怒りと悲しみの日   作:suiru

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序章

 暖炉にくべていた薪が崩れ落ちると、その音で男は目を覚ました。執務室の椅子に背をあずけたまま、いつの間にか浅くまどろんでいた。

 夢見の悪さのせいで男の眉間にある皺が深くなる。それは彼にとって唾棄すべき内容の夢だった。決して乗り越えられないと確信した挫折と無力感。初めて大空に飛び立とうとしていた小鳥が、それをつけ狙っていた狐に襲われ捕食されてしまったかのような不条理と悲愴。厚い信頼を寄せていた存在に裏切られ、ズタズタにされた心の傷口から溢れた憎悪。若き日に味わった様々な負の感情が胸に押し寄せた。おぞましい夢の片鱗が、目が覚めてもモヤになってまとわりついている気がする。

 それを追い払うかのように男が頭を振った時、誰かが部屋の扉を叩いた。

「タイタス様」

 痩せぎすで顔色の悪い男が執務室に入ってきた。名を呼ばれたタイタスは少し物憂そうにその男を眺める。彼はタイタスの悲願を達成するために研究を続けている部下のユルゲンである。

 ユルゲンはタイタスの機嫌をうかがうようにおずおず口を開いた。

「本日は例の実験に立ち会っていただく予定ですが……」

「あぁ、そうであったな」

 整髪油で後ろになで上げた銀髪をさすり、タイタスは緩慢に立ち上がった。そしてユルゲンと連れ立って執務室を後にした。

 執務室から実験場までの道すがら、タイタスは後ろを歩くユルゲンをつくづく憐れな人間だと思った。いつも余裕のない表情を浮かべ、元罪人という汚名から逃れられず無様に生きるユルゲン。投獄中の老いた母を偲びながら、タイタスの駒となる生き方を強いられるユルゲン。

 だが仕方ないことなのだ。人間は支配する者とされる者にしか分かれない。世界には力を持つ者と持たぬ者しかいない。それは富や名声をめぐる絶え間ない闘争がもたらした結果である。ユルゲンの今の姿は、人間が避けては通れない戦いに敗れた報いなのだ。

 それがタイタスがたどり着いた確信である。

 薄暗い廊下をしばらく進んだ後、二人は中庭が見える渡り廊下にさしかかった。その回廊を歩き始めるとすぐにタイタスの足が止まった。視線の先は中庭の中央に向かっている。穏やかな冬の日差しに照らされた中庭に二人の青年がいた。彼らは互いの剣身をぶつけ合い、剣術の稽古に励んでいる。粗削りな太刀筋ではあるが彼らは一撃一撃に熱意をこめて剣を振るう。がむしゃらに相手に立ち向かうその姿は生命力に満ちている。

「活きのいい新兵が入ってきたようだな」

 青年たちの様子を見ていると、タイタスの中に奇妙な感傷がわき起こった。少なからず先程見た夢が影響している。

 タイタスの存在に気がついた青年たちは、顔面を蒼白にしながら慌てて彼に対し直立不動の姿勢をとった。

 タイタスは微笑を浮かべた。しかしその微笑みは青年たちに向けられたものではなく、過去の自分に向けた憫笑だった。

「私にもあんな頃があった」

 その場から歩き始めたタイタスが呟く。

「愚直で世間を知らぬまま――正しい努力さえ怠らなければ、望むものは全て手に入ると思っていた」

「何をおっしゃるのですか!」

 ユルゲンの声は変に上ずっている。

「オルステラ連合軍を率いて南方の異民族を退けたタイタス様は英雄となった。エンバーグロウの統治者であり緋翼兵団長であるあなたに、民と兵たちは絶対の服従を誓っております。そして例の計画が成功すれば、聖火教会さえもあなたの手中に収まる。この世の全てを手にすると言っても過言ではありませんよ!」

 無理矢理に笑顔をつくって媚びへつらうユルゲンをあしらいながら回廊を歩いていたタイタスであったが、彼の足が再び止まった。中庭の隅で三人の男たちの瞳と視線が交わったからだ。男たちは瞬きも身じろぎもせずタイタスを凝視し、自らの境遇を訴えようとしている。しかし薄く開いた唇から声が発せられることは永遠にない。彼らは首だけになって地面に打ちつけられた杭の上にそれぞれのっていた。

 流れた血で赤く染まった杭の上にのっているこの生首が、タイタスの目には魅惑的に映った。彼がその場から動かずに生首を眺めていると、ユルゲンが声の調子を元に戻して辺りをはばかるように言った。

「一昨日の晩、酒に酔って乱行に及んだ兵たちです。酒場の店員や町の娘にまで手を出していたようで……。仰せのとおり、処刑いたしました」

 タイタスは心が満ち足りていくのを感じた。

「やはり――罪には罰だな」

 彼は自らが重んじている秩序が微塵も揺らぐことなく保たれたことを喜んだ。彼が追求する理想に、情や生への配慮が入りこむ余地はない。

 最後にタイタスは秩序を脅かそうとしたこの兵たちを排除した力、彼らの生命を破壊した力を持つ自分自身に恍惚とすらした。

 そして再び歩き始めたタイタスとユルゲンは回廊を渡り終え、実験場へと続く小暗い通路の中へ消えていった。




ここまで読んでいただきありがとうございました。
約1年8か月ぶりの作品投稿です。時間の流れの早さに震えるぅ。
前作を書き終えてからぱったり文章が書けなくなってしまい「私の創作活動はここまでかな」と思っていたのですが、この間もオクトラやその他ジャンルの素晴らしい創作物の数々に触れることができて「私もまた創作したい」という意欲が少しずつ湧いてきました。
「タイタスの過去編に挑戦する」と思い立ってから序章を書くのにもすごく時間がかかってしまい、自分が書きたいと思ったことをちゃんと書ききることができるか不安です。でも楽しむことを大切に、ちょっとずつでも進んでいきたいです。
タイタス編はかなり独自解釈が加わりそうな気がしています。読者の方を不快な気持ちにさせてしまう表現も出てくるかもしれません。今回も暗い展開が続くので苦手な方は読むことをお控えください(既に序章で気分を害された場合は申し訳ございません)。
作品を読んでくださったりコメントをくださったりする方々は私にとってかけがえのない存在です。私も皆様の作品や皆様との交流を通して幸せをいただいております。本当にいつもありがとうございます。
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