ユリスを見送った後、校門前には一瞬の静寂が漂った。
「では、お二人とも、転入手続きの続きを済ませていただきますので、生徒会室までご案内いたします」
クローディアの柔らかな声が静寂を破る。まるで空気を切り裂く音のように、綾斗と雄の意識を現実へと引き戻した。
「よろしくお願いします」
綾斗が穏やかに頷く。その顔にはまだ少しの緊張が残っているが、瞳には確かな好奇心が宿っていた。
一方、雄はわずかに目を細めながら言った。
「俺はもう教室に戻っていいと思ってたんだけど……」
「いえ、雄。あなたもまだ一部手続きが残っております。特に、あなたの場合は――重要な内容もございますので、ご一緒いただけますか?」
その笑顔に偽りは感じられない。だがその言葉には、どこか含みのある響きがあった。
雄は肩をすくめてため息をついた。
「……了解。わかったよ」
一同は校舎へと歩き出す。季節は春、廊下の窓から吹き込む風が制服の裾を揺らした。
途中、いくつかの教室では授業が行われていた。教師の声と、ノートを取るペンの音が静かに響く。
「こんな朝早くから授業をしてるんですか?」
綾斗が不思議そうに尋ねた。
「いえ、補習授業です。星導館学園は文武両道を掲げておりますので、学力の維持・向上も欠かせません」
クローディアがさらりと答える。
「へえ、厳しいんだな」
雄はぼそりと呟き、周囲を見回す。
そんな中、クローディアが綾斗の方へ顔を向ける。
「ところで、綾斗。同じ一年生なのですから、敬語は不要ですよ」
「え……同じ一年?」
綾斗が驚いたように目を丸くする。
「そうだったのか。てっきり上級生だと思ってた」
雄も苦笑しながら口を挟む。
「あなたは最初から敬語じゃありませんでしたよね。」
手を口元に近づけながから微笑むクローディア。
「え、ちょっと待って。生徒会長って言ってなかったっけ?」
ユリスとの会話を思い出す綾斗。驚きを隠さないでいた。
「中等部から生徒会長を務めておりますので、今年で三期目になります」
「三期目!?」
綾斗と雄が声をそろえて驚く。
クローディアは微笑を深めた。
「はい。ですので、どうぞお気軽に接してくださいね」
「じゃあ、これからは名前で呼ばせてもらうよ」
「うん、俺も。よろしく、クローディア」
「ありがとうございます。ただし、私からの敬語はご容赦ください。これはもう……癖のようなものですので」
「癖?」
綾斗が首をかしげると、クローディアは肩をすくめて小さく笑った。
「ええ。自分で言うのもなんですが、腹黒いところがありまして。せめて言葉遣いだけでも丁寧にしておかないと、印象が悪くなってしまいますから」
「なるほど、確かに黒そうだな」
雄が笑いながら言うと、綾斗もつられて笑った。
そんな軽口を交わしているうちに、一行は生徒会室の前へと到着した。
「こちらが生徒会室です。どうぞ、お入りください」
クローディアが扉を開ける。その奥には、静謐で整然とした空間が広がっていた。普通の学校とは全く違う、大企業の社長室のような雰囲気だった。
三人が中に入ると、クローディアが静かに口を開いた。
「では、あらためまして…ようこそ星導館学園へ。綾斗、雄。歓迎いたします。そしてようこそ、アスタリスクへ」
二人が礼を述べると、クローディアはさらに続けた。
「我が星導館が特待転入生にとしてのあなた方に期待することはただ一つ。勝つことです」
その瞳には、一切の冗談も迷いもなかった。
「ガラードワースに打ち勝ち、アルルカントを下し、界龍を退け、レヴォルフを破り、クインヴェールを倒すこと。すなわち、《星武祭》を制すること。そうすれば我が学園は、あなたの望みをかなえて差し上げましょう。それが現世でかなう望みであれば、どのようなものであれ」
「申し訳ないけど、そういうのあんまり興味ないんだよね」
綾斗はどこか肩の力を抜いたような表情で言う。その態度に、クローディアは動じなかった。
「ええ、あなたがそうしたことにまるで関心がないことはわかっています。特待生としての召集を一度ならず断っていることも」
少し言いづらそうに続ける。
「ですが、最近の星武祭の成績が芳しくないのです。前のシーズンは総合5位。6位のクインヴェールは戦略上総合順位を度外視していますから、実質的に我が校が最下位と同じ状況です」
その言葉には明確な危機感があった。
《星武祭》――それはこの世界で最も華やかで、最も熾烈な学生同士の競技会だ。
その総称のもとには、三種の形式が存在する。
タッグ戦の《鳳凰星武祭》。
チーム戦の《獅鷹星武祭》。
そして、個人戦の《王竜星武祭》。
学生は十三歳から二十二歳までの十年間、いずれかの《星武祭》に出場することができる。参加回数の上限は三回。
つまり、どれだけ優秀な学生であっても、三度しかその舞台には立てない。
中には全ての種目に参加し、三年で卒業する者もいれば、九年かけて《王竜星武祭》のみを目指す者もいる。
そのため、各学園は優秀な生徒を確保すべく、世界中から人材をスカウトしている。
スカウトの中でも特に期待された者は、“特待生”として迎えられるのだ。
「なぜ俺を特待生に? 自分で言うのもなんだけど、大して強くもないし、そんな扱いを受けるようなものじゃないよ?」
綾斗の率直な疑問に、クローディアは穏やかに微笑みを浮かべたまま頷く。
「正直を申し上げれば、綾斗をスカウトすることには猛反対の声が上がりました。あなたは、ぶっちゃけ、無名でしたから」
「君が推薦したの?」
「ええ。私は……無理やり、強引に押し通しました。あの日ほど、生徒会長をやっていてよかったと思った日はありません」
「強引だなぁ」
綾斗が苦笑する。クローディアは静かに微笑みながら、椅子の背に背を預けて言った。
「ここまでして断られていたら、面目丸潰れでしたから。心変わりしてくれて助かりました」
綾斗は肩をすくめて、小さくため息をついた。
「別に心変わりしたつもりはないんだけどね」
「では、どうしてこの学園に?」
その問いに、綾斗の顔から一瞬、表情が消える。そして、静かに口を開いた。
「姉さんが、天霧遥がここにいたってのは本当なのかな?」
クローディアの目が一瞬だけ細められる。
「さて、どうでしょう」
曖昧な返答だったが、すぐに彼女は端末を手に取り、画面をいくつか操作する。
「その件について、私が知っていることは一つだけです。かつてこの学園に在籍していたとある女生徒のデータが、何者かによって抹消されていたという事実のみ」
「そんなこと、可能なのかい?」
綾斗の声に、クローディアは静かに首を振る。
「普通はできません」
「生徒会長でも?」
「生徒会長はそこまで万能じゃありません」
綾斗は眉をひそめた。
「なら、姉さんと関係あるかどうかも、わからないってことか」
その時、クローディアが再び端末を操作し、部屋の中央に空間ウィンドウが展開された。そこに浮かび上がったのは、制服姿の一人の少女の写真だった。
綾斗の瞳が大きく見開かれる。
「復旧できたのはこの画像のみ。入学は五年前。半年後に、本人による退学。名前も、生年月日も、その他個人情報は何一つ残っていません」
だが、綾斗にはそれで十分だった。
その写真に写る少女──彼の姉、天霧遥の顔を、見間違えるはずもなかった。
クローディアは手元の端末をそっと閉じると、やや真剣な表情で綾斗を見つめた。
「これはあくまで私見ですが……この女生徒は、現在この学園にはいないと思われます。もしあなたの目的が彼女にあるのだとしたら……」
そこまで言いかけて、クローディアは静かに口を閉ざした。
綾斗はほんの一瞬だけ瞳を揺らし、そして小さく微笑んだ。
「ありがとう、でも……いいんだ。別に姉さんを探しに来たわけじゃないから」
「それでは、どうしてこの学園に?」
クローディアの問いに、綾斗は少し目を伏せたまま答えた。
「強いていえば、自分の成すべきことを探すため……かな」
それを聞いたクローディアは目を細めて微笑んだ。
「それはまた、素晴らしい模範解答ですね」
「そうかな? 学生らしい、いい答えだと思ったんだけど」
「なかなか、あなたも食えませんね」
クローディアが肩をすくめるように言う。
──綾斗自身、正直に答えたつもりだった。
ここでなら、本当に見つけられるかもしれない。自分の成すべきことを。姉がこの学園にいたというなら、なおのこと──。