その夜。
文化祭の疲れもあり、咲は布団に潜り込んだ途端、泥のように眠りに落ちた。
そして――夢を見た。
朝。
秋晴れの空の下、制服に鞄を抱えて、いつもの通学路を歩く咲。
「ふぁ~……今日もダルいなぁ……はよ文化祭休みほしかったわ……」
目をこすりながら坂道を登っていると――前方に見慣れた後ろ姿を発見する。
「……お?」
急ぎ足で追いつくと、そこにいたのは、いつものようにのんびり歩く椎名唯華。
だが――
「あれ……? なんかおかしいぞ?」
咲は思わず目を細めた。
唯華が着ている制服が――
いつもの新大阪第三高校の制服じゃない。
「……なにそれ」
灰色ベースの、シュッとしたデザインのセーラー服。胸元には深い藍色のスカーフ。
まぎれもない、黒曜崎女学園の制服だった。
「お前、お姉ちゃんの服、勝手に持ち出してどないしたんや!」
咲がツッコミながら肩を叩くと、唯華はにやにや笑いながら振り向いた。
「いやこれ、あてぃしの制服やし」
「はぁあああああ!?!?!?」
咲の顔が、まさにマンガのようにバゴン!!と驚きで引きつった。
「う、うそやろ!? 待って、何、何? どゆこと!?うち、まだ寝とる!? 現実バグっとる!!?」
手をバタバタさせながら、必死に周囲を見回すが、登校中の生徒たちはみんな普通に歩いている。
冷や汗がじわじわと背筋を伝う。
「え、うそ、転校!? 新大阪第三から黒曜崎女学園に!?なんで!? どうして!? 受験とかそんな真面目な話、椎名がするわけないやん!!」
「……もう、こっちには来いひんからな~」
唯華はそう言い残すと、ひらひら手を振りながら、咲とは逆方向――黒曜崎女学園の門へ向かって歩いていく。
「ま、待てやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
叫びながら手を伸ばした――その瞬間。
「はっ!!!!」
ガバッと布団の中から跳ね起きる咲。
汗びっしょりの顔で、荒い息をつきながらあたりを見回す。
(……夢やった……よかった……ほんまよかった……)
心底ホッとしながら枕に顔を押しつけると、
「……いや、あんな制服似合うわけないしな」
一人で納得して、再び布団に潜り込んだ。文化祭後の夜は、まだまだ波乱含みのままだった。
朝の光が町を淡く照らす中、咲は眠い目をこすりながら、いつもの道を学校へと向かっていた。
「はぁ~……昨日、変な夢見たから寝不足や……」
とぼとぼと歩きながら、ふと、前方に見慣れた髪色が揺れているのに気づく。
「……ん?」
近づいていくと、そこにいたのは――椎名唯華だった。
だが、今日の唯華は――制服ではなく、私服姿。
ラフなパーカーに、スカート。
両手ポケットに突っ込みながら、だるそうに立っている。
その瞬間、昨日見た夢の光景が脳裏に蘇る。
(……まさか……!!)
嫌な汗がじわりと額に滲み、咲は恐る恐る口を開いた。
「……お前、まさか……私服の学校に転校したんじゃ……!?」
心なしか、声が震えていた。
だが、唯華は「は?」という顔で首をかしげた。
「何言うとんねん。今日は文化祭後やし、学校休みやで?」
「……あ」
「うちも今日は暇やし、アルカナにでも行こか思てな~」
唯華は特に気にも留めず、ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。
その様子を見て、咲はその場で項垂れた。
「……良かった……転校とか、現実になってへんかったんやな……」
「ほんま、朝からなにテンパっとんねん」
「こっちは命かけて焦ってたんやぞ……」
肩を落としながら、笹木は心の底からホッと息をついた。
朝の空気は冷たかったが、心なしか、さっきより温かく感じた気がした。
アルカナの店内――
昼下がりの静かな時間帯、店内にはカウンター越しに漂う珈琲の香りと、微かなレコードの音だけが流れていた。
そのカウンター席に、加賀美ハヤトが静かに腰掛けていた。
向かいには、花畑チャイカが立っている。
二人の間には、まるで何か見えない厚い幕が下りたかのような、張りつめた空気が漂っていた。
チャイカはグラスを拭きながら、ふと低い声で言葉を投げた。
「……随分と、悪どいことをしたのね」
その言葉に、ハヤトは微笑んだ。穏やかな――だが、どこか冷たさを帯びた、不敵な笑みだった。
「人生というのは、常に――どれだけ天に向かって羽ばたくことができるか、なんですよ」
静かに、そして揺るぎない口調で語る。
「飛べない者に価値がないのは、竜でも人間でも変わりません。
欲しいものは、全て手に入れなければならない。
気に入らないものは、壊さなければならない。
――さもなければ、私の命に意味などありません」
その言葉には、迷いも悔いも一切なかった。
チャイカは手を止め、ゆっくりとハヤトを見据える。
「……そうして羽ばたいていけるのが、“天”ではなく“地獄”だったとしても?」
一瞬の間。
ハヤトはほんのわずかに目を細め――すぐに、口元に笑みを浮かべた。
「構いませんよ」
「……」
「気に食わない天国で生きるよりも、自ら選んだ地獄を歩む方が――よほど、私の性に合っている」
低く響くその声に、チャイカはただ黙って応えた。
ふたりの間には、グラス越しに映る、誰にも触れられない“覚悟”だけが揺れていた。
アルカナの扉が、ギィ……と音を立てて開く。午後の陽光に目を細めながら、加賀美ハヤトは静かに外へと一歩踏み出す――
――が。
すぐ目の前に、誰かが立っていた。
ラフな私服姿の少女―椎名唯華だった。
ハヤトは足を止め、少し眉を上げる。
「……失礼」
そう言って、唯華を避けるように一歩横へずれようとした――そのときだった。
唯華が、迷いなくハヤトの両腕をがしっと掴んだ。
「……!」
驚くハヤトの前で、唯華は――まるで叫ぶように声をあげた。
「そんな悲観するようなこと、言うなや!!」
「……」
「夜見も、葉加瀬も――みんな、あんたに感謝しとるんやで!!」
小さな身体で、必死に訴えかけるように。
その言葉は、まっすぐだった。
ハヤトは、しばらく無言で唯華を見下ろし、やがて静かに答えた。
「……どこで、何を聞いたかは知りませんが」
冷静に、しかし、どこか遠くを見つめるように言葉を紡ぐ。
「私はただ、欲しいものを手に入れて、気に食わないものを壊しただけです」
「……」
「あなたが思っているほど、私は――善人じゃありませんよ」
静かな、しかしはっきりとした言葉だった。
唯華は、その言葉をしっかりと受け止めたかのように、ほんの少しだけ間を置いて、そっとハヤトの腕から手を離した。
そして――
消え入りそうな、けれど確かな声で呟く。
「……あてぃしは何も知らん。
――知らんけど、あんたはきっと、人に誇れる立派なことをしたんや」
その一言だけを残して、唯華は小さな背中を向け、
アルカナの扉をくぐって中へと入っていった。
ハヤトはその背中をしばし見送ると――
ふう、と小さくため息を吐き、素の困ったような表情を浮かべる。
「……こういうふうに言われるのが、一番困りますね……」
そうぼやくと、ハヤトは再び、歩き出した。
まるで何もなかったかのように。
けれど、確かに――心に微かな波紋を残しながら。
午後の陽射しが傾き始めた頃――咲は、少し寄り道をした帰り道に、ようやくアルカナへと到着した。
「ちょっと遅くなったな……」
扉の前に立ち、手をかけたその瞬間――
「ひあああああああああああっっ!!!!!」
中から突然、唯華の悲鳴が轟く。
「……うわっ!? な、なにごとや!?」
咲は思わず慌てて扉を開ける。
そこには、夜見と唯華がソファに並んで座り、大型モニターの前で何かをしていた ――どうやらゲーム画面。
唯華はコントローラーを持ったまま、顔を真っ青にして身を震わせ、
隣で夜見がニッコニコと笑っている。
「椎名先輩、霊能力者なのにホラーゲーム苦手なんですねぇ~?」
「う、うるさいっ……!! これはあれや!! “霊”と“ゲームの霊”は別物なんや!!」
「はいはい、負け惜しみ負け惜しみ~」
完全に唯華をおもちゃにしている夜見を見て、咲は呆れたように手を腰に当てる。
「おい夜見。黒曜崎なら今日は学校あるやろ。はよ行けや」
「えぇ~? 今日はねぇ、学校なんにもないし、つまんないから行きたくな~い」
「学校って“行きたい・行きたくない”で決めてええ場所ちゃうからな……」
咲はため息をつきながら、カウンター近くの椅子にどかっと腰を下ろす。
唯華はまだビクビクしている様子で、モニターから距離を取りながら弱々しく言った。
「……も、もうやめようや……心臓に悪い……」
すると夜見はケラケラと笑いながら、コントローラーを置いて振り向く。
「この間“神通力”かけられたお返しだよ~」
「……は?」
その言葉に、咲の手がぴたりと止まる。
「……今、なんて言うた……?」
咲は、まさに“それ絶対聞き逃したらあかんやつ”という目つきで、唯華の方をじっと見る。
唯華は、無言で視線を逸らし、ソファのクッションの方に体を向けた。
咲は唖然としたまま、固まった。
「……“神通力”て。……は? なに? それ、アニメの話? それとも……実話?」
部屋の中に、なんとも言えない沈黙が流れる。
そして――
(……あれや……前に、ましろに……)
以前、エレベーターを出るとき、何か霊的な力をかけられたような感覚があったあの瞬間。
(……あれ、もしや、椎名も同じようなことできるんやないか……?)
じわり、と背中に冷たい汗が滲む。
咲はそっと、椎名唯華から微妙に距離を取ってみる。
(……なんか知らんけど、距離置いとこ……)
その様子を見た唯華は、何かを察したのか、わざとらしく夜見に抱きつきながら、ふざけた声をあげた。
「うちら、化け物みたいな扱いされとる~~~!!」
「うわ~椎名先輩泣かないで~泣かないで~」
夜見も調子を合わせ、ふたりで抱き合いながら嘘泣きを始める。
咲は困惑しつつも、微妙に目を逸らしていたが――
その様子を見ていたカウンターのチャイカが、グラスを拭きながらぼそっと言った。
「……あんたらの仲だから大丈夫だろうけど、あんまり怖がると、本気で傷つくぞ」
「……わ、わかっとるわ……!」
咲はぎこちなく返事し、しぶしぶと椎名の隣の席に戻る。
「……もうちょい優しくしてや……」
唯華は相変わらずふざけたまま、夜見と一緒に肩を組みながら笑っていた。
咲は心の中で(うーん……人間関係って難しいわ……)と小さくため息をついていた。
カウンター越しに、チャイカがグラスを拭きながらふっと笑った。
「で、文化祭の方はどうだったんだ?」
その問いに、笹木はソファにぐったりともたれかかりながら返す。
「……いやぁ……文化祭はええとしてな……」
チャイカが片眉を上げると、笹木はポケットから折りたたんだ食券を取り出して見せた。
「「社」の店主から、また変な仕事受けてもうてん」
「変な仕事?」
「東京に行って、巷で「天下無双」って噂されとる情報屋とコンタクト取れたら、これ(1000円分の食券)の50倍の報酬出す、って言われたんや……」
「は?」
チャイカは思わずグラスを置き、額を押さえた。
「……あいつも相当無茶ぶりするもんだな……」
笹木は肩をすくめる。
「せやろ……!? なんやねん、天下無双て……漫画のキャラか……?」
チャイカは深く息をついて、少し真剣な表情になる。
「「天下無双」はな……確かに捕まえることができれば、「社」にとっては相当魅力的な存在だろうが……」
「……?」
「あいつも、先日の「フリーの霊能力者」と同じ類だ。一度依頼を受けると二度と捕まらないことで有名だし、そもそも居場所を知る人間はまずいない」
「…………」
笹木は呆然とチャイカを見つめ、次の瞬間、机に突っ伏した。
「……もうやめてくれ……どんどん話が現実離れしとる……」
唯華と夜見はくすくす笑いながらポテトをつまみ、
チャイカはやれやれと首を振りつつ、
「……まあ、気負うなよ」と優しく声をかけた。