アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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六話/図らずのアルベリヒ

 

 

 

 一秒。

 中庭の時間は止まっていた。

 

 ()()()()()()()()というだけで、それは別に愛の告白ではない。ただのお願いだ。

 

 そう、ただのお願い。そもそもが断られることが大前提である。今までも見込みのある者に声を掛けては断られ、結局快諾してくれたのはフォルテのみという有り様だ。

 

 だから、そう頭を下げることではないのだが。このグレイという少女はいささかばかり人が良過ぎるように思う。カノンも大概だけど、アイツはあれで意外と冷淡なところもある。……いや、比べるようなものでもないか。

 

 呆れというか、驚きというか、心配というか。

 雑多な感情が渦巻いて咄嗟に言葉が出なかった。そんな俺を見てか、グレイは慌てて言葉を紡ぐ。

 

 

「あの、嫌という訳ではないんです! 拙も腑海林(アインナッシュ)の仔と戦ったからわかります。アレは、危険な存在です。それを倒そうというクシロンさんの想いはきっと正しいものですし、なにか協力できるならしたいとも思います……!」

 

 

 こちらの顔色を伺うような目がフードの隙間から覗いている。あれは、恐怖だろうか。グレイは俺の気を害してしまったと思っているらしい。

 

 

「いや、別に怒ってないよ。命を賭けてくれってお願いなんだ。断って当然だと思う」

 

 

 だから、そう言って安心させる。

 

 だが、グレイの恐れの感情は消えない。もともと少量が視えていただけだから、言葉ひとつで無くなるようなものでもないけれど、それにしたって揺らぎもないのは奇妙だ。

 

 ひょっとすると。

 俺の態度ではなく、存在そのものへの────。

 

 

「いいえ、すみません。断った訳ではないんです」

 

 

 グレイが口を開く。

 いいや、そうではない。

 

 彼女の口は最初から言葉を吐き出し続けていた。言葉を選んでちょっと止まっていただけ。つまるところ俺が途中で割り込んだだけだ。だから、今度は黙って続きを待つことにした。

 

 

「……十年後、拙はどうなっているかわかりません」

 

 

 そりゃあそうだ。人間、10年もあれば変わる。考え方、生き方、そういったものが反転するのも珍しくない。ともすれば、魔術世界から足を洗ったり、土の下に埋まっていてもおかしくない。

 

 その時どうしているか、なんて分からない。

 

 

「だから、今この場で約束はできません。ですが、もし、十年後……師匠がいて、ライネスさんがいて、その隣に拙がいて……。その時、まだ拙が戦えるなら、お手伝いさせてください」

 

 

 さっきまで怯えるみたいに俯き気味だったのに、彼女は真っ正面からこちらを見つめてそう言った。言い切った。締められた。

 

 気高く清廉な魂の輝き。

 かの騎士王と瓜二つな(かお)ではあるが、しかし改めて見るその表情(かお)は対照的で、まったく異なる高潔さを感じさせた。

 

 ……参ったなぁ。

 

 数打ちゃ当たる戦法を用いた営業に過ぎなかったんだが、ここまでちゃんと受け止めて返してくれるとは思ってなかった。

 

 

「───ありがとう。ではまた、十年後、お声掛けさせていただく」

 

 

 言って、グレイから視線を外してロード・エルメロイⅡ世の方へ向き直る。

 

 

「でもまあ、筋は通します。ロードは彼女本人に話せと仰られましたが、立場上そうはいきません。十年後、またあなたにも伺いに参ります。それとも、その時は()()()()()()()()()にお話した方がよろしいですかね?」

 

「……それはその時の情勢によるだろう」

 

「しかし彼女は、あなたが隣に居ないと手伝えないと言ってます」

 

「…………」

 

 

 返答はなく、代わりにエルメロイⅡ世は口内を(いぶ)すように煙を吸い込んだ。本来葉巻は肺に入れないものだが、この時ばかりは肺にまで煙が入っていったんじゃないかと思うほどに。

 

 日はすっかり傾いている。

 

 高い城壁は中庭への陽光をすべて遮断して、灰色の影が全員を呑み込んでいた。ぽつり、と雪が舞い降りた。空を仰ぎ見ればそこにも灰色が。いつのまにか空は分厚い雲に覆われていた。

 

 ここまで灰色尽くしだと、この雪までもが、それこそ降り積もる灰のように思えてしまう。

 

 

「降ってきたな。我々も室内(なか)に入ろう」

 

 

 中庭に居た他の魔術師たちは一人、また一人と室内に帰っていく。その様子を見て、ロードはそう切り出した。グレイが返事をして彼についていく。

 

 俺たちもこのまま留まる意味もないので、追いかけるようなかたちで中庭を後にした。

 

 オークションまであと三時間。俺たちは事前準備があるから、自由時間はあと二時間ってところか。

 

 

「───して、ロード・エルメロイⅡ世は次は何を見物なさるおつもりで? アインツベルンの城は広いですから、よろしければご案内いたしますが」

 

「では、大聖堂まで」

 

 

 訊ねれば、返答は簡潔になされた。

 

 もうひとつの杯。

 中庭の杯とはまた違う神秘を宿した黄金の杯である。魔術的な意味はなく一般的な用法として、魔力に満ちた代物だ。

 

 行く途中、何人かの魔術師とすれ違う。

 

 

「欲しい……」

「欲しい、欲しい……」

「どうにかして、手に入れなくては……」

 

 

 そのうちの半分くらいは、焦点の合っていない目をしており、ブツブツと独り言を呟きながら歩いていた。正気を失っているとしか言いようがない。

 

 俺を除く全員が、その魔術師たちを訝しむように見つめていた。最初の一人を見た時はただ酔っているだけのように思っていたようだが、二人三人と増えればそうもいかない。

 

 いや、俺以外にも一人だけ、なんでもないみたいな顔をしているヤツもいたか。

 

 

「ところで、お前はどこまでついてくる気なんだ、フランチェスカ?」

 

 

 大聖堂の入り口に辿り着き、いよいよその扉を開けようという時だった。

 

 何食わぬ顔でついてきていたが、ずっと付き纏われるようでは気分が悪い。雪が降ったところで傘を持っているんだからずっと中庭に居ればいいものを。

 

 

「君の友人というわけではなかったのかね?」

 

「まさか。こちらのカノンはそうですが、この女とはそんな間柄じゃありませんよ」

 

 

 ロードでなければ罵声のひとつでも浴びせてしまいかねない質問だ。

 

 

「酷い言われようだね。まだ偽物呼ばわりしたのを根に持ってるの? ネチっこい男は嫌われるよー?」

 

「聞かれたことにだけ答えろよ」

 

「はいはい。いやね、行き先がここじゃなかったらついてこなかったよ? でも、私だってこっちも見ておきたかったんだから、しょうがないじゃん?」

 

 

 フランチェスカは唇を尖らせてそう言う。

 

 確かにその通りだ、という感情。

 取って付けたような言い訳だ、という感情。

 どちらの感情が勝とうと俺の行動は変わらない。とはいえ気分は変わる。所詮は気持ちの問題だからな。

 

 ハア、とため息を吐いて、それで終わり。

 

 大聖堂の扉を開ける。

 

 開けた先から、冷たい空気が流れ込んできた。冬の外気とはまた違う、季節を感じさせない冷たさ。例えるならそれは夜の墓地だろうか。いや、室内だから病院の霊安室とかの方が近いかもしれない。

 

 大聖堂と名付けられているものの、中はとても簡素なものだった。

 

 飾り気のない長椅子。壁は石を積んだだけのもので、ところどころに燭台が掛けられているだけ。まるで片田舎の礼拝堂だ。かろうじて、祭壇(アルター)とその背後のステンドグラスだけは豪奢であった。

 

 しかし、その薔薇(ばら)窓は本来の輝きを失っていた。

 太陽も月も星も、すべて灰色の雲に塗り潰されている。市街地からも遠く離れている。外から照らされる光はなく、鮮やかであった筈のそれは、今ではひどく色褪せて見えた。

 

 そんな薄暗い室内で、唯一輝けるモノ。

 

 

Anfang(セット)

 

 

 祭壇の上の()()を見やり、魔術回路を駆動させる。

 

 

「クシロンさん、なにを───」

 

「いやいや、必要な処置だよ」

 

 

 身構えるグレイ。

 嗜めるように言葉を遮る。

 

 パチンと指を鳴らして、ロード・エルメロイⅡを指差す。グレイはそこで、今の今まで自身の師匠が硬直していたことに気付いたようだった。

 

 行使したのは単なる『暗示』の一種。一工程(シングルアクション)()()の持つ魔力に充てられないように──充てられても問題ないようにするための措置だ。

 

 

「私はいったい……。いや、これはまさか」

 

 

 エルメロイⅡ世はハッとした顔をして、その後にこちらを見た。答えを持たずして求めているわけではないだろう。

 

 

「対魔力とまではいかずとも、それなりの抗魔力が無ければ呑まれます。平均的な質の魔術回路であれば20本、いや25本くらいは欲しいですね」

 

「ン……やはりそうか……」

 

 

 エルメロイⅡ世は苦虫を噛み潰したような顔で、納得したとばかりにかぶりを振った。

 

 

「あ! じゃあ道中すれ違った人たちって……」

 

 

 カノンもここにきてようやく正解に辿り着いたようだった。こちら側のくせに遅い……とは言うまい。彼女にとってはただの杯に等しい。俺もなんともないし、イヴェットは少し怪しかったが結局影響もなかった。この『宝具』の持つ力に気付く機会さえなかったのだから。

 

 

「彼らは、まあ、新世代(ニューエイジ)の中でもとりわけ若い部類だったんだろう。脆弱な抗魔力かつ碌な精神防御もなし。〈()()()()()()〉を舐めすぎだ」

 

 

 叙事詩『ニーベルンゲンの歌』においては語られるは単なる黄金の塊。リヒャルト・ワーグナーが様々なエッセンスを加えて編纂した戯曲(オペラ)『ニーベルングの指環』にて唄われるは黄金の指輪。

 

 然してアインツベルンの所有するそれは、黄金の杯の形をとっていた。

 

 ───グラス・オリジン。

 

 もっとも、金属である以上は──その中でも更に加工しやすい金である──造形など些細なことだ。重要なのは、これが伝承にある〈ラインの黄金〉であるという事実である。

 

 曰く。所有者に万能の力と巨万の富を与える。

 

 まさに聖杯の基盤となるに相応しい。アルベリヒの呪いによって破滅の指輪となったように、冬木のものもアンリマユの呪いによって破滅の聖杯となったのは皮肉なものだが。

 

 

「先の中庭にあったものが聖杯のレプリカであるならば、こちらは亜種聖杯とでも呼べる代物です」

 

 

 もし仮に、冬木のシステムを模倣し、この〈ラインの黄金〉を聖杯と見立てたならば、少なく見積もっても二、三体のサーヴァントでの聖杯戦争は行えるだろう。

 

 もっとも、そのシステムの模倣というのがまずもって不可能なのだが……。

 

 チラリ、とフランチェスカを盗み見る。

 聖杯戦争の量産、だったか。彼女の──ひいては彼女の雇い主の目的は。

 

 不可能なはずの模倣。それこそ現物をつぶさに観察しなければ成し得ない偉業である。

 第五次? 第四次? それより以前か?

 いつかは不明だが、何処かしらで情報を盗んだのだろうか。しかしあのマキリがそんな蛮行を許すとは思えない。

 

 だって、そんなの呆けていたとしか───。

 

 

『───Ach, Idee Blut Sieben(私の原理が世界を廻す).』

 

 

 ──────いつかの記憶……。

 

 

「…………ッ……」

 

 

 いま唾を飲み込んだのはなにゆえか。

 いま頬を汗が伝ったのはなにゆえか。

 

 

「おや、どうかしたかね? 何か部屋に異常でも?」

 

 

 美術館の職員のように得意げに語っていたのに、何故だか突然硬直した───エルメロイⅡ世はそのように見えたのだろう。口元が引き()ったのは一瞬だけのはず。だのにこの男の観察眼はそれを見抜いた。

 

 

「い、いえ、ご心配なく。室内に異常はありません。少し見間違えただけです。そういう意味では照明を足しておくべきでした」

 

「確かに。雰囲気はあるが、展示として見れば好ましいとは言えないな」

 

「ご忠告痛み入ります、ロード」

 

 

 俺は、バカだ。

 なんだっていま思い至るんだ。いや、思い至るのがいつだとかはどうでもいい!

 

 自分の家の魔術刻印(イデアブラッド)もマトモに使いこなせない。そのクセ何も考えずに使う。あまつさえ不始末があったことにさえ気付かない。太祖アインナッシュを討ったあの真祖と今の俺、なにが違う!?

 

 ……いや、反省は今することじゃない。

 

 考えろ。

 

 まず、フランチェスカはいつ冬木に入った? いや入るだけなら簡単だ。俺たちだって入れたんだ。問題は大聖杯への接触。キャスターの結界を抜ける必要がある。

 

 いや───。

 

 いや、いや、いや、いいや!

 

 違う、そうじゃない!

 

 考えるべきは対処の方法だ。これはミステリーじゃない。「How done it?(どのようにしてなされたか)」は重要ではない。このあとどのようなことが起こるのか、それがもっとも考慮すべきことだ。

 

 ───混乱している。落ち着け。顔に出すな。

 自分に言い聞かせる。エルメロイⅡ世らだけなら良いが、ここにはフランチェスカもいる。出来るだけ平静を装うんだ。大丈夫。彼女は彼のような突出した観察の才はない。

 

 小さく、限りなく小さく、息を吐いた。

 

 

「……どうぞお近くで鑑賞なさってください。これほどの聖遺物──いえ、宝具は早々お目にかかれませんから」

 

「では遠慮なく」

 

 

 ロードは静かにカーペットを踏み締めていく。グレイもそれに続く。

 

 

「〈ラインの黄金〉というと、ジークフリートに縁のある品物ですよね」

 

「そのとおりだ、レディ。英雄ジークフリートの物語は、もともと口伝にて継承されてきたものだが、十三世紀の初頭に『ニーベルンゲン・サガ』として編纂された古ノルド語のものが──────」

 

 

 講義、だろうか。エルメロイⅡ世がグレイに対し、〈ラインの黄金〉やそれにまつわるジークフリートの伝説、その成り立ちを語りながら歩いていく。

 

 グレイの様子からすると、これはよくあることなのだろう。心なしか彼女も楽しそうに見える。

 

 

「ふーん、あれが噂のロード・エルメロイⅡ世」

 

 

 その背中を見ながら、カノンが呟く。

 彼らの耳に入っていない──グレイには聞こえていたかもだ──からいいが、そういうことはあまり口に出すべきことではない。仮にも君主(ロード)だ。それを値踏みするなど。

 

 ちょいと小突けばバツの悪そうな顔をしつつも、でも悪意はないんだから怒んないでよ、とばかりに唇と尖らせた。

 

 

「新世代……ニューエイジ、だっけ? 歴史の浅い魔術師たちの中で最も出世した人なんでしょ。先生が言ってたから。"カノンも彼みたいにビッグになりなさい"って」

 

「まあ、間違ってはないか。いや、あの人みたいになられるのもそれはそれで困るけど……」

 

 

 魔術の腕の話でもあるけど、俺としては違う面を指していた。

 

 彼──ウェイバー・ベルベットには幾つもの異名がある。ロード・エルメロイⅡ世の名だって言ってしまえばそうだ。他だとグレートビッグベン☆ロンドンスターだの、プロフェッサー・カリスマだの、ふざけたものばかりだが、最近になって語られ始めたものがある。

 

 略奪公。

 

 他人の魔術を解体し、それに飽き足らず改良を加えて自身の生徒に教えたり、酷くは勝手に彼名義で特許登録するなんてことをしている故の名だった。

 

 彼の異名のほとんどは彼に心酔した者による命名だが、これに関しては敵対する魔術師によるもの。畏怖と軽蔑を込めた名であった。

 

 ……まあ、なんだ。

 身勝手な嫉妬もあるし、他人の顔色ばかりを伺うのもそりゃ変って話だが、カノンにはなるべく他から恨みを買わないような立ち回りをしてもらいたいものだ。

 

 

「それで」

 

 

 カノンの反対側へ顔を向ける。

 

 

「お前はアレを間近で見なくていいのか?」

 

 

 フランチェスカはニコリと笑う。吐き気を催すくらい可愛らしい笑みを向けてくる。

 

 もしも、この先、何処かで聖杯戦争の真似事が起こったとしたら。それは……俺のせいである可能性がある。その時に死んだ人は俺が殺したようなものだ、とまで自罰的になるワケではないが、それでも俺には対処する責任がある。

 

 ───オークションまで、あと二時間。

 

 

 

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