艦底のBAR「どん底」は、開店時間をとっくに過ぎても客の姿はなく、ひどく静かだった。改装したばかりの店内にはゾンビ映画風の装飾が残っていたが、あれ以来の反響はイマイチ。今日は誰も来そうにない。
「……暇だねえ」
ラムがグラスを指で回しながら、退屈そうに天井を仰いだ。
「誰も来ないわけだよ。あれ、怖すぎたんだって」
カウンターの奥でカトラスがぽつりと言う。
「でもさあ、何かしないと本当に誰も来なくなるよ?」
フリントがスカートの深いスリットから足を組み替えながら、手にしたマイクをぶんぶん振る。
「何かって、何よ。踊る?歌う?ギーコが?」
お銀が飴をくわえたまま振り返る。ギーコはカウンター横の椅子に座り、副腕で小さなノートを取り出すと、さらさらと書いた。
「踊らない。歌えない。声、出ない。」
「うわ、そっか……悪かったね」
フリントが苦笑してマイクを下ろした。
「でもよ、こんな時こそ何かやるべきだと思うのよ」
ムラカミが筋骨隆々の腕でテーブルをぽんと叩いた。「例えばさ、“脱出ゲーム”とかよ!」
「店で?」
全員が一斉にムラカミを見る。
「そう。どうせ客がいないなら、私たちだけでやってみる。なんかこう、ゾンビ映画風のシチュで、ギーコが番犬ゾンビになって、私らが脱出するの」
「……ふふっ、面白そうじゃない」
カトラスが意外にも乗り気な声で呟いた。
「ギーコ、やってくれる?」
お銀が覗き込むと、ギーコは数秒悩み、副腕で「 」のポーズをした。
こうして、突発・どん底脱出ゲームが始まった。
⸻
照明を落とし、非常灯だけが仄かに光る店内。ラムが空の酒瓶を並べてバリケード代わりにし、フリントが紙とマジックで「ゾンビに噛まれるな!」というポスターを作成。ムラカミは店の裏にあった掃除用のフェイスマスクと手袋をギーコに装着させた。
「うわっ、地味に怖い……」
フリントがギーコを見て引きつった声を漏らす。
ギーコはゾンビ役らしく、ゆっくりと、しかし確実に仲間に近づく。ドリルのような口部から微かな振動音が響き、副腕をカタカタと動かしながら、通路の中央に立ちふさがった。
「やばっ、来た来た来た来た!!」
ラムが叫びながらテーブルの下に逃げ込む。
ムラカミは本棚の裏に隠れ、お銀は冷蔵庫を開けて中に入ろうとしたが、
「ちょっと、そこ飲み物入ってるからやめて!」
カトラスのツッコミが飛んだ。
ギーコは無言のまま、メモ帳を取り出し、ゆっくりと書き込む。
「脱出条件:冷蔵庫にある“ゾンビ除けハーブティー”を全員で飲むこと」
「それって……まさか、これ?」
ラムがカウンターに並ぶハーブティーのパックを取り上げる。
「ちょっ、それうちの備品!ゲームで使うなら後でちゃんと飲むこと!」
カトラスがすかさず注意を入れる。
やがて一人、また一人とハーブティーを手に取り、「ギーコゾンビ」に見つからないように冷蔵庫前に集結。
フリントが叫んだ。「いまだ、みんなで乾杯!!」
全員がティーカップを掲げ、「かんぱーい!」と声を合わせた瞬間――
ギーコが静かにメモを掲げる。
「……全員、感染済み」
「え、ちょっ、どゆこと!?」
「なんで!?飲んだのに!?」
「ギーコ、それ反則!!」
騒ぎながら全員が崩れ落ちる中、ギーコは首をかしげ、さらに一枚。
「※お湯を入れていなかった」
「基本の“き”じゃん!!」
全員のツッコミが店内に響いた。
⸻
その日の夜、BAR「どん底」にはまた静けさが戻っていた。だが、誰も来なかった一日は、仲間たちの大笑いとギーコの手書きギャグで終わりを迎えた。
「……意外と面白かったわね」
お銀が一息つきながらポツリと言う。
「次は、もう少しちゃんとしたシナリオにしようね」
カトラスが言うと、ギーコはまた無言でメモを出した。
「次回案:エイリアン襲来。逃げ道なし。」
「……あんた、本当に喋れないだけで頭良すぎじゃない?」
フリントが笑いながら言い、皆もつられて笑った。
こうして、ギーコが持ち込んだ“無言の笑い”が、今日も艦底の「どん底」に一つの夜をもたらした。
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