ばしていたが、影を作っていたのは別のモノだった。

 

 では、なにか。

 

 月明かりを切望するように伸ばしたものはなにか。

 

 肩甲骨の下。右と左の両方。死人の顔色よりもなお青白い、一対の翼が生えていた。

 

 

 あ。

 

 

 と、わたしは声をあげた。

 

 あげようとした。

 

 けれど、トンカチで殴られたような激しい頭痛がして、わたしは声を発する間もなかった。

 

 月の映った窓ガラスに一本の線が引かれて、懸命に手を伸ばして、そこで世界は暗転した。

 

 

 

 

 

   ◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 朝の7時。いつも通りの時間に目を覚ます。

 

 けれど、眠りから覚めてもわたしが夢から醒めることはない。今日も同じだ。うつ伏せからゴロンと寝返りを打とうとして突っかかる背中のモノが、まだ悪夢の最中なのだとわたしに教えてくれている。

 

 翼だ。

 

 三日前に当然生えた翼である。

 

 はあ、とため息を吐く。わたしにとって悪夢そのものでも、現実だということは変わらない。

 

 諦めるように、いつも通りではない身支度をする。

 

 というのも、羽が邪魔でお気に入りの服は何一つ着れやしないのだ。今のわたしにとって着れる服というのは、この売女のごとく背中の開いた服しかない。

 

 本当に嫌だけどしょうがない。

 

 淫猥な服を着たあと、流れるようにズボンを履く。靴下も履いて、目隠しを付ける。

 

 これで一通りは完了だ。

 

 ()()()()()()()()()

 

 真っ暗闇の視界。黒い布に遮られてわたしには何も見えない。下を見ても上を見ても隙間は一つとしてなくて、僅かな光さえも瞳には映さない。

 

 うん。今日もこれで安心。

 

 見たくないものは視ないのが一番だ。

 

 コンコン。

 

 着替えが終わった頃、部屋のドアがノックされた。

 

 

「…………どうぞ」

 

 

 一昨日は無視したけど、そうしたらきっちり五分おきにノックを繰り返してきたのだ。目覚まし時計みたいに。

 

 

「失礼したします、カノン様」

 

 

 入ってきたのは中年の男性。ここらでは見ない立派な背広姿が特徴的な人だ。と言っても姿をこの目で見たのは一度きりで、今はどんな格好かは分からないけど。

 

 名前は知らない。

 

 自分はただの小間使いです、と憚って名乗らないのだ。だからわたしは勝手に彼を『アラートさん』と呼んでいる。もちろん心の中だけで、本人に対して言ったことはない。

 

 

「これで三日連続……。飽きないの?」

 

「飽きる飽きないの話ではございません。カノン様を安全な場所までご案内するのが私共の使命でございます故」

 

「本当に……。いい加減にして! わたしはこの村を出ない!」

 

「申し訳ございません……。しかし、これはもう決定されたことです。覆すことなど……」

 

 

 本当に嫌になる。朝からこんなにイライラさせるなんて!

 

 申し訳なさそうなアラートさんの声。それがますます苛立ちを募らせる。

 

 四日前。クリスマスが終わり、新年への想いを馳せる時のこと。わたしの背中に羽が生えて、そして同時に変なものが見え始めたとき、彼らはやってきた。

 

 彼らは自らを『魔術師』だと言った。

 

 子供じゃないんだから魔法使いなんて言われても信じるはずがない。……いつものわたしだったらそうだった。

 

 けど、わたしの背中と眼球はどうしようもなくその言葉を信じていて、わたし自身も信じるしかなかった。

 

 ──ロンドンへ行くのだという。

 

 わたしは特別な存在で、この村に居続けると危ないからロンドンにいる偉い人に保護してもらう、ということらしい。

 

 ふざけるなという話だ。

 

 いきなり現れて、半ば強引にこの部屋に監禁して、家族や友人と一言だって話させず、それでいて危ないから遠くへ行け、なんて……。

 

 わたしは絶対にこの村から出ない!

 

 これは意地だ。

 

 向こうには向こうの事情があるんだろうけど、わたしにだってわたしなりの事情がある。少なくとも、わたしの要求を呑んでくれないのなら、向こうの要求を呑むつもりはない!

 

 筋道の話だ。

 

 

「何度来たって返答は同じだから! 百歩譲ってロンドンまで行くのは良い。でも誰にも挨拶させないなんて酷いよ! ────親にさえ!」

 

「ごもっともでございます。しかし……何卒ご理解くださいませ」

 

「……悪いけど、出ていって。今日も、もう話すことなんてないの」

 

 

 これで終わり。

 

 昨日と同じ。一昨日と同じ。

 

 わたしの拒絶で話は終わり。

 

 詳しい理由を何も話さないままわたしを何処かへ連れていこうとする連中。信用なんて出来やしない。

 

 長い沈黙のあと、「失礼します」とだけ言ってアラートさんが退出する。いつもならそうなる。

 

 けど、今回だけはそうならなかった。

 

 

「…………本日の10時を過ぎた頃、この部屋へお客様が参ります」

 

 

 感情の見えないアラートさんの声。それは初めて聞く声色だった。冷たい人間の、冷たい声。

 

 

「ソロネア本家がご用意した、カノン様をロンドンまで無理矢理お連れする方です」

 

「……なに、それ……」

 

「どうかご容赦ください」

 

 

 バタン、と扉の閉まる音がして、それきりアラートさんの声も気配もなくなった。部屋の中には、ただ黙って立ち尽くすわたしだけが居た。

 

 本当に、自分勝手な連中だ。

 

 

「いいよ。そこまでするならやってやろうじゃない!」

 

 

 知らない人たちの言いなりになる人生なんてまっぴらごめんだ。

 

 もし最後にはそうなるのだとしても、いま黙って運命を受け入れるほどわたしの心は死んでいない。やれるだけのことはやる!

 

 

「────」

 

 

 きっと、わたしも向こうも無事では済まない。

 

 だからわたしはこんな風に監禁されても大人しくしてたし、向こうもわたしに強要するような真似は出来なかった。

 

 そのラインを先に踏み越えたのは向こうだ。

 

 わたしを連れ出せるようなヤツが来るなら、その前にわたしも最後のラインを踏み越えてやる!

 

 目隠しに手をかける。

 

 結び目を解いて、この両の(まなこ)で目の前を睨む。

 

 

「魔法だか魔術だか知らないけど、関係ないから!」

 

 

 背中の翼から風切羽を一本引き抜いて、ドアの鍵に走った"線"に通す。なんの抵抗もなく、つぷりと羽が突き刺さり、そして────。

 

 ガシャン!

 

 ドアの鍵は壊れた。

 

 物理的にも。超常的にも。魔術的にも。

 

 ドアの鍵は死んだ。

 

 足で蹴ってみれば、いとも容易くドアは開いた。

 

 

「ま、これが自分に向けられたって思ったらね……」

 

 

 連中が手出ししたくても出来なかった理由がコレだ。わたしを発見しながら強硬策は取れなかった理由。そして、わたしが今まで強く抵抗しなかった理由……。

 

 あの日から、わたしには奇妙な"線"が見えるようになった。

 

 壁にも、床にも、窓のガラスや、ベッドのシーツ、それに生き物にも。あらゆるものにその"線"はあった。

 

 そして、"線"をなぞればそれがどんなものであろうと切れた。力なんて要らない。ナイフでバターを切るように切断できた。

 

 人間だって例外じゃない。

 

 あの夜。わたしに翼が授けられた夜。突然見知らぬ人たちに囲まれて、自分たちと来いと言われた夜。

 

 無理矢理わたしを連れていこうとした男の一人に対して、わたしはこの力を振るった。

 

 掠っただけだった。二の腕の皮膚にあった"線"にちょっと触れただけ。それだけだったはずなのに、その男の右腕は、もう二度と動くことはなくなった。

 

 アラートさん曰く、いかなる魔術的な治癒を用いても治ることはなかった、とかなんとか……。

 

 わたしと彼らとの相互不可侵の条約はその時結ばれた。明確に口にしたわけじゃないけど、お互いに理解していた。

 

 

「先に破ったのは、あんたらだからね……!」

 

 

 三日ぶりに、わたしは部屋の外に出た。

 

 

 

  ◇◆◇

 

 

 

 ロンドンから片道4時間半。レンタカーを駆使してやっと辿り着いた。

 

 コーンウォール地方。ティンタジェル。

 

 アーサー王伝説に縁のある地だ。岩と草原の村。爽やかな潮風が頬を撫でる。

 

 腕時計を確認すれば時刻は9時。想定よりも早く到着したかたちだ。観光客も多い土地だから車の渋滞を考えて予定を組んだが、新年早々に来る人は多くなかったみたいだ。

 

 

「さて、お目当ては……ここから南の方か」

 

 

 ケータイを取り出してメールを再確認する。

 

 本名、カノン・トレベナス。14歳。女性。

 

 身長148センチ。体重41キロ。

 

 外見の特徴、肩甲骨の下から生える一対の翼。

 

 12月29日、未明。この土地の管理者(セカンドオーナー)を任されているデュナミア家当主が、大規模なマナの乱れを感知。報告では、魔術師にとっては台風も同然の魔力禍だったらしい。

 

 すぐさま魔力禍の中心にある民家へ彼は向かい、そしてそこで件の彼女を見つけた。共に向かった使用人たちと彼女を取り押さえようとしたところ、彼は右腕を負傷。以後、どんな治療法を用いてもその腕は動くことはなかった。

 

 彼女の外見。

 

 保有する魔力の質。

 

 そしてその特異な能力。

 

 デュナミア家当主は、彼女を『天使』の適合者──生きる概念武装であると結論した。そして、おそらくは『死の天使』のいずれか。

 

 すぐに本家であるソロネア家へ連絡。他家の魔術師や聖堂教会へ情報が行く前にこれを回収する。

 

 

「──のが、今回の俺の役目ってわけね」

 

 

 ついこの間まで魔術のマの字も知らなかった小娘だ。テキトーに伸して持っていけばいい。

 

 なんて、言うには易し、というやつだな。

 

 小娘ではあるが、同時に天使でもある。スペック自体はサーヴァントとそう変わらない。いや、あるいはもっと────。

 

 思い起こすのは魔眼蒐集列車(レール・ツェッペリン)でのフェイカーの姿。

 

 純粋な力比べではまず勝てない。魔力はあちらが上だし、膂力もあちらが上だ。俺が上回っているのは戦闘スキルと魔術の知識のみ。

 

 それに相手は『死の天使』だ。これがヘマやメシャベルのような動物たちの死を司るものならいいが、サマエルやアズラエルなんかのガチ高位の天使だとちとマズい。

 

 本人が高名だと基礎ステータスも高くなるだろうからな。ゴリ押しや初見殺しが通じなくなるかもしれない。

 

 とはいえ、掠っただけの右腕を"殺した"となると、後者である覚悟はしなくちゃならないが……。

 

 

「受肉した天使とあっては、まあ、それなりの準備はしてきたけど……。リハビリ相手としてはいかがなもんかなぁ」

 

 

 文句を垂れながら車を走らせる。

 

 土地自体は割と平坦だが、道にそこそこの大きさの石が転がっているものだから、進むたびにぐらんぐらん座席が揺れる。ちょっと酔いそうだ。

 

 もっとサスペンションがちゃんとしたヤツを借りれば良かったと後悔。多少値が張ったってどうせ経費で落ちるんだし。

 

 目当ての館には10分もせずに到着した。

 

 白い二階建ての家だ。中世の面影を残す、石灰岩で造られた古い館。ところどころに亀裂が走っていたり、枯れた蔦がへばりついたりしている。

 

 

「……割と普通の家だな」

 

 

 他の家から少し離れたところにあるとはいえ、至って普通の民家だ。『天使』を留めておくにしては少し力不足に過ぎるように思える。

 

 しかし一点普通ではないところはある。なぜだかこの家からは生気を感じない。気配と言い換えてもいい。誰かが住んでいるようには見えない。

 

 他の住人──彼女の家族は暗示をかけて別の区画に住まわせていると聞くが、それにしたって駐在しているデュナミア家の者はいるはずだ。

 

 

「遅かったか──?」

 

 

 だとしたら動きが早過ぎる。ブリテン島の果ての果てだぞ。

 

 ソロネアから連絡がないということは魔術協会、少なくとも時計塔の連中に動きはない。だとしたら聖堂教会か? しかし奴らも腰は重い方だ。『天使』ともなればそれなりの準備をしてから来るはずだ。

 

 ならば────、

 

 

「脱走か」

 

 

 お転婆娘の捕獲。

 

 まあ、依頼通りの内容ではある、か。

 

 

 

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