第5章 第1話:生き様
夜の帳が下りて、街のネオンがきらめき始めた頃。三人は、予約していた焼肉屋の暖簾の前に立っていた。
「おっ、ここか~! めっちゃいい匂いする~!」
「うわっ、焼肉屋のこの匂いだけでご飯三杯いけるやつや……!」
テンション高く駆け出すひまわりと、ポケットに手を突っ込んで気だるげに歩く唯華。
咲もその後に続いて、楽しげな空気のまま店の前に近づいた――
が。
その焼肉屋の入口に、すでに見慣れた二人の姿があった。
艶やかな黒銀の長髪を揺らす夜見れなと、白衣姿のままスマホをいじっている葉加瀬冬雪。
「うっわ……」
笹木は一瞬その場に固まり、次の瞬間には踵を返して即座に背を向けた。
「帰るわ」
「ええええ!? 咲ちゃん!?」
「はい解散、解散でーす、焼肉中止でーす、今日はコンビニでカップ麺食べて寝まーす」
そう言いながら、全力で反対方向にスタスタと歩き出す。
しかし――
「おやおや~? 帰っちゃうんですかぁ?」
その声が背後からではなく、目の前から聞こえた。
「……は?」
咲が顔を上げると、さっきまで店の前にいたはずの夜見が、なぜか瞬間移動でもしたかのように目の前に立っていた。
「ま、まあまあ。焼肉屋ですし、ただ一緒にご飯食べるだけなんですし、良いじゃないですか~? ね?」
夜見はにっこりと笑い、首を傾げる。
「……いやいやいやいや、なんで目の前おんねん!? はっ…あんた、また瞬間移動したんか!?」
「ふふふ……ひみつぅ~♪」
その横から唯華がひょこっと顔を出し、
「ええやん、たまにはこういうメンツで飯食うのもさ~。なー、れな~」
「ねー♪」
二人で顔を見合わせてくすくす笑い合う姿は、まるで息ぴったりの双子のようだった。
「……なにその“ねー♪”って……」
咲は顔をしかめ、肩を落とし、目に見えてテンションが下がっていく。
「……うち、なんで打ち上げでまで疲れなあかんのやろ……」
そのぼやきは誰にも拾われず、煙のように夜空へと消えていった。
焼肉屋の看板が、どこかひときわ明るく瞬いて見えた。
焼肉屋の暖簾をくぐると、炭火の香ばしい匂いがふわっと鼻をくすぐった。
賑やかな店内の一角に通された五人――笹木咲、椎名唯華、本間ひまわり、夜見れな、葉加瀬冬雪は、円卓を囲むように座った。
テーブルの中央には、まだ火が入っていない丸い網と、冷たいおしぼりがいくつか並べられている。
咲は席につくなり、深いため息とともにぼやいた。
「……なんでうち、こいつらと肉囲まなあかんねん……」
「うちが2人呼んだんやからな」
椎名は、まるで何事もなかったかのようにメニューを広げながらそう言った。
「……なんてことしてくれてんねん……」
咲は呆れたように椎名を見つめるが、椎名は完全に気にしていない。
その隣では、ひまわりが「うちが頼むね~!」と勝手に注文を始めていた。
「タン塩と~、カルビと~、ハラミと~……アイスクリームのバニラとチョコとストロベリー! あと梅しそ冷麺!」
「いや注文のクセ強すぎやろ!? アイス先に頼むやつおる!?」
「咲ちゃんはチョコアイスね♪ ほいっ」
「えっ、ちょ、おい……って、うまっ……」
アイスのスプーンを渡されて、渋々食べてみれば、口の中でひんやりとろける甘さ。
咲はつい顔をゆるませ、「……まぁ、こういうのも……悪くないな」とぽつりと漏らした。
その様子を見て、唯華はニヤリと笑う。
「咲、単純やなぁ」
「うるさいわ!」
網に火が入り、ジュウッという音とともに肉が焼けはじめると、空気はすっかりリラックスした雰囲気に包まれていた。
咲はふと、向かいに座る夜見に目をやりながら訊ねた。
「……今夜は、あの“社長”はおらんのか?」
夜見は、コーラのグラスを軽く持ち上げながら肩をすくめる。
「うん、社長はね~。ああ見えて、忙しいからね。仕事もいろいろあるし。多分、今頃書類の山に埋もれてるよ~」
「……ほーん、忙しいのに文化祭来とったんやな」
「そこは……“そういう事情”ってやつなんでしょ~♪」
どこか含みのある夜見の笑み。
けれどそれ以上は語らず、肉をひっくり返す音と共に話題は流れていった。
咲は黙ってアイスの残りを口に運びながら、思った。
(……変なメンツやけど……まぁ、これはこれで)
ジュージューと焼ける音の中で、五人の打ち上げはのんびりと、けれど確実に、にぎやかさを増していくのだった。
焼肉の匂いと炭火の音に包まれながら、ゆるやかな空気が流れるテーブル。
ひまわりと唯華がタレの取り合いで騒いでいる横で、笹木咲はカルビをご飯にのせてほくほく顔で頬張っていた。
そんな中、夜見がふと思い出したように咲の方を向いた。
「そういえば、笹木先輩のカフェって怪談も出してたんですよね~。……どんな話だったんですか?」
「んぇ? あー……」
口の中にご飯を詰めたまま、咲はちょっと考え込むような顔になる。
「もう……忘れそうやけどな。疲れすぎて」
箸を置き、冷たいお茶をひと口すすってから、ぽつりと語り始めた。
「昔、雨が降らへん神社で、年に一度だけ巫女の血を捧げて雨乞いするって風習があってな。
巫女は村長の娘がなる決まりがあったけど、その代は娘が生まれんくて……。
それで村長は、息子を女として育てて、巫女にしたんよ」
話の流れに、夜見は興味深そうに、葉加瀬冬雪は箸を止めてじっと咲を見つめている。
「……ほんでな、その“巫女”がある日、自分が男であることに疑問抱きながらも、ずっと祭壇に祈り続けてて。
でも儀式の日が来て血を捧げて、雨が降った後から、そいつの様子がおかしくなった。
女の子らしいもんを一切身につけへんようになって、巫女の装束も“恥ずかしい”って拒否して……“自分は最初から男や”って言い張りだしてん」
咲がそう語り終えると、しばしの沈黙。
その後、葉加瀬がストローを口から外し、即答した。
「……それ、人格の変化として見たら、“解離性障害”とかの可能性高いと思うけど?」
「は?」
咲がきょとんとしながら葉加瀬を見る。
「長期間の抑圧、自我の否定、祭りっていう極限状況。その反動で、“本来の人格”が一時的に表に出てきた――そう考える方が合理的。
あと、“巫女が男だった”って話も、あくまで“伝承”の域でしょ? そういうのは往々にして曖昧。
“村長の家から出す”ってのが、別に血筋の話って決まってるわけじゃないし、養子を取るっていう手もある」
夜見が「ふむふむ」と目を輝かせている隣で、咲の表情はどんどん曇っていく。
「……でもその息子を無理に巫女にしたのって、“村長の家から出さなきゃいけない”って、外聞やらしきたりやらが絡んでて、他に選択肢がなかっただけじゃない?
しかもその息子は“村長の跡継ぎ”でもある。むしろそっちの役割のほうが社会的に重要だったと思う。
時代背景によるけど、本来そういう立場の子どもを“血を捧げる儀式”に使うってのは、歴史学的にもほぼあり得ないよ」
「は、はぁ……?」
「つまり、肉体的には“女性”だったけど、“性同一性障害”のような内面的なズレがあった。
でも“村長の娘としての務め”を押しつけられて無理して生きて、それでも父親の期待に応えるために雨乞いの儀式までこなした――
で、限界を超えたところで本来の“自我”が現れた。って考えると、全部筋が通る」
葉加瀬はそう言ってサラダを口に運ぶと、何事もなかったようにもぐもぐし始めた。
「………………」
咲は完全に口を閉じて目を細めた。
「……やめてくれ。雰囲気、台無しやん」
焼肉の煙の中で、笹木咲の「やれやれ……」が一段と重く響いた。焼肉の煙が少し落ち着いて、テーブルの上には脂の染みたタレ皿と、半分残ったキムチの皿がぽつりぽつりと残っている。
そんな中、笹木咲は隣に座る夜見れなへと目を向けた。
「……そういう夜見は、なんか怖い話とか無いんか?」
すると、夜見は少しだけ首を傾げて、ぽつりと呟く。
「うーん……じゃあ、今、思いついたやつでもいい?」
「即興!?」
「ふふ……大丈夫、怖がらせてあげるから~」
夜見はグラスの中の氷をくるくると回し、淡々とした口調で、ゆっくりと話し始めた。
「……昔。まだ“参勤交代”が盛んに行われていたころの話。
故郷の国から、江戸を目指して旅をしていた、とある一行がいたの。
寒い峠をいくつも越えて、村から村へ。夜になるたびに、村人に頼っては、宿を借りていたそうよ。
ある夕暮れ、一行はその日泊まる場所を探していて……とある山の中腹にある古い寺にたどり着いた。
その寺には、独り暮らしの和尚がいた。
疲れた旅人たちを前にして、和尚は宿を断る理由もなく、使っていない一室を貸してあげたの。
“ゆっくり休んでいってください”――そう言ってね」
夜見の声が、次第に囁くように低くなっていく。
「夜になって、和尚は風呂を沸かした。冷えた体を温めて欲しくて。
食事も用意した。温かい雑炊と、お茶と、漬物を添えて。
けれど――一行は何も手をつけなかった。
誰も風呂に入らず、食事にも箸を伸ばさず、ただ静かに、部屋に閉じこもっていたの。
和尚は最初は遠慮しているのかと思った。けれど、翌朝になっても、食器はそのまま、湯も冷たくなっていた。
“このままじゃ、飢えてしまう”と思った和尚は、改めて朝食を持って部屋へ向かった。
襖に手をかけて――開けようとした、その瞬間――」
夜見の声が一段と低く、囁きに近くなる。
「――ばしゃっ!!という音がしたの。
……水風船が割れるような、重たく、どろりとした音。
襖の隙間から飛び散ったのは、透明な液体。水じゃない。生臭くて、ぬめりのある……何か。
襖に染みが広がっていくのを見て、和尚はその場から逃げ出した。
怖くて、怖くて、振り返らずに、村まで走って行ったの。
村人に事情を話すと……こう言われたのよ。
“参勤交代の一行? ああ……まだこのあたりまで来てないはずですよ”って。
和尚が泊めたのは――一体、誰だったのか。
何が、あの部屋にいたのか。
……今でも、その寺は、もう誰も使ってないんだってさ」
話が終わると、ひまわりが小さく「ひぃっ……」と声を上げ、咲は手に持っていたスプーンを落としそうになる。
「ちょ、ちょっとぉ……何その話……地味に怖すぎんねんけど……!?」
「え、えぇ~……やだよ~……もうごはん喉通らん……!」
「ふふっ、よかった。ちゃんと怖がってくれて♪」
夜見は満足げににっこり笑うと、店員を呼ぶボタンをぽちりと押す。
「すみませ~ん。アイスティー、おかわりで」
怖い話を語った本人は、どこまでも涼しげで――そのギャップに、咲はうんざりしたように額を押さえた。
「……ホンマにこの女だけは、タチ悪いわ……」
炭火の勢いも少しずつ落ち着いてきた焼肉屋のテーブル。
残された肉はあとわずか、氷の溶けたドリンクのグラスがいくつも並ぶ中で、怪談の余韻をまだ引きずっていた笹木咲は、夜見れなをちらりと見ながら尋ねた。
「……夜見って、怖い話とか、好きなんか?」
すると、夜見はグラスを手にくるくると回しながら、微笑を浮かべて答える。
「全然。全然好きじゃないよ」
「え?」
咲が首を傾げると、夜見の目がふわりと細まり、空気が一変する。
「――でも、“人が壊れる瞬間”って……面白いよね」
その一言に、テーブルの空気が一瞬だけ冷たくなる。
「……またその話か……」
咲は、あからさまに聞き飽きたようにぼそっと呟き、アイスティーのグラスを口に運んだ。
夜見の“人の壊れ方”への異常な執着は、すでに周知の事実だった。そんな空気を、唯華が真顔で変えようとする。
「……葉加瀬は何かないんか。そろそろお前の番やろ」
「私?」
葉加瀬冬雪は、白衣の袖をたくし上げながら冷静に返す。
「私は別に何もないよ。怪談なんて非科学的だし、信じてない」
「つまんな~い」
夜見がすかさず肩をすくめるが、続けてにやりと笑いながら葉加瀬に目を向ける。
「じゃあ代わりに、“楽しい話”とかすればいいんじゃない? 科学的なやつ」
「それなら、聞きたいかも~!」と、ひまわりがぱっと顔を明るくする。
唯華も「おもろい話なら歓迎や」と頷く。だが、咲はその流れにひとり、明らかに嫌な顔を浮かべていた。
「……なんか、嫌な予感するんやけど……」
咲の言葉をよそに、葉加瀬は興味深そうに話し始める。
「じゃあ、知ってる? “クロコダイル”っていう薬物。ロシアの一部地域で流行ったやつ」
「ほうほう?」
「それ、合成して作るのに使われるのが灯油とか工業用洗剤でさ。摂取すると血管が壊れて、皮膚が剥がれてくるの。“ワニの鱗みたい”ってとこから名前が来てるんだけど――」
「うわぁ……」
「傷口が腐って、骨が露出して、最終的には四肢が崩れて……それでも脳には快感が残るから止められないんだって」
「や、やめやめやめ!!!」
咲が両手でバンバンとテーブルを叩きながら叫ぶ。
「ストップや!! そろそろラストオーダーやで! 注文確認しよか! そうしよか!」
「あ、そっか~! アイスもう一個頼も~♪」
「冷麺いこ、冷麺!」
わちゃわちゃと話題が強制的に転換される中、葉加瀬は「え、まだ序盤だったんだけど……」と少しだけ不満そうに口をとがらせた。
それでも、咲の青ざめた顔を見て、さすがにこれ以上は控えることにしたらしい。夜見だけは、そんな騒ぎを楽しそうに見ながら、また氷をくるくると回していた。
焼肉屋を出ると、夜風がほんのりと肌を撫でた。
夜の街には酔客の笑い声や、遠くから聞こえるバイクの音が混ざり、文化祭の一日目を終えた高校生たちには少しだけ大人びた空気が流れていた。
会計を済ませて五人で歩き出したところで、椎名唯華がふと立ち止まり、軽く手を振った。
「ほな、あてぃしはここで。今日、夜見と二人で葉加瀬ん家泊ってく約束やねん」
「うん、一緒に行こ~タクシー呼んでるから、すぐだよ~」
夜見と葉加瀬が自然に並び、唯華を囲むように歩き出す。
それを見た笹木咲は、完全にドン引きした顔で三人を見送りながらつぶやいた。
「……え、ちょ、お前……マジで行くん?」
「ん? うん。寝るところは3つあるって言ってたし」
「はあああああ!? いや椎名、明日の朝にはマグロみたいに解体されとるって……! 頭と内臓だけ別皿にされとるで……!」
「咲ちゃんの偏見ひどくない?」
「いや常識的な警戒やから! 夜見と葉加瀬っていう最高に“闇属性”な二人の間に入るとか、自殺行為やろ……」
そう咲が叫んでいる間に、三人は楽しげに去っていった。
「……ま、本人が行くなら止めんけど……ほんまに無事やとええな……」
ぼそっとそうつぶやきながら、咲は帰路へとついた。
帰宅して、シャワーを浴びてさっぱりしたあと。
パジャマ姿でベッドに転がった咲は、スマホを手にとり、ひまわりとのチャットを開いた。
咲:
《さっき、気悪くしたらごめんな。あの二人…いつもあんな感じなんや。》
送信してすぐ、既読がつく。
ひまわり:
《変な人なら、バイト先にもいるからなぁ~》
「……は?」
ひまわり:
《なんて言うか……吸血鬼? いや、多分人間なんだけど、生き様が……なんというか……》
咲はスマホを持ったまま固まった。
「……は? 吸血鬼? 人間……なん? 生き様……?」
脳内に、文化祭で見かけたあの銀髪の男の姿が一瞬ちらつく。
「まさか……あいつのこと……?」
だが、それ以上は追及せず、深くため息を吐いた。
咲:
《……まあ、ひまちゃんが平気ならええけどな》
そう打ち込んでスマホを枕元に置くと、咲は毛布をふわっとかけて目を閉じた。
「……明日は、もうちょっと平和であれ……」
そう願いながら、笹木咲は静かに眠りについた。
穏やかな夜の中、ひとまず文化祭一日目は幕を下ろした。