放課後の帝南大付属高校。
校門を出てきた葛葉は、何気なくあたりを見回して――固まった。
「……マジかよ……」
ため息を吐く。
そこに立っていたのは――
誇らしげな笑顔を浮かべる、新大阪第三高校の制服の少女、笹木咲。
「悪いやつに絡まれんように、
今日も一緒に帰るからな!!」
ドン、と自信満々に宣言すると、笹木は半ば強引に葛葉の腕にしがみつき、「さ、帰ろ帰ろ」と引っ張り出す。
「お、おい……!」
葛葉は困惑しながらも引き剥がせず、ただ頭を抱えるように呻いた。
そんな二人の姿を、周囲の男子生徒たちが見逃すはずがない。
「……え、葛葉、彼氏できたのか!?」
「やるなぁ、葛葉~!」
「さすが銀狼、隠れてモテてやがった!」
次々に囃し立てる声が飛び交う。
「ち、ちげぇ!! 全力で違ぇからな!!」
葛葉は必死で否定するが、笹木はにこにこ笑いながら、「まあまあ、恥ずかしがらんでええって!」と冗談を飛ばす。
その様子に、葛葉はさらに頭を抱え、「……帰りてぇ……」と心底疲れ切った顔をしていた。
夕暮れの帰り道、笹木と葛葉は並んで歩いていた。
沈黙の中、ふいに葛葉が口を開く。
「……世の中、秘め事をバラされたくない人間なんて、山ほどいる」
笹木は横目で葛葉をちらりと見た。
「中にはな……自分の存在を維持できないほどに、苦しむことになる奴もいる。――それはお前だって、知ってるはずだろ」
笹木はハッとしたように足を止める。頭の中に、夜見や葉加瀬、椎名、ましろ――それぞれが抱えている「見せない部分」がふっと浮かんだ。
(……確かに……)
胸が少し痛んだ。軽率に「正義」とか言ってた自分が、ちょっと恥ずかしい。
けれど――
「……でも、あんたは正義感があって、そういうことしとるんやろ……?」
笹木は素直に言葉をぶつける。
葛葉は苦笑し、わずかに首を振った。
「本能でやっちまうだけだよ」
「……」
「最初はちょっと手を出したつもりが、一度手を出したら、全部抜き取るまで終わらない」
淡々とした口調。
「最初はな……腹の底の胸糞の悪さを消すためにやってた。でも、段々と歯止めが効かなくなるんだ」
笹木は黙って耳を傾ける。
「……露骨にヤバいやつには手を出さないようにしてる。あの奴隷使いとか、な。でも……それでも気づけば、チャカを弾かれるようになってるのは事実だ」
淡々と語る葛葉を、笹木はじっと見上げ――やがて、ふっと笑った。
「……じゃあ、やっぱり正義感あるんやんけ」
そう言って、にこっと笑いかけた。
葛葉は一瞬目を見開き、その後、「はぁ……」と疲れたように頭をかいて、「めんどくせぇ奴だな……」と笑い混じりに呟いた。
「昨日狙ってきたやつ、ボコボコにしてやろうや!!」
笹木は腕をブンブン振り回し、怒り全開で葛葉に詰め寄る。
「いや……お前な……」
葛葉はうんざりした顔で手をひらひら。
「放っといたら何してくるか分からんで!!」
笹木はなおも食い下がり、ぐいっと葛葉の腕を引く。
「……はぁ……」
葛葉は仕方なく肩を落とし、渋々うなずいた。
「……じゃあ、ターゲットにした相手の中で、そういうことしそうな奴教えてくれや」
笹木は身を乗り出して葛葉に詰め寄る。葛葉はポケットに手を突っ込み、少し考え込む。
「……何となく目星はついてる。質の悪い、それこそお前を間違って標的にするような、俺みたいな素人でも察するような殺し屋を雇うなら――そいつは、そこまでの「プロ」とは通じてない」
「……?」
「こないだの奴が、“百撃ちゃ当たる”みたいに似たような雰囲気のやつを片っ端から狙ってる奴なら別だが――似たような被害報告は挙がってない」
「……つまり?」
「一人はな、関西で幅をきかせてるホストの帝王――伊ノ渦勝也」
「……」
「若い女を中心に人気な、一見草食系の優男ホストだが――裏では暴力団とも通じ、絞り尽くした客を裏社会の水商売に売り捌いてた悪党だ」
「……はぁぁぁ……」
笹木は顔をしかめ、胸を押さえながらうめくように言った。
「……なんで最近、こんな話ばっかやねん……」
葛葉は小さく笑い、
「……そういう奴に、目ぇつけられるのが、俺たちってことさ」
と、皮肉混じりにつぶやいた。
「もう一人は――潮留あずさ」
葛葉が口にした瞬間、笹木は思わず声を張り上げた。
「有名人やん!!あの近年稀に見る『理系女子』って言われてる、美人生物学教授やん!!」
目を見開き、両手をぱっと広げる。
「テレビで見たことあるで!?めっちゃ美人で、研究者のカリスマで――女性向け雑誌の表紙にもなっとるやん!!」
葛葉は少し肩をすくめ、淡々と続けた。
「……だいぶ前、潮留に息子がいたのは覚えてるか」
「……ん?」
笹木は一瞬考え込み、やがて「ああ!」と手を打った。
「そういやおったなぁ……赤ちゃん産まれて、元気な男の子やって。その時はテレビとかでも大ニュースになって……最近はどうしてるんやろ」
首をかしげながら、スマホを取り出そうとする笹木。
葛葉は目を伏せ、低い声で言った。
「――その男の子の件についてだが、なぜか、メディアやネットにも情報が出てこない」
「……は?」
「ある日突然隠されたわけでもなく、まるで――
『そんな情報、最初からなかった』みたいになってる」
「んなアホな!!そんなわけないやろ!!」
笹木は笑い飛ばしながら、スマホで勢いよく検索をかけ始める。
だが――
出てくるのは、潮留あずさ本人の研究業績、講演会、学術誌の記事、最近のインタビュー。
だが、息子や家族に関する記事は……どこを探しても、ひとつもない。
「……う、うそやろ……?」
笹木の顔から笑みが消え、スマホを持つ手がじわりと震える。
「……ほらな」
笹木は、震えるスマホを手に持ったまま、なんとか笑顔を作って取り繕おうとした。
「……て、テレビが……気ぃ使ったんちゃうか?ほら、有名人の息子って苦労するしなあ……マスコミが空気読んで、手ぇ引いただけで……」
だが、葛葉は即座に、静かに否定した。
「それだったら――語らなきゃいいだけだろ」
「……」
「有名人が、いくら息子に負荷を負わせたくないにしろ――なにも『出産した』ってニュースまで、抹消する必要はないだろう」
「……っ」
笹木の顔から、完全に笑みが消える。
葛葉は、手をポケットに突っ込み、低く冷めた声で続けた。
「……不思議なのはな――ニュースやメディアならともかく、それを語る掲示板やSNSの記事まで、存在しないことだ」
「……!」
「不祥事の政治家ですら、そんなこと、しねえだろ」
「……」
笹木は、改めて背筋がぞくりとし、
思わず一歩、後ずさりした。
言葉にできない、底知れない寒気が、
足元からじわじわと這い上がってくるようだった。
笹木は、震える指でスマホを胸元に押し当てながら、
不意に頭の中で、葉加瀬冬雪の顔を思い浮かべた。
(……もし、葉加瀬がここにおったら、これ、どう推理するやろ……)
喉の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚。
とっさに口をついて出た言葉は――
「……あ、赤ちゃん、もしかして……
実験台にされたんか……?」
恐る恐る、息を呑む。
葛葉はポケットに手を突っ込んだまま、どこか諦めたような笑みを浮かべ、小さく呟いた。
「……もしくは――
そのために作られた赤子だった……なんてな」
「――!!」
その想像が頭に浮かんだ瞬間、
笹木は思わず両手で口を押さえ、
喉の奥がきゅっと詰まって、
目の奥がぐらぐらと揺れた。
「……っ、うっ……」
吐き気を催し、路地の壁に手をついて、しばらく耐える。
しばらくして、ようやく呼吸を整えた笹木を、葛葉がちらりと見やった。
「……落ち着いたか」
「……っ、な、なんなん、もう……」
葛葉は片手をポケットから抜き、少しだけ視線を柔らかくして言った。
「……潮留と伊ノ渦のデータなら、『社』のホームページのデータベース、ロックフォルダの中にある」
「……」
「お前の虹彩認証で開けられるよう、店長に頼んどく。――明日にでも見てくれ」
それだけ残し、葛葉はふっと踵を返し、煙のようにその場を後にした。
笹木は、壁に寄りかかったまま、まだ少し青ざめた顔で、遠ざかる背中を呆然と見送っていた。