獣人少女転生譚 ~あるいは美しい獣に撃ち堕とされた男たちの話~   作:お肉大好き

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 うつ症状に対する運動の有効性を、否定する意図は作者にはございません。


再起

 母さんが死んだ。

 癌が全身に転移したうえでの、肺炎が死因だった。

 モルヒネが効いたのか、母さんは混濁した意識のまま、眠るように息を引き取った。

 

 母さんが死んだときも、葬式のときも出棺のときも、僕は泣かなかった。

 バーンシュタイン家の男子はいかなるときも涙を見せてはいけないからだ。

 母さんの遺影が掲げられた葬式の最前席に座る僕の背中を、親戚や父の部下の軍人たちは褒めちぎった。

 

「あれが大英雄フリードリヒ・フォン・バーンシュタイン家の末裔、マクシミリアンくんか。背筋をピシッと伸ばしているな」

「マクシミリアン坊ちゃんはしっかりしてるわねぇ」

「母の葬式にも涙を見せずに気丈にふるまうとは。バーンシュタイン家も安泰だな」

 

 葬式を終えて自宅に帰ってから、与えられた自室に戻ると、僕の体は動かなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「お前はそれでもバーンシュタイン家の男か!!」

 

 吹き飛ばされ自室の部屋の壁に叩きつけられる。

 父に殴り飛ばされたのだ。

 父はそれだけでは飽き足らず、歩み寄ってきて襟首を掴んでは僕の顔を何度も殴る。

 

「いつまで呆けている!ローザリンデが亡くなってからもう2週間は経つんだぞ!」

「男ならしっかりしろ!グズグズしてるんじゃない!!」

「お前はそんな甘ったれた根性で、ナラカ世界を生きていけると思っているのか!」

「そんな有様で、バーンシュタイン家とミッテルラントを守れると思っているのか!」

 

 その通りだ。

 

 母さんが亡くなってからもうだいぶ時間が過ぎている。

 僕は男だからしっかりしなくちゃいけない。

 ナラカは弱さを赦さない。

 僕はこの家とこの国を守っていかなくちゃいけない。

 

 僕を殴り続ける父の言葉は絶対的に正しい。

 

 でも、指が1本も動かないんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 父は僕を殴るのは効果がないと考えたか、今度は様々な人を僕の部屋に招いた。

 

 親戚の女の子が急かす。

「部屋にずっといると健康に悪いわよ。さ、早く部屋から出ましょ」

 

 仲の良い級友が笑顔を浮かべながら誘う。

「いつまで引き籠ってるんだ。学校でまた遊ぼうぜ」

 

 勲章をいっぱいつけた軍人は叱咤激励する。

「今の君を見てフリードリヒ将軍は泣いているぞ!さあ、前を向こう!」

 

 今度は精神科医が訪ねてきた。

「運動は精神に良い結果を与えるんだよ。毎朝の散歩から始めてみないかい?」

 

 彼らのアドバイスが、完全な正当性と無謬性を有していることは明らかだった。

 

 でも、立ち上がろうと思ってもこの体は動かせないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ついに父は僕を屋敷から引っ張り出し、オルブス山脈の中腹にある別荘に無理やり押し込んだ。

 そうするのも当然だ。今の僕はバーンシュタイン家の恥そのものだ。

 

 例年のように自然豊かなオルブスの地で遊ぶことなく、僕は別荘の自室で窓のカーテンをすべて閉めて、膝を抱えて塞ぎこむ。

 食事はいつも通りベルノルトおばさんが作ってくれて、ヴァイスさんが運んでくれたもののうち喉が通る分だけを口に入れる。

 

 そうして過ごして1週間が経ったころだろうか。

 

 部屋のドアが開き、父リュディガーと知らない男性の声がしてしばらくした後、床を踏む勢いを殺すことに慣れているかのような足音が近づいてくると、誰かが僕に向かって声をかけた。

 

「ねえ、ここで、一緒に、座って、いても、いい?」

 

 少し低い、けれど耳触りの良い女の子の声が静かな部屋に響く。

 

 どうせまた父に言われて僕を外に連れ出そうとする誰かだろう。

 僕は軽く暗い人影を一瞥した後、無視することに決めた。

 

 その人物は拙いアルバ語の宣言通りに僕の隣に座り込むと、しかし僕の予想に反して何も言葉を発しなかった。

 

 

 

 そのまま時間が過ぎる。

 

 僕の隣から波のようなものが届いているように感じた。

 気のせいかその波を浴びていると、重かった体がほんの少しずつ軽くなっていくような錯覚を覚える。

 僕は波の正体が気になり、回復した衝動の赴くままに謎の女の子に向かって問いかけた。

 

「君は僕に何も言わないの?」

「え?何か、言って、欲しかったの?」 

「いや、そういうわけじゃないけど。……っ!」

 

 綺麗だと思った。

 

 暗い室内の中でも光を放つ金色の瞳。わずかな光を反射して輝く黄色の混じった銀髪。

 ほのかに見える顔の輪郭はとても整っていて、明るい光の下でぜひ見たいという探究心をそそられる。

 頭の上には獣人(劣等種族)の特徴である獣の耳が乗っていたけど、普段獣人と聞いて感じるような忌避感は全く感じなかった。

 

 もっと一緒にいたい。

 

 沸き起こった思考は僕に彼女を追いだすためではなく、消極的に引き留めるための言葉を発声させた。

 

「君、ここに居てもいいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 あたりを静寂が包む。

 

 よほど辛抱強いのか、獣の特徴を持った女の子は相変わらず何もせず、何も僕に話しかけずに、ただそこで座っているままだ。

 僕は彼女の存在を感じながら、この時間ができるだけ長く続けばいいと思ってしまっていた。

 

 きゅ~。

 

 その願いは女の子の腹の虫に打ち砕かれてしまったけど。

 仕方がない。彼女を食堂に並べられているであろう昼食に導けるのは僕だけなのだ。

 

 僕はこの時間が終わることを残念に思いながらも、柔らかくて儚いその子の手に触れて、沈んでいた胸が小さく高鳴るのを感じた。

 

 

 

 獣人の女の子の手を引いて食堂に連れて来ると、明るい照明に映し出された彼女に視線がくぎ付けになった。

 明るい光のもとでさらに輝くサラサラの銀髪、やっぱり整った顔立ち。

 右目の脇にある涙ぼくろはまるで涙を流しているようだ。

 

 並べられた食事を凝視して、獣耳をピンと張り尻尾を左右に激しく振る彼女は、僕の視線に気づいていなかったようだけども。

 

 食事中も穴が開くかという勢いで、彼女自身やそのしぐさを見つめてしまっていた。

 彼女の声からも意識を逸らせなかった。

 そうか。名前はセリカというんだ。僕と同い年なんだ。

 

 セリカが突然僕の方を見たことで、食い入るように彼女に神経を集中していたことを気取られたような気がして、僕は羞恥の心を覚えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 食後も僕は部屋に戻り膝を抱え込んだ。

 そうすれば、セリカが隣に座ってくれると期待して。

 

 彼女は僕よりだいぶ遅れて部屋に入ってくると、午前と同じように僕の隣に座り、今度は本を読み始めた。

 

 セリカに掠れた声で本のタイトルを尋ねると、フォルマン・フェッセの『轍の上』だと言う。

 秀才の少年が、周囲の期待に押し潰されて破滅する物語。

 まるで今の僕みたいだな。

 

 ところで、ふと気になった。セリカに本を読む知性はあるのだろうか?

 

 そのことを質問すると、セリカは獣耳を張り詰めらせながら本を読めると答えた。

 僕は彼女の怒った様子に少し笑ってしまった。

 

 そして、僕はマクシミリアンという、親からもらった名前を聞かれもしないのにセリカに教えた。

 僕が彼女に興味を持った10分の1でも、僕のことを知って欲しかったのだ。

 

 さらに僕は蘇った気力を空回りさせて、セリカの手を強引に引いて屋敷を案内することにした。

 彼女はおとなしく従ってくれた。

 

 

 

 セリカへの別荘のナビゲーションが終わったのち、僕は彼女をビリヤードに誘った。

 

 彼女は下手だった。

 獣の見た目をしているのに、運動神経はあまり良くないのかもしれない。

 

 僕が内心セリカに対する優越感に浸っているのを悟ったのか、彼女はムキになってビリヤードのキューを構えてボールを打つ練習をする。

 そうしてセリカが僕の方向に向かって前のめりになってキューを構えたそのときだった。

 

 僕は見てしまった。

 綺麗なピンク色の突起がついている、なだらかな膨らみを。

 

 下着を着けていないなんて!

 

 視線を逸らした僕に彼女は首を傾げていた。

 ばれていないようだ。

 

 

 

 

 

 

 セリカの父親が、明らかに価格の低いとわかる自動車に乗って帰ってしまった。

 それを、セリカは獣の耳を前にしおれさせながら見送っていた。

 尻尾も垂れ下がっていた。

 

 夕食中も昼間と比べて、どことなく活力が無さそうな感じがする。

 僕はその様子を見てセリカの関心を集めているであろう、彼女の父親という存在がいなくなったことに、暗い悦びを見出していた。

 

 夕食を終えてシャワーを浴びたのち、僕は自分の部屋に戻った。

 

 セリカはもういない。

 再び重苦しい空気が僕にのしかかってくる。

 

 僕は少しでも彼女との楽しい時間を思い出したいと考えて、ビリヤード台のある遊戯室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 僕にとっては都合よく、セリカは来てくれた。

 窓の下で2人で隣に座り合って、何の音もしない時間が流れる。

 

「……ねえ、耳と尻尾を触ってもいい?」

「……うん、いいよ。でも、優しく、してね」

 

 僕は意を決して昼間からずっと抱いていた渇望を伝えると、セリカは少しためらいながらも了承して、獣耳と尻尾を触らせてくれた。

 

 僕はすぐにその手から伝わる感触の虜になった。

 獣耳からは柔らかな毛並みと血流の通った温かみを同時に味わえ、尻尾からは生きているとわかる弾力と、手触りの良い絹糸を梳くような感覚が与えられる。

 

 思わず弄ぶ手に力が入り、彼女を痛がらせてしまったほど夢中になってしまった。

 こんなに気持ちいいのなら、セリカが嫌がっても無理やり触ろうとする人間が出てくるのではないだろうか。

 僕は1時間ほど彼女の毛並みを堪能し、手を放してからも続く確かな満足感に身を浸した。

 

 ……。

 

「……母さんが死んだんだ」

 

 セリカの獣耳と尻尾の肌触り、そして彼女自身のまとう雰囲気に心を緩めてしまった僕は、ふと封印していた近い過去をこぼしてしまった。

 セリカが口を挟まずに聴いてくれるのをいいことに、僕は自身に課していた重責をぽつぽつと外に漏らしていく。

 

 彼女に失望される恐怖が頭を掠めたが、1度流れ出したら止まらない。

 はじめは小さかった思考と感情の吐露が、濁流に変化していく。

 

「僕は!!『轍の上』のハンス以上の失敗作だ!!こんな僕なんて価値がない!!いっそいなくなってしまえ……っ!」

 

 自分の言葉で自分自身を殺している最中、唐突にセリカに強い力で抱きしめられた。

 

「つらかった……よね。苦し、かった……よね。それでも、必死に、我慢……してたん、だよね」

 

 彼女は僕の背中をさすると、拙いながらも優しい言葉で語りかける。

 まるで母が子に安心を与えるかのように。

 

「でも、もう、頑張らなくて、いいんだよ。ほら、ここには、……1匹の、獣人しか、いないよ。だから、一緒に泣こう?」

 

「う……うわああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 僕はみっともなく大きな泣き声をあげながら、母さんが死んでから初めての涙を流した。

 セリカを抱きしめ返しながら、そして自分の本当の感情に気づいた。

 

 僕は母が死んで悲しかったんだ。

 僕の悲しみを誰かに知ってほしかったんだ。

 さらに言えば、ありのままの僕自身の存在を誰かに認めてもらいたかったんだ。

 

 僕たちは窓から朝日が差し込むまで抱きしめ合った。

 

 セリカが、僕の痛みに共鳴して一緒に泣いてくれている。

 それが悲しみの中にあっても嬉しかった。

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