カードゲームみたいなやつ   作:SIS

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流石に長くなってきたので分割しました


続・悪逆デュエリスト

 

 

◆◆

 

「おはよう~」

 

「おはようございます、だぜ!」

 

「ぐっもーにん」

 

 朝の小学校。校門前ではランドセルを背負った小学生が列をなし、お喋りに興じながら門をくぐっていく。

 

 当然のように、皆、腰にデッキケースをぶら下げている。おかしな世界のおかしな授業は、当然のようにカードゲームについても触れるらしい。

 

 そんな朝の登校風景を、私は人気のないアパートの屋上から見下ろしていた。

 

「……今日も、居ない、か」

 

 ぱたん、と百均のオペラグラスを畳んで懐にしまい、踵を返す。

 

「人知を超えた髪型も、やたらと蛍光色の派手な髪色も、ふよふよ漂うマスコットの姿も、なし、か。この小学校には、主人公様は居ないらしいな」

 

 そう。

 

 私が小学校を観察していたのは、いわゆる主人公探しである。

 

 この世界が、ゲームの強さが大きく影響する変な世界である事はもう分かり切っている。そして、そんな世界が当然のようにまかり通るのが、いわゆるホビーアニメだ。私はつまり、この世界はカードゲームアニメの世界で、そこに迷い込んでしまったのではないか、と考えたのだ。

 

 普通に考えたら発狂していると言われても仕方ないが、そもそも転生なんて状況がまず狂っているのである。むしろ、合理的な考えだと言えよう。

 

 だが、そういったアニメにつきものの目につきやすく印象に残りやすいデザインの人物……すなわち主人公は、ここ数週間の探索活動にも拘らず、発見できていない。

 

 勿論私は全てのホビーアニメを網羅している訳ではない、中には地味なデザインの主人公もいる事だろう。だが、それでもその周囲には、多少目立つキャラクターが居るはずだ。

 

「別にホビーアニメの世界ではなく、普通にとち狂った世界なのか、ここは? それとも、主人公が居るのはこの町じゃないのか?」

 

 私が主人公を探索しているのは、別に彼と仲間になりたいとか協力したいとかではない。むしろその逆、彼の行動を把握する事で極力面倒ごとに巻き込まれないように距離を取る為だ。

 

 なんせホビーアニメといえばカード一枚から宇宙が始まったとか大真面目にやる世界観である。主人公の周りには物理的にどうしようもない脅威が次々に顕れ、だからこそカードゲームで勝敗を決めていくのだ。しがない一般人が巻き込まれでもしたらロクな目に遭わないのは目に見えている。

 

 かといって距離を置きすぎるのも危険である。悪役の陰謀によって、普通に世界が滅びて主人公の周りの人間だけが生き延びる、なんて事だって珍しくない。大抵その場合、消えた人間は悪役のエネルギー源にされているものだが、転生者である私の存在がどう働くか未知数だ。そのせいで主人公が負けて世界は亡びたままです、とかになったらたまったものではない。

 

 しかしながら、結局主人公は見つからなかった。居ないならまだしも、他の街に住んでいるとかの場合、知らない間に手遅れになっている可能性もある。

 

「はて、どうしたものか。……少し、ニュースの検索にかける時間を増やすべきか?」

 

 とにかく、これで最後の小学校の調査は終わりだ。私とて、外見上はまだ義務教育期間中の子供だ。警察あたりに発見されて補導される前に、私はいそいそとビル街の裏路地に身を潜めた。

 

 

 

『……それでは、正午のニュースです。本日、スゴクキタノホウ紛争の停戦条約を巡り、国連では各国の代表が集い談義しました。注目は……』

 

「ふぅん。この世界でも戦争は普通にあるのか。まあ当然だな」

 

 12時を告げるチャイムが響くオフィス街。まだ人気のない街の片隅で、私はビル壁の大型モニターに表示されるニュース番組を観察していた。

 

 このあたりはあまり警察官がうろついていないし、行き来する人も薄情で、小さな子供が一人でベンチに座っていても気にもかけない。変な話だが、今の私には他者の無関心こそ都合が良かった。

 

 ニュースは、どこぞの北国で続いている戦争が、ようやく終わりをむかえそうだ、という事を告げている。画面が切り替わり、銃を撃ちあう兵士が映る。

 

 流石にこの世界でも、カードゲームで戦争をする訳ではないようだ。ちょっと安心すると同時に、少し悲しくなる。

 

「……いや、そうでもないか」

 

 よく見ると兵士の腰には、しっかりとデッキケースが括り付けられている。カードゲームで戦わないだけで、いついかなる時もデッキを手放さないのは当たり前のようだ。

 

 さらに画面が切り替わり、お偉いさん達が会議している光景が映るが……そちらも当たり前のように、机の横にデッキが置かれている。それも、わざとデッキのエースが見えるように、台座にセットして、だ。その様子はデッキを自慢しているというよりも、相手をカードで威嚇しているように見えた。

 

「なるほどねえ……」

 

 銃を撃ちあう戦場ならいざ知らず、弁論の場においてカードは、持ち得る情報や弁舌の巧みさに並ぶ第三の武器、という事らしい。どうしても話し合いで決着しなければ、デュエルで雌雄を決する事があるのかもしれない。ともすると、急に話が進んだという今回の停戦条約、裏で代表団同士の苛烈なデュエルでもあったのかも。

 

 そういえば少し前に、総理大臣が国家予算で何かのカードを購入した、という話も聞いた。私の価値観だと着服だろそれ、と思ったのだが、しかし世間の意見は割と好意的だった。あれはつまり、総理大臣がお高いカードを自分の為に購入したというより、国の装備として配備した、という感覚になるのだろうか。

 

 この世界においては、カードとは金塊であり、最新鋭の武器であり、株の証券である、という訳だ。

 

「……まーじでろくでもない世界だ……」

 

 ずきずきと頭痛を覚えて、私はげんなりと肩を落とした。

 

 うんざりとしながらニュースを見ていると、再び内容が切り替わる。今度は、ランカー戦についての情報で……そこに、思わぬ、好ましい顔を見つけて私は目を見開いた。

 

「……皇帝!?」

 

『本日の注目ランカーの情報です。先日、低ランクの相手に敗北を喫した事で大幅にランクダウンしていた“皇帝”、その後怒涛の追い上げを見せ、ついにBランク昇格戦を突破。Bランクリーグに名を連ねました。この怒涛の快進撃、いかが思われますか、解説の野北さん』

 

『はい、解説の野北さんです。“皇帝”は、ここ数年で突如現れ、その華麗な正統派デュエルスタイルで瞬く間に人気を博したデュエリストです。いまだCランクにありながら多く名前を上げられたのは、偏にその圧倒的な強さによるものです。相手のいかなる妨害をも、正面から切って捨てるビートダウンの王道、憧れる人も多いでしょう。不意の敗北に今後が危ぶまれましたが、見事、それをバネにして勝ち上がりました』

 

 ニュースでは話題のスポーツ選手のようなノリで、活躍中のデュエリストについて語られている。その中で取り上げられている金髪のデュエリストの活躍に、私は胸がすく思いだった。

 

「そうか……そうか。頑張ったんだな、アイツ」

 

 久しぶりにいいニュースを見た。足を振った反動でベンチからぴょん、と飛び降りると、私は鼻歌を歌いながら気分よく帰路についた。

 

 オフィスを出てくる社畜達の訝し気な視線を背中に浴びながら、ビルの裏路地に潜り込む。表を堂々と歩いていたらわからないが、見知らぬ小汚い子供をここまで追ってくる者は居ない。裏路地は、私専用の赤い絨毯だ。

 

 転がっている段ボールを蹴とばすと、隠れていた猫がにゃーと鳴きながら走り去っていく。それを追う事もなく、私はジグザグと薄汚れた裏路地を歩く。

 

 ……子供の体になって不便も多いが、いくつかいい事もある。

 

 こういった狭い路地を歩くのに困らない事がまず一つ。

 

 そして。

 

 相手が、勝手に油断して醜態をさらしてくれる事だ。

 

 いつもと違う道を行き、私は路地裏の一角、行き止まりになって広場のような場所で足を止めた。汚れた壁面にはスプレーの落書きと、壊れたバスケットボールがある。見上げた先には、ビルで四角く切り抜かれた空が見えた。

 

 再開発地区にはよくある事だ。計画上のミスだか何かで、地図には無い空白地帯が出来る。多くの場合、そこは物置であったり、ゴミ溜めになっているが、比較的このあたりに住んでいる奴らはお行儀がよいようだった。

 

 ぬかるんだ地面に視線を落とし、私は背後に声をかけた。

 

「でてこい。場所は整えた」

 

「……なんだ、気が付いていたのか」

 

 子供の甲高い声にこたえる、低い大人の声。

 

 私が通ってきた路地裏から、のっそりと二人組の男が姿を現す。スーツ姿の、黒いサングラスの二人組。髪型も顔つきも没個性で印象に残らない。下手をすれば、顔につけたサングラスの方が記憶に残る。オフィス街には吐いて捨てるほどいそうなありふれた格好だが、どうにも服に着られている感も否めない。

 

 彼らは狭い路地裏で汚れてしまったスーツの裾を払って、私に向き直った。

 

「それなら話が早い。おじさん達、ちょっと君に用事があってね」

 

「プロリーグのスカウトなら大歓迎だが、そうじゃなさそうだな。まあ、だいたい想像はつくよ」

 

 懐からデッキケースを取り出し、私はぽんぽん、と手の中で投げて弄んだ。

 

「概ね、損をさせてくれたクソガキにおしおきしに来た、って所かな?」

 

「……お前。やっぱ、ただのガキじゃないな?」

 

 サングラスの下で、男達の目が敵対的に細められる。前に立つ一人が、懐からデッキケースを取り出して、ぱちん、と音を立てて蓋を開いた。

 

「ま、そんなところだ。お前が皇帝の奴を負けさせて、そこから奴が舞い戻る為に大暴れしたせいで、おじさん達は色々大変だったんだ。その原因に、落とし前をつけないと気がすまなくてな」

 

「別に暴力を振るう訳じゃないよ。ただ、ちょいと今後、デュエルがしたくならないように、怖い思いをしてもらうだけさ……!」

 

「……ふぅん?」

 

 なるほど。つまり、こいつらはいうなれば、デュエルマフィアという訳だ。

 

 この状況で、暴力じゃなくてデュエルによる圧力、という手段に出るあたり、この世界は平和というのか、なんというか。ただ、甘く見ていいものではない。この世界において、カードゲームの強さは、金であり、発言力であり……ナイフだ。

 

 少なくとも、理不尽に大人から高圧的なデュエルを挑まれれば、私が見た目通りの子供であれば今後の活動に差し支えるのは間違いないだろう。

 

「ルールは? レフェリーはそっちのおじさん?」

 

「ああ。俺が仕切らせてもらう。ルールは単純、一本先取のデュエル形式。特殊ルールは無しだ」

 

 す、と二人組の一人が、私の横に回り込む。

 

 なるほどね、と私は頷いた。レフェリーを買って出たからと、フェアな勝負になるとは限らない。むしろ、違反行為を行うためにレフェリーを買って出た、と見るべきだろう。デュエルマフィアなんぞが、まっとうに子供相手にデュエルをするはずがない。

 

 それが分かっていて、私は特に異論もなくデュエルに応じた。

 

「いいよ。相手してあげる」

 

 だが、逆に言えば。

 

 私としても、心証を慮る必要が無いという事だ。

 

 手にしたデッキケースに目を向ける。

 

 よい子の前ではちょっと使いづらいデッキだったが、ちょうどいい。こいつら相手なら、どうなったって私の心も痛まない。

 

 

 

 

 

 

 

「「デュエル!!」」

 

 

 

 

 

「先攻は俺が頂く! 俺は手札から“スカウト・ブラックスーツ”を召喚!」

 

 デュエルが始まるや否や、マフィアはデッキから五枚のカードを引き抜き、モンスターを召喚する。

 

 現れたのは、人型のモンスター。サングラスをかけたスーツの男にしか見えないそれは、名刺を差し出す営業マンのように右腕を懐に差し入れている。が、よくみると懐の厚みは名刺ケースのそれではない。拳銃を隠し持った刺客、という事か。

 

 芸能のスカウトと、斥候のスカウトを掛けている訳か。面白いが、勝手に先攻を取るのはいただけない。

 

 抗議の意味を込めて審判を買って出た男を見るが、彼はサングラスの下でにやにやと笑みを浮かべるだけだ。

 

『どうした、嬢ちゃん。何も言わないから、てっきり先攻は譲ってくれるのかと思ったぜ』

 

 なるほど。そういう腹積もりか。

 

 まあいい。私は対戦相手へと視線を戻した。

 

「まだ俺のターンは終わっちゃいねえぜ、スカウト・ブラックスーツの効果発動! こいつの召喚に成功した時、手札からブラックスーツモンスターを召喚する。出ろ、“アサルト・ブラックスーツ”!」

 

 斥候が場を偵察し、現れるのは本命の戦闘ユニット。アサルトライフルを手にした黒服がさっそうと場に姿を現し、手慣れた動きでスカウトの横に並んだ。

 

 つまるところ、相手のデッキはいわゆるヒットマンデッキ、という事か。モチーフが分かったところで、コンセプトはよくわからないが。

 

 この世界の厄介なところだ。カードの総数が膨大すぎて、ちょっと相手のカードを見ただけではデッキの方向性が特定できない。

 

 まあ、私はやれる事をやるだけだ。

 

 デッキから引いた五枚のカードに目を通す。

 

 ……なるほど。今回は、そうやって勝て、という事か。

 

 手札の中にある、槍を持った二本角のモンスターに頷き返し、私は戦術を脳裏でくみ上げた。

 

「私のターン、ドロー。……私は、手札の“堕落の注ぎ手”の効果を発動。自分フィールド上にモンスターカードが存在しない場合、召喚権を放棄し手札のこのカードを相手に提示する事で、このモンスターを特殊召喚する事ができる。そして」

 

 私は手札の二枚、そしてドローで加えた一枚をも、相手の男に見えるように提示した。

 

「同様の召喚効果を持ったカードがさらに二枚。私はまず、“堕落の注ぎ手”二体を特殊召喚する」

 

『なんだと……自己召喚効果をもったカードが三枚だと!?』

 

 審判の男が驚く前で、三体のモンスターが一斉に召喚される。

 

 それは、酷く悍ましいモンスターだった。

 

 一見すると人型にみえるが、その腹部は大きく裂け、内臓の代わりに凶悪な牙が並んでいる。顔は半分が醜くケロイドのように爛れ、右腕はサソリの鋏のような異形。それでいて、女性らしい柔らかい膨らみを持った胸部、麗しい曲線を描く足、細くしなやかな指、爛れた顔に浮かぶマスカラの施された瞳と、アダルトでエロティックな要素も散りばめられている。

 

 エロとグロは相性が良いというが、これはまさにその典型といえよう。

 

「さらに私は、“酩酊の誘い手”を特殊召喚」

 

 続けて現れたのは、なんというか……毛皮の無い二足歩行するアリクイ、といった感じの奇妙な生き物だ。ひょろりと長い体に、同じくひょろりと伸びた口からは、細長い舌がしゅるしゅると出入りしている。胸元には乳牛のように大きな乳房がいくつもぶら下がり、こちらはこちらでエロティック、という概念を嘲笑うような奇怪なデザインであった。ケモナーならそれなりにいけるかもしれない。

 

 異形のモンスター達に、男達が露骨に顔をしかめる。

 

『うげえ……なんだあの気持ち悪いモンスター』

 

「子供が使うにしては背伸びしすぎだな」

 

 男達の気持ちも分かる。ゆらゆらと揺れながら、かすれた笛の音のような鳴き声を上げる怪物達は悪趣味にも程がある。これが使っているのが高身長のイケメン美女とかならともかく、チンチクリンの薄汚い小娘ではギャップもあってひたすら不可解な構図だろう。私もそう思う。

 

 だが、『悦楽』デッキの本領は、そんなデザインだけではない。

 

 申し訳ないが、一しきり不快なショーに付き合って頂こう。

 

「バトル。三体のモンスターで攻撃」

 

『くそ……だ、だが、スカウト・ブラックスーツは1ターンに一度、戦闘破壊されない効果があるぞ!』

 

 言葉通り、堕落の注ぎ手の攻撃を受けたスカウト・ブラックスーツは背後に吹き飛ばされながらもその攻撃に耐える。が、次の瞬間、背後から突き刺された鋏が胸を貫き、破裂するように消滅する。その様子に気を取られたアサルトの上から人型アリクイが襲い掛かり、鋭い爪でズタズタに引き裂いた。

 

「くそっ、俺のモンスター達が……!」

 

『だが、ライフまでは削れなかった! 落ち着け、あんな特殊召喚条件を持ってるモンスターがあのステータスな訳ない。概ねデメリット効果持ちだ、この勢いは続かない!』

 

「……その通り。私は手札からカードを2枚セットし、ターン終了。そして私のターン終了時、こいつらの効果が発動する」

 

 せめてもうちょっと形だけでも公平なフリをしてほしい。審判を半眼で睨む私の前で、召喚したモンスター達が光になって消滅する。

 

 手札に戻ったカードを、私は男に向けて提示した。

 

「こいつらは召喚されたターン終了時、場を離れ、相手の手札に加えられる。ほれ、受け取れ」

 

「は……?」

 

『自分の手札に戻るんじゃなくて、相手の手札に加えるぅ?! ボードアドバンテージどころかハンドアドバンテージまで失ってるじゃねえか、なんだその効果?!』

 

 呆れたような顔でカードを受け取る男。審判がこれがいかにイカれた効果か解説してくれる。

 

 そう、これが『悦楽』デッキ。

 

 普通の刺激は欲しくない、同じ刺激もほしくない、飛び切りの新しい刺激が欲しい。そんな概念が形になったような、好き勝手に振舞う我儘なカード群だ。

 

「……わ、訳が分からん……うげ」

 

 頭を抱えながら手札に目を向けた男が、露骨に顔をしかめる。概ね、手札に加わった奴らの、醜悪なカードイラストにドン引きしているのだろう。

 

 他のカードイラストと明らかに雰囲気違って浮いてるからなあ、あれ。

 

『ま、まあ、手札が増えたならいいんじゃないか? 効果自体は悪くないし、相手の場はがら空きだ。同じことして返り討ちにしてやればいい』

 

「そ、それもそうだな。え、ええい、気を取り直していくぞ。俺のターン、ドロー!」

 

 男が、デッキからカードを一枚引く。

 

 ……最初の手札は五枚。男はそこからモンスターを二体召喚して、そこに私が三枚加えた。そして今一枚引いたことで、手札は七枚。

 

 条件はそろった。

 

「対戦相手の手札が七枚になったこの瞬間、トリックカード“達成による衰退”を発動! この効果によって、手札が四枚になるまで選んで捨ててもらう」

 

「はぁ?」

 

 男が私の発動したトリックカードと手札の間で視線を往復させる。

 

 つまり三枚の手札を捨てろ、という訳だ。そうなれば当然、勝手に手札に加えられた私のカードを捨てるべきだと、考えるだろう。

 

 まあそれが罠な訳だが。

 

『待て! 明らかに今の一連の流れはコンセプトコンボだ! カードをよく見ろ、手札から捨てたら何か効果が発動するって書いてないか!?』

 

「ああ、その通りだな。『このカードが相手の手札、場からトラッシュされた時~』って効果が書いてある。化け物女はライフダメージ、アリクイ野郎はガキに1ドローだ。ち……どうする?」

 

『……ここはアリクイを捨てて、化け物女は温存だ。相手はもう一枚トリックカードを伏せている、それにさっきから変な動きばかりするデッキだ、また大量展開からの総攻撃をされれば危ない。ライフは極力温存していけ』

 

 おい審判。流石にそれは露骨に利敵行為だろう。

 

 とはいえ、そもそも最初からフェアな勝負ではない。黙って様子を窺う私を前に、相手は捨てるカードを決めたようだ。

 

 “酩酊の誘い手”と、他にカード二枚がトラッシュに送られる。それを受けて私はカードを一枚ドローし、相手から投げつけられた自分のカードを受け取った。

 

「変な効果ばっか使いやがって……へっ、だがテキストは最後まで読んだのかお嬢さん」

 

「何の事かな」

 

「すっとぼけやがって。テキストにはこう書いてあるぜ、「トラッシュされた時、プレイヤーは1ドローし、このカードをロストする」ってな。ははは、わかってるだろうな? テキストに従えなければ、ジャッジキルだ!」

 

 ロスト。

 

 墓地送りではない、所謂、墓地以外の所に送る、だ。

 

 除外とかそういう扱いである。だが、カードプールの増加によって第二の墓地どころか第三の手札と化すこともある現実のカードゲームと違い、この世界における除外は明確にカードが再利用不可能になる。

 

 何故か? 簡単だ。

 

「ロスト処理は物理的にカードを処分して使えなくする必要がある! ひゃははは、お友達とのお遊びごっこのつもりだったか?」

 

『だが俺たちは大人だからな、なあなあで処理するのは許されないぜ、分かってると思うがな』

 

 

 

 

 

「ああ。別に?」

 

 

 

 

 

 私はデッキケースのスイッチを入れた。ヴぃいい、とシュレッダーが起動したのを確認し、そこに手にしたカードを突っ込んだ。

 

 ばりばりばり、とカードが粉砕されていく。舞い散る紙屑を前に、男達が唖然とした。

 

「お……お前、お前ぇ!?」

 

『ば、ば、ば……まじで処分する事はないだろ!?』

 

 さっきまで煽っていたのもどこへやら、顔色を変えて非難してくる男達。

 

 さもありなん。

 

 この世界においてカードはただの紙切れではない。それそのものが大きな力を秘めた象徴なのだ。

 

 いくらルールで定められているといっても、それを本当に処分するのは普通はない。大抵は、ポケットの中とか、物理的に隔離してなかった事にするのがお約束だ。

 

 だが、そもそも、それでは済まさないといってきたのは男達の方である。

 

 それに、だ。

 

 前提として私の元には変なカードばっかり集まってくる、というのは周知のとおり。その集まってきたカードにロスト処置が記載されているのだから、それはもう、カードがそれを望んでいるという事で、ある意味合意の下ではないか?

 

「別に、気にするほどの事ではない。パックを1,2袋引けばすぐに補充できるしな。私にとっては自動販売機で缶ジュースを買うよりも安いコストだ」

 

「い、イカれてやがる……!!」

 

 失敬な。デュエルマフィアなんぞよりは、よっぽどまともさ。

 

 シュレッダーから吐き出された紙屑を払って、私は男に向き直った。

 

「さあ、続きをしよう」

 

「く、くそ……っ! キチガイの相手をするなんて聞いてねえぞ……っ!?」

 

 ドン引きするマフィア達。

 

 マフィアといえど、いや、だからこそだ。彼らにとってカードは大事な金づるであり、私のやっている事は万札を燃やして明かりにする成金とそう変わらない、それも明日の暮らしにも困っている貧困孤児のくせにそんな事をやっているのだ。理解できない物を見る視線も仕方ない。

 

「……俺は手札から、“ダブルガン・ブラックスーツ”を召喚!」

 

 現れたのは、これまでとお揃いの黒いサングラスと黒いスーツで、二丁拳銃の人型モンスター。こちらに背を向けるようにして両腕をクロスさせたポーズで現れたモンスターは、きめポーズを一しきり堪能するとみょうちきりんな構えでこちらに向き直った。なんか映画か何かで見たようなポーズに見える。

 

 まあ、見た目は好い。問題は能力だが……。

 

『こいつは良いモンスターだな! 基本ステータスは大したことないが、ダブルガン・ブラックスーツは一度の攻撃宣言で二回攻撃が出来る! ガキの場にはモンスターが居ない、一気にライフを削るチャンスだ!』

 

「そういう事だ。バトル! ダブルガン・ブラックスーツで相手プレイヤーに攻撃!」

 

 男の指示に従って、機械的な動きでモンスターが二丁拳銃をこちらに向ける。直後放たれた銃弾が、私の心臓を撃ちぬいた。

 

 まあ痛みもなければ感覚もないが。しかし、虚ろな銃口をこちらに向けられるのはあまり良い気分ではないな。

 

「ははっ、どうだ、クソガキ!」

 

「……私が直接攻撃を受けた事で、トリックカード“苦痛の結晶化”を発動。このカードは私のフィールドにモンスターカードが存在しない状態で直接攻撃によってライフを減らされた時に発動できる。減ったライフにつき一つ、ソウルシャードトークンを場に特殊召喚する」

 

「な、何!?」

 

 もう一枚の伏せカードをここで発動。

 

 効果により、場に紫色のクリスタルのようなものが出現した。不気味なオーラを纏ったそれは、見ていると不吉な予感を感じさせる。

 

 いやまあ、文脈とか読むにこれ、プレイヤーの魂っぽいのだが。

 

「そうか、ダイレクトアタックに対する壁か……! 小癪な真似を」

 

『い、いや、なんか違うぞこれ。見ろ、このトークン、モンスター扱いされてない、オブジェクトだこれ。壁にもならないし攻撃にも参加できない、ただの飾りだ!』

 

「……は?」

 

 確認するような相手の視線に、私も深く頷く。

 

「ソウルシャード・トークンはモンスターカードとして扱われない。私の場は変わらずがら空きのままだ。どうする?」

 

「……ちっ」

 

 訝しむような男の視線。

 

 一見するとまるで意味のないトリックカード……だが『悦楽』デッキがまともなデッキではないのは彼も少しずつ理解し始めている。この一見意味のないカード、秘められた効果を警戒して攻撃の手を緩めるか、それともこのチャンスに一気にライフを削るのか、悩んでいるのだろう。

 

 勿論、こちらから何かヒントやアドバイスをするつもりはない。こういう時に悩むのも、デュエルの醍醐味という奴だ。

 

 ふふふ、悩め悩め。その苦悩が、『悦楽』デッキは大好きらしいからな。

 

『……殴っておいた方がいいんじゃないか? 何の布石かは気になるが、もう一発殴っておけばガキは瀕死だ。多少反撃があっても、押し勝てるラインだと思うが』

 

 おい審判。

 

「そうだな。俺はダブルガン・ブラックスーツで二回目のダイレクトアタック!」

 

「……私は再び、“苦痛の結晶化”を発動。ソウルシャードトークンをもう一つ、場に特殊召喚する」

 

 再び出現する紫色のクリスタル。そして無防備に連続攻撃を受けた事で、私のライフは風前の灯火だ。

 

 問題ない。まだ私の戦術の範疇だ。

 

「これで俺のターンは終了だ」

 

「では。この瞬間、“苦痛の結晶化”の第二の効果を発動。このカードの効果でソウルシャード・トークンが一体以上特殊召喚されたターンの終了時、相手プレイヤーのライフにダメージを与える」

 

「何だと……がああ!?」

 

 仰け反って苦痛の声を上げる男。その視線は、自分の胸元を貫いて伸びる槍の穂先に向けられている。振り返った先、背後……路地裏の闇の中に何か大きなものが潜んでいる。それが、背後から男の心臓を一突きにしたのだ。

 

 それは一瞬の事。ふ、と槍は次の瞬間には掻き消え、男は一度膝をつくも自力で立ち上がった。

 

「く、このガキ……」

 

『危ない所だったな。さっき、迂闊に化け物女を二枚とも捨てていたら、今のトリックカードでトドメを刺されていた。ライフ温存は間違ってなかったな』

 

「えげつない手を使いやがる……! だが、これでお前のコンボは凌いだぞ!」

 

 勝ち誇った顔でこちらを見る男だが、残念。

 

 確かにライフを削る狙いはあったが、手札破壊とのコンボは前座のようなものだ。むしろこれで仕留められていたら、こちらとしても拍子抜けである。

 

 狙いは別にある。

 

 これで、召喚条件は満たされた。

 

「私のターン、ドロー。……自分フィールド上にソウルシャード・トークンが一体以上存在する事で、私は手札から“狩りの主 テーラ・ルー”を特殊召喚する!」

 

「何ぃ、って、え?」

 

『何も現れないが……』

 

 私が召喚宣言をしたにも拘らず、場にはモンスターが現れない。不思議そうな顔をする対戦相手に、私は黙って頭上を指さした。

 

「ひっ……」

 

『な……っ』

 

 路地裏の、四方をビルに囲まれて小窓のように切り抜かれた空。さっきまで曇り空だったそれが、今は真っ暗に染まって夜のよう。その夜闇に浮かび上がる巨大な一つ目。それが、ぎょろりと男を見定める。

 

 ぼたぼたと、タールのような黒い滴が涙のように降り注ぐ。それは私の目の前に降り積もると寄り集まって、一つの怪物を形作った。

 

 漆黒の肌を持った半人半馬のケンタウロス。頭部は馬のそれであり、鼻息あらく対戦相手を睨みつける黄金の瞳に、頭頂部には二本の角が生えている。手には長い長い槍を握っており、それはさきほど背後から対戦相手を貫いたそれと同じデザインであるとすぐに気が付けるだろう。

 

 体は剥いだ生皮や革ベルトなどで装飾されており、立体映像であるにも拘らずすえた匂いが漂ってきそうな生々しさがある。

 

 これこそが、狩りの主、テーラ・ルー。悦楽とは、ただ奔放で浅いモノばかりではなく、一つの事柄に強く強く執着する事でも得られる、その側面である。

 

「さ、最上級モンスターだと……?!」

 

『さっきまでのは、全部コイツを召喚する為の布石……?!』

 

 ふしゅるるる、と鼻息を漏らしながら地面を蹄でひっかくテーラ・ルーの威容に、ダブルガン・ブラックスーツが可哀そうな程に怯んでいる。

 

 最上級モンスターだけあって、狩りの主のステータスはそれほどまでに高い。もっとも、当の本悪魔は、小物には一切目もくれず、ただひたすら対戦相手を凝視している。

 

 標的はすでに定まっているのだ。

 

「狩りの主 テーラ・ルーは手札から特殊召喚されたターンには攻撃できない。これでターンエンド」

 

「なんだ、ビビらせやがって……俺のターン、ドロー!」

 

 言葉とは裏腹に、じっと凝視し続けている悪魔の視線に、男の声が震えている。だが、引いてきたカードを目にした途端、男から怯えが消え去った。

 

 これは……何かいいカードを引いたか。

 

「……ひゃはははは! 気味悪いカードばっかりつかうせいで、勝利の女神も愛想をつかしたらしいな! 俺は手札から魔法カード“ミッションコード893”を発動! 一回以上戦闘を行った自分のブラックスーツモンスターをトラッシュに送り、デッキから最上級ブラックスーツモンスターを特殊召喚する!」

 

『相手プレイヤーへの攻撃も戦闘扱いだ。ダブルガン・ブラックスーツはお嬢さんに直接攻撃に成功してるからな、それも二度も!』

 

「そういう事だ、現れろ! “イレイザー・ブラックスーツ”!!」

 

 口上と共に姿を表すのは、スーツの上からでも筋骨隆々とした肉体が透けて見える、一人のスキンヘッドだった。ピカピカに磨き抜かれた頭頂部にはバーコード状の入れ墨が刻まれており、これまでと違ってサングラスをしておらず、白人らしい碧眼が露になっている。

 

 いや、その。

 

 意味合いは多分真面目なんだろうけど、頭のそこに、その向きでバーコードを刻んでいるのどうなの……?

 

 ちょっと微妙な私の感想とは別に、対戦相手は切り札の召喚で随分と盛り上がっている。純粋だなあ……。

 

「へへ、これでお前も終わりだ! イレイザー・ブラックスーツは伝説のヒットマン! 狙った獲物を逃した事はねえ!」

 

『説明してやる。イレイザー・ブラックスーツのステータスは確かに、お嬢ちゃんのモンスターには及ばない。だがこいつは、戦闘で破壊されず、かつ、戦闘した相手を勝敗に関わらず破壊する能力がある! せっかく召喚した切り札のようだが、これでおしまいだ!』

 

「そういう事だ、バトル! イレイザー・ブラックスーツ、そのデカブツを消し去れ!」

 

 太々しくも、ずんずんと歩いて向かってくるスキンヘッド。対戦相手を凝視していたテーラ・ルーも、戦いを挑まれたとあっては無視する訳にはいかない。

 

 不愉快そうに鼻を鳴らし、長い槍を振りかざす。一突きでスキンヘッドを串刺しに……と思いきや、相手は一瞬で跳躍し、突き出された槍の上へと乗っていた。

 

 素早くハンドガンを引き抜き、テーラ・ルーの頭部へと連続射撃。

 

 有角馬の頭部が弾け飛び、黒い粘液が雨のように周囲へと降り注ぐ。ズシン、と巨体が倒れ込み、ドロドロに溶けて消滅する傍ら、すたっと着地したスキンヘッドが肩で見得をきった。

 

「む。テーラ・ルーが……」

 

「ひゃははははは! 残念だなあ、おい! これでバトルは終了……そしてカードを1枚伏せる。特別に教えてやるぜ、今伏せたのはマジックカード“暗殺保険契約書”! 暗殺保険契約書は、場からブラックスーツモンスターがトラッシュに送られた時、それを無効にする! この意味が分かるか、ガキ!?」

 

『つまりは、詰みだよお嬢ちゃん。お嬢ちゃんが何らかの効果でイレイザー・ブラックスーツを除去してもそれは無効にされる。そして、イレイザー・ブラックスーツを戦闘で倒す事はできない!』

 

 何やら、勝ち誇っている対戦相手。審判の解説は、なるほど、確かになかなか厄介な状況といえる。ここを零から打開するとなると、プロでも厳しいかもしれない。

 

 打開する必要が、あるのならば。

 

「私のターン、ドロー」

 

「おいおい、しかとかよ」

 

『いいじゃないか、好きにさせてやれよ、くくく』

 

 カードを一枚引き、しかし、私は目を通さずに手札に加えた。

 

 確認の必要はない。

 

 既に、勝負は決まっているのだから。

 

「私は、トラッシュの“狩りの主 テーラ・ルー”の効果を発動する」

 

「何……?!」

 

「お互いのドローシーン、ソウルシャード・トークンを一つトラッシュする事で、このモンスターを墓地から特殊召喚する事が出来る」

 

 地面に染み出すように黒い粘液があふれ出す。それはやがて形を作り、再び半人半馬の悪魔の姿を取った。

 

 死んだ程度で、この悪魔の執着が消えることはない。

 

「自己再生能力……?!」

 

「そして、テーラ・ルーの能力発動。トラッシュから特殊召喚された時、私の場のソウルシャード・トークンの数だけ相手の手札をランダムに破壊する」

 

『お、おい、ランダムっていったって、確か今の手札……』

 

 そう。

 

 男には今、手札があるが、その中身は分かっている。

 

 捨てる事もなく、使う事もなかった二枚のカード。“堕落の注ぎ手”だ。

 

 テーラ・ルーの槍の穂先が、男の手札にあったままのそれを貫く。途端、カードは哄笑と共に青白く燃え上がり、男の身を焼いた。

 

《クヒヒヒヒ……》

 

「あ、ああ、あああっ!?」

 

 勿論、何の実害もない実体映像だ。だが、熱くなくとも炎に纏わりつかれる事で恐怖を覚えるのは、本能的に抗えない。炎を振り払うように男がスーツを振り乱し、原因のカードを投げ捨てるように放り投げた。捨てられたカードはヒラヒラと宙を漂い、汚水の水たまりにぽちゃりと落ちた。

 

 あらら。

 

『お、落ち着け! ただの映像だ! それに、お前のイレイザー・ブラックスーツは戦闘では絶対に負けない! 最上級モンスターと言えど、これ以上は何も……』

 

「バトル! 相手プレイヤーに、テーラ・ルーでダイレクトアタック!」

 

『何ぃ!?』

 

 たったったっ、と足音も軽く走り出した半人半馬の悪魔。それは立ちふさがるスキンヘッドを、軽く何メートルも飛び越えて通過する。炎を振り払ってようやく人心地ついているマフィアの前に、音もなく巨大な悪魔が着地した。

 

「あ……」

 

「テーラ・ルーは直接攻撃可能なダイレクトアタッカーだ。モンスターの壁は、意味を成さない」

 

 そう。

 

 それこそが狩りの主。

 

 いかなる壁も、妨害も、自らの死すらもその穂先を止める事叶わぬ。

 

 偏執的なまでの執着の権化。これで二度め、その槍が男の心臓をしかと捉える。

 

「ぐああああ!?」

 

「ハートレス・ピアース」

 

 深々と突き刺された槍を、テーラ・ルーは悦びに満ちた笑顔で引き抜いた。相手のライフがゼロとなり、デュエルは決着。半人半馬の悪魔の姿は霞のように消え、後には地面に這いつくばる男だけが残される。

 

『そ、そんな……ライフがゼロ……あの状況から、こっちが負けた……だと!? お、おい、しっかりしろ! 痛みは無いだろ?!』

 

「うぐぐぐ……」

 

 審判だった男が駆け寄って助け起こす。

 

 まあ、無理もない。

 

 最上級モンスターともなれば、映像の作り込みも威圧感も半端が無い。攻撃されても痛みも何も感じない事に違和感を覚えるほどだ。散々『悦楽』デッキのトリッキーな動きに翻弄されてのめり込んでいた事で、幻覚の筈の刺突に痛みを覚えるのも不思議ではない。

 

 ……幻覚、だよね?

 

 本当に痛みがあったりしないよな?

 

 私はイマイチ確信が持てず、自分のデッキを見下ろした。

 

「じゃあ。これで、私の勝ち、という事で。おじさん達、どうする? まだやる?」

 

「く、くそ……今回はここまでだ! 覚えていやがれ! 必ず後で後悔させてやる!」

 

「わあ、そんなセリフまじで口にするんだ……」

 

 相手は二人組。まだやるかい? と尋ねるが、相手にそのつもりはなかったようだ。

 

 決まりきった捨て台詞を吐いて逃げ去っていくデュエルマフィア。それをのんびりと見送り、私は地面に落ちたカードに目を向けた。

 

 手札から放り出されたカードは汚水に浸り、油分を含んだそれで真っ黒に汚れてしまっている。くしゃくしゃになったそれを拾い上げるが、乾かしてもプレイには使えそうにない。

 

「あーあ、勿体ない。……あ」

 

 そういえば。

 

 もう一枚、相手の手札に加えたままだった。

 

 見渡すも、地面に落ちている様子はない。あのまま相手に持っていかれてしまったようだ。

 

「これは、失敗」

 

 ロストするのは構わないが、これは単純に損した形だ。今後『悦楽』デッキを使う時は気を付けよう。

 

 せっかく勝ったのに思わぬケチがついてしまった。しょんぼりと肩を落としていると、鼻先に小さな滴が散った。

 

 見上げると、曇り空はその色を濃くしている。わずかに空気に水の香りも漂っていて、これは一雨きそうだ。

 

 私は慌ててその場を駆け出した。

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