焼きそばを食べ終えた笹木咲は、紙皿と割り箸をまとめてゴミ箱に放り込むと、ふぅ、と満足げに小さく伸びをした。
客足も落ち着き、静かな午後の空気。和風の提灯が優しく揺れ、遠くの校庭からは体育の歓声が微かに聞こえてくる。
「今のうちにちょっとだけ……座ってよか……」
そう言いかけたその瞬間――
「やってる~?」
カラカラ、と控えめに鳴る戸の音と共に、店の入口から現れたのは、夜見れな。
その背後には、白衣の袖を揺らす葉加瀬冬雪、そしてスーツ姿で整った姿勢の加賀美ハヤトの姿。
「……」
咲の顔から、先ほどまでの和やかな雰囲気が完全に抜け落ちた。
(おい……おいおいおいおいおい……面倒ごとフルセット来たやんけ……)
テンションが明確に下がるのが自分でもわかる。
「笹木先輩~そんな顔しないで~、今日はちゃんと“お客さん”として来たんだよ?」
にこにこと笑う夜見に対して、咲はぎこちない営業スマイルで応える。
「あ、はい、いらっしゃいませー……ど、どうぞごゆっくりー……」
そのとき、加賀美が静かに一歩前へ出た。
「加賀美ハヤトと申します。……あなたが、笹木咲さんですね?」
「え、えっ……あ、はい。あの、初めまして……?」
「初めまして…いつも夜見さんと葉加瀬さんがご迷惑おかけし、申し訳ありません」
スーツの男から丁寧な口調で挨拶され、咲は少し戸惑いながらも頭を下げる。
「……っていうか、夜見と葉加瀬と、どういう関係なんですか?」
そう尋ねると、夜見が待ってましたとばかりにいたずらっぽく微笑んだ。
「ん~? 彼氏だったりして?」
「はぁ!? いやいやいやいやいや!! 葉加瀬も一緒やん!? 一夫多妻制かお前らは!!」
「やめろ、言い方」
葉加瀬が疲れたように額を押さえ、加賀美は苦笑しながらやや顔を背ける。
咲は思わずため息をついて、ぼそっとつぶやいた。
「……うん、これ以上掘っても無駄やわ。聞くだけ無駄。うん、やめとこ」
だがその様子とは裏腹に、三人のやり取りは意外なほどフラットだった。
「社長、あれ頼んでいい? あの、黒いやつ。塩っけあるやつ」
「……葉加瀬さん、“黒いやつ”だけでは全然分かりませんが……“昆布茶ソーダ”でよろしいですか?」
「それそれ。助かるわ~」
「社長、あたし抹茶でいいや~。お菓子もね、“呪われたやつ”で」
「“呪われし三色団子”ですね。かしこまりました」
丁寧に応じる加賀美とは対照的に、夜見と葉加瀬は完全に馴染んだ口調で会話を交わしている。
敬語とタメ口の混在。
けれど不思議と、そこには上下関係のギスギスした感じはなかった。
三人はまるで、旧知の仲のように、自然にお互いを尊重しながら言葉を交わしている。
咲はその様子をぼんやり眺めながら、思った。
(……やっぱ、この店には“普通”な人、来んよなぁ……)
そう小さく肩を落としつつも、咲はいつものようにメニューを持って厨房へと歩いていった。
注文を終え、加賀美ハヤトが店内を見渡していると――
「うわっ、加賀美さんじゃん!」
背後から、どこか陽気な声が響いた。
振り返ると、そこには私服姿の男子大学生が三人、軽いノリで近づいてくる。
Tシャツにパーカー、スニーカー姿の彼らは、どこか“この学校の空気に懐かしさを感じている”ような表情だった。
「あれあれ~? 加賀美さん、今日彼女二人も連れて来ちゃったの~?」
「てか、加賀美さん、新弾剥いて金欠って言ってなかったっけ? まさか文化祭でナンパとかしてんじゃないっすよね~?」
「はっ……!? それ、社会的に終わりだぞ!? “文化祭で女二人連れ”とかリアルSSR演出だろ!!」
「……はぁ……」
加賀美は、穏やかな笑みを浮かべながらも、明らかに呆れたように手で額を押さえた。
「……ちょっと。なんであなた達がここにいるんですか。卒業したんじゃないんですか、この学校?」
「いやいや~、OB枠! 文化祭の日は顔出しOKでしょ? ていうか先生に会いに来たら普通に入れてくれたし!」
「それにしても、まさか加賀美さんにここで会えるとはな~。ていうか隣の子たち、超美人なんすけど……知り合い?」
大学生たちは夜見と葉加瀬をちらちら見ながらヒソヒソと囁いているが、どうやら二人の名前も立場も知らない様子だった。
一方で、加賀美は慣れた調子で彼らに対応しつつ、ちらりと視線で夜見と葉加瀬のことも気にかける。
「……無関係な人に変な誤解を与えないようにしてください。これ以上変な噂が増えると、非常に困るので」
「えー? じゃあその子たち彼女じゃないの?」
「違います」
即答だった。
一連のやり取りを厨房から聞きながら見ていた笹木咲は、そのやりとりにどこか安心したように息をついた。
(……夜見や葉加瀬と違って、加賀美さんだけ“普通のお兄さん”って感じやな……)
スーツ姿で、礼儀正しくて、ちょっと天然入ってて、でも年上としての余裕があって――
咲の目には、加賀美の“人付き合いのバランス感覚”が、なんだかほっとするものに見えた。
(あー……うちもああいう“ツッコミできる人”のそばにいたら、ちょっとラクなんかもなぁ……)
咲は加賀美たちとのわちゃわちゃした空気を引きずらないように、気を取り直して別の席へと足を運んでいた。
「はいはい、メニューお持ちしました~っと……」
テーブルに置かれた湯呑の前には、ひとりの少女が座っていた。
銀と青が混じる柔らかな髪、白く透けるような肌に、どこか幻想的な雰囲気のある制服風の私服――まるでゲームの世界からそのまま抜け出してきたような見た目だった。
「あ、どもー……いらっしゃいませ~、注文とか決まりました?」
咲が笑顔で話しかけると、少女はそっと顔を上げて……何も言わず、ただ口を小さくぱくぱくと動かした。
「……ん? ごめん、ちょっと聞こえんかった。えっと……どしたん?」
再度声をかけるも、少女はまたもや、言葉にならない口の動きだけを繰り返している。
(え、なに? 声出ぇへんの? ……それとも……)
困った咲がどうしたもんかと頭を抱えていると――
後ろからぬっと現れた椎名唯華が、面倒そうな顔で肩をすくめながら、いきなり英語で話しかけた。
「You really came here not knowing Japanese? What the hell, you dumb manju.」
「……え?」
咲は目を丸くする。その横で、無言だった少女の表情がパッと明るくなった。
「Tch, shut up. I just came 'cause I heard some weird strawberry daifuku opened a store.」
――英語だった。流れるような、完璧なネイティブ発音の、皮肉混じりの英語。
「Weird strawberry daifuku!?」と唯華が睨めば、
「Yeah, cause you’re like, squishy and weird and pink and stuff.」と、少女がさらなる煽りを重ねる。
唯華はそのまま英語で、「You really crossed the ocean just to call me that? You got nothing better to do?」と応戦。
少女は「You should be honored, I came all the way just to see your miserable face.」と口元をつり上げて返す。
その様子を目の前で見せられている咲は、完全に置いてけぼりだった。
「え、え、ちょ、え、えっ!? なんで椎名がペラペラ英語喋ってるん!? 誰!? え!? 誰この子!? なんで二人とも英語でケンカしてんの!? え!?」
ただでさえ情報量が多い文化祭終盤に、また新たな“爆弾”が来た気配がする。
唯華と銀青髪の少女が、異様なテンションで英語の煽り合いを繰り広げているのを前にして、咲は半ば放心状態でその場に立ち尽くしていた。
唯華はふっとため息をつきながら、ようやく英語を切り上げ、咲の方に振り返る。
「……前、言うてたやろ。“親戚に西洋のやつがいる”って。こいつがそうや」
「ああ…そういえば、そんなこと言っとったなぁ…」
咲のつぶやきにも唯華は気にした様子もなく、再び少女に向き直って英語で語りかける。
「If you don't understand Japanese, just point at the menu and order, got it?」
「Tch… fine…」
銀青髪の少女――制服風の私服を着たその子は、どうやらプライドをちょっとだけ傷つけられたような顔をしながら、咲の持っていたメニューを指差した。
「……これ、ください」
おそるおそる、たどたどしいながらも、しっかりした発音でそう言う。
咲はその健気さに少しほっとしつつも、まだ困惑を隠しきれない。
「……あー、はい。ありがとうございます……」
メニューを受け取って戻ろうとしながら、咲はボソッと唯華に話しかけた。
「椎名ん家……やっぱり訳わからんわ……」
唯華はにやっと笑い、咲の耳元でこっそり囁く。
「……こいつ、魔法使えるで」
「いや、もうやめてくれや……」
咲は項垂れながら、メニュー片手にとぼとぼと厨房へと戻っていった。
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――文化祭、午後四時。
怪談カフェ『結 -ゆい-』には、“非日常”という名の追加トッピングが、またひとつ増えていた。
文化祭の一日目が終わり、夕暮れの校舎がゆっくりと静まり返っていく。
怪談カフェ『結 -ゆい-』の店内も、喧騒から一転して片付けムードへと切り替わっていた。
「ふぅ~~~~っ……疲れた……!」
床に雑巾を滑らせながら、笹木咲は仰向けに転がり、そのまま両手を広げて大の字になる。
「でも、まぁ……うちらは一日目の出店やからな! 明日は遊べるで!! めっちゃ張り切るわ!!」
「ん~……やっと解放された~……!」
「文化祭って準備のときは楽しいけど、本番ガチで体力削られるよね~」
同じく後片付けをしていた椎名唯華と本間ひまわりも、ぼやきながら掃除道具を放り投げるように片付ける。
照明が落とされた教室に、夕焼けが射し込み、三人の影が長く伸びていた。
「……なあ、咲ちゃん」
「ん?」
「打ち上げとか行かん? 今日、ちょっとがんばったしさ~!」
ひまわりがにっこり笑って提案すると、椎名も横から言葉を添えた。
「せやな~。飯食って帰るくらいならええかも」
「いや椎名はほぼ働いてへんやろ! うちとひまちゃで回しとったんやぞ!? 寝とったやろ!? 厨房でよだれ垂らして!」
「いやあれはな、霊力のチャージや。しゃーないやろ?」
「はいはい、言い訳乙。てか打ち上げって、あんたら金あんの? 財布空とか言うんちゃうやろな……?」
咲が疑いの目を向けると――
「あるで!」
唯華は制服の内ポケットから、堂々と数万はありそうな札束の束を取り出してきた。
「……お前、それどこで……?」
「おかんからもろた。こないだの件――巻き込んだ詫びも兼ねてってな。ついでに文化祭用やって」
「詫び金ってレベルちゃうやろ!? ほんま椎名家の感覚バグっとんねん……」
ひまわりはそれを横から覗き込んで「おぉぉ~!」と歓声をあげ、咲は両手で顔を覆って「もうええわ……」と項垂れた。
「……でも、まぁ……おごってくれるんなら、行ってもええかもな?」
「ちゃっかりしてんな咲ちゃん~」
「椎名が払うなら好きなもん食べるで」
「えぇ……あてぃしのお小遣いぃ……」
三人の笑い声が、片付け終わった教室にやんわりと響いた。
文化祭一日目の夜――
“怪談”という非日常を終えて、やっと訪れた、ごく普通の青春の時間が、静かに始まっていた。