FAIRY TAIL 七年間のゼーラ   作:もちごめさん

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第二話

 風に揺られて騒めく梢と、僅かに波打つ青い湖面。時折聞こえてくる動物たちの息づく音を聞きながら、ただ垂らした糸をじっと見守る穏やかな時間。

 そんな釣りも、かくれんぼほどではないにせよボクは好きだ。

 ぷかぷか漂う浮きと水面を見つめていれば、いつまでだってマッタリできる。何なら実際に一日中釣りをしていたこともあるし、その体験はいい思い出にもなっている。

 

 あれは楽しかったなぁ、と今でも思い返す時があるほどだ。

 だからもちろん、メイビスのあの手のひら返しにあっけにとられながらもボクは一人で釣りに向かった。いっぱい釣ってメイビスに来なかったことを後悔させてやるのだと意気込んで、弾む期待のままにエサを付けた仕掛けを投げたのだった。

 ――で。そんな楽しい釣りを始めたはずのボクは今、

 

 

「……つまんない」

 

 

 退屈を持て余していた。

 

 ……いやもうほんと、仕掛けがポチャンと水に落ちたあの瞬間が楽しさのピークだったと思う。

 草地の地面に腰を下ろして魚がかかるのを待っていれば、それだけで勝手に期待感が膨らんでいくものであるはずなのだけど、今回はそんなことが全くない。むしろ胸のワクワクは萎んでいくばかりで、あっという間に消え失せてしまったのだ。

 

 いつもは楽しいのに、なぜなのか。その原因は火を見るよりも明らかだ。

 だっていつもと違ってメイビスがいない。今、ボクの隣はからっぽだ。

 魚がかかるまでの待ち時間も楽しかったのは、やっぱり傍にメイビスがいてくれたからだったのだ。彼女がいない今、それは空虚でしかない。

 

 ……もしかしたら、メイビスはこうなることを見越していたんじゃないだろうか。

 

 退屈のあまりやることのない頭がついさっきのあれこれを思い返して、ふと気付く。あの時のメイビスの悪い顔は、つまりそういうことなんだろう。

 ああ、そうだ。そうに違いない。ボクのことなどメイビスにはお見通しというわけだ。そうまでボクのことを理解してくれている事実がちょっとだけ嬉しい。

 

 嬉しいけれど……それでもメイビスの思惑通りに釣りを切り上げるのは、やっぱり癪だ。

 

 まだ図書館へはいけない。お勉強を想像してしまった頭はまだほのかな頭痛に苛まれてしまっているし、それに何より、まだ一匹も魚は連れていないのだ。

 退屈故のやる気のなさが、竿を通して水中の魚たちにも伝わってしまったせいだろう。生気のないエサは見向きもされないようで、水面の浮きはさっきから微動だにしていない。

 我が儘を言って釣りを強行したにもかかわらず、成果ナシはちょっとカッコ悪い。だから図書館行きを考えるのは、せめて一匹釣り上げた後だ。

 

 

「できればでっかい大物が釣れてくれるといいんだけど……」

 

 

 このぶんじゃ望み薄かなぁ、と、静まり返った釣り竿をチョイッと軽く引いてみる。当然、誰にも興味を持ってもらえない釣り針に手応えなどない――はずだったのだけど、

 

 

「っ……!」

 

 

 なんと、重たい。釣り糸は竿との間でピンと張りつめ、そこから全く動かなかった。

 

 これは……来てる! なんと反応がないと思っていた釣り竿は、気付かぬうちに中々の大物を射止めていたようだった。

 ひんやり冷え切っていた興奮が少しだけ戻ってくる。ズシリと陣取ったままの手応えを確かめながら、魚を興奮させないようにゆっくりと立ち上がった。

 これでメイビスをぎゃふんと言わせられるぞ……と、妄想を巡らせて、そうしてボクはこの大物との戦いを始めるべく、思いっきり竿を引いた。

 

 その結果。

 

 

「わあっ――がぼごぼごぼ……」

 

 

 糸の先の大物ではなく、ボクの身体が持っていかれた。

 

 あまりにも重すぎた。おかげで足がずるっと滑り、そのまま湖へ背中からドボン。湖底の泥がボクのお尻に巻き上げられて、あっという間に頭の先まで泥水に覆い尽くされてしまった。

 

 

「ぶはっ! ぺっぺっ! うう……なんでこんな目に……」

 

 

 慌てて水から上がって、口に入った泥水を吐き出す。怪我も全くないけれど、しかしやっぱり、泥水を被った服は悲惨だ。

 

 もしもこんな格好で図書館に足を踏み入れようものなら、いつもは優しいメイビスもさすがに雷を落とすだろう。

 

 

「……仕方ない。全部脱いで洗っちゃおう」

 

 

 ワンピースとタイツと靴と、ついでに下着も。水がきれいな所まで歩いて行って、ささっと手早く汚れを落とす。

 その際、ぷかぷか漂っていた釣り竿も回収したけれど、やっぱり針の先に魚はかかっていなかった。

 ……というか、エサの仕掛けもそのままに、湖底の岩に引っ掛かってた。

 そもそもあの重すぎる手応えは、魚ではなくただの根がかりだったというわけだ。メイビスをぎゃふんと言わせられるなどと、勘違いしていた自分がますますもって情けない。

 本当に、どうしてボクがこんな目に合わなくちゃいけないんだろう。もしこの世に神様がいるのなら、あんまりだ。

 ……まあ、これが今までお勉強から逃げてきた報いだというのなら黙るしかないのだけれども。

 

 とにかく、そんな暗澹たる思いで洗濯を終わらせた。腕の筋肉がプルプルするまで頑張って水気を絞り、干しておく。

 これで後は乾くのを待つばかりだ。

 メイビスと約束したお昼までに乾いてくれるのかは知らないけれど。

 

 

「………」

 

 

 さて、やることがない。釣り竿も物干し竿にしてしまったことだし、正真正銘手持無沙汰だ。

 あるのはもはや目の前に広がる水面のみ。となればすることは一つしかなく、髪を二つに括っているリボンを解くとボクは池へと飛び込んだ。

 

 水中は、むしろ水上よりもにぎやかだ。

 もちろん音はないけれど、舞い上がった泥もすっかり落ち着き薄青く煌めく透明を取り戻した世界では、魚が泳ぎ、水草が揺れ、差し込む日の光がキラキラとそれらを彩っている。

 さらに重力すらもがいくらか解けて、潜水しながら水をかけばまるで空を飛んでいるようだ。魚と水草たちの営みを見下ろしながら軽い身体で飛ぶその感覚は、ちょっと奇妙なくらいに開放的。

 

 しかし――やっぱり、退屈だ。

 一人は、これっぽっちも楽しくない。メイビスと一緒に過ごす楽しさを知ってしまった身では、この穏やかさで満足することは不可能だ。

 

 ……もう、図書館行っちゃおうか。

 

 一人でいるよりメイビスとお勉強するほうが随分マシに思えてきた。

 でもしかし、服がびしょ濡れのままではやっぱりメイビスは怒ってしまうことだろう。行きたくても、このままでは図書館には入れない。果たしてどうするべきだろうか。

 

 最後の難題に頭を回す。働く脳味噌が答えを出すため、酸素を寄越せと急かしてくるけれど――いかんせん、ここは水中。肺に蓄えられていた空気はすぐに底を突いてしまった。

 ほどなく限界も訪れて、ばしゃっと勢いよく浮上した。腰くらいの水の上で身を起こし、久方ぶりの息を吸う。そうして要望通りに酸素が送られた脳味噌は、よし来たとばかりに奮起して――

 

 

「……服、新しいのを取りに行けばいいじゃん」

 

 

 あっけなく気が付いた。

 そうだ、干した服が乾くのを待つ必要なんてないじゃんか。こんな当たり前のことに気付かないなんて、ボクってもしかしておバカなのか。

 

 我ながら否定しきれないのが嫌になるけれど、まあ気付いただけマシなのだから良しとしよう。いいからさっさと洗濯ものを取り込んで、ひとまずメイビスとの家の方へ。

 

 と、気付いたボクが頭を振って水気を飛ばし、水から上がろうとした――まさにその瞬間だった。

 

 

「――泉の、妖精……?」

 

 

 声だ。しかしメイビスのかわいらしい落ち着いた声じゃない。

 それとは似ても似つかない、低い男の人の声。ボクでもメイビスでもない第三者で――。

 

 ……あ、そっか。幻か。

 

 心臓が跳ねあがってパニックになりかけたけど、寸前に思い出した。そうだ。こんな短期間に二度も騙されてなるものか。

 驚かないぞ、と背に走った戦慄を対抗心で抑え込むのにちょうど三秒。それだけ使って覚悟を決めて、声の方、対岸に振り向いて――

 

 

「……えっ」

 

 

 一瞬のうちにあっけなく、構えた覚悟は吹き飛ばされてしまう。

 

 固くなでつけた金髪、大きな身体を全身すっぽり覆い隠す長丈の服。厳めしい顔を呆けさせてボクのことを見つめているその誰かには、全くもって見覚えがない。

 そこはいいそこまではいいのだけれど――呆けながらも身構えた、その袖口から覗く金属質な光沢の煌めき。

 あれって、武器なんじゃなかろうか。

 

 ――武器。誰かを害するもの。ボクを騙す幻には全くもって不要なものだ。

 つまり、あの男の人はメイビスの幻ではない。この島の住人でもありえない。外からやってきたよそ者で、その武器を振るいに来た者。

 そんな存在は、後にも先にも彼らだけだ。

 

 

「……っあ、いや、すまない……! 覗きをするつもりでは――」

 

「ぶ、青い髑髏(ブルースカル)だぁっ!!」

 

 

 そうに違いない!

 男の人、改め青い髑髏(ブルースカル)の人間は何やらもごもごと気まずそうな様子を見せて、しかもなぜだかボクから眼を逸らそうとしているけれど――そんな挙動不審で誤魔化されるようなボクじゃない。

 だってそれだけの大事だ。七年前、ゼーラ(ボク)とメイビス以外の島民を全滅させた人間がやってきたなんて。

 

 一刻も早くメイビスに知らせないと……! でないと今度はどうなるかわからない!

 

 

「大変!! 大変だよメイビス!! 早く逃げないとっ!! 今度こそ殺されちゃうよぉっ!!」

 

「こ、殺され……!? それに青い髑髏(ブルースカル)!? おい、何か勘違いを……待てと言っているだろう!?」

 

 

 喚く男の人はもう聞く余裕もない。干してある服を回収する余裕も同じく。着の身着のまま――というかなにも着ぬまま、ボクはメイビスがいるであろう図書館の方へと駆け出した。

 道すらもう選んではいられない。茂みの中も小さな小川も突っ切って、ただひたすら一直線にひた走る。あの男の人がメイビスの下にたどり着くよりも早く、メイビスと共にどこかへ逃げるために。

 

 ……けれど果たして、どこに逃げればいいのだろう。この天狼島は海原にポツンと一つ佇む孤島。逃げ場はなく、そしてボクたちは島の外に出たことがない。

 まさに絶体絶命。男の人に見つかってしまった時点でもうその魔の手からは逃れようがなかった。

 

 でも、しかし。それでもどうにかして逃げないと……!

 

 でないとメイビスが殺されてしまう。

 青い髑髏(ブルースカル)がどうして今更この島に訪れたのか、理由は想像もつかないけれど、島の住人を皆殺しにしてしまった彼らが生き残りのメイビスを見つけたとして、彼女を見逃すとは思えない。

 だから方法なんて何も思いつかなくてもやるしかない。メイビスが死ぬなんて、そんなのは絶対に嫌なのだ。

 

 そんな想いの賜物か、道なき道を駆け抜けて我ながら驚くほど速く図書館へとたどり着いた。ダッシュの勢いを全く緩めずそのまま建物に突入すると……よかった。石造りの内部にメイビスの声が反響してきた。内容はわからないけれど穏やかなその声色は、あの男の人を前にしているものじゃない。

 最短距離を突っ切ってきたのだから当然のことだけど、男の人の先んじてたどり着けたことに安堵。しかし気を緩めるにはまだ早い。引き締め直して、地下の書庫への階段を駆け下りる。

 そしてそのまま、勢いよく室内へと突っ込んだ。

 

 

「メイビス大変!! 急いで逃げないと、青い髑髏(ブルースカル)が――!!?」

 

 

 が、しかし。

 書庫に飛び込むようにして足を踏み入れ、その一歩目で続く言葉が吹っ飛んだ。

 

 入った直後、ボクの視界に映ったのはメイビスではない。ボクの声に反応し、振り向きかけているその横顔は、短い金髪にジャケットを羽織った、さっきの男の人とはまた別の男の人のものだったのだ。

 

 多分、恐らく、もしかしたらなのだけど――彼もまた青い髑髏(ブルースカル)の一員なのでは。

 そう頭によぎり、身が凍り、本能的にボクの足がブレーキをかける。しかしそれだけで階段駆け下りダッシュの勢いは到底消えず、そのままボクの背を押して、その結果。

 

 

「あっ」

 

 

 踏ん張っていた濡れた足が床の石材の上でずるっと滑り、

 

 

「ふごっ――!!」

 

「んぎゅっ――!」

 

 

 投げ出されたボクの身体が男の人の脇腹を直撃。もろとも床へと薙ぎ倒した。

 

 直後ごすっと、耳に届いた鈍い音とうめき声。きっと男の人が本棚に頭をぶつけた音だろう。痛そうだ。

 そしてそんな男の人がクッションになったボクの方もそれなりに痛い。顔面から突撃してしまったせいで、特に鼻が大変だ。目の前に火花が散ったみたいな衝撃は鼻の奥までツンと響いて、ジワジワと涙も込み上げてくる。

 あとたぶん、鼻血も出てる気がする。案の定、身を起こせばぽたぽたと赤色が滴ってきたけれど――それにしても、だ。

 

 はて、ボクはどうしてこんなことになるほど驚いていたんだっけ?

 鼻のショックでなんだか少しボンヤリする。一周回って落ち着いたみたいな感覚で……いや、全く落ち着いたらいけないような状況だったような気が――

 

 

「……うぅ……な、なんだってんだ、いきなり……」

 

 

 と、思っているとなんと地面が動き始めた。いや地面じゃなくて男の人か。メイビスやボクとは全然違うごつごつとした硬い肉体が、ゆっくりと身を起こす。

 ボクも彼の身体に手をついて血と涙を拭い、滲む視界を振り払った。そうしてはっきり映った目の前で、頭をさすりながらしかめっ面を持ち上げる男の人。

 開いたその目とボクの眼が、その時ピタリと合わさった。

 

 そのまま、経過することおよそ数秒。ボクの脳味噌が事態をゆっくり思い出す。そうだ、青い髑髏(ブルースカル)の一員が、まさにこの場にいるんだった。

 ボクは青い髑髏(ブルースカル)がメイビスを見つける前にメイビスと一緒にこの場から逃げ出さなくてはいけなくて……でもメイビスがいる地下書庫にはもうすでに彼がいて――

 

 ……えっ。

 

 

「ひゃああぁぁぁっ!!」

 

「おわああぁぁぁっ!!?」

 

 

 ヤバいじゃん! それってすっごくヤバいじゃん!

 

 痛みで飛んでいた危機感が一気に噴き出した。思わず喉から悲鳴が飛び出る。

 そして同時になぜか男の人も声を上げていた。視線はどうしてかボクの目から下に向いているけれど――そんなことはもうボクの意識には上らない。とにかく、ヤバいのだ!

 

 しかし驚きすぎて真っ白になった頭は何一つ行動を起こせない。男の人の上で涙目になって震えるばかりで役立たず。

 が、その時。そんなボクを凝視していた男の人が、ふと我に返ったかのように身をねじった。

 

 

「ああっいや、すまん! そんなつもりじゃ――」

 

 

 と、なぜか慌てながら顔を覆った男の人の肘が、勢い余って背後の本棚にぶつかった。

 揺れる本棚。動く蔵書。振動につられて顔を出したぶ厚い背表紙はそのまま自重で傾いて、棚から零れて真っ逆さま。

 何者にも遮られずに落下して――そして。

 

 

「なぐぇっ」

 

 

 慌てふためく男の人の脳天に、ものの見事に直撃した。

 

 ああ、すっごく痛そう。こんな状況でもそんなことを思ってしまうくらいの痛撃は、やっぱりというかなんというか、男の人の意識を遥か彼方へ連れ去った。

 がくりと、途端に男の人の頭が力を失い垂れ下がる。身体のほうも力が抜けて、ぐったりと本棚へと寄りかかり、動かなくなった。

 

 ちょっとかわいそうではあるけれど、しかしよかった。これでこの男の人はメイビスに悪いことはできない。目下の危機はとりあえず退けられた。

 

 で、肝心要のメイビスだ。彼女はやっぱりこの地下書庫にいた。

 部屋の隅、男の人を見つめて呆然としていたけれど、しかしやがて我に返ることができたのだろう。今度はボクの姿を認めてぎょっとして、頬を真っ赤に染めた愛らしい姿を慌てさせた。

 

 

「ぜ、ゼーラ!? どどど、どうしてハダカなのですか!? ユーリの前なのに、そんな恰好……!?」

 

 

 ユーリ、というのはこの男の人のことだろうか。どうしてメイビスがそんなことを知ってるんだろう?

 ――とかそんなことを考えている場合じゃないんだった! バクバク跳ねる心臓に我に返って、メイビスを遮りその手を握る。

 

 

青い髑髏(ブルースカル)だよ! 青い髑髏(ブルースカル)がまたこの島を襲いに来たんだ! 早く逃げないと、メイビスが殺されちゃう!」

 

「ぶ、青い髑髏(ブルースカル)!? ちょっと待ってください、それってどういう――」

 

「待ってる場合じゃないんだってば! 今もここに向かってきてるはずなんだよ! いいから、早く――」

 

 

 逃げよう。一刻を争うのだ。

 と、頭の上のハテナマークを増量してしまうメイビスの手を引き、無理矢理に立ち上がらせた。相変わらず逃げ場は思いつかないけれど、とにもかくにもまずはこの図書館を出るべく足を向けて――

 しかし。

 

 

「――クソっ! あの小娘、いったいどこまで逃げて――」

 

「あっ――」

 

 

 階段に、表れてしまった。湖で見た、武器を持った青い髑髏(ブルースカル)の男の人が。

 

 間違いようがない。だってその右腕には、湖に置いてきたはずのボクのワンピースやタイツやらが、なぜだか丁寧に畳まれて抱えられている。

 そして地下書庫の出入り口は、男の人が立っているその一ヶ所だけ。逃げなければ殺されてしまうのに、もうその逃げ道すら塞がれた。

 

 ああもう、どうしようもない。絶望感が、たちまちボクの涙腺を刺激して、

 

 

「びやああぁぁぁぁっ!!」

 

「うおおおぉぉぉぉっ!?」

 

「きゃああぁぁぁぁっ!?」

 

 

 今度は悲鳴の三重奏。男の人と、メイビスまでもがなぜか同時に叫んだけれど、もちろんボクにその視線の向く先を気にする余裕などありはしない。

 そう、気にしている意味がない。ぽろぽろ零れていく涙も、止める必要は全くない。だってこれからメイビスは、ボクたちは、この人に殺されてしまうのだから。

 

 

「お……お前、ユーリ……!? お前たち、ユーリに何を――」

 

「ち、近寄らないでください!! 変態っ!!」

 

「へ、変態!?」

 

 

 と、男の人を遮って、メイビスがボクをギュッとより強く抱きしめてきた。

 まるで大事なものを隠すように懐に抱え込まれて、こんな状況でなければたいそう幸せな気持ちになれただろう。ただ今のボクにそんなものは縁遠く、えぐえぐひっくと泣きじゃくる音の中、男の人とメイビスの言い争いが続く。

 

 

「聞き捨てならんぞ、誰が変態だ!!」

 

「あなた以外に誰がいますか!! ゼーラから……ふ、服を奪って、辱めておきながら……!!」

 

「はっ!? い、いや違う!! 誤解だ!!」

 

「何が誤解ですか!! 貴方がその手に濡れたゼーラの服を携えている時点で、もはや語るに落ちています!!」

 

「いやだから、これはその、湖で……なあ、そうだろう!? 説明してやってくれっ!!」

 

 

 男の人の声……これはボクへの言葉……? 涙と一緒に動揺も少しだけ落ち着いて、おかげでその声色の変化に気が付いた。

 縋りつくような、殺戮者に似つかわしくない情けなさが相俟って、その声はボクの顔をメイビスの腕の中から持ち上げる。青い髑髏(ブルースカル)の言うことなんて聞きたくはないけれど、まあそこまで言うのなら、と。

 けれど落ち着いたのは気持ちだけ。身体は未だ引き攣るようにしゃくりあげ、うまく言葉が出てこない。

 

 

「め、メイビス、ボクっ……湖で、よ、汚れ、ちゃって……っ、そ、その人のこと、怖くって……っ」

 

 

 そんなふうに絞り出すのが精一杯だった。

 でも大事なところは伝わったことだろう。泥で汚れた服を干していたら男の人がやってきたから、そのまま逃げてきてしまったのだ、と。

 が、

 

 

「……お、女の敵っ……!!」

 

「だから違う!!」

 

 

 どうやらうまくいかなかったみたいだ。

 メイビスの声には怖気が混じり、男の人はますますもって慌てふためいた。

 

 

「お前っ!! 私は事のあらましを説明しろと言ったんだ!! 誰が濡れ衣を着せろと言った!?」

 

「ひぅっ……!」

 

 

 よくわからないけれど、お怒りだ。ボクとしてはちゃんと説明したつもりだったのに、凄まれると涙もあって返事もできない。

 そしてそんなボクを、メイビスがまた懐深くに抱え込んでしまった。尚のこと、ボクはメイビスのにおいに包まれながら二人の間の応酬を聞いていることしかできない。

 

 

「だ、黙りなさい色情魔!! これ以上、ゼーラには指一本、触れさせません……っ!!」

 

「触れる気はないし、その『色情魔』だのと、私をそう呼ぶのはやめろ!! 言っているだろう、誤解だと!!」

 

「この後に及んでまだしらを切るつもりなのですか!? ……ま、まさかそうやって、私まで……!?」

 

「しない!! いい加減にそこから離れろッ!!」

 

「ッ!! いいえ、離れません!! ゼーラは必ず私が守る……!! 子供だからって、舐めていると痛い目を見るのですよ……っ!!」

 

「だからそういうことする気は全くない!! 何度言えばわかるんだ!?」

 

「そっちこそ、いつになったら認めるんです!! 少女趣味の変態ロリコンっ!!」

 

「……彼がロリコンでないことは、チームの名誉のためにも主張させてもらおうかな。(ワッシ)が」

 

 

 と、その時。またまた別の、三人目となる男の人の声がした。

 

 ただし今度は前二人と違って穏やかな登場だ。声色が警戒心をスルーして耳まで届き、それでつい沸いた興味が、またボクの頭をメイビスの腕の中から引き抜いた。

 

 

「……ウォーロッド、否定するなら変態まで否定してくれ」

 

「いやぁ、お前がどんな性癖を隠しているかは(ワッシ)にもわからんからな! ……なんて、冗談だよ冗談! そう怒らないでくれ、プレヒト」

 

 

 木みたいな人だ。モサモサの高い頭から、第一印象はそんな感じ。

 ともかく現れたその男の人、ウォーロッドは忌々しげに眉を寄せるプレヒトというらしい男の人に笑って返し、次いでボクたちへ――視線はちょっと外しつつ、その笑みを苦笑いに変えて言葉を継いだ。

 

 

「ついでに……青い髑髏(ブルースカル)、だったかな? 聞こえてきたが、君たちが恐れているそれとも、我々は無関係だと言っておこう」

 

「っえ……そう、なの……?」

 

 

 確かに、見るからにこのウォーロッドという人からは青い髑髏(ブルースカル)っぽさがなかった。荒々しさとは正反対な雰囲気だ。

 

 けれど……本当に? 我々ってことは、もしかしてプレヒトやユーリも、そうじゃないってこと……?

 

 わからない。ウォーロッドは信じられそうだけど、やっぱりそれでも判別がつかない。

 そんな顔を、ボクがしていたせいだろう。あるいはメイビスも同じような気持ちだったかもしれない。とにかくウォーロッドはそんなボクたちの気持ちを悟ったようで、頷き、下の方へと眼をやり言った。

 

 

「だから我々が何者なのかの説明のためにも……ひとまずそこのユーリを起こしてもいいかな?」

 

「あ……」

 

 

 と、ボクたちの足元へ。そうだった。気絶したユーリをずっとお尻に敷いていたこと、すっかり忘れてた。

 

 

「後はそちらのお嬢さんも、早く何か着た方がいいだろう。この島はまだ温かいが、風邪を引いてしまうからね」

 

 

 全くもってその通り。頷く代わりに、裸の寒さを思い出したボクの身体がくしゅんと小さくくしゃみした。

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