アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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七話/観測不能の架空元素

 

 

 

 コールウォール半島はデヴォン州に位置する英国最大の湿地帯、ダートムーア。

 

 花崗岩で形作られた高地はまさに荒野であり、点々とする集落とその周りに広がる田園風景はすべての英国人の懐郷そのものだ。

 

 川と森。羊と馬のいななきが木霊する。

 

 ときおり濃い霧がかかるそうで、独特の怪しさを醸し出すのだという。これによっていくつかの妖精伝説・魔女伝説が生みだされた。のみならず、多くの作品においても舞台となっている。最も有名なのはシャーロック・ホームズシリーズ『バスカヴィル家の犬』だろうか。

 

 ブラックドッグ。四辻に現れる妖精。あるいは悪霊。14世紀にこのダートムーアに現れ、人を殺したという伝承が残っている。

 

 以降、ダートムーアでは黒犬の噂は後をたたない。ホラもあるだろうが、いくつかは本物であると魔術師である俺は知っている。

 

 

「グルルッ!」

 

「ガウッ!」

 

 

 と、いうのも、脇道に入った途端に何頭もの黒犬が現れたのだ。

 

 爛々(らんらん)と燃ゆる瞳。口からは炎の舌がチロチロと見えている。体はペンキでもぶちまけたかのように黒く黒く。落ちた影みたいだった。

 

 奥へ進むたびに林の中から湧いて出てきて、打ち捨てられたキャンプ場跡へ辿り着いた頃にはその数は最初の倍以上にもなっていた。

 

 パッと見でも20頭前後。隠れているのも考慮すればおそらくもっと。

 

 なりふり構っていられないって感じだな。

 

 

「ちょっと! 今どういう状況!? 犬の鳴き声がそこかしこでしてない!? 追手ってまさか犬なの!?」

 

「追手が放った使い魔だ。ま、ただの野犬だよ。車内にいれば問題ない。それより喋ってると舌噛むぞ」

 

 

 目隠しをしている関係上、カノンは外の様子が見えていない。それでも異常性は感じ取ることが出来ているらしい。しかしこれだけ喧しく吠えられたら気付く方が自然か。

 

 

「外の犬畜生どもと追手の魔術師は俺が始末する。だから君は車の中で隠れてろ。いいか、間違っても外に出てくるなよ?」

 

「う、うん」

 

 

 キャンプ場の真ん中。大きく開けた場所でブレーキをかける。

 

 湿った腐葉土の上。止まった車とそれを取り囲む黒犬の群れ。そして、まるで凱旋かのように悠々と黒いディスカバリーが現れた。

 

 車から降りるとむせかえるような硫黄の臭いが辺りに漂っていた。見た目だけ真似た紛い物なんかじゃなく、周りの黒犬が正真正銘のブラックドッグなのだと理解する。

 

 俺に合わせるように、向こうも車から降りてきた。

 

 中年の男だ。

 

 フォーマルなスーツ姿。ネクタイまでもきっちりと締め、こんな状況でなければ普通のサラリーマンにしか見えない。

 

 

「こんにちは。はじめまして、クシロンくん」

 

 

 男はにっこりと笑って話しかけてきた。至って普通の笑顔だというのに、なぜだろう。俺にはひどく歪に見えた。

 

 

「なんのつもりだ、三下? 随分と物騒じゃないか」

 

「いえ、実はひとつ、君にお願いがありまして。そちらのお嬢さんを私に譲ってはいただけませんか?」

 

 

 やはり狙いはカノンだったか。さっきは可能性に挙げなかったが、一応俺が狙いって線もあったんだがな。

 

 

「……一応言っとくけど、俺はソロネアから依頼を受けてここにいる。俺を害するってことは、ソロネアと敵対するってことだ。アンタそれでいいんだな?」

 

 

 "虎の威を借る狐(Ass in a Llion's skin)"ってかんじの発言だが、一応の忠告の言葉──というか脅しをかけておく。こんなので引き下がらないのは百も承知だが、小心者や雇われだった場合はこれで済むこともある。コンマ幾つ、という確率だが。

 

 

「よしてくださいよ。貴方はただの運び屋、雇われ者に過ぎない。デュナミア家も、ソロネア本家も、貴方を守ってはくれませんよ?」

 

「……チッ」

 

 

 しっかり理解してやがる。

 

 やっぱり俺の手にカノンが渡るまで待ってたな、コイツ。

 

 デュナミア家の手にあるうちにカノンを攫っては、デュナミア家と敵対することになる。もちろんデュナミアは戦闘向けの魔術師じゃない。なにより当主のポールスはカノンによって右腕を殺されている。楽勝ってわけにはいかないだろうが、これほどのブラックドッグを従えられるなら勝算はある。

 

 けれど、コイツは仕掛けなかった。

 

 ソロネアが怖いからだ。デュナミア家はかなり遠いとはいえソロネアの血族。デュナミアからカノンを無理矢理奪うなど、ソロネアへの挑発にほかならない。最悪、君主(ロード)と事を構える羽目になる。

 

 だが、俺であれば別だ。

 

 俺はソロネアの身内でもなんでもない。個体基礎科に属している以上、最低限の繋がりこそあるが、言ってしまえばそれだけだ。

 

 俺が死んでも、ソロネアは動かない。

 

 だからコイツは、いま襲ってきた。いまなら、敵に回すのは俺だけだから。

 

 

「さあ、もう一度だけ言いましょうか。そちらのお嬢さんを──カノンを、私に渡しなさい」

 

 

 男の口の端が吊り上がる。すでに勝ちを確信したかのような笑み。実に不愉快極まる。

 

 返答などはじめから決まっている。

 

 

「お断りだ」

 

「残念です。では……!」

 

 

 男はスッと右手を挙げた。

 

 途端、ブラックドッグたちが一斉に飛びかかってくる。一匹一匹がタイリクオオカミをも超す巨躯。それが四方から迫り来る。

 

 

Meine Idee(星を廻せ)

 

 

 口にする。

 

 銃でいう引鉄。

 

 世界を変革する呪文。

 

 魔術回路に火が奔る。暗闇の夜に星が灯る。

 

 空間が歪み、"ナニカ"が現れる。それはありえないもの。しかし物質化するもの。この世界にまだないが、けれどもこのように。それは確かに実在する。

 

 視覚で捉えること能わず。

 

 聴覚で捉えること能わず。

 

 嗅覚で捉えること能わず。

 

 味覚で捉えること能わず。

 

 触覚で捉えること能わず。

 

 霊覚で捉えること能わず。

 

 ただ、俗にいう"直感"や"第六感"などと呼ばれるものでしかソレは測れない。言うなれば『勘覚』でしか捉えることができない。

 

 あるいは、その他すべてが視えるのであれば、逆説的に理解出来るのかもしれないが……どうだか。

 

 絶対不可視の『無』の物質。

 

 

「──Schneiden(斬刑)

 

 

 一閃────。

 

 展開した『無』を刃状に『変化』させて横に薙ぐ。

 

 主人の言いつけを守り、その大きな(あぎと)を突き立てんとした忠実な犬は、見えざる刃によって両断された。黒煙となり、風に乗って消えていった。

 

 

「"残念です"? それは俺の台詞だよ」

 

 

 眼前で起きた出来事に対し、目を見開き、驚きを隠そうともしない──いや、隠すことのできない男に苦言を述べる。

 

 

「……なにを」

 

「ブラックドッグをここまで多く操れるヤツは中々いない。だっていうのに、もうすぐいなくなっちまうんだもんな」

 

 

 十数メートル先の男に向かって、一歩進む。

 

 一歩進むごとに、黒犬の首が一つ落ちていく。

 

 なんの予兆もなく──正しくは、男にとってはなんの予兆も視えず。

 

 俺を相手取るくらいなら、きっとソロネアに喧嘩を売って日陰暮らしに甘んじた方が生きる道はあった。コンマ数パーセントの生存の目。しかしゼロである今よりは幾分マシだったろうに。

 

 

「本当に──残念だ」

 

 

 七つ首が飛んだ時、男はやっと俺の死刑宣告に気付いたようで、ひどく顔を歪ませた。

 

 

「──ッ! 行け!」

 

 

 号令がかかる。黒犬がかかる。

 

 数頭が同時に勢いよく飛び込んでくる。先ほどの焼き直し。芸がないな、どうも。

 

 踵を鳴らす。濡れた腐葉土の上では綺麗な音は鳴らないが、大事なのは一連の動作。とんと踵で地面を叩くこと。一工程(シングルアクション)

 

 刃が振るわれる。

 

 大きく上げた口の、上顎のほうだけが乖離してどこかへ飛んでいった。下の方は慣性に従ってべちゃりと地面へ転げ落ちて泥を喰む。

 

 

「ほら。俺が来ないうちにポールス卿から強奪した方が良かったよ、きっとまだ、さ」

 

 

 男の顔が赤く染まる。拳を握りしめた手が小刻みに震えていた。

 

 

「くそっ! そもそも貴方があんなに早く到着しなければ……!」

 

「一月一日だ。みんな家で寛いでる。お前も見たろ、さっきまでの道路。ガラガラだったじゃないか。信号以外でブレーキ踏むことはなかったよ。そりゃあ早く着くって」

 

 

 ──と、言うか、だ。

 

 

「俺が早く到着しなければどうだって言うんだ? お前の狙いは俺からカノンを奪うことだっただろ。俺がティンタジェルに着くのが何時だろうと別にどうでも良くないか?」

 

「…………」

 

 

 男は僅かにだが顔をこわばらせた。本当に微妙な変化だったが、口を滑らせたかのような反応だった。

 

 ああ、と思った。

 

 ピンと来た、というやつだ。

 

 なんとなく頭の片隅に引っかかっていた違和感。カノンと出会い、その戦闘能力、または身体能力とでもいうべきものに触れた時から思っていた疑問点。

 

 カノンが閉じ込められていた部屋、彼女の家。その倉庫に放置されていた三人の男たち。

 

 果たしてカノンに彼らを伸すだけの力があったのか。それも、気付かれないように一瞬で、ほぼ同時に。

 

 ────無理だったんじゃないか?

 

 

「お前か」

 

 

 絡まった糸がピンと一直線に張ったような。暗闇に光明が差したような。つまるところ、謎が解けたのだ。

 

 コイツの描いたであろう道筋。

 

 いわゆる──犯行計画。

 

 

「カノンは衰弱していた。裸眼でモノを視すぎたんだ。あのまましばらく──そうだな、10分もすればあそこで倒れていたかもな。抵抗されることもなく楽に回収できるってわけだ。──なあ、()()()()()()

 

「──ッ!」

 

 

 そのあだ名で呼ぶと、面白いように反応した。

 

 カノンが一度だけ口にした謎の人物の名前。俺はてっきりあの気絶していた駐在員の誰かのことかと思っていた。彼らは監査役兼世話役であったはずだ。少なからず交流はあったろう。

 

 当たらずも遠からず、といったところか。

 

 駐在員は()()いた。

 

 倒されていた三人と、目の前のこの男。

 

 

「お前自身の魔術的探究のためか、はたまた別の理由か。それは正直どうでもいい。とにかくお前はカノンが欲しかった。でもデュナミアのモノに手出しなんて出来ない。だからお前はひとつ策を弄した」

 

「…………」

 

 

 男は黙ってこちらを睨む。

 

 けれどそれだけ。この男に俺の口を閉じさせることは出来ない。自慢のブラックドッグは通じないのだから。

 

 

「まず、お前は他の駐在員を昏倒させ倉庫へ(ほう)った。やり方はいくつかあるが、まあ睡眠薬とかが定番か。あとで疑われないように、いの一番に眠たくなるような演技を挟んだりもしているのかな。

 その後カノンをちょっと煽って『直死』による脱走を実行させる。これで傍目にはカノン単独犯に見えるってわけだ。

 丁度良い時間になったら寝たふりを止め、カノンを追う。気を失ったカノンを回収して自宅かどこかへ搬送。あとは再度倉庫に戻り、俺が来るまで気絶したふり」

 

 

 どうだ? と目線をやれば、そこには苦虫を噛み潰したような男の顔。完全一致とはまでは行かずとも、九割くらいは合っているのだろう。

 

 

「誤算は、俺が想定していたよりも早く着いてしまったこと。だからあの時倉庫には三人しか転がっていなかったんだ。お前は虎視眈々とカノンに狙いを定めていた最中だった。

 驚いたろうな。あと少しで彼女が気絶(オチ)ると期待していたら、誰のとも知らぬ木彫りの使い魔が走ってきたんだから」

 

「……ええ、まったくです。クシロンさん、貴方、魔術師ではなく探偵の方が向いているのではありませんか?」

 

 

 男の言葉は湾曲ながらも白旗を掲げるものだった。よくある刑事ドラマであればこのあとお縄につくシーンが始まるのだろう。

 

 しかし、俺は警察でもなければ、彼の言う探偵でもない。

 

 

「さて、と。じゃあ殺すね」

 

 

 俺は魔術師だ。

 

 敵対した魔術師を生かして帰すほど甘くはない。

 

 男もそれを分かっていたのだろう。グッと眉間にシワを寄せて身構える。問答は終わりだ。俺は謎が解けてスッキリ。ヤツは解かれてガックリ。精算して一つ前に戻ろう。

 

 

「いいえ、まだです。私とて無策で来たわけではありません。カノンを捉えるために用意した礼装だってまだ──!」

 

 

 男はそう言うや否や、懐から赤色の布と小瓶を取り出した。

 

 往生際が悪すぎる。

 

 血に染まったかのような帯状の真紅の布。特徴的な象形文字(ヒエログリフ)が刻まれた銀製の小瓶。どちらも見慣れないものだ。

 

 

「──チッ!」

 

 

 こういうのはやられる前に()る方が良い。過去の経験からして間違いない。『強化』した脚で一足飛びに男まで駆ける。『無』の刃の射程まで一気に近づくために。

 

 しかし、それより一足速く赤色の帯が動く。意思を持つかのように。あるいは、持ち主の意思を反映するかのように。

 

 ぐるりと一周。不可視の刃がまさに男の喉に突き刺さろうというその時、赤色の帯は俺を囲むように輪を描き終えた。

 

 ピシリ と 大気が固まる。

 

 大源(マナ)の動きが変化した。霊脈(レイライン)に沿って動いていたはずのものが停止したのだ。いや、正しくはそうではない。そんな大掛かりなことには当然ながら相応の儀式が必要だ。だからこれは────。

 

 ──ジルベスタの聖骸布。

 

 どうやってかは知らないが、一介の魔術師がよく手に入れられたものだ。

 

 これは囲った範囲の大源(マナ)の動きを停止させる、魔術師殺しの概念礼装。

 

 魔術師は通常、マナを取り込みオドを発火源として魔術を発動させる。しかしこれでは取り込めない。動きがないのだから、吸収しようと働きかけてもマナは大気中に留まったままだ。

 

 熟達した魔術師であればすぐさま小源(オド)のみの使用に切り替えて対応できるかも知れないが、だとしても一秒以上の隙は生まれるだろう。

 

 そして、魔術戦において一秒というのはあまりにも長すぎる。

 

 

「────」

 

 

 男が小瓶の蓋を取ろうとする。

 

 恐らく何かしらの魔術品。液体か、粉末か、はたまたランプの魔人よろしく強力な使い魔か。

 

 なんにせよ、相手に一秒以上の隙が生まれているのであれば間違いなく必勝の手だろう。

 

 ()()()()()()()()()、の話だが。

 

 

「──ンガッ! あ……、な、なんで……」

 

 

 男の喉元に深々と刃が突き刺さる

 

 と、同時に手首から先を切断して安全を確保する。一般人なら喉への一撃だけで死ぬんだが、相手は魔術師。魔術刻印のおかげですぐには死なない。

 

 

「さあ、なんでだろうな」

 

 

 聖骸布のテキトーな場所を切り裂く。一部だっていい。円環が崩れればそれだけで魔力の働きも正常へと回帰する。以って────、

 

 

「──Gepfählt(磔刑)

 

 

 喉元に突き刺した『無』に魔力を通す。

 

 木の根のような形に『変化』させて身体の内部へ行き届かせる。枝分かれした針のようなものが脳と心臓、その他重要器官を一度に破壊する。

 

 我が事ながら眉を(ひそ)めたくなるような嫌な音が響いて、びちゃり、と粘性の強い血液が大量にこぼれ落ちた。

 

 周りにいたブラックドッグたちもすべてがすべて、眩いばかりの燐光となって消えていった。

 

 後には静寂が残るばかり。

 

 

「ふぅ……。おしまい、と。悪いな、アラートさん」

 

 

 説明する義理もなかったのではぐらかしたが、男の敗因──というか誤算というか──はひどく単純なものだ。

 

 単に、俺の魔術への無理解。

 

 これは仕方のないことではあるが、恐らく男は俺の魔術を『風』の属性に類するものだと勘違いしていた。だからジルベスタの聖骸布が通用すると思い込んだ。

 

 魔術が使えないんじゃ『風の刃』はすぐに元の風に戻って霧散してしまう。だから喉への一撃が空振りすると思っていたんだ。

 

 けれど俺の扱うのは『無』だ。"あり得ないが物質化する"架空元素を操る魔術。内外部透過率100パーセント。屈折率は真空と同等の1.0。加えて魔術的にも一切感知ができない。──絶対不可視の物質。

 

 そう、物質なのだ。

 

 外界へ顕現した時点でソレは形あるものとして世界に認識される。俺自身が望んだり、あるいは大きく損傷しない限りは半永久的に存在し続けるものなのだ。

 

 故に、マナを使えない環境であろうとも消えることなくあり続けた。

 

 まあ、とはいえ、他者の魔術を一目で見抜くことは非常に難しい。そんなことをホイホイ出来るやつはそういない。もし仮にいるとしたら、そいつは相当な恨みを買ってることだろう。

 

 だから男の敗因は無理解であると同時に、ただ運が悪かったのだ。

 

 

「さて、気を取り直してベールナルへ急ぐか」

 

 

 いやしかし、黒犬は消えたからいいとしても、この遺体はどうしたものかな。

 

 

 

 

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