貞操逆転世界に転生した俺、魔性の男ムーブで天才の脳を焼いて、理想の野球チームを作る。 作:井出崎
目を奪われた。
スタンドで応援している人達は、様々な感情を抱きながら懸命に声を出す。
野球が好きで好きでたまらない観客の熱気が球場を包み込み、異様な雰囲気を醸し出す。
そして、甲子園でプレーしている選手達は今までに見た、どのヒーローよりもカッコよかった。
たった一校しか掴めない栄冠。
それを求めて、全身全霊をかけて試合に臨む姿が美しくて、俺の心を掴んで離さない。
日本国民を魅了する風物詩。
数多の高校生の人生と夢をかけた大舞台。
全国高校野球選手権大会。
この大会に出たい。
……いや、絶対に出場する。
当時、6歳だった俺はそう心に誓った。
「ごっ、ごめん、一色。僕のせいで……」
「…………泣くなよ。全力を出し切って負けたんだ。しょーがないって奴さ」
どれだけ絶望していても口は回る。
泣き崩れる投手を慰めるために、本心とは真逆の言葉を淡々と吐き出す。
……あああああああああああああ!!!
負けた、負けた、負けた。
負けた負けた負けた負けた負けた!!!
アウト一つ取れれば勝ちだったのに。
あいつの球がボール一個分下に来ていれば、絶対に抑えれたのに。
幼い頃からずっと夢見ていた甲子園が目の前にあったのに……。
「確かに甲子園には届かなかった。だが、お前らの努力は無駄じゃない。この三年間はこれから……」
何言ってんだ、この馬鹿監督は。
無駄に決まってるだろ。
野球で飯を食えるほどの才能がない俺みたいな雑魚は、甲子園に出ることが全てなんだよ。
大学の推薦だとか、就活の面接で有利になるとか、そんなのに価値なんてない。
高校三年、最後の夏は本当に呆気なかった。
地区大会決勝で敗退。
結局、甲子園に出ることは出来ず、俺の幼い頃からの夢はあっさりと破れた。
……俺の何がいけなかったんだ?
小学校の時はリトル、中学校の時はシニアに入って、地道に鍛錬を積み重ねて自力をつけた。
炭酸は飲まず、お菓子も食わない。
もちろん、同年代の子供と遊んだりはせず、休みの日はずっと野球の勉強に費やして。
厳しい練習も文句一つ言わずにこなして、野球の名門にスカウトしてもらって。
高校三年の時にようやく正捕手の座を勝ち取って、彼女も作らず、あらゆる娯楽に触れず……野球に全てを捧げてきたのに、こんなんで終わりかよ。
クソがクソがクソがクソがクソがクソがッ!
今までの努力と結果が全く見合わない。
こんな結果、納得できない。
俺は報われるべき人間の筈なのに……そんな醜い感情が心を絶え間なく蝕んでいく。
だがしかし、納得するしかない。
時間を巻き戻すことも、生まれ変わることも、決して出来ないのだから。
「先輩、私と付き合ってください」
「うん、いいよ」
「ふふふ、嬉しいです。もう絶対に離しません。これからは何があってもずっと一緒ですよ」
野球部を引退してすぐ、一つ下の昔馴染みのマネージャーに告白された。
俺も恋愛的な好意を抱いていたから、OKした。
「すごいわねぇ。野球ばっかしてたのに、国立大学に受かるなんて」
「流石ですね、先輩。私もすぐに追いつきますから……他の女に目移りしないで下さいね」
地元の国公立大学にもストレートで受かったが、野球部には入らない。
高校時代の球歴に目をつけた先輩に勧誘されたりもしたが、即座に断った。
甲子園が全てだった俺は、大学野球に価値を見出せなかったから。
後輩との関係も良好で、キャンパスライフはそこそこ楽しかった。
気の合う友達も出来たし、ゲームも旅行も飲み会も、多種多様な娯楽を楽しんだ。
野球に全てを捧げていた10代の頃に得られなかった物を数え切れないほど手に入れた。
それなのに。
……心が満たされることは一度もなかった。
寝ても覚めても甲子園が頭から離れない。
現役の高校球児に対する嫉妬。
もう一度人生をやり直せたら……なんて、荒唐無稽な妄想。
目的もなく甲子園球場に足を運ぶ愚行。
俺は6歳の頃から何も変わっていない。
甲子園の魔力に取り憑かれて、頭がおかしくなっているのだ。
だから、妄想だと思った。
「ねぇ、そこのキミ。もう一度、甲子園を目指したいって思わない?」
初めて、あいつに話しかけられた時は。
頭上の輪っかに背中に生えた白い羽。
課題を終えて、寝ようとした瞬間に現れたそいつは、如何にも「天使」って見た目をしていた。
俺は同じベットで眠る後輩を起こす。
「真昼ちゃん。起きてくれ」
「んぅ……どうしたんです? もしかして、発情しちゃいました?」
「いや、そうじゃなくて。天使っぽい人が、部屋にいるんだよ。ふよふよと浮いているんだよ」
目を覚ました後輩は、きょろきょろと部屋を見渡した後に、小首を傾げた。
「……誰も居ませんが。叩き起こして、揶揄うなんて酷いです。明日も早いので、もう寝ますね」
そう告げた後輩は布団を被り、瞬く間に寝入ってしまった。
俺は天使っぽい少女を二度見する。
すると、彼女は退屈そうに欠伸をしていた。
やはり、見間違いでは断じてない。
「ふふん、残念だったね。キミ以外に私は見えないよん」
「……先に言ってくれよ。親愛なる彼女に、幻覚を見てるヤバい奴だと思われたら、どうするんだ」
「あはは、ごめんね。でもさ、キミは……いつまで経っても甲子園に縛られてるし、ヤバい奴のお仲間ではあるんじゃない?」
ドキリと心臓が跳ねる。
心が、読まれているのか。
それならば、腹の探り合いは無意味。
こいつが何者なのかとか、気になる点はあるが、それよりも優先して尋ねるべき事がある。
「もしかして、俺にチャンスをくれるのか? ……もう一度、甲子園を目指すチャンスをっ!」
「うん、あげるよ。私たち天使は、人間さんの望みを叶えるのがお仕事だからね。でも、一つだけ条件があるんだ」
「どんな条件でも飲む。とにかく、チャンスをくれ……いや、下さい、お願いします!」
「がっつくねぇ。お隣の彼女さんや貴方の家族に、二度と会えなくなるんだよ。それでも良いの?」
「本当にもう一度、甲子園を目指せるのなら、会えなくなってもいい。俺には、甲子園より……大事な物なんて無ぇんだよ!!!」
鳩が豆鉄砲を食ったよう。
この時の天使の様子を形容するには、この表現が相応しい。
俺は本心を口にしている。
これまでの人生と甲子園。
上記の二つのうち、どちらか一方を選べと問われたら、迷う事なく甲子園を選択する。
そんな俺の心を読んだために、彼女は目を丸くしているのだろう。
「面白いね、キミ。コンタクトを取って正解だったよ……それじゃ、始めよっか」
「はい。早く始めてください」
「そうそう。言い忘れてたけど、条件は、甲子園優勝。……もしも、達成できなかった時は、キミの命と魂を頂くからね」
その言葉を聞いたのが、最後。
全てが深い闇の中へ沈んでいく。
そして、薄れゆく意識の中で心に決める。
俺は、甲子園に出る。
甲子園に出て、絶対に優勝する。
命や魂だとか、そんなのは関係ない。
甲子園で野球ができるなら、俺は何でもする。
打てる手は打ち、利用できる物は利用する、と。
◇
そうして、俺は転生を果たした。
別世界の住人として、人生をリスタートする運びになったのだ。
赤子として一からやり直すものの、俺の肉体自体は変わらない。
名前は、前世と同じ『
どうやら、頭脳や身体能力なども、全く変化していないようだ。
個人的には、基礎スペックが上がっていた方が好都合だったのだが、多くは望むまい。
それよりも、望み通りに新たな人生を始められた幸運を祝すべきだろう。
天使とやらには感謝しかない。
俺が生まれ落ちた世界は、前世と極めて似ている現代の日本。
文明レベルも、野球が存在するところも……春と夏の甲子園が開催されることも変わらない。
だがしかし、致命的な差異が存在する。
それは、この世界において女子の出生率が高く、反対に男子の出生率が低い点だった。
更に付け加えると、男子と比較して、女子の身体能力が極めて高い。
筋肉量こそ前世の女子と相違ないものの、潜在的な肉体強度は段違い。
この世界のプロ野球の平均球速は157キロで、打者のスイングスピードも相応に早くなっている。
要するに、俺の前世よりも野球の技術レベルが高い世界なのだ。
当然ながら、高校野球のレベルも高く。
至極平凡な身体能力の俺では、通用しない事が容易に予想できる。
そのため、正攻法では甲子園にいけない。
前世に倣って強豪校に入ったとしても、ベンチ入りすら出来ないと断言できる。
そうなれば、方法は一つしかない。
男性の価値が極めて高いため、何もせずとも女性にモテてしまう。
この世界の歪んだ特色を上手く利用して、野球の才能に恵まれた女子を言葉巧みに勧誘し、最強の野球チームを作る。
俺レベルでもレギュラーになれる弱小校に天才達を放り込んで、甲子園に連れてってもらう。
人呼んで、他力本願計画。
これが、さして賢くない俺が捻り出した中で、最良のプランであった。
まずは、野球の主役とも呼べる投手。
甲子園で活躍できるエースピッチャーになり得る女子と交友を持ち、つきっきりで育成する。
なんといっても、前世からずっと、俺のポジションはキャッチャー。
甲子園優勝という理想を共有できるくらい、無条件に信頼できる人間。
謂わば、己の運命を預けられる投手とバッテリーを組むのは、何よりも優先すべき事項であった。
俺が求めるのは、三つの条件を満たす人間。
一つ目の条件は、身体能力が高いこと。
地肩が強いのは大前提として、他者を圧倒する上背の高さと、怪我をしにくい強靭さは必須である。
二つ目の条件は、メンタルが強いこと。
ガラスのハートでは、投手は務まらない。
少し打ち込まれたくらいではへこたれず、ピンチにも悠然と立ち向かえる精神性が求められる。
三つ目の条件は、目的意識が強いこと。
甲子園に出場するためには、生半可な覚悟では出来ない過酷なトレーニングを積む必要がある。
一般的な学生としての青春を捧げ、野球の練習に取り組む意識が欠かせないのだ。
そうと決まれば、早速行動を開始する。
これらの条件と合致する人間は、そう易々と見つからないだろう。
あくまで、長い目で。
それこそ、小学生の期間を全て費やす覚悟で、俺は捜索を始めた。
まずは、同じ学校から探す。
いくつかの条件を満たす人間は居たものの、理想的な人材は見つからない。
次に、付近の野球チームから探す。
案の定、こちらもダメ。
惜しい子はいるけれど、妥協はしたくない。
とにかく探して探して探しまくるが、中々に上手くいかない。
俺がバッテリーを組みたいのは、比類なき野球の才能の持ち主。
ボールを投げた姿を見た瞬間に、コイツだ、と思えるような絶対的な存在。
そうやって、厳選に厳選を重ね、あっという間に三年が経過した時。
俺は、運命と出逢った。
とある日の夕方。
リトルリーグのチームに参加できる年齢になった俺が、気になるチームの見学を終えた帰り道。
気分転換のつもりで、普段は立ち寄らない河川敷の高架下に足を踏み入れると。
「…………」
何も言わずに黙々と、壁に向かってゴムボールを投げる少女がいた。
フォームはめちゃくちゃで、投げる度にコロコロ変わってしまう。
着ている服はボロボロで見窄らしく、伸びっぱなしの黒髪はボサボサ。
瞳は虚で、生気が宿っていない。
だけど、投げられるボールの速度は、幼い少女のモノとは思えないほどに早かった。
その姿を見た瞬間に、この子だと確信した。
事前に設定した条件は、頭から吹き飛ぶ。
細かい問題なんて些事に思えるくらい、彼女の才能は眩い輝きを放っていた。
俺は凄まじい速度で駆け寄る。
次いで、心の中の声をそのまま告げた。
「君には投手としての才能がある。俺とバッテリーを組んで、甲子園に行こう!」
「……?」
見慣れない少年の、突飛な発言。
困惑を隠せない少女は、こてんと首を傾げる。
これが、彼女との出会い。
俺とバッテリーを組むピッチャー『
「……でも、私、野球知らないよ」
「野球を知らない? ふふ、案ずるな。野球マイスターである俺が野球の魅力を伝授しよう!」
夜子の才能に惚れた俺は、とにかく付き纏う。
毎日のように高架下を訪れて、野球に興味を持ってもらうために出来る事は何でもした。
野球にまつわる遊びをしたり、バッティングセンターに連れて行ったり、野球観戦をしてみたり。
野球を楽しいと思ってもらうのと同時に、俺との心理的な距離を縮める作戦を決行したのだ。
「投げる……ふぉーむ。……こんな感じ?」
「か、完璧だ……本当に素晴らしい! 夜子っ、君は野球の神に愛されし天才。ダイヤの原石だ!」
「……言い過ぎ」
幸いにも、野球に関心を寄せてくれた夜子を、とにかく褒め千切る。
間違いなく、彼女は天才だ。
俺と同い年。
まだ体が出来ていない年頃だと言うのに、フォームを改善しただけで球速が速くなる。
実際、夜子自身も、自らの成長を喜ばしく思っているようで、積極的な態度で練習に臨む。
言うなれば、好循環が形成されていた。
「夜子ぉ〜。君は細いな。棒のように細い。うーん、良くないな、野球的観点から見て、実によろしくない。ちゃんと、ご飯を食べているのかい?」
「食べてない。お母さんが、出してくれない」
「そんなぁ! 君にご飯を食べさせないなんて、君の母上は才能を潰す気か!? ……解せない。全くもって理解できないな。君が痩せ細るのは、野球界にとって大きな損失になるというのに!」
「でも……」
「……よし、決めた! 落ち着いて聞いてくれ、夜子。俺と君は、今日からファミリーだ! 君の母上にはキチンと連絡するから、俺のお家に住みなさい。そして、俺と未来永劫バッテリーを組みなさい。異論は認めません。これは、決定事項です」
「え?」
家庭環境が劣悪っぽかった夜子を、可及的速やかに保護する。
色々と弊害はあったが、希少な男の権限をフルに活用して、同居を認めさせた。
夜子自身、己の境遇に思うところがあったのか、俺の暴挙に反対する事は無い。
こうして、俺と彼女はファミリーになった。
同居を始めた夜子は、俺と同じ学校に通う。
最初こそ戸惑っていた彼女であったが、新生活に適応するのは早かった。
「おいおい、夜子。少しはみんなに歩み寄る態度を見せないと、ご学友ができないぞ?」
「いらない。一色がいれば、それでいい」
「おいおいおいっ! ……あまり、ゾクゾクさせないでくれ。嬉しさのあまり、歓喜に打ち震えてしまったよ。まったく、君は困ったちゃんだね……」
「……やっぱり、撤回していい?」
しかし、如何なる時も、俺にべったり。
友達を作ろうともせず、俺以外の人間と喋ろうともしない。
世間一般的な視点から見ると異常かもしれないが、俺にとっては好都合極まりない。
夜子が俺に依存すればするほど、俺が熱を注ぐ野球にのめり込んでくれる。
甲子園への道が、近づくのだから。
「いいかい、夜子ぉ……。決して、遠慮なんかするなよ。全力で球を放ってくれ。君に出せるフルパワーで白球を、俺のミットに向かって!」
「……言い方がキモい」
ついに、俺達は本腰を入れて、野球の練習に取り組み始めた。
リトルのチームには入らずに、二人きりで。
ある程度、体が出来ている俺と違って、夜子はまだまだ発展途上。
彼女の素質を磨くのに専念するためにも、チームに所属するのは時期尚早だと判断した。
後は、他者との関わりを避けることによって、彼女が有する俺への執着心をより一層強めたい、といった後ろ暗い企みもあったりする。
ともかく、俺達二人は甲子園優勝のために出来ることを積み重ねていく。
朝起きたら、即朝練。
まだ親が起きてない時間に起きて、ランニングや軽い筋トレなどを行う。
朝練が終わったら、即登校。
シャワーやら朝食やらを手早く済ませて学校に向かい、ほどほどに授業を受けて家に帰る。
学校から帰れば即練習。
成長期の体に配慮したトレーニングメニューを淡々とこなし、終わったらストレッチをする。
練習が終われば、即勉強。
分かりにくいルールや細かいケースに応じた戦略を、俺が夜子に教える形で詰め込む。
勉強が終われば、即食事。
ジュースやデザートは一切口にせず、アスリートの食事を参考にした料理のみを食べる。
食事が終われば、即休息。
学校の宿題を手早く終わらせて、比較的早い時間に就寝する。
このような日々を、ひたすら繰り返す。
それでも、夜子は文句を言わなかった。
野球の醍醐味である試合が出来ていないにも関わらず、表情一つ変えずに練習に臨む。
その姿は、野球という競技に魂を売ったマシーンのようで……俺は、猛烈に感動していた。
「ああ、夜子……夜子っ! 真新しい制服に身を包む君は、こんなにも美しいんだね。野球の神のみならず、美の化身にも愛されているとは……君という人間の魅力は、底知れないね……!」
「……大袈裟」
運命の出逢いから、三年。
小学校を卒業し、中学校へ進学する時。
痩せ細っていた少女の姿は見る影も無い。
俺の全てを注ぎ込んで、生まれ変わった夜子の出で立ちは、これ以上ないほどに美しかった。
170cmを越える長身、世人よりも遥かに長い手足、一切の無駄なく、筋肉がついた体。
MAX140キロの直球を投げられる豪腕、それを支える強靭な足腰、ホームランを量産する打撃技術。
彼女の魅力を、上げ始めれば暇が無い。
野球の才能がない無力な俺を、甲子園へと導いてくれる女神と化したのだ。
「覚悟はいいかい、夜子。密かに磨き続けたダイヤをお披露目する時だ。その輝きで俗人の目を焼き切らないよう、十分に注意してくれよ?」
「……反応に困る」
その果てに、俺と彼女は近隣にある、シニアのチームに加入して。
……ようやく、準備が整った。
甲子園に出場するために必要な人材を収集する計画は、第二段階へと移行しようとしていた。
◇
私の幼馴染、
なんというか、男らしくない男なのだ。
細身だけど筋肉質な肉体、剽軽で明るい性格。
何よりも、女性と相違ない野球の上手さ。
まさしく、普通の男性とは正反対。
この世界において、男子は弱い。
運動量が多いスポーツすら出来ないほど体が弱く、筋肉もつきにくくて。
故に、女性に混じって野球をプレーできる男なんて、きっと一色以外には居ない。
そうだ。
ずっと昔から、一色は凄いのだ。
運動神経が良くて、女子に対しても物怖じせずに会話出来て、いつだって凛としている。
どんな時も笑顔で、優しくて……誰にも見向きすらされなかった私に手を差し伸べてくれた。
ホストに夢中になって私に見向きもせず、碌に食事も与えてくれない母親から、救い上げてくれた。
そして、二人で誰にも負けないバッテリーを組んで、甲子園優勝するという夢も与えてくれた。
私のことを野球の才能があるって褒めてくれて、未来永劫一緒にいるって約束してくれた。
それなのに。
「ねぇ、一色くん。私達と居残り練習しようよ」
「手取り足取り、色んな事を教えてあげるっ!」
「手取り足取り、ですか? いやー、困っちゃうな、あはははっ!」
最近、ちょっと距離が遠くなった気がする。
いや、実際に遠くなっているのだろう。
小学校の頃はずっと一緒にいれたのに、中学校に進学して野球のチームに入ってからは、側に居ることが出来なくなってしまった。
家に帰ったら同じ時間を共有できるし、自主練の時は独り占め出来るけれど。
それでも、足りなかった。
「俺も夜子と一緒に居たい。けど、俺から溢れ出るフェロモンに惹かれた人達に嫉妬され……夜子が56されたら、俺は生きていけない! だから、我慢してくれ。家に帰ったら、十分に甘えていいからな」
「……別に、甘えないよ」
チームに所属したばかりの頃は、甘えないなんて、言ったけど。
正直、今はめちゃくちゃ甘えたい。
ぎゅっと抱きしめて、数時間ホールドしたい。
猫吸いならぬ、一色吸いで成分補給したい。
けど、絶対に出来ない。
もしも、欲望のままに一色を好き放題にして……万が一にも、嫌われてしまったら。
私はきっと、生きていけない。
一色と一緒に居られない人生に価値なんてない。
「ここに居たんだね。帰ろう、夜子」
「先輩達は、いいの?」
「ふふふ、愚問だねぇ。俺にとっては夜子が一番大事。寂しい思いをさせたくないんだ」
「……そう」
だから、我慢しないと。
寂しい気持ちに蓋をして、普段通りに振る舞わないと。
そうすれば、私達は変わらずに居られる。
甲子園優勝を目指す、ピッチャーとキャッチャーのままで居られるから。
「久しぶりに、河川敷の高架下でキャッチボールをしよう」
「……いいけど、どうして?」
「特に理由はないけど、強いて言うなら、気分かな。夜子と出逢った場所で、ノスタルジーに浸りたいんだ」
断る理由など無かった。
こくりと頷いた私を見て、一色は微笑む。
……私は、彼が笑う顔が好きだ。
今は純粋に楽しいから、野球をやっている。
でも、幼い頃に野球を始めたきっかけは、一色が笑っている顔を見たいと思ったから。
私が野球の練習をすると、彼が良く笑顔を見せてくれたからだった。
恥ずかしいので、本人には言わないけれど。
「とりゃっ!」
「…………」
「うおりゃっ!」
「…………」
私達が出会った場所で、淡々とキャッチボールをする。
邪魔が入らない二人だけの空間。
それが、ただただ心地よい。
学校でも、チーム内でも、一色は人気者だ。
物珍しい男子だからっていうのもあるが、それ以上に人を集める魅力のようなものが彼にはあった。
男子女子関係なく、対等に接してくれて、気安く話しかけてくれて、頼り甲斐だってある。
だから、みんなは一色の事が好きだと思う。
好意の大きさに違いはあれど、きっとそうだ。
「……夜子?」
「…………」
グローブに収まった白球を手に取り、力強く握りしめる。
いつか、一色も誰かに恋をするかもしれない。
一色は魅力的な人だから、相手の人も一色の事を好きになるだろう。
そうなったら、私は蚊帳の外だ。
一緒に住んでる、邪魔な同居人。
ピッチャーとキャッチャーのまま、終わる。
その未来を想像すると、泣きそうになった。
一色はクールで素敵だと言ってくれるけど、本当の私はクールでも何でもない。
無愛想だし、照れ隠しで嫌なことばかり言っちゃうし、無口なのは言葉が出ないだけ。
私の取り柄は、野球しかない。
人より速い球が投げられて、人より球を打つのが上手いだけの野球マシーン。
こんな人間の何処に好きになる要素がある?
人間もどきに過ぎない私が選ばれる訳が……。
「……っ!」
全身を包み込むように抱擁される。
いつの間にか、すぐ近くまで迫っていた一色の腕が背中に回され、全身を押し当てられた。
どくんどくんと、脈動する心臓の音が聞こえる。
これは、一色の音。
「ごめんな。不安だったよな」
優しく、甘い声が投げかけられる。
普段の剽軽でおちゃらけた声色とは違う、至って真面目な口調と真剣な声色。
何もかも、初めてだった。
一色に抱き締められるのも、一色がおふざけ無しに話す声を聞くのも。
困惑する気持ちと、嬉しく思う気持ちがないまぜになって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「蔑ろにしてたつもりは無かった。でも、結果的にはそうなっちまった。情けないけど、浮かれてたんだ。シニアのチームに入って、ずっとやりたかった野球ができてさ」
謝らないで。
一色は何も悪くない。
悪いのは、私だ。
中学生になっても自立できないで、いつまでも一色に甘えてばかりいる私。
私は、彼が居ないと何も出来ない。
朝はいつも起こしてもらっているし、勉強も教えてもらっているし、髪だって乾かしてもらっているし、私一人では電車にだって乗れない。
学校生活が送れてるのも、チームに馴染めているのも、一色が手を回してくれているから。
常に、私のサポートをしてくれているから。
それなのに、私は自分のことばかり。
もっと一緒に居たいとか、甘えられなくて寂しいとか、他の人を好きにならないで欲しいとか。
一色を慮る事なんて無かった。
今日、私をキャッチボールに誘ってくれたのは、きっと気を遣ってくれたから。
今、こうやって抱き締めてくれるのも、私を不安にさせたくないから。
彼は、こんなにも私の事を考えて行動しているのに、最初から最後まで私は……。
「俺は、夜子が一番大事だ」
「………っ!?」
「親父もお袋も、チームメイトのみんなだって、俺が甲子園に行けるって本気で思ってない。……この世界で、夜子だけなんだよ。本気で、真剣に俺と夢を追いかけてくれるのは、お前だけなんだ……!」
一色の言葉に、感情が篭る。
私の体を抱きしめる力が強くなっていく。
……彼も、私と一緒なんだ。
悩みを抱え込んで、今この瞬間まで誰にも吐き出せなかった。
根明で剽軽なだけじゃない。
この歪な世界で生きている男性として、葛藤することもあるんだ。
でも、私には教えてくれた。
他の誰かではなく、私だけに。
そう思うと、胸の中に黒い感情が湧き上がる。
一色も同じなんだ。
私も一色が全てなように。
一色も私が全てなんだ。
不純物なんて、存在していない。
私達の世界は、二人で完結しているんだ。
その事実が、どんな事よりも嬉しい。
「甲子園、優勝しような。……絶対に」
「……うん。絶対に、優勝しよう」
私は、口元に笑みを浮かべる。
そんな私を見て、一色も笑う。
二人の気持ちは、同じに違いない。
私には野球しかない。
ちょっと前まで、それが嫌だった。
でも、今は違う。
寧ろ、野球の才能がある事が誇らしい。
何故なら、一色を甲子園に導けるのは……この世界で、私だけだから。
幼い頃からずーっと、彼の事と野球の事だけを考えて生きている。
人生の時間の殆どを野球に捧げて、他の物事全てを捨ててきた。
そんな人間は、たった一人だけ。
私以外には、存在しない。
だから、叩き潰そう。
私と一色の前に立ち塞がる敵は、全て。
敵を排除して、排除して、排除し続けて。
……何が何でも、甲子園で優勝する。
そのためなら、人間らしい感情を排した、野球をするだけの機械にもなれる。
だって、私は……誰よりも大切な人の願いを叶えるために、生きているのだから。
感想や評価を頂けると、めちゃくちゃ嬉しいです。