ブランドやSNSなどの固有名詞は適当なものに挿げ替えています。
通話の際、通話先の人物の台詞を『』で表示しています。
ギラギラと日差しが照り付ける。
まだ初夏だというのに太陽は容赦なくて、じわじわと汗が額に滲んできた。
ありがちな表現だけど、溶けてしまいそうだ。
現在時刻は13時9分。
待ち合わせ時間からもうすぐ十分が経とうとしていた。
「……あっづ~」
思わず汚い声が漏れる。
もうそろそろ女子としての体裁を保てなくなってくるという頃合いで、やっと待ち人の姿が見えた。
「
手を振って呼びかける。
すぐに気づいたのか、茜ちゃんが息を切らしながらこっちに走ってくる。
揺れる黒髪が眩しい。
ハイネックにロングスカートを合わせたスタイルが、何だかいつもより大人っぽく見えた。
「お待たせ
「ううん、気にしないで。それより緊急停止って大丈夫だったの?」
「踏切りで何かあったみたい。怪我とかはないから安心して」
「そっか、それなら良かった。……よし、それじゃあしゅっぱーつ!」
茜ちゃんの手を引いて歩き出す。
我ながら現金なもので、さっきまでの
「元気だね」
「そりゃあ元気にもなるよ。今日すっごく楽しみにしてたんだから」
「ふふ……日比埜ちゃん、甘いもの好きだもんね」
「そのとおりでございます」
待ち合わせていた
暫く歩くと、食欲をそそる甘い匂いが漂ってくる。
『新宮パルフェ』。
可愛らしいフォントで彩られたそのお店の前は、既に多くの客でごった返していた。
「……でも、楽しみにしてたのは甘いものだけじゃないよ」
「え?」
「茜ちゃんと遊びに行けることを楽しみにしてたの」
「……そんなこと言っても何も出ないよ?」
「えー、けち~」
こういうの、
心地いいじゃれ合いをしつつ中へ入っていく。
店内も店内で凄い人だ。
おおよそ満席に見えるが、テラスから遠い二人掛けのテーブル席は一つだけ空いていた。
「すいません、1時半から予約してた
「七種様ですね。お席の方へ案内させて頂きます」
執事風に黒服を着こなした店員さんが私たちを先導する。
果たして着いたのは、さっき視界に入った空席だった。
「予約しといて良かったあ」
「ほんとだね。というか、涼しい……」
「うん~、もうここから出たくないかも」
「あはは、お待たせしてごめんね」
「だいじょーぶ。さ、注文しよ!」
赤い装丁のメニューを開くと、見開き一杯にパフェの画像が飛び込んできた。
紅白に彩られたアイスクリーム、突き刺さる棒状のストロベリーチョコレート、そして中央に
そのあまりにも暴力的に美味しそうな絵面に、私の視線は釘付けになった。
「私これにしーようっと」
「新宮パルフェ……お店の名前と同じなんだね」
「まさに看板商品ってことなんじゃない?絶対美味しいよこれ」
「確かに美味しそう。私も同じのにしようかな」
「おっけー。あ、すいませーん」
通りがかった店員さんに注文を伝える。
受付の人とは違って女の人だったけど、クラシックなメイド服に身を包んだその姿はハイカラな此処の雰囲気に合っていた。
少しのやり取りの後、女性が席を離れていく。
その後ろ姿から目線を戻すと、茜ちゃんがきょろきょろしていることに気付いた。
「どうしたの?茜ちゃん」
「……本当にカップルの人多いんだなって」
「ああ~」
茜ちゃんの視線を追うようにさりげなく周りを見渡す。
彼女の言葉通り、二人掛けの席のほとんどは仲睦まじい恋人同士で埋まっていた。
まあ、ここ『新宮パルフェ』は新宮随一のデートスポットだし、それ自体は別に不思議なことじゃないんだけど――。
「――確かに、聞いてた以上かも。何か胸焼けしちゃいそう」
「うん……日比埜ちゃんは男の子じゃなくて私とで良かったの?」
「うーん、そういう相手は居ないからなぁ」
「モテそうなのに」
「買い被り過ぎだよ。それに、彼氏が居なくても私には親友が居ますので」
「……ずるいなあ、もう」
私が冗談めかして言うと、茜ちゃんは
さっきは流されてしまったけど、今回のは効いたらしい。
……なんて、ちょっと馬鹿みたいな達成感に浸っていると、横合いから待ちに待った声が届いた。
「お待たせしました。新宮パルフェでございます」
「おお~!」
「おお……」
感嘆の声がハモる。
これが、新宮パルフェ。
写真ですらたまらなく美味しそうだったが、生で見るそれはまるで宝石のようだった。
特に、紅白の山の頂点を飾る苺がすごい。
ここまで大ぶりなものは私の実家でも扱ったことがない。
「っ……いただきま~す!」
感動に任せるまま、私は大きく口を開いた。
◇
「は~、美味しかったねえ」
「うん、とっても」
まだ微かに口の中に残る甘さを撫でながら、駅中のモールを二人で歩く。
コスメ屋さん、雑貨屋さん、カレー屋さん、ドラッグストア……。
居を構える様々なお店を通り過ぎていくその途中、本屋さんへ差し掛かった辺りで茜ちゃんの足が止まった。
「お、気になるの?」
「うん。……ああでも、また今度でいいかな」
「もしかして遠慮してる?私だって本の一つや二つは読めるから大丈夫だよ」
「そう?それなら、お言葉に甘えて」
淡く微笑んだ彼女が本屋さんへ入っていく。
ゆったりと歩いていくその後ろ姿は、何処か嬉しそうだ。
まあ、茜ちゃんは休み時間よく本を読んでるし、本当に読書が好きなんだろう。
……さて、私の方はと言うと。
丁度通りがかった純文学コーナーの一冊を手に取ってみる。
試しに開いてみると、そこには無数の文字の羅列。
ふむふむ、これは――。
「――ぜ、全然わからない」
ごめんなさい。
ほんとは活字が大の苦手で、趣味で読むなら漫画レベルが限界なんです。
それでも十数分ほど格闘してみたけど、案の定頭が限界を迎えてしまった。
開いていた本をそっと元の場所に置いて、茜ちゃんの姿を探す。
やや手狭な本屋の棚の隙間を潜り抜け、奥へ奥へと進んでみる。
雑誌、漫画、参考書、絵本……。
幾つかの区画で後ろ髪を引かれる思いをしながらも、進んだ先でようやく彼女の姿が見えた。
本棚上部の見出しに書かれているのは、洋書の一文字。
私は母国語ですらひいひい言ってるのに、マジですか……。
「茜ちゃん、良いの見つかった?」
「あ、日比埜ちゃん……うん、見つかったよ。待たせちゃってごめんね」
「いやあそんなことは……あはは」
どうにも見透かされている気がして、乾いた笑いが出る。
もう少し私に学があったら、茜ちゃんに気を遣わせることもなかったものを。
複雑な気持ちを誤魔化すように、私は彼女が持つ本のタイトルを読み上げてみた。
「……きゃっちゃーいんざりえ?」
「ライ、だね」
「う……恥ずかしいところをお見せしました」
「……なんかごめん」
「謝らないで!?逆に傷ついちゃうから!」
恥ずかしさで顔が熱くなる。
鏡はないけど、多分今の自分の顔が真っ赤になっているだろうことは想像に易い。
ぱたぱた、と顔を扇いでから、私は咳払いして話を切り替えた。
「茜ちゃん、英語の本も読めるんだね」
「自力で全部読めるわけじゃないよ。……ただ、この本は和訳版も持ってるから、挑戦してみようかなって」
「いや、充分すごいよ~。私なんて日本語の本だってあんまり読めないのに……あっ」
「……やっぱり、合わせてくれてたんだね」
「あーうーん……そういうわけじゃないんだけど、いつもは逆に付き合わせちゃってるし……」
そういうわけじゃないなら、どういうわけなんだ。
思わず心の中で自分自身に突っ込むほど、私の言葉はしどろもどろだ。
とんでもない勢いで墓穴に落ちていく私をよそに、茜ちゃんはいつもの調子で言った。
「いつもありがとう」
「え、何が?」
「……ううん、何でも」
その声色は不思議に聞こえた。
何だか遠くて。
何処かに行ってしまいそうな。
それが嫌で、私は
「っそうだ、その本のタイトル、日本語だと何て言うの?」
「ああ、それは――」
カウンターの方へ歩いていた茜ちゃんが振り返る。
澄んだ瞳にいつも通りの知性を
「――ライ麦畑でつかまえて」
寂しそうに呟いたその言葉を、質問の答えだと認識するのには少し時間がかかった。
◇
ぶつ切りみたいに、景色が飛んでいく。
気付けば私と茜ちゃんは、モールの外の服屋さんへ来ていた。
……何だろう、この感覚は。
このままじゃいけないような気がするし、それと同じくらいこのままで良いような気もする。
まるでジェットコースターの上り坂に居るような、取り返しのつかない予感が私の中にあった。
それでもこの時間はどうしようもないほど楽しくて、私の体と口は勝手に動いていく。
「ね、こっちはどう?」
「わ……すっごく似合ってる」
「ほんとー?」
彼女らしい飾らない褒め言葉が嬉しくて、姿見の前でくるくる回ってみる。
空色のスカートが翻る。
上下を無地で揃えたコーデは、茜ちゃんのチョイスなだけあってとても大人っぽかった。
まあ、普段の私の恰好がガーリーなものだから、余計にそう見えるのもあるのかもしれないけど。
「えへ、これで少しは大人っぽくなれたかな」
「大人っぽくなりたいの?」
「そりゃもう。もう二十歳なのに、未だにお父さんに留守番心配されるんだから」
「あはは……特別大切にされてるってだけじゃない?」
「いーや、あれは絶対私のことをまだがきんちょだと思ってるよ」
やっぱりこの童顔のせいだろうな、と思う。
背丈は普通なのに、いつまで経っても両親からの子ども扱いは変わらない。
この間なんて、誕生日にお酒を買おうとしたら、オレンジジュースにしときなさい、とか言われたのだ。
全く、失礼にもほどがある。
とまあ、そんな風に口をとんがらせる私とは裏腹に、茜ちゃんの視線はやけに生暖かいものだった。
「私は羨ましいけどなあ。ほら、逆に私だと可愛い系は似合わないし……」
「うーん、そうかなあ?茜ちゃんがこういうの着てるとこ見てみたいけど」
「ええっ……いやその、これはちょっと可愛すぎない?」
私が手に取ったシフォンのワンピースを見て、茜ちゃんが目を白黒とさせる。
何を言っているのやら。
可愛いからいいんじゃないか。
「……私、茜ちゃんの可愛いとこ見てみたいなあ」
「うっ……」
「見せてくれないかなあ」
ちらちら、と。
わざとらしく何度も視線を向ける度に、茜ちゃんの顔色は弱ったように柔く崩れていく。
やがてすっかり困り顔になった彼女は、渋々といった風に口を開いた。
「仕方ないな……似合わなくても笑わないでね?」
「笑わないよ。それに、絶対似合うと思うから」
「うう……ほんとにずるい」
可愛らしい恨み言を言いながら、茜ちゃんが試着室に入っていく。
何だか気持ちがふわふわする。
楽しみにしていたからか、それとも別の理由か。
着替えを待つ時間は一瞬で過ぎていった。
「……どうかな?」
カーテンが開く。
最初に届いたのは、生臭い鉄の匂いだった。
ふらふらと、持ち主に従うようにワンピースが揺れる。
白い頬を赤い雫が伝う。
その眼差しはゾッとするほど虚ろで、閉じ込めていた私の記憶を全てぶちまけた。
◇
「いやああぁぁあっ!!」
同時に出した悲鳴が、
ああ、自分はこんなにも大きな声を出せたのか。
そんな現実逃避みたいな感動をしてしまうほどに、受け入れられない状況が私の前に横たわっていた。
身体が痛い。
この固い床で、果たして何時間寝ていたんだろう。
覚束ない意識のまま手元にあったスマートフォンを起動すると、そこに表示されたのは5月16日11時27分という日時。
――あれから一日も寝ていたのか、私は。
「う……茜ちゃん……」
茜ちゃん。
その言葉を口にした途端、昨日の全ての出来事が脳みそを駆け巡った。
いつもの日常。
突然のゾンビ騒ぎ。
そして、親友の変わり果てた姿。
振り返ってみても、どうしてこうなったのかなんて分からない。
ただ悲しくて、やるせなくて、涙が溢れて止まらなかった。
「うっ……うう……っ」
これからどうすればいいのか。
咄嗟に逃げ込んだ此処は安全なのか。
私もああなってしまうのか。
不安は挙げだしたらきりがない。
その全てに耳を塞いで、目を閉じて。
年端も行かない子どものように、私は
「……っ……あ」
それから暫くして、抱えていたスマートフォンが震え出す。
ぐちゃぐちゃになった視界が捉えたのは、友人からの着信を告げる通知画面。
そっと目元を拭う。
拙い深呼吸で
「もしもし、
『っ日比埜、無事か!?』
「う、うん……」
『そうか……全然繋がらないから心配したよ』
電話越しに聞こえる声は、いつも聞き慣れている声そのもので。
冷たい非日常に迷い込んだ私を連れ戻してくれるような気がした。
『今は何処に居るんだい?』
「今は……北棟の四階に」
『四階か……。茜もそっちに居るのか?』
「――」
『……日比埜?』
「茜ちゃんは……っ」
その先の言葉は出てこなかった。
喉に鈍い棘がつっかえたように、私の口からは空気だけが吐き出される。
……そして、察しの良い彼にとっては、それだけで充分だったらしい。
『――そうか』
「……うん」
『残念だ……だけど、せめて日比埜が無事で良かったよ』
いつも通りの優しい言葉。
そのはずなのに、何処かそれが空っぽに聞こえた。
良かった……良かった、か。
大翔くんに悪気がないのは分かってる。
彼は私の無事を喜んでくれているんだ。
それでも、この状況が良いものだとは到底思えなくて、私の胸はじくじくと痛んだ。
「……大翔くんは今何処に居るの?」
痛みを誤魔化すように、私の口が勝手に動く。
果たして響いたのは、自分が思ったより数段強張った声だった。
『僕は皆と一緒に南棟に居るよ』
「南棟?外じゃなくて?」
『ああ、それなんだけどね――』
そこから彼が語ったのは、私の知らない昨日の騒ぎの顛末だ。
三階で私と別れた後、大翔くんたちは他の大勢の人たちと一緒に北棟から脱出したらしい。
けれど、そこから大学の敷地外へ向かう彼らを待ち受けていたのは、ゾンビの群れだった。
構内へ雪崩れ込むそれに追われて、彼らは近くにある南棟に逃げ込んだ。
その途中での犠牲は多く、最終的には三十人ほどしか避難出来なかったけれど、幸いその中には
今は南棟の食堂にある食料を分け合って食事をしつつ、これからどうするかの話し合いをしているところだとか。
『……そういうわけだから、日比埜にもこっちに合流して欲しいんだ』
「合流?」
『ああ。難しそうならこっちから迎えに行くけど』
「でも、外はゾンビが居るんじゃ」
『そうだな。確かに危険はあるけど、友達のことを見捨てられないよ』
「そっか……」
この異常な状況下でも、大翔くんはいつもと変わらない。
それは優しさだけじゃなく、昨日の今日でもう今後のことを見据えられる冷静さもだ。
……とてもじゃないけど真似出来ないな、と思った。
私は明日どころか今すら覚束ないっていうのに。
「ありがとう。私の方からもそっちに行けないか試してみるね」
『ああ、でも無理はしないように。危なくなったらすぐ逃げるんだぞ』
「……うん」
そこから一言二言交わして、通話は切れた。
重い息が漏れる。
さっきまで折れていた私の心に、挫けることは許さないとばかりに現実がのしかかっていた。
「動かないと……」
そう。
いい加減動かないといけない。
大翔くんたちはもう既に、この状況を打破しようと動いている。
そんな中で、私だけいつまでも寝ている場合じゃない。
そんなことは分かっている。
……分かっているけれど。
「っ……!」
抑えていたものが零れそうになるのを無視して、私は勢い良く立ち上がった。
そのまま両手で頬を叩き、虚ろだった視界のピントを合わせる。
「よし……っと、そういえば――」
一日起動してなかったRINEを開く。
通知は数件。
その中には私の家族のものは含まれていなかった。
……おかしい。
私が言うのもあれだけど、私の両親は親馬鹿だ。
娘が帰ってこないで、連絡の一つも寄越さないとなれば、必ず心配の連絡が来るはず。
こんな状況ならそれは猶更だ。
それでも何もないということは、それはつまり何かがあったということになる。
「――ふう」
嫌な考えが頭を過ぎる。
それでも、今度は膝を折らなかった。
止まってはいけないと思ったのだ。
もしまた止まれば、もう立ち上がれなくなるかもしれないから。
講義室の内鍵に手をかける。
それと同時に、ふと遠くから雀の鳴き声が聞こえた。
可愛らしいその声を聞いて、私は昨日の予感が間違っていたことを確信した。