「ホルンブルクに侵攻した異民族との戦いは激化する一方だ」
酒場のテーブルに座っている男が蒸留酒の入ったコップを片手に浮かない表情で言った。男はずっと眉を顰めて話し続けているので、垂れ気味の目尻も相まって切実に心細そうで、大の大人がまるで母親とはぐれた子供に見えた。
彼の正面に座っているもう一人の男は、蓄えた口髭を撫でながら神妙な面持ちで彼の話を聞いている。
オルステラ大陸ハイランド地方一の大国であるホルンブルクは、国境を接する南方の異民族から幾度となく攻め入られていた。国が誇る屈強な兵士や騎士たちはその都度異民族の侵略を阻止してきたが、この度の侵攻には苦戦を強いられている。
戦乱が大陸全土に広がるかもしれないという不安と危機感が、男たちがいる酒場の中だけではなく街全体を覆い尽くしていた。
「このままホルンブルクが異民族の手に落ちたら、俺たちの国も戦場になる。そうなったら……どうなってしまうんだ」
「心配するな。俺たちには教皇聖下が御一緒だ。対話と協調によりこの難局を乗り越えてくださるだろう」
塞ぎ込む垂れ目の男をなだめるように口髭の男は努めて明るく言った。
「この期に及んでまだそんな絵空事を吐くのか。自分の身を守る手段も考えず、どこまでも無責任な楽観論にしがみつく」
男たちが隣のテーブルから聞こえた暗く冷たい声に顔を向けた途端、鋭い眼光に射すくめられた。そこに座っているのはタイタスであった。瞳には男たちへの静かな怒りと侮蔑が淀んでいる。
「これは我々と蛮族どもの生存を賭けた戦いだ。やつらの最後の一人の息の根を止めるまで、我々が奴らの脅威から解放される日は訪れない」
「しかしねぇ、君……」
その場を支配するようなタイタスの威圧感にひるみながらも、口髭が反論しようとする。
「武力で相手を屈服させることはできるかもしれないよ。しかし相手と完全に理解し合うことは絶対にできない。納得させるためには、言論の力が不可欠じゃないか……」
「それは相手が同じ人間である場合だ」
酒が入ったコップを握る手に力をこめ、タイタスは目を血走らせる。
「やつらは言葉の通じない魔物と変わらない。欲望のままに領土を広げ我々の持つ資源を食い荒らそうとしている。だからこそ我々は大陸中の兵力を結集させ、やつらを徹底的に叩き潰さねばならないんだ」
そしてタイタスはもどかしさに歯がみしながら顔を歪める。
「それなのに今の教会もオルステラの諸侯も腰抜けばかりだ。大陸をまとめ上げるだけの指導者がいない。口惜しい――この俺にもっと力があれば」
「なんて乱暴で極端な考え方だ。異民族側の事情もよく知らないで彼らを魔物と決めつけるだなんて……」
口髭が呆れ果てた様子で言った。
「そればかりか聖火教会まで侮辱するとは! 俺たちに必要なものは平和への祈りだというのに。今に神罰が下るぞ……!」
タイタスは残っていた酒を胃に流し込み、酒代をテーブルに叩きつけるように置いて立ち上がる。
「そのおめでたい頭で祈り続けていろ。蛮族どもに祖国を蹂躙され、目の前で家族が惨たらしく殺されることになってもな」
彼は男たちから向けられた冷ややかな視線を意に介さず酒場を後にした。
戦乱の予感に怯えながら眠る夜の街を、タイタスはあてもなく歩いている。
酒の酔いも酒場の男たちに感じた苛立ちもすぐに消え失せ自嘲めいた薄笑いだけが残った。有事が迫る中、酒を飲んで庶民を相手に不毛なやりとりをすることしかできない無力な自分が心底憐れだった。
聖火教会の暗部を見せつけられた夜から既に数年の月日が経っている。あの夜を境に、例の上官や一部の教会関係者のタイタスへの態度は酷く冷笑的になった。
教会は自分のことを駒としての役割を果たさない欠陥品と判断したのだ。しかし組織の機密事項を知った自分は教会から身を引くことは許されず、今も管理下に置かれ飼い殺されている。
タイタスを裏切り尽くした教会組織への失望と憎悪が薄れることはない。そして抉られた心の傷口からは、得体の知れない破滅的な衝動がほとばしり続けている。激しく流れ出る衝動はかろうじて過去の幻影のようなものによって塞き止められている。理想を求め、人間の可能性を信じ、自らの努力がいつか報われると希望を抱いていた自分の幻だ。だが、その幻影は些細なきっかけがあれば今にも消え去りそうだった。
気づけばタイタスは川をまたぐ橋の上を歩いていた。橋の中央までさしかかったところで足を止め、欄干にもたれる。
月が厚い雲に隠されているため、橋に備えられている松明の明かりだけでは川面の様子を見ることができない。タイタスの眼下には彼を吸い込むような闇が広がっており、滔々と流れる水の音だけが聞こえてくる。
「神罰などありはしない。人間に罰を与えるのはそいつより強い力を持った人間だけだ」
ふと、酒場で口髭の男が言った言葉を思い出し、タイタスは独白する。神の存在について悩み抜いていた彼は答えを出していた。
「神は――」
神は人間を天上から威丈高に見下ろしながら天啓を授け、罪を犯した人間を裁くという絶対的な存在ではない。
自らも苦痛を受けながらその中に意味を見出し、同じ苦しみを背負う人間に苦しみに耐える勇気を分け与える。犯した罪の重さに苛まれている者がいれば、罪ごとその者を抱きしめる。
ファラメは聖火教会から全てを奪われたにも関わらずそれでも自らの意志の力と生き様によって人生を肯定した。ただ一度の邂逅であったが、彼女の中にタイタスは神の姿を見た。彼女と再び相見えることはとうとう叶わなかった。
「俺の神はもう……どこにもいない」
「神なき世界を生きるのは大変でしょう?」
一陣の風が吹いた。不意を突かれて驚いたタイタスに同調するかのように松明の炎が一斉に揺らめく。
月を隠していた厚い雲が動き、その光がタイタスに声をかけた者を照らす。いつの間にか彼の隣に黒衣を纏った人物が佇んでいた。フードを目深に被っているがその隙間から銀色の髪が覗いている。声色からして若い女であった。
「お兄さん、少しお話ししましょう」
「客を取りたいなら他をあたれ」
女のことを娼婦と思い込んだタイタスは顔を顰めた。彼女は軽やかな笑い声を上げる。
「違うわ。お兄さんがあまりにも思い詰めた顔をしているから心配なの」
怪しい風体をしているにも関わらず、彼女の声は聞く者の心を捉える甘い響きがあった。
「あなたはとても不安なのね」
彼女は子守唄を歌うように穏やかに語りかける。
「当然のことよ。人間は一人では寂しくて生きていけない。何かと一つにならなければ生きていけない。恋人であれ、神であれ、国家であれ、何だっていい。だけど――」
タイタスは息を殺して彼女の言葉の続きを待った。
「何かと一つになって自我を失った個人や大衆は歯止めが効かなくなる。どんな残酷なことだって平然とできてしまう。あなたの周りにもそんな人がたくさんいたでしょう?」
その一言が引き金となりタイタスの脳裏に忌まわしい記憶が次々と蘇った。自己を放棄し神と一体となることで救済を得ようとしたクルツ。善悪の判断もつけぬまま帰属する組織に追従しファラメを陵辱した男たち。タイタスの忠誠心を踏み躙り、彼を道具同然で使い捨てた聖火教会の暗部。
押し寄せる怒りと悲しみがタイタスを襲い、彼の中にあった過去の自分の幻を打ち砕いた。
「ならば俺は……これからどうすればいい……?」
タイタスは声を震わせ哀願するように言った。誰でもいいから自分に進むべき道を示してほしいと願った。
「あなたは既に自分で答えを出している」
そう言うと女はタイタスの目の前に色白の小さな拳を差し出した。
「あなたは力が欲しいと言った。そう、あなた自身が強い力となればいい。勇ましい雷剣将ブランドのように――」
彼女の拳が開かれると、そこには指輪が一つあった。指輪は月の光を孕んでいるかのように厳かな輝きを放っている。
「あなたならきっとこの指輪を正しく使うことができる。そしてこの大陸の人々を不安と孤独から救い出すの」
タイタスは指輪から感じ取れるとてつもない力に胸を高鳴らせた。指輪の輝きを見つめるだけで、彼の人生の命題といっても過言ではないはずの苦悩の数々が霧消していった。その苦悩は彼にとって意味を見出さねばならないものであった。
「望むものを授けましょう――何者も抗えぬ力を」
タイタスは彼女の声に促されるまま指輪を受け取った。
聖火騎士団とオルステラの連合軍を率いることとなったタイタスは南方の戦線で異民族たちと激戦を繰り広げる。
タイタスは雷神の如き活躍で目の前の敵を葬り去っていく。溜め込んでいた破壊への衝動を全て剣に乗せて振るう。その一振りで異民族たちの首が、四肢が、泣き別れとなって血飛沫が舞う。
異民族たちの返り血を浴び続けながら、タイタスは懐かしい香りを嗅いだ。それは幼い頃の彼が庭で摘んだ柔らかく甘いスミレの花の香りだった。彼の中で異民族たちの首を刎ねることは花を手折ることと同義となっていた。
あぁ、なんと芳しい血の匂い!
命を支配し破壊する力を得た全能感にタイタスは酔いしれる。勝利を確信した歓喜と狂気に満ちた雄叫びを上げる。その姿には味方すら戦慄した。
こうして聖火騎士団とオルステラの連合軍は南方の異民族との戦いにおいて華々しい勝利を収めることとなった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
追憶の塔の文献『力、求めし者』にかなりの独自解釈を加えて書いた章でした。
なんとか終わりが見えてきたので、オクトパストラベラー0の発売を楽しみに最後まで頑張りたいです。
コレクターズエディションも予約したしあとはSwitch2を手に入れるだけ……。