「……昨日は、すまんかった」
次の日、驚くことに朝一番にレーダス先生がフィーベルさんに謝罪した。あの、レーダス先生が、謝ったのだ!これは大事件である。この後槍でも降るんじゃないか。一体どんな風の吹き回しだ?と思っていると、フィーベルさんの隣でティンジェルさんが笑っているのが見えた。なるほど、彼女が手を回したのか。大人しそうに見えて、実はとんでもない女傑だったりするのかもしれない。
茫然とティンジェルさんを見つめていると、授業の開始を告げるチャイムと共に、レーダス先生が一言。
「じゃ、授業を始める」
────。
一瞬の間の後、二度目の騒めきである。
何事かと構える生徒の前で教科書を窓の外へ投げ捨てるレーダス先生。なんだいつも通りじゃん。そう思ったのも束の間。
「さて、授業を始める前にお前らに一言言っておくことがある。お前らって本当に馬鹿だよな」
……は?
「昨日までの十一日間、お前らの授業態度見ててわかったよ。お前らって魔術のこと、なぁ〜んにもわかっちゃねーんだな。わかってたら呪文の共通語訳を教えろなんて間抜けな質問出てくるわけないし、魔術の勉強と称して魔術式の書き取りやるなんていうアホな真似するわけないもんな」
「【ショック・ボルト】程度の一節詠唱もできない三流魔術師に言われたくないね」
おおう、誰は存じ上げないが結構言うな。相手一応教師なのに。あと程度って言うなよ。【ショック・ボルト】だってなかなか奥が深いんだぞ。
「ま、正直、それを言われると耳が痛い。残念ながら、俺は男に生まれたわりには魔力操作の感覚と、あと、略式詠唱のセンスが致命的なまでになくてね。学生時代は大分苦労したぜ。だがな……誰か知らんが今、【ショック・ボルト】『程度』とか言った奴。残念ながらお前やっぱ馬鹿だわ。ははっ、自分で証明してやんの。まぁ、いい。じゃ、今日はその件の【ショック・ボルト】の呪文について話そうか。お前らのレベルならこれでちょうど良いだろ」
なんとなくだけど、かつて無いようなすごい授業が始まる気がした。頬杖をついていた手でペンを固く握りしめる。
レーダス先生は【ショック・ボルト】を正規の呪文通り三節で発動させると、黒板にルーン語で書き写した。すると真ん中の節を二つに分け、四節の呪文にした。
「さて、これを唱えると何が起こる?当ててみな」
クラス中が沈黙する。まさか誰も答えられないのか。
「詠唱条件は……そうだな。速度二十四、音程三階半、テンション五十、初期マナ・バイオリズムはニュートラル状態……まぁ、最も基本的な唱え方で勘弁してやるか。さ、誰かわかる奴は?」
答えられる人は誰もいなかった。あのフィーベルさんでさえ。
眼鏡をかけたザ・インテリって感じのウィズダンくんが失敗すると言っても、そんなのは当たり前だとピシャリと返される。どういう風に失敗するのか、それを聞いているのだ。ツインテールのナーブレスさんはランダムと言い放ち、って、ラ、ランダム……!?ランダムは流石にないでしょ……もちろん、レーダス先生はここぞとばかりに大爆笑して煽っている。
「もういい。答えは──」
「はい、右に曲がる」
「……へえ、なかなか骨のあるやつがいるじゃねえか。正解だ」
レーダス先生は四節で呪文を唱えると、言葉通り右へ曲がり壁に当たった。
……や、やっちゃったー!わからない人たちと一緒に馬鹿にされるのがウザくてつい言っちゃったけど、これ絶対陰キャがイキってるって思われたー!
「じゃあお前、さらに呪文を区切るとどうなる?」
「えっ……と、たしか、射程が三分の一になる」
「正解。呪文の一部を消すと?」
「……出力が物凄く落ちる」
「これも正解……ま、究めたっつーなら、これくらいはできねーとな?」
怪奇な視線が私に集まる。
……し、死にたい……陰キャが目立つようなことしてすみませんでした……。
「つーわけで、今日、俺はお前らに、【ショック・ボルト】の呪文を教材にした術式構造と呪文のド基礎を教えてやるよ。ま、興味ない奴は寝てな」
もちろん、このクラスで少しでも眠気を感じてる人はいなかった。
「よう、隣いいか?」
その日の昼休み、私が食堂で座っているとレーダス先生が話しかけてきた。
「って、お前、一人じゃねえか……無理にとは言わねえが、友達は作っておいた方が今後のためだぞ……まあ、なんだ。先生も学生時代はそのクチだったからな、困ったことがあったら何でも相談しなさい」
「まだいいって言っていないんですけど……人を待っているんです。勝手に同情して憐れまないでください」
相変わらず失礼な人だな。まあクラスではどうせぼっちなんだけど。
「……まあいいです。それで、何のご用ですか?」
「あーそう、それなんだが……お前、さっきのどこで習った?」
「さっきのって、呪文改変のことですか?それなら普通に家族ですけど……」
「家族?家族ってお前……そういや名前聞いてなかったな」
「あぁ……アーニャ。アーニャ=リーベルトです」
「リーベルトってあの!?そりゃあなんていうか、納得だわ……ん?リーベルトって、まさかお前……」
レーダス先生が小さく息を呑んだ音が聞こえた。
「ええ、お察しの通り。『リーベルト家の黒髪』とは私のことです」
……まさか先生が知っているとは思わなかったけど。
──リーベルト家の黒髪。その言葉は蔑称であり、私のことを指す。リーベルト伯爵家の血を引く者は一族私以外みな赤い髪と翠の瞳を持っているからだ。イグナイトのような炎の赤ではないが、深い赤銅色と新芽の翠は我が一族の証であり、それに属さない青みがかった黒髪と金色の瞳を持つ私はリーベルト家の恥だと言われてきた。それに関して兎角言うつもりはない。私が黒髪なのは事実であり、というかそもそも私はリーベルト家の血を引いていないから当然のことなのだ。ごちゃごちゃ言うのは事情を知らない外部の者だけなので、今更気にしていてもしょうがない。
「話はそれだけですか?それなら、またフィーベルさんとティンジェルさんの所に行ったらどうです?」
「ん、ああ、そうだな……でもなんつーかさ、お前、話しやすくて。アイツらみたいなガキじゃなく、なんか同年代と話してる感じなんだよ」
「ああ……それはそうでしょう。私、十八ですし」
「……えっ」
「言っておきますけど浪人とか留年じゃないですからね。その顔やめてください……家の都合でしばらく外に出てなかったんです。でもやっぱり学校は出ておいた方がいいってことになって、二年遅れで通い始めたんです」
「へえ……」
表向きは病気で、ってことになってるけどね。まあ、主に髪色関係で幼少期は周りの人間に色々言われてきたから、母様と父様が気を遣って家で勉強するよう言われていたのだ。
「……ところで──」
「お姉様?」
「あ、ジェンマ……すみませんレーダス先生、もう一度お願いできますか?」
「いや、いいよ。どうせくだらないことだったし」
「あら、貴方はたしか、非常勤講師のグレン=レーダス先生でしたよね。初めまして、三年次生のジェンマ=リーベルトです」
「よく俺のことを知ってたな」
「これでも生徒会副会長ですから!」
えへん、と胸を張るジェンマに合わせて赤い髪が揺れる。私とは違う、リーベルト家の正統な血を引く証。ジェンマは三年次生の次席だと言っていた。生徒会長にいつも首席を奪われるのだと。
「邪魔しちゃ悪いし、俺もう行くわ。じゃあなアーニャ、ジェンマ」
……そういえば、あのとき先生は何を言おうとしていたんだろう。