ブレイクオーダー   作:昨日刻

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タイトルは 視点の名前、日付時刻、場所 の順番です。


成瀬(なるせ) 桧斗(かいと)/5月15日19時05分 端山(はたやま)ハイツ3-4

 

微睡みから目覚めると、陽の光はそのほとんどが隠れていた。

月明かりと外の蛍光だけが照らす自室は何とも薄暗くて気分が悪い。

 

緩慢な動作で起き上がって、自室の電気を点ける。

温かみもクソもない人工的な眩しさが、夢現(ゆめうつつ)な頭を冷やしてくれた。

寝汗が気持ち悪い。

半ば大袈裟に伸びをすると、やっと世界のピントが合ってきたように感じた。

 

ベッド横のデジタル時計に目をやる。

時刻は19時5分、日付は5月15日の木曜日。

平日に昼寝とは我ながら随分贅沢な身分だが、そこは病人の特権として許して欲しい。

風邪っぽさを感じたのは、昨日の午後からのこと。

解熱剤と咳止めを飲んで少しはマシになったが、今朝はまだ怠さが残っていたので休んで寝ることにしたのだ。

体調は大分回復した。

これならば明日の講義には出られるだろう。

……それが良いのか悪いのかは複雑なところではあるが。

 

ガラステーブルに放ってあった学生証を手に取る。

青蘭(せいらん)学院大学二年生、学籍番号250211、成瀬桧斗(なるせかいと)

口に出せば一息で言いきれてしまうほどの短い文字列が、今の俺を示す全てだった。

 

「めんどくせえなあ……」

 

起き上がったばかりだというのに再びベッドに寝転がる。

そのまま極めて怠惰な仕草でリモコンの電源を押す。

それは、退屈な日常に対する俺なりの抵抗だったのかもしれない。

 

テレビの起動音が走る。

数秒もせず、液晶には非日常が映し出された。

 

『専門家によると、この感染症はBEVである可能性が高く――』

 

「……は?」

 

小綺麗な恰好をした女子アナウンサーが、真剣そのものといった顔で淡々と言葉を紡いでいく。

画面右上の見出しにはただ一言。

 

『未知のウイルス、感染爆発か』

 

何とも不安を煽るタイトルだ。

緩んでいた表情筋が引き締まる。

すぐに、番組表で番組名を確認した。

『イブニングキャスター』……、大手の情報番組だ。

間違ってもバラエティのドッキリなんかじゃない。

 

暴動、感染症、BEV、避難、外出、勧告……。

多くの言葉が脳裏をすり抜けていく。

何というか、大仰な割に具体性に欠けているのだ。

おそらく、報道機関には上から統制がかかっているのだろう。

 

もっとシンプルに現状が知りたい。

そのために必要なものは、現代人なら誰でも持ち合わせているはずだ。

枕元に視線を移す。

スマホは確かこの辺に――……あれ?

 

「何処行った?」

 

デスクの上、テーブルの上、バックの中。

何処を探してもスマホが見当たらない。

……これは、大学に忘れたパターンか。

 

普段ならあり得ない。

だが、昨日の帰りから、体調不良もあって俺はスマホを弄っていなかった。

気付かない理由としては充分だ。

加えて大学とこの自室までの距離は短く、公共交通機関を使っていないため、そこに忘れたというのも考えられない。

おそらく、研究室のロッカーに置いてきてしまったのだろう。

……仕方ない。

スマホは今はいいとして、情報収集はパソコンで行うしかないだろう。

 

三ヶ月分のバイト代で買ったデスクトップを起動する。

すぐにモニターが立ち上がり、俺はブラウザでSNSを開いた。

おすすめトレンドを席巻するのは、物騒なワードばかり。

それらは、テレビとは違ってありのままの鋭利さを保った情報たちだった。

パンデミック、ウイルス、感染……そして、ゾンビ。

震える指で最後のワードを押すと、そこには多くの当惑と心配、そして悲鳴と恐怖があった。

画面をスワイプしていく。

流れていくものの多くは騒動についての文字列だったが、暫くして映像付きのものが目に入った。

 

「……マジかよ」

 

それは、惨劇だった。

都心の駅構内だろうか。

無機質な灰色の空間が、逃げ惑う人々の悲鳴で埋まっている。

 

そして、画面中央。

一瞬何が起こっているのか分からなかった。

それほどに、その光景は現実離れしていた。

 

人が人に噛みついている。

それも、幼児がやる甘噛みなんて比じゃない。

一切の躊躇いなく頸動脈に犬歯が突き立てられていた。

赤が噴き出す。

血潮は噴水となって、タイル張りの足元を派手に濡らしていった。

 

『きゃあああああ!!!』

 

『く……食ってる!?』

 

『ゾ、ゾンビだ。ゾンビだああああ』

 

ゾンビ。

B級ファンタジーな響きだが、俺はそれを荒唐無稽な呼称とは思わなかった。

壊死したように充血した瞳、そこから流れる血涙、病的なまでに青白い肌。

まさしく、といったところか。

 

仮称ゾンビは、力なく崩れ落ちる女性の血肉を喰らっていく。

首の次は腹を、腕を、脚を。

動画の手ブレが酷くなる。

やがて視点は百八十度回転し、撮影者も逃げ出し始めたところで動画は終わった。

 

そっとカーソルを動かして、ブラウザを畳む。

動悸が酷い。

これは現実なのか?

本当はまだ昼寝から醒めていないんじゃないか。

そう思い込もうとしても、非情なまでにテレビのキャスターは同じ内容を語り続けている。

 

「……っ」

 

耐えきれずテレビを消す。

自室から、俺を惑わす全ての音が消えた。

けれど、胸に巣食う不安までは消えちゃくれない。

雑音が消えた世界で、寧ろその不安は増していくようだった。

 

十秒か、一分か、はたまた十分か。

呼吸を整えた俺の目線は、やがて玄関の方へと移る。

――確かめてみるしか、ない。

 

 

コツコツと足音が響く。

歩いているのは俺だけ。

夜が降りたばかりの廊下は、不気味な静けさで満ちていた。

 

現在地は端山(はたやま)ハイツ――俺が一人暮らししているマンションの三階だ。

目的地は、とりあえず近くのコンビニ。

外は危険な可能性が高いが、いつまでも籠っているわけにもいかない。

否、籠りたいのならば猶更今のうちに外出するべきなのだ。

ゾンビ騒ぎだろうなんだろうが、災害時の人間の行動なんて分かり切っている。

資源の買い占めだ。

水、食料、武器、その他生活必需品……などなど。

人一人が生きていくのに必要なものはあまりにも多い。

 

資源というのは有限である。

平時では無限のように思えるそれも、災禍の中ではそうは行かない。

巧遅拙速。

この唐突なゼロサムゲームにおいては、迅速な行動こそが未来を変えると言ってもいい。

これからこの騒動がどうなるかは分からないが、保険というものはかけておくに越したことはない。

 

……それに、だ。

正直な話をすると、まだ期待している自分が居るのだ。

この騒ぎが全部嘘っぱちで、外に出ればただの街並みが広がっていることを。

未知の危険に怯える気持ち。

それ自体が杞憂であって欲しいと願う気持ち。

二つの気持ちで心の中はぐちゃぐちゃだったが、それでも俺の足は進んでいた。

 

「エレベーター……はこわいな」

 

突き当りに差し掛かって、最初の選択が訪れた。

一階へ降りるために、エレベーターを使うか、階段を使うか。

普段なら前者だが、ぶっちゃけ嫌な予感しかしない。

まず、中を見通せない此処のエレベーターは、入る時に既に中に居るゾンビに襲われる可能性がある。

無事に入れたとしても、今度は出る時にも外に居るゾンビに襲われることがあり得る。

特に後者は逃げ場がないことが最悪だ。

とてもじゃないが、使う気にはなれなかった。

 

エレベーターをスルーして、ゆっくりと階段を降りていく。

一往復。

二階の廊下、誰も居ない。

もう一往復。

一階の廊下、誰も居ない。

フロント、誰もいな――。

 

「なっ……!」

 

足が止まる。

同時に息も止まった。

 

何かが、居る。

後ろ姿は完全に人間のもの。

けれどその様子がおかしい。

ふらついていて、荒い息遣いが此処まで聞こえる。

後ろ姿故にその面貌は見えないが、事ここに至っても現実逃避するほど俺は馬鹿じゃなかった。

 

「あ゛ぁあ……」

 

意味を成さない嗄れた声が響く。

それ(・・)は、思わず俺が出した声に反応したのか、ゆっくりと振り返った。

 

赤い涙がぼたりと垂れる。

事切れたその身を(いた)むように頬を流れたそれは、間違いなく怪物の証である。

そして、一歩、また一歩。

救いを求めるかの如く、両手を伸ばしながらゾンビは俺に迫ってくる。

 

視界が狭くなる。

ガチガチ、と震える歯がうるさくてたまらない。

確かなはずの足場すら覚束ない。

ゾンビの動きは極めて遅い。

だというのに、この両足は全く動かない。

 

やがて彼我の距離は目と鼻の先。

絶望に視界が染まる。

 

このまま、俺は死ぬのか――?

 

「――嫌だ」

 

思考が冷えていく。

最初に動いたのは腕だった。

手に持った手製の槍を振るって、ゾンビの上半身を(したた)かに打ちつける。

横たわったそいつはダメージなど一切感じさせない素振りで俺の方へ向き直るが、やはりその動きは緩慢そのものだ。

悠長に開いた大口へ、槍を思い切り突き刺す。

すぐさまそれを抜いて、今度は赤の瞳を突き抉った。

 

「あぁあ……」

 

ゾンビから、完全に力が抜ける。

眼窩(がんか)から頭蓋を貫通したその一撃は、死者をもう一度黙らせるのには充分な威力だったらしい。

 

嘆息一つ、槍を抜く。

微妙に穂先がぐらぐらしているのは、気のせいではないだろう。

 

「やっぱ、これじゃ厳しいか」

 

手製の槍、とはよく言ったものだ。

穂先はサバイバルナイフ、柄はゲーミングデスクから取った支柱、それらを雑にガムテープで付けただけ。

自室でさっき作ったこれは頼りないことこの上ないが、リーチを確保出来る以上は幾分かの役に立つだろう。

 

――それにしても。

俺という人間は、思ったより普通じゃないらしい。

人の形をしたものを、こうも簡単に殺せるとは。

 

……まあ、普通じゃないと言っても、狂ってるだとか強いだとかそういう方向性じゃないが。

言葉にするなら、そう。

特別生き汚いのだ、俺は。

これまでの二十年間で守ってきた倫理も、未知の怪物に襲われる恐怖も。

それら全てを踏み倒せるほどに、自己愛が強かっただけ。

 

「……死んでたまるか」

 

言葉と共に意気を吐く。

静かな決心は、夜の闇に溶けていった。

 

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