咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第4章(本間ひまわり編)
第4章 第1話:地獄


 柔らかな日差しが、頬に触れていた。

 

 咲は制服のまま、学校の裏手、誰もいない芝の斜面に寝転がっていた。

 

 頬を撫でる風はぬるく、遠くで鳥の鳴き声が一度だけ響いたあと、また静けさに包まれる。

 

 木の影が揺れ、校舎の壁が遠く反射している。

 

 「……最高やなぁ……」

 

 口元に浮かんだのは、だらしない笑み。

 

 きっちり三限目をサボり、ここでぬくぬくと陽に当たりながら、ゆっくりとまどろんでいた。

 誰にも邪魔されず、どこにも気を張らなくていい時間。

 

 咲はポケットからスマホを取り出して、ロック画面の時計をちらりと見る。

 

 午後の授業開始まで、まだ時間がある。

 

 「……もうひと眠り、するか……」

 

 そう思いながら、ふと視線を空にやった。

 

 透き通った青が、木の葉の間から覗いていた。

 

 そのまま目を閉じようとして――咲はふと、思い出す。

 

 夜見れなの奇妙な笑顔。

 葉加瀬冬雪の抑えきれない知識欲。

 椎名家の、どこか現実味を失ったような本殿。

 ましろの、あの澄んだような虚ろな瞳。

 

 すべてが、ほんの数か月ほど前の出来事。

 

 「……あれ、ぜんぶ……夢ちゃうよな……?」

 

 咲は、木漏れ日の下で目を細めた。

 

 廃墟の樹海で死にかけたこと。

 超能力者からの置き手紙や、異常とも言える怪しい二人。

 とある団地の隠された闇に手を触れたこと。

 

 「なんか……夢みたいやったな」

 

 思わずこぼれた言葉に、自分で少し笑ってしまった。

 

 まるで異世界みたいな非日常が、ちゃんと自分の記憶として存在している。

 だけど今こうしていると、それすらも幻だったかのように、あまりにも日常が穏やかすぎた。

 

 草の匂い。風の音。

 鳥のさえずり。校舎の裏で誰かがボールを蹴る音。

 

 咲はもう一度、スマホを胸の上に置いて、瞼を閉じた。

 

 「……もうちょいだけ……寝たら、起きよ……」

 

 日差しは変わらず、優しかった。

 

 頬に落ちる日差しが、ほんの少し強くなった気がして、笹木咲はゆっくりと目を開けた。

 

 ぼんやりと視界が青から緑に、そして――その間に、誰かの影が差し込んでいることに気づく。

 

 「……誰?」

 

 目をこすりながら上半身を起こすと、そこには――両手を腰に当て、やや呆れたように仁王立ちしている、隣のクラスの生徒の姿があった。

 

 茶色い髪をふんわりと巻き、大きな瞳がじっと睨むようにこちらを見ている。

 制服のリボンもぴしっと決まっていて、明らかに“サボって日向ぼっこしてた咲”とは対極にある存在だった。

 

 「さっさーきちゃんっ……また授業サボってるの?」

 

 本間ひまわりだった。

 

 「……ひまちゃ……おお、昼?」

 

 咲は寝ぼけた声のままスマホを取り出し、画面の時刻を確認する。もう完全に昼休みに入っている。

 

 「はー……めっちゃ寝たな」

 

 「いやいや、感心してる場合じゃないでしょっ!? またサボってたら、先生に報告するよっ」

 

 腕を組みながら、ひまわりはぷんすか怒ったように言った。

 

 「授業がつまらんのが悪い」

 

 「はぁ!? なにその理屈っ」

 

 「うちは被害者やねん……単調な声と、板書するだけの教科書タイムに……」

 

 「むぅぅ……」

 

 ぷくっと頬を膨らませながら、ひまわりは芝の上にしゃがみ込むように咲の前に座った。

 

 「でもね、笹木ちゃん。もうすぐ文化祭だし、クラスでの話し合いくらいはちゃんと出てほしいな~?」

 

 「……ぶんかさい?」

 

 ぽかん、と咲の口が開いた。

 

 「あれ、聞いてない? B組でもホームルームで言ってたって聞いたよ?再来週のやつ。今週末で企画締切だからって。」

 

 「……マジか……」

 

 咲はうなだれながら額を押さえた。

 

 「また変な出し物やって、休み時間削られて、準備させられて、出し物本番でなんか着させられるイベントやん……」

 

 「言い方ぁっ!」

 

 ひまわりは思わず苦笑して立ち上がり、制服のスカートをパンパンと払った。

 

 「まぁ、咲ちゃんが何に出るかはクラスの話し合い次第だけどさー、せめてちょっとは出席しておかないと、勝手に“看板係”とか決められちゃうよ?」

 

 「看板とかいっちゃんめんどくさいやつやん……」

 

 寝癖を直すように髪をかき上げ、咲は小さく呻いた。

 

 「……はあ、ほんまに学校って、たまに地獄やな」

 

 そんな咲の愚痴を聞き流すように、ひまわりは肩をすくめて微笑んだ。

 

 「でも地獄にも、お菓子とか、楽しいことちょっとはあるかもよ?」

 

 「……うーん、地獄でプリンは嫌やなぁ……」

 

 そんなことを言いながらも、咲はしぶしぶ体を起こし、制服をはたいて立ち上がった。

 

 ひまわりの明るさが、日差しに負けないくらいまぶしくて、ちょっとだけ現実に引き戻される気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼下がりの「アルカナ」は、いつも通りの落ち着いた空気に包まれていた。

 

 ガラス越しに射す日差しが、店内の木のカウンターをゆったりと照らし、奥の席では誰かが文庫本を静かにめくっている。

 

 カウンターの中、花畑チャイカは手元のノートパソコンを開いたまま、コーヒーを啜りながら無精髭を指でなぞっていた。

 

 ぴこん。

 

 控えめな通知音が画面の端で鳴り、チャイカは軽く眉を上げる。

 

 「……お、来たか」

 

 ディスプレイには見慣れた差出人――「社(やしろ)」の名前。

 

 以前、社に調査を依頼した件に関して、数日前にチャイカが送っておいた「報酬の振込確認とその件に関する対応内容について」のメール。その返信だった。

 

 メールを開くと、社らしい簡潔な文面が並んでいた。

 

--------------------------------------------------------

 

 件名:RE:報酬について

 

 内容拝見しました。

 報酬、当初提示の半額で結構です。

 

 その代わり――

 

 うちでバイトしてる子の学校の文化祭に、ちょっとだけ手を貸してやってほしい。

 内容は追って。悪いようにはしない。

 

 以上、よろしく。

 

 社

 

--------------------------------------------------------

 

 チャイカはその文面を見て、小さく鼻を鳴らした。

 

 「……“悪いようにはしない”って書いてる時点で、悪い予感しかしねぇんだけどな」

 

 小さくぼやきながらも、画面を閉じることはせず、マグカップを持ち直して再び座り直す。

 

 どこかで誰かが椅子を引く音がしたが、チャイカは気に留めず、つぶやくように独り言を落とす。

 

 「半額でいいってんなら……ま、手間のうちには入らんか」

 

 文化祭、という言葉が微かに引っかかるものの、それ以上詮索はせず、チャイカはカウンターに肘をつき、窓の外の午後の街並みに視線を送った。

 

 

 

 

 

 

放課後。校門を出て、笹木咲は通学路とは反対の方向――喫茶店『アルカナ』へと足を向けていた。

 

 秋の陽はまだ優しく、頬にあたる風は少し肌寒いが心地よかった。けれど、咲の心はどこか重たかった。足取りこそ軽く見えるが、その奥ではずっと、ある疑念が渦を巻いていた。

 

「……椎名のおかん……なんなんやろ、ほんま……」

 

 独り言のように漏れた声。その瞳は、視界の先ではなく、ずっと脳裏の景色を見ていた。

 

 あの日、椎名家で感じた違和感。菜塚が、まるで唯華を後継者として認めているような振る舞いをしていたこと――丁寧な接遇、前に立たせるような言動。けれど、その一方であの人がぽろりと漏らした、「この子には、絶対に家を継がせるわけにはいかない」という言葉。

 

 ――矛盾してる。

 

 咲は、制服のポケットに手を突っ込みながら、眉をひそめる。

 

 (ほんまは、継がせたいんちゃうか? でも、それ以上に……“迷ってる”ようにも見えたな)

 

 そう思って浮かんだのが、一つ目の説。

 

 唯華に継いでほしいけど、外の世界に触れた唯華を、もうこの家に縛り付けたくない。

 

 「……うちかて、椎名がああやってポケモンの話とかしてるん、見てて嬉しい時あるしな……」

 

 つい、口元が緩む。でもすぐに、違う考えが浮かぶ。

 

 二つ目の説。

 

 唯華に継がせたいんやなくて、継がせるしかないと思ってる。ほかに霊力が強い後継者候補がいないから。

 

 咲は足を止め、電柱の影に寄りかかって空を見上げた。

 

 「……それやったら、あの人……めっちゃ、しんどい決断してるんやな」

 

 椎名菜塚が、当主として、そして母として、どちらの顔でも決めきれずにいる姿が頭に浮かぶ。その揺れは、咲にも伝わっていた。

 

「……ま、あんまり考えすぎても、しゃーないわ」

 

 ぽん、と自分の頬を軽く叩いて、咲は首を振った。

 

 (どうせ答えなんか出ぇへんし、椎名が選ぶことやろ)

 

 そう思って歩き出した、まさにそのとき――

 

 ビリッ、と何かが胸の内側で揺れた。

 

 思いついた、三つ目の説。

 

 ――祈祷を続けることで、唯華の命が危険にさらされてるんやないか?

 

 咲の目が、はっと大きく見開かれた。

 

 喉元に、冷たいものが降りてくるような錯覚。思わず足が止まる。制服の裾を握る手がじわりと汗ばむ。

 

 「……そんな、まさか……」

 

 けれど、思い出す。椎名菜塚が、唯華と向き合ったあの一瞬。あの表情。あれは、当主としての判断じゃなかった――母親の顔だった。

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