変わった少女がいる教室 作:鋼コーティングの硝子ハート
あの後は特に何もなく別れた。
髪の長い人には何をしたいのかと聞かれたけれども、私がしたいことなんて趣味に不自由しないだけのポイントを集めて、彼ら自身が望まない限り退学者を出さないことだけだ。
それと後日、茶柱先生に複数年度分の一学期中間テストの過去問を貰えないか交渉に行ったら、普通に貰えた。けれど、それ以外の教科の先生は誰も渡してくれなかったから、手元にある過去問は日本史のテストだけだ。
ちなみに、問題はどの年度も全て同じだった。
他の教科の過去問も集め終わったら、入試の人───確か、綾小路と呼ばれていた人に渡せば良い感じに使ってくれるだろう。
あるいは、櫛田御でもいいかもしれない。彼女もきっと使いこなしてくれる。
自己紹介の人と髪の長い人は少し危ういかもしれない。
何にせよ、過去問を買いにいこう。
◇
「どこに行くのっ」
昼休み。教室を出ようとしたら、何故か櫛田に話しかけられた。
「食堂、だよ?」
「ふぅん。私も一緒していい?」
「いい、けど……なんで?」
「阿御鳥さんはいつも教室で弁当食べてるから、気になって」
目を見る。行動を起こすのは今日にすべきか、また後日にするべきか考えて。まあ、大丈夫だろうと判断した。
食堂に向かって、券売機で食券を購入する。何となく、食べたこともなかったから山菜定食を買ってみた。
それから、券売機横に待機する。
「どうしたの?」
「人探し、する」
都合の良い生徒を見定める。必要条件は山菜定食を買うこと。可能ならば鬱屈としていて、兎に角ポイントを欲してそうな人がいい。
「ね、ねえ私たち、すごく目立ってるよ?」
「私も、不本意。けど、仕方なし。諦め……られよ」
私としてもここまで目立つとは思わなかった。流石は櫛田。交友関係が広い美少女は強い。
良さげな生徒は、二分くらい待ったら来た。
カウンターで券を引き替えて追いかけ、件の生徒と同じ机に腰を下ろした。
「すみ、ません。少し……いい?」
反応がない。食堂の喧騒で聞こえなかったようだ。
「あの…………っ、少し、話を…………!」
反応がない。私の声量では足りないようだ。
困った。
けれど、どうしようか考えていたら、意外なところから助け舟が出された。
「あの、すいません。先輩ですよね? 少し話を聞いてくれませんか?」
「何の用で?」
隣を見ると、頷かれた。櫛田が付いてきてくれたおかげで助かった。目礼をして、感謝を示す。
「過去問……売って、欲しいの…………! 五千ポイント、出す…………!」
声を張って告げれば、向こうもこちらに注意を向けている状況なら、何とか届くようだ。
「安い。中間テストを持っているやつに協力してもらう必要があるから、三万ポイントは必要だ」
「高い…………、 D、余裕ない」
「知っている。だが、搔き集めればそれくらい余裕で調達できる範囲だろ」
「なら、別の人に……頼む」
「チッ、分かった。二万で手を打ってやる」
「高い…………せめて、一万」
「我儘言う余裕があるのか? 俺は周りに働きかけて、最低値を吊り上げてやってもいいんだぞ?」
「嘘。流石に、侮り過ぎ……だよ?」
「………………ッ!」
伏せていた目を上げる。視界を遮る髪を払い除け、私は目を見る。表情を俯瞰する。
些細な声音。手指の動き。それでも感情は読み取れるが。
やはり、表情の方が分かりやすい。意識するまでもなく、目が入力した情報を、勝手に脳が変換して出力する。
感情を読むのは容易なことだ。それは、表出するものだから。
ならば心情も暴けるものだ。それは、思考するものだから。
記憶して、統計をとって、パターン化して、仮説を立て、推測して、否定して、解析して、追憶して、考察して。
それで十分、脳を暴ける。
高圧的な態度は、威圧して交渉を有利に進めるため。気弱そうだから、容易い相手と認識している。
中間テストを持っている協力者も嘘。この人自身が保管している。
三万のふっかけは様子見。典型的なドア・イン・ザ・フェイス。とは言え、二万でも足元を見ていることに変わりない。
値段の吊り上げもただの脅し。捏造して、嘘をついて、あんまりにも素直な反応だ。
「まだ、一か月も……ある。譲歩、する。一万で……いい。売らないなら……縁が、なかった」
正直、過去問の利用価値を考えたら一万ポイントは安いだろう。だが、過去問自体には五千円程度の希少価値もない。実際、日本史の問題はタダで貰えたし、ある程度几帳面な人は皆保管しているだろう。
それに、需要さえも殆どないのだ。実質的な需要はともかく、有効需要は精々一年に四人購入するかどうか。供給に対して全く釣り合っていない。
畢竟、こちらが買いたいのではなく、そちらが売りたい方なのだ。この交渉は。
なら、一万円でも十分に譲歩している。それでも売らないようなら、おとなしく次を当たるだけだ。
それで、結局交渉は成立した。先に私が振り込んで、後で向こうが渡す形の取引。すっぽかされないよう、契約もしてもらった。
双方得して万事解決。タスクも一つ減って一安心。
「ね、ねえ阿御鳥さん……。今の……そんなことして、本当に大丈夫なの?」
「だい、じょぶ。茶柱……先生も、過去問くれた。…………日本史、だけ。だから、合法」
「でも、過去問の売買は…………」
「合法。あの人、手慣れてた。多分、よくある。ポイント、何でも買えるって……だから。学校、想定済み……と、推測」
「そうなんだ……。でも、もし空振りだったら無駄になっちゃうね。過去問は過去問でしょ? 今年のテストとは全く無関係ってこともあると思うし」
「同じ……だよ? あとで、証拠……見せる。ん…………放課後、私の部屋……きて」
◇
放課後。櫛田桔梗はいくらかの期待と共に、阿御鳥式の部屋を訪れた。そして迎え入れられた先は、意外と普通の空間だった。
備え付けの家具の他には本棚に積まれた雑多な書籍やゲーム群が目立つけれど、それだけ。特別おかしな点は見当たらない。
部屋は心を映し出す鏡と言うから、式ほど浮世離れした天才なら相応の異常があると思っていたけれど、別にそんなことはないようだ。ちょっぴり残念なような、嬉しいような…………。
そんな櫛田の心境を知らず、阿御鳥式は床にぺたんと座ると、いくつもの紙を並べ始めた。
「これは、日本史?」
櫛田も座って覗き込んでみれば、その全てに日本史一学期中間テストと記されていた。
じっくりと中身まで見れば、全て気持ち悪い程に同じ問題が記載されていることも分かる。全て同じ年度の問題なのではと思うほどに。
しかし、ここで渡された意味を考えれば───
「これが過去問と同じ問題が出ることの証拠なんだね」
「ん」
じわじわと湧き上がってくる興奮。
「凄い! じゃあ、この過去問を皆に見せたら楽勝だね!」
「ん。でも、まだ……ダメ。学習意欲、せめて……苦手意識は消さないと。次、ない」
「次がない? 同じ問題なのは今回が特別ってこと?」
なら、彼女が心配しているのは赤点を取った人たちのことだろう。一度逃れても、もう一度同じ方法を使うことはできないから。
「ん」
「そっか。それじゃあ、まだ渡せないね。答えを覚えても、知識は身に付いてくれないから」
「ん。どうすれば……いいと、思う…………?」
だから、櫛田は気になった。
彼女の問いかけは、不安げな声音を伴って為された。
目が合っている。真紅の瞳だ。それは伽藍洞ではなく、明確な感情により揺れている。
「ね、少し聞いていいかな? 阿御鳥さんは、どうしてそんなにも頑張っているの? クラスの中には、彼らに退学して欲しいと思っている人もたくさんいるよ。それに、どうして私に頼ってくれたの?」
それは、明確な事実。クラスの大半の人間と友好関係を築いている櫛田は、たった二日で、幾度となく退学を望む声を聴いてきた。
加えて、阿御鳥式という人物は、他者への関心が酷く薄い人間だ。Dクラスでなら綾小路や堀北などもその傾向があるが、彼女のそれは、彼らよりもよっぽど極まっている。
何せ、彼女がクラスの中で名前と紐付けて識別できる人物は、櫛田桔梗をおいて一人としていないから。
とは言え、櫛田は同年代では一番たくさんの人と接してきたという自負がある。だから、その問の答えもある程度は推察できる。けれど、それでも。確信を得るために、彼女の口から、直接の答えを求めていた。
「一つ目……理由、二つある。ポイントが……欲しいから。それと、退学はヤだと……思うから」
阿御鳥式の性格は知っている。ある程度、近付いていたから。
どうしようもなく歪な善人だ。彼女は一般的に善とされる行為を無意識に取り続ける。そこに見返りを求める人間らしさはなく、ただ、それが当然であるからと。それで、名前も知らない人さえ助けるのだ。まるで、機械のような在り方だ。
また、人を憎む心にも欠けている。陰口を認識してもそういうものだと受け入れて、Sシステムが発覚してもポイント減少の原因になった人に一切の悪感情を抱かず、理不尽なシステムもありのままに受容しているから。まるで底なしの渦───というよりも、空を舞う綿毛のような在り方だ。
そんな彼女に人間的な部分があるとしたら、それこそが趣味───正確には、自分が好きなものに関するものなのだろう。
「二つ目……は、その。信頼……できるから。苦しいのに、みんなと仲良くなろうと……してる。すごいと、思う」
そして彼女は、言葉を飾れない。目が死んでいる時しか、嘘を吐けないのだ。
今は、頬を紅潮させて、瞳を恥ずかし気に逸らし、間違いなく生きている。
「ふふ。そっかそっか。そんな風に思ってたんだ」
阿御鳥式は櫛田の本性を見抜いている。それは、薄々察していた。一月前、ベールの向こうから覗く、あの伽藍洞の真紅に射抜かれた時には。
それでも構わない。櫛田の望みは皆に好かれることだから。
絶対誰にも秘密を話さないと確信できるほどに、周囲に無関心で、機械的に生きる真白の少女が。
櫛田の本性を見抜いて、なお。
唯一好意を露わに、
まあ、未だに向こうから話しかけてきたことは一度としてないから、儚い感情なのかもしれないけれど。
それでも、決して悪くない。
◇
「いいよ、うん。手伝ってあげる。きっと、勉強会を開いたらどうにかなると思う。けど、一つだけお願いがあるんだ」
そう言って、彼女は悪戯めいて笑う。
なんとも楽し気な表情をするものだ。
そんなにも、さっきの質問の答えは面白いものだったのだろうか。
「阿御鳥さん、今まで私の名前を呼んだことがなかったよね? 」
何にせよ、お願いに至る前。枕言葉としての確認の問いは、私の弱い部分を的確に突く言葉だった。
だから、慌てて言い訳する。
「名前……は、呪いだから。気軽に、呼べないっ。姓は……血縁。社会的、存在証明。名は……記号。一個の生命、定義……する。だから! 呼び方の……指定を、希望するっ!」
「なにそれ……そんな理由だったの? ま、私はちゃんと名前を呼んで欲しいなーって、いいでしょ? あと、名前を呼ばないのってすっごく失礼だと思うよ」
「ぐはっ…………でも、名前、呼ぶのも、無礼───」
「───ではないと思うかな」
「うっ…………」
逃げ道を潰された。昔から行き当っていた矛盾。避け続けていた問題。名前を呼ぶのも呼ばないのも礼を失する問題。
それに無理矢理向き合わせるなんて、なんと悪魔的なのか。
どうでもいい人になら、心を殺せば呼ぶこともできなくはない。
彼女の目を見る。愉快さと、多幸感と、苛立ちとが混じってる。
「ぅぁぁ………………」
確かに、一般的には名前を呼ばない方が失礼らしい。けど、それでも。やっぱり───いやでも。許可が出ているし、それなら。
「…………。き、きょー…………?」
瞳を見ながら、恐る恐る口にしてみれば。
何故か、がばっと抱きしめられた。
そして、耳元で思わずとばかりに呟かれる声。
「この、小動物的可愛さ…………そっか、式ちゃんは犬猫の類と同じ感じなんだ」
どうやら私は、犬猫の類らしい。つまり、ペットとして見られてる……? まあ、いいけど。
それより、人の名前を真面に呼んだ上にここまで接触され。あまつさえ自分の名前まで囁かれてしまうと。ガラスよりも脆いボッチハートは、簡単に粉微塵になってしまう。
要するに───
「きゅう………………」
私の精神はオーバーフローし、あっさり気絶した。
オリ主ちゃんは櫛田のことを面白い人間だと思ってます。オリ主ちゃん的な定義に従えば、趣味にカテゴライズしてる感じ。だから、彼女に相対するときはアイアンハート・マシン・オリ主ではなく、ガラスハート・エキセントリック・オリ主になります。
ただオリ主ちゃんは切り替えが下手なので、前半部分はずっと鉄心。そうじゃなきゃ、人を部屋に誘うなんて無理です。よわよわメンタルが崩壊しちゃう。
また、櫛田はオリ主ちゃんのことを割とペットみたいに思ってます。仕方ないですね。小柄な上に髪がもふもふしてますから。あと、言動も人にあまり懐かないけど、自分にだけは懐いてくる猫風味ありますし。オリ主が悪いんだよ。
……それにしても、櫛田はどうしてオリ主攻略RTAを走ってるのか。ファーストコンタクトで興味を抱かせて人間性を喚起し、じわじわと時間をかけて近付いて。最低限の関係性を構築したら向こうから心を開くよう仕向け、その瞬間に一気に重要な防壁を取っ払って距離感をバグらせる。多分、これが最速。