咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第5章 第2話:家族

 タワーマンション――地上数十階、煌びやかな夜景を見下ろすその高層階の一室。

どこか無機質で、でもスタイリッシュに整った部屋の一角、浴室には広めのバスタブと、照明を落とした落ち着いた明かり。

 

 そのバスタブに、椎名唯華と夜見れなが肩まで湯に浸かっていた。

 

 ぽこぽこと湯の音だけが響く静かな空間。唯華はシャンプーのボトルをいじりながら、気の抜けた声でぽつりと話しかけた。

 

 「……それにしても、葉加瀬の部屋、ガチで“金持ち”やんな」

 

 「ふふ、でしょ?」

 

 「というか、あんたら二人で、こんなとこ住んで……両親とか、どないしてんの?」

 

 夜見はその言葉に、一瞬だけ目を伏せた。ふわりと湯けむりの中で、いつもの微笑が消える。

 

 そして、ぽつりと――

 

 「……いないよ」

 

 静かに、けれどはっきりと答えた。唯華はその言葉に、返す言葉を失った。バスタブの表面に浮かぶ泡が、少し揺れて沈黙を埋めていく。

 

 数秒の間のあと、夜見はふっと微笑を戻して、小さく付け加えた。

 

 「……葉加瀬は、いるんじゃない? よく知らないけど……あんまり、話したがらないし」

 

 「……そっか」

 

 唯華は、壁の水滴をぼんやりと見つめながら小さく呟いた。

 まるでその水滴が何かの答えをくれるように、しばらくそのまま目を逸らしていた。

 

 夜見は湯に揺れる髪を撫でながら、ゆっくりと息を吐く。

 

 「でもね、家族がいなくても――別に寂しくはないんだよ。こうして、お風呂に入れる友達がいれば、それで十分」

 

 「……はは、変な慰め方すんなや。びっくりするわ」

 

 「ふふ、唯華ちゃんって、結構優しいよね~」

 

 「うっさいわ。あんたが素直すぎんねん」

 

 二人の声が、ぬるめのお湯とやわらかな照明に包まれて、静かに溶けていった。その空間は、まるで別世界のように、外の喧騒から切り離されていた。

 

 

 

 

 風呂から上がった夜見と唯華が髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると、そこには葉加瀬冬雪がいた。

 大きなモニターの前で、ゲームパッドを両手に構え、真剣な表情――だが、画面のキャラは無残にも連続でやられていた。

 

 「……あ、やられた……またかよ……」

 

 葉加瀬がぼそっと呟いたそのすぐ隣で、唯華がバスタオルを肩にかけたまま、真顔でぽつりと漏らす。

 

 「……あんた、ゲーム下手やな」

 

 その言葉に、葉加瀬は何も返さず、ただ「チッ」と舌打ちだけして、視線を画面から一切外さなかった。

 

 「え、何その反応。めっちゃ効いてるやん」

 

 唯華がニヤッとしながら茶化すと、葉加瀬はパッドを握る手にだけ微かに力が入っていた。その空気を、のんびりした声が切り裂く。

 

 「……ねえ冬雪、また入浴剤とリンス入ってなかったんだけど?」

 

 夜見がぬれた髪を拭きながら、ふわっとした口調で文句をつける。

 

 「わかった!!」

 

 「わかってない!!」

 

 夜見が即座に声を張る。

 

 「うるさいな……ゲームやってんの、今」

 

 「いいかげんにしてよ~」

 

 唯華はそのやりとりをソファに座りながら聞き流していたが、ふと咲の言葉が頭に浮かんだ。

 

 (……朝起きたら、夜見マグロみたいに解体されとるでwww)

 

 ――妙に居心地は悪くない。それが、この空間だった。

 

 夜も更けて、タワマンの一室にはのんびりとした空気が流れていた。

 

 リビングでは、大きなモニターの前に並んで座る葉加瀬と唯華。二人は同じゲームの画面を共有しながら、コントローラーを握っていた。操作はぎこちなく、ミスも多い。

 

 「そっち、そっちや! あーもう、また被弾しとる!」

 

 「うっさいわ! この操作性が悪いねん!」

 

 その横で、夜見れなはソファに寝転びながら、濡れた髪を乾かしている。ふと、何気なく思い出したように話し出した。

 

 「そういえばさ~、さっき唯華ちゃんが言ってたよ。“ここの家、居心地いい~”って」

 

 「……夜見、言わんでええこと言うなや……」

 

 唯華が照れくさそうに顔を背けると、葉加瀬は横でスナック菓子をぽいっと口に入れながら、淡々と呟いた。

 

 「まあ……前は地下牢の中だったからね」

 

 「……え?」

 

 唯華の手が止まり、そっと葉加瀬の方を向く。

 

 「な、なに? 地下牢って何? え? ガチ? どういう……?」

 

 しかし葉加瀬は、次のポテチを手に取りながら全く気にした様子もなくゲームに視線を戻している。その態度を見て、

 

 《……いないよ》

 

 唯華は先ほどの浴室での夜見の言葉を思い出しながら、

 

 (……あんま掘り返さんとこ……)

 

 と静かに決意し、口をつぐんだ。それでもゲームの進行は止まらない。

 

 葉加瀬が懲りずに―

 

 「わかった!」

 

 「わかってない!」

 

 夜見のツッコミが即座に飛ぶ。

 

 「いやいや、今度こそ――」

 

 ミスッ。

 

 「……あーあ」

 

 夜見があからさまにがっかりした声を漏らす。

 

 「いやなんで!? いまのはゲームの判定のせい!! 私悪ないわ!!」

 

 「それ、いっつも言ってる~」

 

 唯華はその様子を見ながら、クスクスと笑った。

 

 奇妙で、静かに狂ってるようなこの空間。だけどなぜか、少しだけあたたかかった。

 

 

 

 

 

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 まだ空も白みきらぬ、翌朝の未明――。静まり返ったタワーマンションの一室。

 

 ブラインド越しにうっすらと月明かりが差し込み、部屋は薄ぼんやりとした青白い光に包まれていた。

 

 ベッドには、椎名唯華と葉加瀬冬雪の二人が、パジャマ姿で横たわっていた。葉加瀬は深く眠っているようで、寝息も静かだった。夜見はというと、ソファにくるまって小さく丸くなり、ぴくりとも動かず寝ている。

 

 だが――唯華だけが、目を開けていた。

 

 ぼんやりと天井を見つめながら、ふと隣を見る。

 

 月明かりに照らされた葉加瀬の寝顔は、普段の冷静で機械的な印象とは違って、どこか無防備で幼い。

 

 (……地下牢……)

 

 唯華の脳裏に、昨夜の葉加瀬の何気ない一言がよみがえる。

 

 (“前は地下牢の中だったから”って……あれ、ほんまなんやろか……)

 

 そして夜見の言っていた「両親はいない」という言葉も重なってくる。

 

 (もしかして……ほんまに少年院とか……いや、それか、親にひどいことされて……)

 

 自然と妄想は膨らんでいく。

 

 (ていうか地下牢って比喩なんか? いや、リアルなんか? もし本当に“監禁”されとったんやとしたら――)

 

 「……」

 

 唯華は毛布をぎゅっと握りながら、心の中で勝手に物語を構築しはじめていた。

 

 と、そのとき。

 

 ぎぃっ――

 

 静かな部屋に小さな音が響く。

 

 葉加瀬が、寝ぼけ眼でベッドを抜け出し、ふらふらとした足取りでトイレへと向かった。

 

 唯華は布団の中で息を潜めたまま、そっと目だけで様子を追う。

 

 数分後、葉加瀬は戻ってきたが、ベッドに戻るのではなく、デスクに座りパソコンを立ち上げる。

 

 暗い部屋に、モニターの淡い光が浮かび上がる。しばらくすると、キーボードを叩く軽快な音が聞こえはじめた。

 

 カタカタ……カタ、カタ……

 

 (夜通しでなんかやっとる……)

 

 そんなことを思っていると、葉加瀬がふと振り向いた。

 

 「……起こしちゃった?」

 

 パジャマの襟を少しずらしながら、気遣うような声。唯華は毛布から顔だけ出して、片目を開けたまま、ぼそっと返す。

 

 「……うちの親戚にも、夜通しゲームやっとる奴おるしな。慣れとるからええよ」

 

 葉加瀬はそれで納得したように、軽く頷いてまたモニターに向き直る。

 

 (……ホンマ、よう分からんやつやけど……)

 

 唯華はもう一度目を閉じ、布団に顔をうずめた。

 

 キーボードの音が静かに部屋の空気を埋める未明の時間。そのリズムに身を任せていた葉加瀬冬雪の横顔を、椎名唯華は静かに見つめていた。

 

 ベッドの中、半分だけ顔を毛布から出しながら、唯華は自分でも気づかぬほど小さく、ぽつりと漏らした。

 

 「……葉加瀬は、両親とか……おるんか」

 

 一瞬、キーボードの音が止まった。葉加瀬はそのまま無言で数秒固まり、ゆっくりと椅子を回して唯華の方を向いた。

 

 そして――

 

 「教えてもいいけど、君の身体にメス入れてもいい?」

 

 にぃ、と悪魔のような笑みを浮かべながらそう言った。月明かりが、その瞳に冷たい光を宿す。

 

 だが――

 

 「……麻酔くらいは打ってな」

 

 唯華は顔を逸らしながらも、特に驚いた様子もなく、淡々と返した。その反応に、葉加瀬の目が一瞬、驚きで見開かれる。

 

 「……社長みたいなこと言わないでよ……」

 

 そう呟いて、顔を少し赤らめながら咳払いひとつ。視線をそらし、手持ち無沙汰に眼鏡を押し上げる。

 

 「……霊能力者は生きて被検体のモルモットにしないと、データ取れないだろ。殺したら意味ない」

 

 「研究者目線で言うなや……」

 

 唯華があきれ顔でつぶやいたあと、ふたりの間にふと沈黙が落ちる。

 

 ――数分。キーボードの音も、止まった。再び椅子を回して、葉加瀬が唯華のほうを見ないまま、ぼそっと呟く。

 

 「……そりゃ、“人間”は交配して子孫を残すんだから、“生物学的”にはいるでしょ」

 

 その声には、さっきまでの軽さがなかった。

 

 「でも……“家族”って意味で言ってんなら、いない。」

 

 「……」

 

 「私を生んだ女と、そいつと交尾した男なら、いる」

 

 それだけを、まるで吐き捨てるように言って、葉加瀬はパソコンの電源を切った。モニターの青白い光が消え、部屋が再び静けさに包まれる。

 

 葉加瀬はベッドに戻ると、唯華に背を向けて、毛布をかぶる。

 

 「私の家族は、夜見と社長だけ」

 

 それ以上、何も言わなかった。

 

 唯華もまた、何も言わなかった。

 

 ただ、夜見の寝息と、遠くの車の走る音だけが、薄明かりの部屋に淡く漂っていた。

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