「――うっぷ……うぅ……気持ちわる……」
「大丈夫ですか、ゼーラ? はい、お薬ですよ」
「うへへ……ありがと、メイビス。おかげで少し楽になって――あ待って出そう……おろろろろ……」
波に揺れる船の上、ゼーラはメイビスの介抱の甲斐なく船べりに身を乗り出し、海原へと聞くに堪えない音を吐き出した。
酷い船酔いだった。飲んだ薬も意味はなく、海中の魚たちへのエサやりに勤しむゼーラの顔は、げっそりとやつれている。船出以前――天狼島を発つ前の、あの騒がしいくらいの明るさはもはや見る影もなかった。
そんな有様は、メイビスだけでなくユーリとウォーロッドからも心底の憐れみを引き出してしまうほどだ。二人は船の仕事をこなしながらもその気はそぞろ、ほとんどゼーラへの心配へと向いていた。
「かわいそうに……まさかゼーラがこうまで波に弱いとはなぁ。島の住人なのだから、
「島近くの海で漁をしたことは何度かあったのですが、その時は全然平気そうだったんです。だから私も特に心配してなかったのですけど……」
「陸に近い海と遠い海じゃあ波の質はまるで違うからな。まあ無理もねぇ……が、さすがに見てられないな。……なぁウォーロッド、もっと強い酔い止めはないのかよ?」
「ふーむ……一応、島に生えていた薬草をいくつか頂戴しては来たが、どうだろうな」
「そうなんですか? なら……もしかしたら、使えるものがあるかもしれません! 見てきても?」
「ああ、いいぜ。オレも手伝うよ、船倉は色々ごちゃごちゃして危ないからな」
「助かります」
と、挙句にユーリはそう決めて、メイビスと共に船倉へと降りて行った。
舵を握るプレヒトは、そんな彼らが気に食わなかった。
無論、船酔いを軽んじているわけではない。ゼーラへ酔い止めの薬を与えることに反対する気は毛頭ない。
ないが――しかし、自分たちにそんな面倒をかけているゼーラのことが癇に障ってならない。故に、船尾で一連のやり取りを見ていたプレヒトは、メイビスをエスコートするユーリと、それを笑って見送るウォーロッドの存在が相俟って、その胸の内の不満を口にせずにはいられなかった。
「そんなに辛いようなら、島に戻ったらどうだ」
「ふぇ……?」
「おいおいプレヒト、いきなりどうした」
ゼーラへと向けられた、その憤り。やつれた顔が億劫そうにプレヒトを見やる。
体調不良でろくに頭が回っていない様子のゼーラに対し、意識明瞭なウォーロッドは『病人に何を言っているんだ』と非難を飛ばすが、しかし口火を切ったプレヒトはもう止まれない。制する手を振り払い、大きく息を吐き出した。
「まだ陸まで随分かかる。聞きもしない薬に頼るより、天狼島に戻る方が手っ取り早くて確実だ」
「……だから、プレヒト。親切心でもそういうことを言うもんじゃないと言っているんだ。それじゃあまるで、彼女たちには邪魔だとでも言っているように聞こえて――」
「『まるで』じゃない。事実、邪魔だろう」
ウォーロッドの言葉を遮り、言う。さらにはようやく目の焦点がこちらへ合ったゼーラへ、プレヒトは責めるように、その不満をぶちまけた。
「そもそもどうして彼女らは船に乗っている。私たちは結局、天狼玉を手にしてはいないだろう?」
天狼玉を引き渡すのと引き換えに妖精探しのサポートをする。それが半ば強制的に結ばされた、メイビスたちとの約束だった。
だがその約束は――天狼玉の引き渡しは、果たされていない。ただしそれはメイビスたちがプレヒトを出し抜いたというわけではなく、引き渡すはずの天狼玉そのものが既に何者かに盗み出された後だったからだ。
メイビスたちも気付いていなかったという。宝玉が抜き取られた祭壇の姿に、二人とも唖然としていた。
何ともマヌケな話であり、同情もするところではあるが――しかし約束は約束。一方が義理を果たせぬならば、もう一方もそれに拘泥する必要はない。
故に、妖精探しをサポートするため彼女らを船に乗せる道理は、本来既に存在していなかった。
――が、
「何を言う。その天狼玉を手に入れるために、
今度はそんな協定が、プレヒトの不満を押し切り締結されていた。
曰く、メイビスたちは天狼玉を盗み出した犯人に心当たりがあり、そしてそれは出会い頭にプレヒトが誤解された一団、
七年前、天狼島は彼らに襲撃されている。恐らくはそのどさくさに紛れて盗み出されたのだろう。
調査の苦労が省かれありがたいことこの上ない証言ではあったが、しかしその時、メイビスが言ったのだ。今度は妖精探しではなく、
ウォーロッドの言う通り、それが今、メイビスとゼーラが船に乗っているその理由だ。
それこそが、プレヒトは気に食わない。
「……名前は聞いたことがなかったが、
「そりゃあお前……聞いただろう? メイビスはユーリお得意の『相手の真実を当てるゲーム』で賭けをして、たったの一手でそれに勝ってしまったんだ。今までにそんな事があったか? ……彼女は賢い子だ。きっと
『相手の真実を当てるゲーム』。ユーリの持つA級秘宝、ジャッジメント・フィールド。嘘をつけない空間で行われる厳正なゲームにおいて、ユーリは確かに強者だった。見かけに反して案外と頭は回る方なのだ。
そんな、知力面でも経験面でも優れたユーリが思いもよらなかった方法であっさりと勝利を勝ち取ったメイビスの頭脳は、確かに類まれなものではあるのだろう。
「だが、魔導士ギルドは凡そ荒くれ者共の集まりだ。奴らが島を襲撃したというのなら、疑う余地もないだろう。荒事を生業としている連中を相手に多少頭が良かろうが、意味があるとは思えんな」
天狼玉を奪還することを考えるならば、必要なのは知力ではなく武力である。そしてそれらを、十代の半ばも過ぎていない少女たちが持ち得るはずもない。
道理であるし、加えてプレヒトには確証があった。
「……湖で出くわした私を
皆は協力などと言うものの、プレヒトにはそれが“子供のお守り”としか聞こえなかった。
相手が魔法使いの無法者だろうと、自慢の刃で打ち倒せる自信はある。だがしかしメイビスたちを守りながらの戦いとなればどうなるかはわからない。
故にプレヒトにとっては、メイビスたちはいない方がマシなのだ。
むしろ邪魔であり、だからこそこの状況にも、そうと知らずに楽観的なユーリとウォーロッドも気に食わない。
それに――知恵者とはいえ、メイビスはプレヒトを変態だのロリコンだのと勘違いしてしまう程度には抜けている。尚のこと信用できるはずもなかった。
「うっぷ……あ、足手まといなのは、そうかもね……。ボク、怖くて逃げちゃったのは、ほんとだし……」
と、その時。ウォーロッドのフォローを待つでもなく、ゼーラ当人が吐き気に顔を青くしながらもそう答えた。
おえ、と押さえた口から出てきたのは、確かにプレヒトの言葉への肯定だった。お墨付きを得て、故にプレヒトはそのまま「ならば」と続けようと口を開けるも、しかしその前にゼーラ言葉の続きを放つ。
「で、でもね……ボクは役に立たないかもだけど、メイビスは本当にすごいんだよ……? 頭がいいのはそうだけど、それだけじゃなくって、魔法だって使えるし……うぅ……」
「なんと魔法! それは知らなかった! あの歳ですごいものだなぁ!」
出てきた新情報にウォーロッドが感嘆の声を上げる。プレヒトも、口には出さなかったが感心した。どういう程度の魔法かはともかく、独学だろうに大したものだ、と。
しかしもちろん、それで絆されるはずもない。
「ならばやはり、お前が同行する理由はないだろう。百歩譲ってメイビスはともかく、役立たずを自覚しているゼーラは不要だ」
「おい、プレヒト」
強い言葉に、さすがにウォーロッドからも非難の視線が向けられる。だがそんな中であろうとも、プレヒトはゼーラから眼を逸らさなかった。
それだけ不満や不信が根深いということももちろんあるが――同じくらいにゼーラの身を案じているためだった。
「この旅は危険だ。妖精探しならばいざ知らず、天狼玉の奪還となれば戦闘は避けられない。……足手纏いを庇いながらでは、私たちも危ないんだ。だからこそ、私はゼーラ、お前自身のためにも、そしてなにより私たちのためにも、お前が島に戻ることこそが最善だと考えている」
それこそがついさっき、こぼれ出た胸の内のその意図だ。言い切って、さすがにほのかな罪悪感がプレヒトの胸をチクリと刺す。
だが、言わないわけにはいかなかった。少女たちを連れていくデメリットがまるで見えていない仲間たちを、己がしっかり守っていかねばならないのだから。
――と、思いきや。
ゼーラはプレヒトにそうも言い立てられて尚、傷ついた様子は一つもなく、それどころかキョトンと目を見張っていた。
何を言っているのかわからない、とでも言うようなその表情。また気持ち悪さで頭が回っていないのか、とプレヒトが邪推して――しかし直後、その顔がふとにへらと緩んだ。
「……何を笑っている」
思わず問う。ゼーラは弱々しいながらも、うれしそうに笑ってみせた。
「いや、だって……プレヒト、ボクのこと守ってくれるつもりなんだなって……。邪魔なら、放っておけばいいのにね……」
ぐっ、とプレヒトの喉が鳴った。ウォーロッドが声を上げて笑う。
「ワハハハ! ああ、そうとも。プレヒトはこう見えて仲間想いな奴なんだ! ……どうやら既に、嬢ちゃんたちは奴にとって仲間になっていたらしい!」
傑作だ、と笑うウォーロッドに、プレヒトは血の気が上る頬を抱えたまま舵輪を握っているしかなかった。
気恥ずかしくてならないが、しかしさりとて否定もできない。事実、仲間意識がなければゼーラに船を去れと言う時、罪悪感を感じたりはしなかっただろう。
当初妖精と見間違えたゼーラに毛嫌いされることをなんとか呑み込み口にした言葉だったが、続いてからかわれることにも耐えるしかなかった。
「……でも、ごめんね、プレヒト……。心配させちゃうけど、やっぱりボク、島には戻れないよ」
と、プレヒトが耐えていると緩んだ笑みを元に戻し、ゼーラが零した。「なぜだ」と羞恥と共に吐き捨てるように言うと、弱々しくも応える言葉が返ってくる。
「……ボクたちの天狼島、七年前に
そう始まり、ゼーラの口から訥々と語られた話は曰く、件の襲撃の惨状だった。
とはいえ、それはプレヒトとウォーロッドにとっても半ば予想していた事実だ。荒廃した島にたった二人だけで暮らしている少女たち。元より普通でないのだから、驚きはない。
僅かなりとも息を呑むことになったのは、その先。ゼーラが続けたメイビスの生い立ちに関する部分だった。
「……両親を亡くしたメイビスは、借金のカタに
「なんともまあ……言っては何だが、二人はよく友達をやれているなぁ。自分を虐げてきた者の娘で、しかも当人にも虐められていたとなれば、
「でしょ……? メイビスって、本当に優しい、いい子なんだよ……うっ……」
と恍惚として言いながら、直後タイミング悪く幸せな表情がすうっと抜けて、再び船べりで魚のエサやりを始めるゼーラ。
とはいえ胃袋の中身はもうほぼ品切れ状態で、何度目とも知れない“聞くに堪えない音”の時間はごく短かった。後はゼーラがただただ気分が悪そうに、それでもプレヒトたちに義理立てて踏ん張って、己の主張を再び続けた。
「だから、ボク……メイビスと、ずっと一緒にいたいんだ……。メイビスのことが大好きだから……一人で島に戻るなんて、
「……なら、メイビスも共に戻ればいい。今の話、そのまま彼女に話してみたらどうだ。酷い船酔いのこともある。そうそう否は言えんだろう」
プレヒトも話題に戻る。気を取り直して再度そう促すが、やはりというか、ゼーラはまた首を横に振った。
「メイビスの邪魔、したくないんだ……。天狼玉もそうだけど……妖精に会うのは、ずっと前からメイビスの夢だったし……。それに……」
一息。ゼーラは先ほどまでよりわずかに小さくなった声で、幸せそうにそれを言った。
「メイビスは、ボクと一緒に行きたいって……一緒に来てほしいって、言ってくれたんだ……。船酔いなんかより、一人の方が嫌だってボクの気持ち、わかってくれてるから……だからボクも、諦めたくないの……うぇっぷ」
長広舌で出ていった息に釣られて、吐き気もまた込み上げたのだろう。しかしそれでも最後まで言い切って、ゼーラはにへらと微笑んでから船べりへと顔を戻した。
そうして話は途切れる。が、しかしそれはプレヒトの不満や不信――ウォーロッド曰くの仲間思いな心配に、確かな区切りをつけることとなった。
ゼーラの意志を曲げることは不可能だと思い知った。メイビスの行くところになら、彼女はどこまでも着いていくつもりであるのだから、と。
であるなら、だ。
「……だが、やはりわからん。そもそもメイビスはどうしてそうも島を出ることに固執する? 妖精も天狼玉も、ここまでの危険を冒してでも求めるものか?」
当然、話をメイビスの方に向けざるを得ない。当人は未だ船倉から戻らないが、だからこそ彼女の目を気にしないゼーラの本心を聞けるというものだ。
それに、その部分はプレヒトにとって純粋に疑問だった。
歯車がかみ合っていないように感じてしまう。トレジャーハンターの習性が故か、あまりに無欲なその動機に得体の知れない不気味さを感じてしまうのだ。
「妖精など、実在するかもわからない。天狼玉を取り戻すためにしても、そもそも我々に譲り渡す心積もりだっただろう。かたや不確かで、かたや興味も薄い代物。それがどうして、
これがロマンに頭を焼かれた夢見がちな少女であれば、まだしも納得がいく。だがしかし、メイビスは夢見がちでこそあれ、歳に見合わぬほど聡明で、そして何より友人想いだ。
ロマンの他にゼーラと共に旅をせねばならない理由が――
そしてそれを、ゼーラであれば察しが付くのではないか。プレヒトはそんな期待をメイビスを通してゼーラへと差し向けて――そして、結果。
「メイビスが世界を見て回りたい理由かぁ……。うーん、それはちょっと、ボクにもよくわからないんだよね……。ボクに世界を知ってほしい、なんて言ってたけど」
「……それもまた、あやふやだな」
期待外れの答えがゼーラから返された。
落胆。しかしまあ、無理もないことだ。賢しらなメイビスに対し、ゼーラは
プレヒトは、潔くそう諦めた。やはりメイビス当人にその言葉の意図も問いただす他ないのだろうと、話を終わらせようとして――その寸前、
「でも……たぶん、メイビスは
「……許せない?」
ゼーラの言葉が続いた。
思わず繰り返したプレヒトに、ゼーラは曖昧に頷いてみせる。
「うん……。だってほら、暮らしてた島を滅茶苦茶にされちゃったし、みんな死んじゃったし……おかげでボクたち二人だけで生きていかなきゃいけなくて、あの時はすごく大変だったんだよ」
島を焼かれたことへの恨み。それならばプレヒトにも理解できる。むしろいの一番に思い浮かぶ類のものだ。
が、それが抜けていたのはプレヒトの怠慢などではない。
「……お前は、恨みなど抱えているようには見えないが」
単純に、
天狼玉を盗んだ下手人が
少なくとも、プレヒトの目にはそう見えた。それに――ゼーラが
なにせメイビス父親を殺されたゼーラと違い、メイビスにとっては殺された島民のほとんどは見知らぬ他人か、あるいは自分を虐げてきた人間だ。
正義感は刺激されるかもしれないが、危険な旅を強行するほどの恨みが生じるとは思えない。
しかしどうやら、長年の親友であるゼーラにはそうではなかったらしい。
「ボクは、ね……。メイビスも、メイビス自身はそこまであいつらのこと、恨んでたりっていうのは、ないと思うよ……」
「……? どういう意味だ」
「……あいつらがゼーラの……ボクの父親を、殺しちゃったから。だからメイビスは、ボクの代わりに敵討ちをしなきゃって、思ってるんじゃないかなぁ……?」
なんとなく、そんな感じがするだけなんだけどね。ゼーラはそう、肩を竦めた。
相も変わらず弱々しい様子だったが、言わんとすることは一定の納得をプレヒトにもたらした。確かに人は自分のためより誰かのためになることにより執着するものだ。
しかし、そうであるなら話は簡単なのではないか、と思ってしまうのもまた当然だった。
「それをメイビスに言ってみたらどうなんだ。自分は敵討ちなど望んでいないと。本人からの言葉なら、いくら頑なだろうが考えを改めるかも――」
「無理だよ」
が、描いた疑問はすげなく否を突き付けられた。
しかもそれまでゆらりと間を開けてでしか返らなかったその応えはいやに早い。プレヒトの声に覆いかぶさるような勢いだ。
ただしその勢いも一時のものだったようで、そこから言葉が続くにはいつも通りの間が開いた。唸りながら息を整え、ゼーラはため息を吐くように再び口を開いた。
「……できない。ボクはいいから敵討ちなんてやめてだなんて、メイビスにそんなこと言えない……」
「それは……それだけメイビスの意志が固いからか……?」
――ゼーラの言葉から、プレヒトはそう読み取った。それ以外に当てはまらない。
だが導き出せたはずの答えは、あまりしっくりこなかった。
ゼーラがほんの一瞬、しかしはっきりと、
その意図を確かめようにも、その表情は一瞬の後にかぶりを振って落とされて、代わりに持ち上がったのは、「まあそもそも、メイビスが本当に敵討ちしたいのかはわかんないけどね」と笑う、茶目っ気たっぷりのゼーラの笑顔。覆い隠され、その真相はもう定かでない。
ただし浮かべた笑みが強がりであることは明らかだった。何がゼーラの寂寥感を刺激したにせよ、それを隠して平然と振舞うさまは痛々しい印象が拭えない。それまでの天真爛漫な本物の笑顔――湖での無垢な彼女を知っているからこそ、尚のことプレヒトはいたたまれなくなった。
故に、でもあるだろう。プレヒトはそんなゼーラにとうとう同情を、共感を感じることとなった。不信感が等身大のゼーラに触れて解けて消え、はぁ、とため息に変わってたちまち海風に吹き消される。
絆されてしまっては、もう負けだ。先ほどからずっと黙ってニヤニヤとしているばかりのウォーロッドを睨みつけ、そしてプレヒトはゴホンと一つ、ゼーラを咳払いで振り向かせた。
「……まあ、なんだ。お前がいかにメイビスを大切に想っているかはよくわかった。二人がそうまで強い絆で結ばれているのなら……私の危惧も、きっと杞憂なんだろう」
「プレヒト……?」
ゼーラが眼を瞬かせた。
プレヒト自身、似合わない言葉を吐いている自覚と共に若干の後悔が芽生えたが、ここでやめればむしろ恥だ。止まれずに、プレヒトは熱を持つ頬をかいた。
「つまり……あー、メイビスは恵まれているな、と……。お前ほど自分を信じてくれる友人というのは、どんな宝よりも貴重なものだ。メイビスの頭ならそれは理解できるだろう。だから、きっと大丈夫だ。……そう落ち込むな」
何が寂しいのかは知らないが、二人の仲ならメイビスがゼーラを寂しがらせるようなことはないだろう。そんな、事情をわきまえない他人からの慰めだ。
普通、大した価値は見出されないだろう。ありがとう、と愛想笑いをするのが精々。
が、しかし思いのほかそれは深刻な悩みであり、ゼーラの胸にはそんな無知な慰撫すら響いたようで、
「う、うぅ……プレヒトぉ……っ! ほんとにいい人だねぇっ……!」
「うぉっ!? ……おい、引っ付くな! 操舵ができん……!」
感涙の涙を零し、ゼーラはプレヒトの胴に飛びついてきた。
拍子に舵輪が滑って船が揺れるも、しかしプレヒトはそれ以上の怒声を上げる気になれない。
ウォーロッドの視線を浴びつつ、気恥ずかしさとむず痒さに喉を鳴らす以外なかった。
「――おいおい、こんな穏やかな海で転覆なんて笑えないぞ」
と、見計らったようなタイミングで、ユーリとメイビスが甲板へと帰還した。ゼーラに抱き着かれたプレヒトをウォーロッドと同じ眼で見るユーリの背から、薬草を煎じた飲み薬を手にしたメイビスが、少しばかり困惑気味に顔を出す。
「運よく酔い止めの薬草があった……のですけど……二人は何を……?」
「いや、何でもない。……おいゼーラ、薬だぞ。早く飲みに行け」
プレヒトはメイビスの視線から逃げるように首を振り、そして自身に抱き着き顔をうずめるゼーラへと促した。素知らぬ顔で、お前の大好きなメイビスが来たぞ、と。
またロリコン呼ばわりされるような事態はぜひとも遠慮したかった。故にゼーラの肩を押し、引きはがそうとまでしたのだが――しかし。
いかなることか、ゼーラは微動だにしなかった。マントにもたれかかるように顔を押し付けたまま、ピクリとも動かない。
いったい何をしているのかと、やがてプレヒトの中から気恥ずかしさも消え去って、怪訝を浮かべ、口にする。
――もとい、しようとしたその直前。
「……揺れ……ごめん、プレヒト限界……」
「……おい、待て、限界ってまさか――おいバカやめろ早く海に――」
悟り、必死にまくしたてるも時遅く。
聞くに堪えない音とプレヒトの絶叫が、広大な海原に轟いた。
「――というのが、お前が船倉へ行っていた間のやり取りだ……」
「はぁ……なるほど。そういうわけだったんですね」
陸に上がり、港町を歩きながら、プレヒトは隣を歩くメイビスにそう白状させられていた。
船旅が終わり、現在は
ゼーラは結局船酔いが治らず、その余波で今も宿のベッドの上。ユーリとウォーロッドは看病を買って出て、その間に一人情報収集をと考えたプレヒトにメイビスが無理矢理勝手についてきた、というような恰好だ。
そして果たしてその理由は、宣言通りプレヒトたちに協力するためであると同時に、甲板での出来事を知りたかったからであるらしい。プレヒトに語る気はなかったが、それでもユーリを手玉に取った彼女の知恵と話術によって、いつの間にやら口を開かれていたのだった。
自分よりもずっと幼い少女にしてやられた情けなさと、そして話の気恥ずかしさでため息が出る。
しかしこのまま白旗をあげることはできなかった。それは恥どころか、己の沽券にかかわる愚行。故に主導権を取り戻すため、プレヒトは落ち込む己に鞭を打ち、着替えたてのマントの下で息を吐く。
そして対抗するように一つ、尋ねた。
「……それで、実際のところはどうなんだ」
「どう、というと?」
「お前が
当時の疑念と、そして目にしたゼーラの表情が合わさって、プレヒトは横目でメイビスを見つめながら訊いていた。
その、ある種真剣な物言いがあればこそだろう。メイビスは視線にい抜かれた瞬間、僅かに身を固くした。捉えられ、逃げられない彼女は迷うように眼を泳がせる。
そうして立ち並ぶ店を何件か歩いて通り過ぎた頃、メイビスは観念したようにプレヒトから眼を外し、前を見据えながらほのかに微笑んだ。
「そう……ですね。そんなつもりはなかったのですけど、言われてみればそんな気がします。さすが、ゼーラったら私のことをよく見てますね」
「……なら、それでも
「……はい」
メイビスは短く答え、それからまた会話に間が開いた。あるいはそれで会話を打ち切る気かと、プレヒトはそう思うも、しかししばしを置いて再びメイビスは口を開く。
「……私は、
「……さあな。だが、そうならそうとゼーラに直接言ってやればどうだ。どうするにせよ、一人では何も決められんだろう」
もどかしさのあまり、プレヒトはそっけなくそう返した。
揺れるメイビスは、どこかゼーラと似通っていた。内に隠したものが多すぎて、意義あることが何も言えない。故にまたも相槌のような言葉を吐いて、そして、
「それはちょっと、難しいかもしれませんね……」
メイビスの方も、また同じような言葉を吐いた。
まるっきりゼーラと同じだった。当時は絆された直後だったが、今は手玉に取られた直後。優しく慰める、なんてことはもちろんできず、
「全く……本当に仲がいいな、お前たちは」
プレヒトは大きく、呆れのため息を吐き出した。