咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第3章 第3話:友達

 静かに流れる風が、畳の縁をかすかに鳴らす。会話が一段落したところで、椎名菜塚は、ふとやわらかな声で口を開いた。

 

 「…ところで」

 

 「今日は……夜見さんは一緒じゃないのですか?」

 

 その名前が出た瞬間、笹木咲の顔がぴくりと引きつった。

 

 「……あ?」

 

 警戒心むき出しの声で、苦虫を噛んだような表情を浮かべる。肩が微かに跳ね、唯華までが横目で咲の顔をちらりと覗く。

 

 菜塚はあくまで穏やかに、小さく手を重ねて微笑んだ。

 

 「いえ……ただ、あの日の雨の夜、唯華を迎えに来ていただいて……着替えまで買っていただいて…何とお礼を言ったら良いか…」

 

 「……訳わからん」

 

 笹木は食い気味に被せた。何があったかは知らないが、

 

 《おつかれさまです、先輩♪》

 

 あの、

 

 《アイスコーヒーが、出した直後にはもう煮立ってた》

 

 自分が世界の中心にいるような、

 

 《今から、“この扉を閉めると、笹木先輩がどこかにワープする”っていうマジックをやりま~す♪》

 

 人を変な方向に引っ掻き回すような、

 

 《人間が壊れる瞬間を見るのは、すっごく面白い》

 

 よくわからないような、

 

 あの女が、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 椎名の恩人?

 

 は?

 

 ウソやろ?

 

 なんかの間違いやろ?

 

 混乱し、ヤキモキし、やがて頭がショートしてくる。

 

 そこから先は何も覚えていない。ただ一つ咲が解ったのは、わけのわからないことはまだまだたくさんあるということだけだった。

 

 気づけば話が終わり、唯華は寝落ちし、すでに何も聞けない体になっていた。

 

 「お前が寝んなや」

 

 脇をつつき、

 

 頭を揺らし、

 

 おさらばしいな。

 

 「すいやせん!すいやせん!!」

 

 他人事のように寝ぼける相方を叩き起こし、その場を離れようとする。

 

 当の母親はというと、いつものことのように笑っており、本当にこの家で彼女がどのような立場でいるかを思い知らされるような雰囲気であった。

 

 ざっけんな。甘やかすなや。

 

 そう思い、呆れたようにその部屋に

 

 背を向けようとすると―――

 

 「――“ましろ”と言います。」

 

 襖の前で菜塚は真剣な顔で振り返り、咲にだけそっと言葉を投げかけた。

 

 咲が言葉を返す間もなく、菜塚はそのまま話を続ける。

 

 「アルカナの“笹木咲”さんは……手練れの除霊師さんと、巷では有名だそうなので」

 

 その声は冗談とも、本気ともつかぬ軽やかさを持っていたが、目だけは真っすぐに、咲を見据えていた。

 

 返答できず、立ち尽くす。

 

 唯華はというと、特にそのやり取りに触れることもなく、横をすり抜けるように歩き出した。

 

 「ほら、行くで。外のほうが涼しいし」

 

 屋敷の縁側を渡って、ふたりは本殿を抜け、隣接する和風モダンの邸宅へと向かう。

 

 格子戸をすり抜けて、白木の廊下を歩きながら、唯華は長い伸びをひとつ。

 

 「ふあぁ……やっと終わったぁ……ほんま、ああいう話、だるいわ」

 

 そして、自分の部屋の前で扉を開けると、咲を手招きする。

 

 「ほれ、早く入りや。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……マジかよ……」

 

 唯華の自室に足を踏み入れた瞬間、咲は思わず口を開けた。

 

 畳の敷かれた床に、低い座卓と座布団、壁際には掛け軸と間接照明の淡い光。そして、部屋の奥には障子の向こうに縁側と庭があり、まるで高級旅館の一室を思わせる空間が広がっている。

 

 それだけではない。障子を開ければ、季節の花が咲く庭園が奥まで広がり、さらに廊下はスーッと先まで続き、どこかの部屋へと繋がっている。

 

 「……なんなんこの部屋、スイートルームか」

 

 目を丸くしながらつぶやく咲。

 

 だが、その感動も長くは続かなかった。

 

 座卓の上にはゲーム機のコントローラーが無造作に転がっており、その横には開けかけのポテチの袋。クッションは無秩序に積まれ、座布団の一枚には唯華のジャージが放り出されている。

 

 「……いや、散らかっとるやないか」

 

 「ええやん、落ち着くし」

 

 唯華はすでに座卓の前に座り、コントローラーを手に取りながらだらりと座っていた。まったく緊張感はなく、慣れきった動作で電源を入れる。

 

 「ほら、早よ座って。ゲームやろ。うちのほうがレベル上やからな~」

 

 「ちょ、待ち。ちょっとだけ……見さしてや」

 

 咲はそう言いながら、ふらりと窓のほうへと歩いた。

 

 障子を開けて外を見ると、静かな庭が広がり、石畳の小道が池のほうまで伸びている。朝の光が差し込む庭の木々は瑞々しく、遠くで鳥のさえずりが聞こえた。

 

 「……やっぱ、すごいなここ」

 

 それから廊下に続く襖をそっと開けて、広く伸びた廊下を眺める。

 

 「このまま歩いたら、もう一個くらい世界変わりそうやな……」

 

 呟いて笑いながら、ようやく唯華の元に戻り、彼女の隣に座る。

 

 「なあ、ちょっとだけ聞いてええ?」

 

 「んー?」

 

 ゲームのスタート画面をぼんやり見ながら、唯華が返事をする。

 

 「椎名って、親戚の人とかに会ったことあるん?」

 

 その問いに、唯華はしばらく黙っていたが、やがて気だるげな声でぽつりと答えた。

 

 「……西洋のやつは面倒くさいで。あの饅頭」

 

 「饅頭?」

 

 「うん。白髪で、フード被ってて、色白くて……なんかずっとポヨポヨしてる。見た目はちっこいし、おとなしそうに見えるけど……中身がめっちゃ理屈っぽくてさ……一緒におると、脳みそが溶ける感じする」

 

 唯華はそう言いながら、目も合わせずコントローラーを操作し始めた。

 

 「……でも、うちはあいつ、ちょっと苦手やねん」

 

 「……苦手って、お前が言うと重みあるな……」

 

 「んー。あいつ、なんか“視てる”んよ。うちと同じで……しかも、たぶん、うちより遠くまで」

 

 唯華の言葉には、ふだんにはない、苦々しさが混ざっていた。咲はそれを感じ取りながらも、何も言わずに隣でコントローラーを持つ。

 

 画面の中ではキャラクターたちが賑やかに動き回っていたが、部屋の空気は、どこか静かだった。

 

 

 

 

-----------------------------------------------

 

ー翌日。

 

放課後の陽が傾き始めた頃、咲は喫茶「アルカナ」の扉を開いた。

 

 カラン、と小さなベルの音が鳴る。

 木製の床を踏みしめると、深煎りの珈琲と、ほんのりと甘い焼き菓子の香りが鼻をくすぐった。

 

 いつものように、カウンターの奥でチャイカが新聞を読みながら珈琲を淹れている――と思いきや、なぜかその視線はやや険しく、店内の一角をじっと見ていた。

 

 笹木がつられて視線を向けると――

 

 「は……?」

 

 思わず声が漏れる。

 

 そこには、普段はめんどくさそうにしている椎名唯華と、神出鬼没な夜見れなが、なぜかふたりでテーブルを囲んでいた。

 

 そして、何より驚きだったのは――

 

 「それ、ドローしてからの……魔法発動で――はい、また手札ゼロ~」

 

 「ちょ、こっち防御札ないんやけど!? え、こっちのターン来てへんのに!? インチキやん!」

 

 「先手後手の差って、人生と一緒なんですよ?」

 

 ふたりは、親しげにカードゲームに興じていた。

 

 夜見は無邪気に笑いながらカードを捌き、唯華は文句を言いながらも楽しそうに手札を眺めている。店内の空気もどこか緩やかで、まるで前からこうだったかのような馴染み方だった。

 

 「……え、仲良いん……?」

 

 混乱気味の咲が呟くと、カウンターの奥からチャイカが溜め息混じりに答えた。

 

 「私もさっき来たらこのザマよ……。いつの間にこんな仲になったんだって、ほんと頭抱えてるとこなのよね……」

 

 チャイカは新聞を丸め、額を押さえていた。

 

 「いや、無理やろこの組み合わせ……火と水やろ……?」

 

 「いや、どっちかっていうと爆弾と火種って感じだけどな」

 

 チャイカの言葉に、咲はさらに頭を抱えた。

 

 そんなふたりの会話をよそに、唯華は勝ち誇ったようにカードをテーブルに叩きつけていた。

 

 「うちの勝ちやな! やっぱ読みが鋭いわ~!」

 

 「えー! じゃあ今度はトリプルデッキでやってみる? 特殊ルール込みで!」

 

 「……あー、それ、笹木が来たら押しつけたろww」

 

 当事者たちは、実にマイペースに盛り上がっていた。

 

 そういえば。

 

 そうだ、知ってる、忘れもしない昨日の出来事。

 

 確かあの時…

 

 《いえ……ただ、あの日の雨の夜、唯華を迎えに来ていただいて……着替えまで買っていただいて…何とお礼を言ったら良いか…》

 

 冗談のように聞こえたセリフ。

 

 今まで忘れていた、爆弾と火種が邂逅していた瞬間の、そんなあり得ない話の数々。

 

 ああ、そうか、あれは本当だったんだ。

 

 そんな思いもよらない告白に脳みそを焼かれた笹木咲は、

 

 目の前の事象にただ嗚咽を漏らし、

 

 「んな……アホな…」

 

 扉の前で唖然と立ち尽くすばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 店内のテーブルでは、唯華と夜見がカードを出したり引っ込めたりしながら、笑ったり不満を言ったりと、どこまでもマイペースに盛り上がっていた。

 

 その様子を一瞥しながら、咲はカウンターの隅でチャイカと向き合っていた。

 

 「で、あの団地の件……新しい情報って?」

 

 問いかける咲に、チャイカはグラスをひと拭きしてから、静かに口を開いた。

 

 「まず霊障の話からだが……前にも話した“落書きまみれの場所”――あれ、どうやら“霊感のある人間”が団地の中の特定の階を行き来したときに起きる現象らしい」

 

 「……やっぱり、普通の人には見えへんのか」

 

 チャイカは小さく頷く。

 

 「通常の階段、廊下、ドア――そういう“構造”を持っているはずの団地の内部なんだが……霊感を持つ者が歩くと、空間そのものが歪むみたいだ」

 

 「歪む?」

 

 「そう。“子供の落書きまみれのどこか”に、たどり着く」

 

 その言葉に、咲の背筋が自然と正された。

 

 チャイカの声は落ち着いているが、言葉の一つひとつが異質な空間を想像させる。

 

 「天井、壁、床――ありとあらゆる面に、クレヨンやマジックの落書きがびっしり。子供の文字や絵で埋め尽くされた空間。見た目は“遊び”に見えるが、気配は完全に異常だ」

 

 咲は一度、唾を飲み込んだ。

 

 「……で、その中でも“ルート”がある。正しい順序で通らないと、先に進めない。“ただの落書き空間”だと思って歩き回ると、同じ場所をぐるぐる回るだけになる」

 

 「……前にウチが入った、あれやな」

 

 咲の脳裏に、あの感覚――行っても行っても抜け出せなかった、不気味な温室の光景がよみがえる。

 

 チャイカは腕を組み、もう一つの話に入った。

 

 「次に、住人の失踪記録の件だが……ちょっとおかしな齟齬が見つかっててな」

 

 咲が眉をひそめる。

 

 「齟齬?」

 

 「そう。“失踪した”とされている人間の記録がいくつかあるんだが……その人たちが“同時期に、同じ部屋に複数存在していた”って記録があるんだよ」

 

 「は? ……二人暮らしとかやなくて?」

 

 「ちがう。まったく別人。住民台帳も公共料金の支払い履歴も、身分証の提出記録も……全部“別々の人間”として成立してる。でも“部屋番号”が同じ」

 

 咲の喉が、ごくりと音を立てた。

 

 「……何人も“同時に”そこにいた……?」

 

 「そう。まるで“存在が重なってた”ような記録の齟齬。それも一度や二度じゃない。バラバラな時期、バラバラな人間、だけど同じ“部屋”にいたという証拠が複数出てきてる」

 

 「……それって……」

 

 「団地の“空間そのもの”が、記憶や時間を食ってる可能性がある。あるいは――」

 

 チャイカは言葉を濁し、視線をカードゲームに夢中な二人へと向けた。

 

 「……まあ、今の段階では“現象”としか言えないな」

 

 「……マジで勘弁してくれって感じやわ……」

 

 咲は思わず頭を抱える。

 

「――それ、社長が頼んでたやつだよ」

 

 ぽつりと、脇から声が割って入った。

 

 笹木とチャイカが話していたカウンター横の空気を、夜見が何気ない様子で揺らした。

 

 振り返ると、彼女はいつの間にか立ち上がっており、指先で自分のグラスをくるくると回していた。視線は虚空を泳いでいるようでいて、会話の内容はきっちり聞いているらしい。

 

 「社長……? 誰の話?」

 

 笹木が眉をひそめると、夜見は「ふふ」と笑う。

 

 「はあ……ほんま謎多いなこの喫茶店……」

 

 咲が頭をかくと、夜見は無邪気に続ける。

 

 「でも最近、全然“フリーの霊能力者”が捕まらないんだって。あの人が探してるのに。……忙しいのかな?」

 

 その言葉に、テーブルに座っていた唯華の指がぴくりと止まった。

 

 コーヒーカップに手を伸ばし、少しだけ躊躇った後、ゆっくりと口元に運ぶ。

 

 そして、ぼそりと吐き出すように言った。

 

 「……ま、そういうやつやからな」

 

 コーヒーを一口、静かに飲む。その横顔は、どこか寂しげだった。

 

 夜見は何も言わなかった。ただその様子を、じっと眺めていた。

 

 沈黙が落ちたあと、唯華が突然明るい声で口を開いた。

 

 「なあ笹木。もし、“あいつ”のこと、気になるなら――行ってみればいいやん」

 

 「“あいつ”……って、ましろのこと?」

 

 「ああ。なんやかんやで気にしてるんやろ?」

 

 唯華はいつものように気怠そうに笑っていたが、その目は真剣だった。

 

 「うちが言ってもしゃーないけど……“フリーさん”も、きっと力貸してくれるで。どっかで見とるやろしな」

 

 その軽口が、逆に現実味を帯びて響いた。

 

 チャイカも黙って頷く。

 

 咲は小さく息を吐きながら、視線を落とす。

 

 団地。落書きの空間。齟齬だらけの失踪記録。

 

 そして――

 

 (……行くしかない、か)

 

 思考は、静かにその一点に収束していた。

 

 「……じゃあ、行ってくるわ。」

 

 立ち上がった咲の声に、唯華は「ふふっ」と小さく笑った。

 

 「気ぃつけや」

 

 「言われんでも」

 

 喫茶「アルカナ」の扉が、カラン、と音を立てて開いた。

 

 夕陽が傾き、団地の影が、じわりと夜を迎える準備を始めていた。

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