アルカナのカウンターには、またもや抹茶の缶と茶道具一式がずらりと並んでいた。
「普通の抹茶も出すなら、ちゃんと“点てられる”ようにしとかなあかんやろ」
咲が気合を入れると、隣でひまわりも「うんうん、せっかくだし、おばあちゃんの家で飲んだあの“ホンモノの抹茶”って感じにしたいよね~!」とノリノリで頷く。
「チャイカ~、どうやって点てるん? うちら、ちゃんとできるかな?」
カウンター越しで問いかけると、チャイカはふっと眉を上げて、背後に親指をくいっと向けた。
「それなら――そこの二人の方が詳しいんじゃないか?」
視線の先には、カウンターのソファに優雅に腰かけていた夜見れなと、ミルクの跡が袖についたまま茶筅をいじっていた椎名唯華。
「……まじで?」
咲が口をぽかんと開けると、椎名はけだるそうに手をひらひらさせながら、
「うち、実家が実家やし。抹茶くらいは、立てられるっちゃ立てられる。……ま、まぁ、“教えるのはちょっとダルい”けど」
「そこをなんとか! 先輩、お願いします!! うち、文化祭で恥かきたないんです!!」
咲がめちゃくちゃ下手に出たところで、椎名がニヤッと笑った。
「しゃーないなぁ、後輩。じゃあ、ちゃんと“先生”って呼びな?」
「絶対呼ばん」
そのやりとりを見ながら、夜見はくすっと笑って、茶筅を手に立ち上がった。
「じゃあ、れなはひまちゃんに教える~。“楽しく、優雅に、そして心静かに”ね♪」
「わぁ~……れなちゃん、なんかこういうの似合いそう!」
そうして、“即席お茶教室”がスタートした。
「笹木、こうやって茶碗を少し斜めに持って~……手首は柔らかく、小刻みに“M”を描くようにシャカシャカっと……」
「“M”……ってか、うわっ!? 泡立たへん! ダマ! これ、ダマや!!」
「力入れすぎやねん、もっと“ふわっ”て。ほら、こうやって……」
椎名が咲の後ろから手を添えようとした瞬間、
「うおっ!? 急に触るなや!! ビビるやろが!!」
「はいはい、びびり霊媒師は黙ってな~」
一方、ひまわりと夜見チームは――
「れなちゃん、これ、どのくらいの湯で練ればいいの? さっきやったやつ、なんか“青のりスープ”みたいになったんだけど……」
「ふふ、それはきっと、“念”が足りなかったんだよ~」
「……ね、念!?」
「そう。“おいしくな~れ”って、お茶の神様に語りかけるの」
「な、なんか……夜見ちゃんに言われると、ほんとに祟られそうな雰囲気あるんだけど……」
数分後。
咲の前には、やや泡立ちが足りない濃い目の抹茶。
ひまわりの前には、見た目はきれいだが、味がやや苦すぎる一杯。
「……むずっ!! なんなんこれ、ただ混ぜるだけやと思ってたのに!」
「うん……甘く見てた……抹茶、すごい……!」
咲とひまわりが同時にうなだれた横で、椎名と夜見はそれぞれ、自分で点てた完璧な抹茶を静かに啜っていた。
「まぁ、練習すればそのうち慣れるやろ。せやから“店番”はうちに任せて、あんたらは“体験ブース”でもやってな?」
「え、逆やろ!? なんで客の前に出てくんねん椎名!?」
「だってあてぃし、プロやし」
「誰が認定したんやその免許!!」
騒がしい抹茶タイムの中、夜見は静かにカップを傾けて、にっこりと笑った。
「……文化祭、楽しみだね~。ふふっ、何が起こるかな……」
文化祭の喧騒が校舎全体を包み込んでいた。
屋台の呼び込み、生徒たちの笑い声、スピーカーから流れるBGM。人波が交差し、空気は甘い菓子と焼きそばの香りに混じっていた。
だが、旧校舎の裏手、木々が影を落とす静かな通路には、そんな賑わいがまるで嘘のように届いていなかった。
その場所に、男が二人――向かい合って立っていた。
一人は、洗練されたスーツに身を包んだ整った顔立ちの青年。
均整の取れた姿勢に、油断のない笑みを浮かべている。
加賀美ハヤト。企業経営者としての顔を持ちつつ、この文化祭には「特別招待枠」として訪れていた。
そして、その対面には。
乱れた銀髪を無造作にかき上げ、制服の着崩し方すら意図的に見える、不遜な笑みの青年。
肌はやや青白く、目は細めに笑っているのに、まるで本気で人を値踏みするような視線。
その空気は、周囲のざわめきをも遮断するほどに異質だった。
「……やれやれ。今日はできれば、あなたのような物騒な人間は見たくなかったんですけどね」
ハヤトは微笑を浮かべたまま、手をポケットに入れて語る。
その声は穏やかだったが、明らかに警戒が滲んでいた。
銀髪の青年は、鼻で笑う。
「そりゃこっちの台詞だっての。“時代遅れの奴隷使い”」
その言葉に、ハヤトは眉ひとつ動かさなかった。ただ、口元の笑みが少しだけ鋭さを増す。
「……なんの冗談か、私にはさっぱり分かりませんが」
「はは、冗談にしといた方が身のためなんじゃね?」
青年はポケットに手を突っ込んだまま、片方の足を壁に預けて軽く揺らす。
その姿勢はどこまでも飄々としていたが、言葉の端々に鋭利な棘を感じさせる。
ハヤトは一歩も動かず、まっすぐに青年の目を見つめていた。
数秒の沈黙の後、どちらからともなく、ふっと視線を逸らす。
「……今日は、祭りですから。せっかくですし、楽しまれてください」
そう言って、ハヤトは背を向ける。
青年も、鼻で笑いながらその場を離れようとした――その背に、ハヤトの声がもう一度投げかけられる。
「……くれぐれも、“血の吸いすぎ”にはお気をつけてくださいね、吸血鬼さん」
その言葉に、銀髪の青年は一瞬立ち止まる。
そして肩越しに振り返り、にやりと笑った。
「ご忠告、どーも」
皮肉たっぷりに吐き捨てると、彼は雑踏へと溶けていった。
文化祭の喧騒が、再びその場の空気を満たし始める。
だが、ハヤトの目には、まだどこか――警戒の色が残っていた。
文化祭中盤、怪談カフェ『結 -ゆい-』の店内は、和風の内装と仄暗い照明が相まって、非日常的な空気に包まれていた。
和紙で作られた提灯が天井から吊るされ、障子風のパーテーションが空間をやわらかく仕切っている。角には黒塗りの仏具風の飾り棚、BGMには微かに風鈴の音。まさに“和の怪談”をテーマにした空間。
大繁盛――とまではいかないが、客は絶えず入っていた。
物珍しさに釣られてやってきた生徒、カップル、先生らしき姿まで。中には本気で怪談を語り合い始めているグループもあり、店内は程よいざわめきに満ちていた。
そんな中、そっと扉が開き、店内の空気が一瞬ひやりと引き締まった。
入ってきたのは、黒を基調にした上品な着物に身を包んだ女性――椎名菜塚。そして、その隣には似たような銀色の髪を後ろで結った、目元の雰囲気がどこか唯華に似た女性――椎名唯奈。
二人は静かに歩を進め、空いていたテーブル席に腰を下ろした。
笹木咲は、接客用のエプロン姿のまま、入店者を確認して――「げっ」と心の中でつぶやいた。
(な、なんで来とるん……!?)
顔には出さず、深呼吸をひとつ。
やがて菜塚が軽く微笑んで口を開いた。
「こんにちは。……この“霊媒カフェ”、なかなか趣がありますね」
「や、やぁ……いらっしゃいませ……ご注文、うかがいます……」
緊張気味にお辞儀をすると、唯奈が柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、私、抹茶ラテを。あと、“呪われし三色団子”って面白そうね。それもひとつ」
「私は、黒糖ジンジャーソーダを。……それと、“百物語最中”というのも、いただけるかしら?」
「は、はいっ……少々お待ちを……!」
咲は軽くお辞儀をして、そそくさとカウンターへ戻っていく。
――数分後、やや不安定な手つきながらも、注文の品をお盆にのせて再び席へ。
「おまたせしました。こちら、“百物語最中”と“呪われし三色団子”……それから、ドリンクふたつになります……」
静かにテーブルに並べていく咲。その手元を、菜塚がじっと見つめていた。
「……咲さん」
「へっ!? ……あ、はい?」
「……あの件、“ましろ”のこと。あなたが居てくれて、本当に助かりました」
その言葉に、咲は一瞬驚いたように目を見開き――すぐに目を逸らし、ため息をついた。
「……あんなので、良かったんかは……ようわからんけどな。どっちかって言うと、勝手に巻き込まれただけやし」
「それでも、“その場に居る”というのは、とても大切なことです」
菜塚の声は、どこまでも静かで、けれど確かな感謝がこもっていた。
咲は気まずそうに鼻をこすり、「ま、どうせまた巻き込まれるんやろなぁ……」とぼやいたが、それ以上何も言わず、静かにお辞儀をして席を離れた。
テーブルの上には、湯気の立つ抹茶ラテと、妙にリアルな色合いの団子、そして“何かありそう”な形の最中。
そのすべてに、店員たちの奮闘と、文化祭という特別な時間が込められていた。
笹木咲は、椎名菜塚と唯奈に飲み物と和菓子を提供したあと、ふうっと息をついて一度カウンターの方へと戻っていた。
それでも落ち着く間もなく、店内のざわめきが耳に届く。
――視線の先、奥の席。
そこには、ついさっきまでいなかったはずの、銀髪の青年が、脚を組んで座っていた。
「……っ!?」
咲は思わず顔をしかめ、無意識に距離を取るように足を止めた。
その青年は、制服の着崩し方からしても明らかに“普通じゃない空気”を漂わせている。
何が怖いって、本人が一番それを楽しんでいるような顔をしていることだった。
青年の目の前には、店員エプロン姿の本間ひまわりが立っていた。
「……またどっかで人に迷惑かけてへんやろなぁ……?」
ひまわりは眉を寄せながら、じっと彼を見つめる。どうやら旧知の仲らしい。
「えぇ~? 心外だなぁ、先輩。別に“先輩の学校”で変なことなんてしてませんよ?」
にやりと笑いながら、さらっと“先輩の学校”という言葉を強調した。
咲はそのやりとりを聞きながら、「何かしそうやなコイツ……」と心の中で確信していた。
「うーん……怪しい。めっちゃ怪しい。君が“してない”って言うときは大体“した直後”だからなぁ~」
「名誉毀損だからな、先輩。あと、職場でもうちょっと後輩に優しくしてくれませんかね?」
「じゃあまず、怪しい行動しないとこから始めよっか?」
やり取りは漫才のように軽妙だったが、どこかピリッとした空気が残るのは、彼の“何を考えているのか読めない笑み”のせいであった。