変わった少女がいる教室 作:鋼コーティングの硝子ハート
五月初日から、ついに一週間が経とうとしていた。
そして、昼休み。自己紹介の人が、勉強会を開く旨の話を始めた。これで、赤点の可能性がある人が全員向かってくれれば楽に終わる。最低限の学習意欲はあると判断できるから。
ちなみに、テストの範囲が間違いなく変更されるだろうことはまだ言っていない。根拠はあるが証拠もないし、経験からして、テスト範囲が発表されるのはテスト一週間前が一般的だから。不要な混乱を招かないように、このことについてはききょーと相談している最中だ。
あと、私でも誰が赤点かの判別は可能である。抜かりはない。ききょーに教えてもらった。結局、七人いる赤点のうち、三人は勉強会に参加しないようだ。赤点の可能性が高い人も含めれば、もう少し増える。
ただ、彼らをどう誘ったものか。
ききょーは手伝ってくれると言っていたけれども、正直、あんまり頼りたくない。彼らの中にはききょーが苦手としている人もいるから、彼女の人気で誘い出すのは申し訳ない。あり得ない。道具として使えるのは自分だけだ。
んー、どうしよ。
多分、煽れるだけの危機感もないし。
一日の時間は限られている。それをどう使うかは人による。
ゴールは十分な学力を手に入れさせることではない。それは過去問で補えるから、学習に対する苦手意識さえ消えれば何とかなるはず。
おそらく彼らは授業にも付いてこれてない。中学生レベルの問題で赤点をとるなら、それを応用できるはずもないから。
なら、授業を聞けるレベルまで押し上げればいいのだろうか。そうすれば自発的に勉強できるようになる。なるのか?
惹句としては放課後を使うのではなく、ロスタイムである授業時間と休み時間を用いると言えば。いや、いっそ授業をさぼって。否、反映のされ方が未だ不明。
重要なのは結果ではなく経過?
「はぁ………………」
一人で完結することは楽だけど、他者の行動に干渉するのはなんて面倒臭いのか。
どうしよう。手立てを確立できない。そのせいで、リスクを考えると過去問の売却交渉にも乗り出せないし。
仕方ないから、とりあえず弁当を食べることにした。
ふと思い立ち、ちらりとききょーの方を見てみると、相変わらずたくさんの人に囲まれていた。
うん。人口密度が凄い。
弁当箱を開けば、露わになるのはお好み焼き。結露でびちょびちょになっている。とりあえず一口分だけ箸で切り分けて食べてみれば、当然冷めていた。不味くはない。ただ、熱々の方が美味しい。ちょいすに失敗したらしい。
それでもソースをかければ逆転するかもしれないと、弁当袋を漁ってみれば。出てきたのは何と醤油だった。手作りソースではなく、ソイなソースだ。どうやら、間違えたらしい。しかもワサビまで入っている。
ちょっとびっくり。
けどまあ、そんなこともあるだろう。
仕方ないからワサビ醤油で食べることにした。
作るスペースはなかったから、直接醤油をかけて、ワサビも乗っけて。
これは…………悪く、ない? いや、悪い…………? 何というか、あんまり相性は良くないけれども、決して不味くはないみたいな、そんな味がする。本当に感想に困る感じの、微妙なやつ。
うん。
次は汁物容器に鍋でも入れてこようか。いや、熱湯でも保温できるようならしゃぶしゃぶもありかもしれない。少なくとも冷めはしないし、びちょびちょになっても美味しい。
◇
翌日の放課後。何故か私は図書室にいた。一つの長机の一角に、八人もの人が集っている。人口密度が凄い。まあ、何故かというのは大体分かっている。
昨日、綾小路が勉強会に参加してない赤点組と別口で勉強会を開くために、ききょーの人気で釣ろうとして。当然の流れとしてききょーも勉強会に参加することが主催者に無断で確定し。その上で、二人の間で何らかの合意があったらしく、私も参加することになった。勿論、主催者である堀北には無断で。
だから、彼女にとても睨まれている。
「櫛田さん。綾小路くんから聞かなかったかしら? あなたは───」
先に詰問されたのはききょーだった。彼女は小テストの点数は偶然であり、実際は赤点の危険性が高いという論理で言い訳を始めた。
それにしても、なるほど。
ききょーは堀北を嫌っていて、堀北は嫌われていることに気付いているから確執が見え隠れするのか。青春というやつだろうか。
「阿御鳥さん、あなたはどうしてここに?」
「さそ……われて、助け……なると、思った」
「そう」
そして私も正直に答えたら、やけに厳めしい雰囲気を醸し始めた。意味が分からない。
試しに内心を推し量ってみようとしたけれど───表出しているのは葛藤だけ。たった二文字の言葉と、事が終わった後の表情だけでは情報が足りない。
けれど。
「いいでしょう。あなたにも教師役として参加してもらうわ」
許可されたから、私も他の人に倣って腰を下ろした。
「32点未満は赤点つってたよな。32点じゃアウトってことか?」
「未満だったらセーフだって。須藤お前大丈夫か?」
「どちらでも構わないわ。私はここに居る皆には50点を───」
「───まっ、て! 赤点、平均の……半分?」
途端に、看過できない話が飛び出した。思わず、話を遮ってしまう。
「ええ、その可能性も否定できないわね。けれど、赤点のラインが不明瞭な以上は余裕のある点数を目指すべきよ」
まあ、確かにその通りだ。赤点の基準に関しては裏取りも済ませているが、クラス全体で点数を調節でもしない限り、ボーダー自体は曖昧なまま。ならば、絶対的な安全圏である50点以上を目指すのは合理的だろう。
それから、堀北はプリントを机に出した。テストで出る範囲のものを纏めたらしい。けれど、当然ながら変更されるだろうテスト範囲との差異は大きい。
徒労。その一文字が思い浮かぶ。
伝えるべきだ。それが道理というもの。無駄を知りながら見捨てるのは、人道に反する。けれど、それを伝えるならば過去問にまつわることに触れるのは避けられない。そうなったら、赤点組はどうなる?
答えは出せない。
並列思考にそれぞれの主張を割り当てて議論し、その結果を深くまで考察してメリットもデメリットも浮き彫りにしても、答えは出ない。だから、これは一度脇に置いておく。
その間にも状況は素早く移り変わり続けていたから。
赤点組は連立方程式さえも解けず、教えられてなお理解不能。中学二年生で習う程度のもので、これ。
疑念が過る。本当に彼らに学習意欲を持たせることは可能なのかと。
そして、ついに堀北が罵倒を始めた。何て無知で、無能なのかと。狭い世界からの批判、偏った思想の暴走。
されど、それを止めるものはいない。そこに
だから、当然の帰結として論争は過激化の一途を辿り、やがて一人、また一人と去っていった。
「───それで、阿御鳥さん。あなたはさっきから何を隠しているの?」
先程までの名残か、未だに威圧感を漂わせ続ける堀北の問い。私は、一拍間を置いてから返答した。
「ゴール、どこ? 回避……? 足切り…………?」
「足切りよ。もし、今回あの人たちに勉強を教えて上手く赤点を回避できても、またすぐに同じような窮地に追い込まれる。そうなればまたこの繰り返し。そして、やがては躓く。これは実に不毛なことで、余計なことだと痛感したわ。足手まといは今のうちに脱落してもらった方がいい」
「ん。これ、過去問……コピー」
「過去問? 確かに役には立つでしょうけど、後生大事にするものかしら?」
「同じ…………問題」
「…………根拠は、聞くまでもないかしら。想像以上の劇物、隠していたのも納得ね。過たなければAクラスにも一歩近付けるでしょうけど、今のDクラスでは自爆しかねない───」
つんと脇を突かれる。ききょーだ。状況から考えて、渡して良かったのかという疑問。大丈夫だという意図を込めて、つーんつんつんつん、つんつーんと突いた。
何故か太腿を抓られた。痛い。
まあ、彼女は過去問を気軽に使えない。少なくとも、赤点組に対して私たちの意に沿わない使い方はできない。
足切りができるのは、今が0ポイントだからだ。無理矢理赤点を回避させても延命にしかならず、一時のポイントになっても将来的な負債ができあがる。彼女はAクラスを目指していると推測できるから、そんな不安定な手段は取れない。
そして、過去問を大々的にクラスに行き渡らせようと思えば、どうしても赤点組まで恩恵に授かることになる。
だから、リスクとメリットを鑑みれば、堀北は一時凌ぎではない赤点回避に尽力する価値を上げることにも繋がるのだ。
…………流石に、どうせ赤点組は過去問があっても落ちるだろうみたいな博打には出ないと思う。
それにしても、やっぱり綾小路は一切驚きの感情を見せなかった。過去問を利用するという考え方は一般的でも、例年同じ問題であることには驚いて然るべきなのに。
その後は、「何とかしてみせる。こんなに早く皆と別れるなんて絶対に嫌だから」「本気でそう思っているの?」みたいな問答をいくつかした末にききょーが図書館から立ち去り。綾小路も雑談しに行ったから、私も帰ることにした。
「ぐはっ」
しかし残念。待ち伏せしていたききょーに襟首を掴まれ、私はあえなく連行される運びになった。
◇
「あ──────ウザい。マジでウザい、ムカつく。死ねばいいのに……」
本を読みながらも、私は心地良さに思わず目を細めた。他人に髪を梳かれるのは、案外気持ちが良かったのだ。自分でやるとただ面倒臭いだけなのに、こんなにも違うのはどうしてだろうか。
「自分が可愛いと思ってお高く止まりやがって。どうせアバズレに決まってんのよ。あんたみたいな性格の女が、勉強なんて教えられるわけないっつーの」
ただ、反して本の方はちょっと微妙かもしれない。内容としては恋愛系? 恋に狂った人達が殺し合って、最後の一人も自殺して、そしてとうとう誰もいなくなってしまった。
「あー最悪。ほんっと、最悪最悪最悪。堀北ウザい堀北ウザい、ほんっとウザいっ」
恋愛なんて言うけれど、恋なんてものは愛情が一切なくても発生する脳のバグに過ぎない。それで義務も財産も全て投げ棄てたり、子供に殺しを強要させたりしてもちんぷんかんぷんが過ぎる。意味が分からないまま読み進め、意味が分からないままエピローグに突入し、残すはたった数ページ。奥付なども含めれば、それより少ない。
「ねっ、式ちゃんもそう思うよね?」
瞬間、頭の上の手が止まった。
「内心……不明。品行……わるく、ない。学力、じゅうぶん。うざくも、ない」
ぱたん、本を閉じる。結局、革命的などんでん返しもなく、あっけない幕引き。
これ以外の本は手元にないから、近くを転がっていたけん玉を拾い、手慰みに弄ることにした。
「そう、そうだね。あなたに人の心なんて───」
けれど、その前に。
強まった手の力は無視することにして。
背後で私の髪を梳いていたききょーに対し。 肩越しに振り返り、彼女の紅の瞳を見上げて。
「───けど、ストレス……閾値超え。平常じゃ、ない。ききょー……頑張った、ね。おつかれ?」
いつも通りたどたどしい口振りで、彼女を労った。
「…………そう。式ちゃんはズルいね?」
「ずるい…………? うそ、吐いてない……よ?」
「いいや、ズルいよ。それがズルい。はぁ…………ほんと、そんなこと言われるとは思わないよ。式ちゃんのくせに、生意気」
「…………? よく分からない、けど。元気なら……いい」
「……全く、もう。猫耳でもつけてやろうか」
「なんで…………っ!?」
髪が梳かれる。相変わらず、優しい手つきだ。
これで本当にストックはないです。次話で一巻は終わりますが、明日には間に合わないでしょう。さっさとオリ主ちゃんが何にも縛られずに放浪できる夏休みの特別試験を書きたいですね。
あと、何気に櫛田の綾小路への本性バレはなくなりました。