咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第5章 第5話:遭遇

 文化祭二日目、校内には笑い声と出店の呼び込みがあふれ、賑わいは最高潮に達していた。

 

 そんな中――椎名唯華と葉加瀬冬雪のふたりは、校内を連れ立って歩いていた。

 

 だが、普段の唯華と違って、その様子にはほんの少しだけ“過保護”な空気がにじんでいた。

 

 「……おい、葉加瀬、歩幅合ってへんで! 疲れてへんか? 暑ない?」

 

 「いや、普通に歩いてるだけなんだけど……」

 

 「ほら、ほらこれ。これ飲み。お茶。冷えとるやつ」

 

 「ありがと……って、なんでこんなに気ぃ遣われてんの?」

 

 唯華は明らかにいつもよりソワソワしており、視線はキョロキョロと葉加瀬の様子を逐一チェックしていた。

 

 そんなとき――ふたりは廊下の角を曲がり、ふと一つの教室の前を通りかかる。

 

 教室のドアには、でかでかと貼られた文字。

 

 『セーフティー教室 ~警察による出張安全講座~』

 

 立て看板の横には、制服姿の警官と、防犯グッズが並んでいる。

 

 唯華の目が一瞬だけ鋭くなった。

 

 「……っ!!」

 

 とっさに、葉加瀬の手首をつかむ。

 

 「葉加瀬、怖がらんでええからな! 何があっても、うちがついとる!」

 

 「え、ちょ……いや、別に怖がってないんだけど……!?」

 

 唯華は勝手に早足になって、そのまま葉加瀬を引っ張るように通り過ぎた。

 

 後ろで警官が軽く会釈するも、唯華は目を合わせようともしない。

 

 「……まさか、“昨日の晩”のこと引きずってる……?」

 

 葉加瀬がぼそっと呟くと、唯華は妙に誇らしげな顔をしてみせた。

 

 「うち、“お母さん”やからな!」

 

 「もうやめて、その設定……」

 

 その後、ふたりは校舎の中庭で笹木咲と合流する。

 

 「おー! 笹木ーーーー!」

 

 唯華が手を振りながら駆け寄ると、笹木はなんとも言えない疲れた顔で応じた。

 

 「……どこうろついてたん?」

 

 「そっちが言う? どこ行ってたん、笹木?」

 

 唯華の問いに、笹木はふと空を見上げ、肩をすくめた。

 

 「……近いうちに行くことになるかもしれんとこに、思いがけずな」

 

 「は?」

 

 「……東京」

 

 「いや、むっちゃ遠くやん!何かあったんか!?」

 

 唯華が思わず目を丸くして声を上げたその横で、葉加瀬はちょっとだけ目を細めた。

 

 文化祭の喧騒の中で、ほんの一瞬だけ三人の空気が、少しだけ現実に引き戻される。

 

 その瞬間を誰も言葉にせず、また賑やかな午後が始まっていった。

 

 

 

 

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 文化祭もいよいよ終盤――

 屋台は閉まり、教室の出し物も片付けが始まり、残すところは体育館でのライブイベントのみとなっていた。

 

 「咲ちゃん! 唯華ちゃん! 葉加瀬ちゃん!」

 

 にぎやかに駆けてきたのは、夜見れなと本間ひまわり。

 

 「樋口先輩がライブやるって~! 最後、みんなで見に行こうよ~!」

 

 「ライブ……?」

 

 唯華が片眉を上げると、夜見がふふんと得意げに頷く。

 

 「生バンド!生で!生きてるやつのね~」

 

 「いや死んでるやつのバンドは見たことないわ」

 

 そんな会話を交わしながら、笹木、唯華、葉加瀬の三人は夜見とひまわりに連れられて体育館へ向かった。

 

 すでに体育館の中では照明が落とされ、ステージのスポットライトがまばゆく光っていた。

 

 スピーカーからは、地鳴りのようなベースとギターの音。

 

 ステージ上では――三人の女子高生バンドが、観客を前に全力の演奏を繰り広げていた。

 

 センターでギターボーカルを務めているのは、真面目そうな印象に反して、思い切りの良いパフォーマンスで観客を圧倒している少女。

 その隣では、清楚な雰囲気の女子がベースを冷静かつ的確に弾きこなしており、ステージ奥では樋口楓が、エレキギターを片手に満面の笑みで身体を揺らしていた。

 

 「……あれ、樋口先輩やんな?」

 

 「うん、せやけど……あんな笑いながら弾いてんの、初めて見たわ」

 

 ステージを見上げながら、笹木がぽつりと呟く。その声は自然と心から出たものだった。

 

 彼女の知っている樋口楓は、どちらかといえばしっかり者で、どこか距離を取りがちな印象があった。

 だが今、舞台の上でギターをかき鳴らす樋口の姿は――まるで音楽の中で、全部から自由になっているようだった。

 

「……なんか、こういう一面もあるんやなぁ……」

 

 笹木は感心しきりの表情を浮かべながら、ふとギターとベースを演奏する残りのふたりにも目をやる。

 

 「……でも、あの二人……どこの学校なん? 制服見たことないで?」

 

 「んー? 確かにウチじゃないし、黒女や帝南付属でもないなぁ……関西国際とかどうや?あそこなら中々見ないやろ?」

 

 「いや、関国はもっと真っ黒な感じの服やからちゃうで…」

 

 唯華も笹木と首をかしげるが、観客に囲まれた今の状況では近づいて確認するのも難しい。

 

 ベースの女子は落ち着いた雰囲気で、それでも身体を音に合わせて揺らしながら、笑顔を絶やさず演奏している。

 ギターボーカルの少女は、凛とした表情で歌いながらも、ときおりオーディエンスに視線を投げて、まるで司会進行まで任されそうなトーク力を持っていそうな空気感を放っていた。

 

 「なんや……まるでアイドルみたいやな」

 

 「……いや、むしろ、“伝説の軽音部”みたいな雰囲気やな……」

 

 三人は目を見合わせて、ステージに釘付けになる。

 文化祭のラストにふさわしい、熱くも心に沁みるライブ。

 

 照明の中、樋口先輩がこちらをちらりと見て、にかっと笑った。

 

 「……あー、やっぱり先輩、楽しそうやな」

 

 その一言に、唯華も葉加瀬も小さく頷いた。

 

 今日という一日が、終わっていく。

 

 けれど、心に残る音だけは、ずっと響き続けていた。体育館の照明が明滅し、ステージの上では樋口先輩たちの演奏がクライマックスに向かって盛り上がっていた。

 

 観客たちは手拍子を取り、歓声を上げ、まさに文化祭のフィナーレにふさわしい熱気に包まれている。

 

 ――そのなかで、椎名唯華はふと、視線の端に映る体育館の出口付近に、誰かが立っているのに気づいた。

 

 そこに立っていたのは、一人の制服の少女。

 

 目立つ動きはなく、ただじっとこちら――いや、ステージを見ているようでもなく、誰かを“待っている”ような気配を放っていた。

 

 唯華は眉をひそめて、その少女の制服に目を凝らす。

 

 (……どこの制服やあれ? 見たことあらへん……)

 

 胸元のリボンも、スカートの色も、自校のものとは違う。文化祭の一般客だろうか?

そう思ってから、唯華は自分の中の警戒をなだめるように息をついた。

 

 (……ま、文化祭やし、よそから来た人もおるか。そんくらい、普通やんな)

 

 気を取り直して、再びステージへと視線を戻そうとした――その瞬間。

 

 すぐ横で、葉加瀬冬雪が、固まっていた。

 

 唯華は驚いて振り返る。

 葉加瀬の視線は、先ほどの制服の少女に釘付けになっていた。

 

 その表情は――驚愕と嫌悪が入り混じったような、言葉にできない強ばりだった。

 

 「……は、葉加瀬?」

 

 唯華が小声で声をかけると、葉加瀬はわずかに唇を震わせながらも、目を逸らさずに呟く。

 

 「……なんで……なんで、あいつがここに……!!」

 

 その呟きに、唯華の背筋に冷たいものが走る。

 

 (あかん……これ、ただごとちゃう)

 

 だが体育館はすでに満席で、観客同士がぎゅうぎゅうと肩を寄せ合っている。すぐに出口まで行くことはできない。

 

 咄嗟に、唯華は隣にいた夜見れなの耳元に顔を寄せ、素早く囁いた。

 

 「……れな、外、連れてってや!! 葉加瀬がやばい!」

 

 夜見は一瞬きょとんとしたが、唯華の切迫した表情を見るなり、軽くため息をついて囁き返す。

 

 「……今回だけね」

 

 次の瞬間、夜見が指をすっと動かすと、唯華と葉加瀬の二人は空気ごと一瞬にして消える。

 

 ――そして、体育館の出口近くの壁際にワープしていた。

 

 唯華がすぐに振り返る。

 

 「……おらんやん……!」

 

 さっきまでいたはずの制服の少女――その姿は、どこにもなかった。

 

 出口の前からも消えていて、まるで初めからそこには誰もいなかったかのように、痕跡ひとつ残っていない。

 

 「外や……外探すで!」

 

 唯華は葉加瀬の手を引くようにして、すぐに体育館の外へと駆け出した。

 

 秋の夕暮れ。風が少し冷たくなり始めていたが――

 

 校庭にも、昇降口にも、どこにもあの少女の影はなかった。

 

 まるで、見間違いだったかのように。夕暮れの風が吹く中、校舎の外は一時的に静けさを取り戻していた。

 

 夜見のワープで体育館の出口へ移動し、さらに外まで飛び出した唯華と葉加瀬は、周囲に誰もいないことにただ立ち尽くしていた。

 

 (……おらんかった。確かにそこにおったのに……)

 

 唯華の胸には、理解できない焦燥感と、走ったことによる体力の消耗がのしかかっていた。

 

 (なにがどうなっとるん……!?)

 

 冷えた空気が首筋を撫でる頃、遠くから歓声と足音が聞こえてくる。

 体育館でのライブが終わったらしく、文化祭の最後を見届けた生徒や来場者たちが、ぞろぞろと外へと流れてきた。

 

 その中から、笹木咲も合流し、三人は自然と顔を合わせる形となった。

 

 葉加瀬は、一連の状況に対して明らかに呆れた顔をしていた。

 

 「……そんな、夜見と追いかけるほどの奴じゃなかったのに……」

 

 「は? 何言うとんねん!」

 

 唯華は咳き込みながらも、目を見開いて詰め寄る。

 

 「監禁されたんやろ!? 脳にチップ埋め込まれたりしたんやろ!? もしかして、おとんとおかん殺されて……復讐のために――」

 

 「そんな重すぎるバックグラウンド、あるわけないでしょ」

 

 葉加瀬は額に手を当て、ため息。

 

 「……あー……面倒くさ。そもそも最後に会ったの、あいつが7歳くらいのときだし、人違いかもしれない」

 

 「……7歳!?」

 

 「うん……でもまぁ、別に嫌いじゃないんだよ」

 

 唯華が明らかに納得していない表情のまま口を開こうとしたその前に、葉加瀬は小さく苦笑して続けた。

 

 「お菓子取ったり、ちょっかいかけてきたりする奴だったんだよね。なんていうか……うざいけど、妙に覚えてる」

 

 「う、うそやろ……」

 

 疑いの目でじーっと見つめる唯華の肩を、夜見れながぽん、と軽く叩いた。

 

 「椎名先輩は正義感強いからねえ~。『何かあったら助けなあかん!』って、すぐ動く。ヒーロー気質♪」

 

 「う、うっさいな……」

 

 「でもね、“踏み込むところ以上は踏み込まない”のも、優しさだよ?」

 

 夜見はいたずらっぽく微笑んで、手を合わせてみせた。

 

 「“誰かを救う”ってのは、強くなることじゃなくて、ちゃんと“境界線”守れることでもあるんだよ~?」

 

 「……どこの哲学書から拾ってきたセリフやねん……」

 

 唯華は渋々と頬を膨らませながらも、少しずつその言葉が胸に残っていくのを感じていた。

 

 (……あれが、ただの“子供の知り合い”だったんやとしたら……)

 

 (うち、空回りしてもうたんかな……)

 

 それでも、何かが“引っかかる”感覚だけは、拭えなかった。静かになった校庭の中で、秋風がふたりの制服の袖を揺らしていた。

 

 帰り道。

 文化祭の喧騒もすっかり遠ざかり、住宅街の灯りがぽつぽつと灯りはじめた頃――

 

 咲と唯華は並んで歩いていた。

 

 昼間の賑やかさとは裏腹に、二人の足取りは少しだけ重く、会話も穏やかだった。

 

 「……結局、いろいろあった文化祭やったな」

 

 「ほんまやな……疲れたけど、まぁ……ええ思い出にはなるやろ、多分」

 

 そんな他愛もない会話を交わしていたそのとき――

 

 ふと。

 

 空気が「ピキ」と張り詰めるような、奇怪な気配が背後から漂ってきた。

 

 「……ん?」

 

 「……今の、なんかおかしくないか……?」

 

 二人は無言のまま顔を見合わせ――ゆっくりと振り返る。

 

 すると――

 

 電柱の影。薄暗い街灯の下。

 

 そこには、人の顔のような仮面を被った、長い黒髪の女性が立っていた。

 

 制服姿。ただし、どこの学校のものかは判別できない。

 

 その姿は、まるで時間から切り離されたように、微動だにせず、ただ二人をじっと見ていた。

 

 「……え……」

 

 咲も唯華も、しばらく動けず、ただ凝視した。

 

 だが。

 

 もう一度お互いに顔を見合わせ、再びそこを見返したときには――

 

 もう誰もいなかった。

 

 風すら吹いていない。

 

 まるで“最初から存在しなかった”かのように、空気は何事もなかったように戻っていた。

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……あれは、本物やな。しかも……“ほんまにヤバいやつ”の方やな」

 

 唯華が、声を震わせながらぽつりと呟く。

 

 「……夜見の言ってた通りやわ……まだまだ、世の中怖いもんがいっぱいや……」

 

 顔面蒼白というよりは、もう魂がどこか行ったようなゲッソリ顔になっていた。

 

 一方の咲は、少し遅れて我に返り――急いでカバンの中を探り、渡された護符を取り出そうとする。

 

 だが、その手を――唯華が静かに止めた。

 

 「……やめとき。もう、影も形もあらへん」

 

 その言葉には、ただならぬ重みがあった。

 

 「……意味もなく出したら、かえって“見つかる”かもしれん」

 

 「……っ」

 

 咲は一瞬ためらった後、護符をそっとしまった。

 

 「……帰ろ。今日はもう……なにも見んとこ」

 

 唯華の声には、疲れと諦めと――それでもどこかに残る“怖さ”が滲んでいた。

 

 二人は再び並んで歩き出す。足音だけが夜道にぽつぽつと響いていた。

 

 だが、後ろを振り返ることは、もうなかった。

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