笹木がうっすらと目を開けると、見慣れた天井が視界に広がっていた。
制服のままベッドに横たわっている自分に気づき、頭を起こす。
「……ん……夢でも見てたんか……?」
朦朧とした意識の中で、体をゆっくり起こし、部屋の壁にかかった時計を見る――
午前7時。
「え、朝……?」
首を傾げながら扉を開け、廊下に出ると――
「やっと起きた!!」
母親の声が炸裂する。心配そうに駆け寄ってきて、笹木の肩をがっしり掴む。
「どこか痛いとこないか!? 熱とかないか!?あんた、おとんは『寝てるだけや』って言うたけど、それでもおかんはずっと心配してたんやで!?」
「……いやいや、そんな大げさな……ウチ、そんな寝てへんやろ……」
そう面倒くさそうに言い返した瞬間――
「あんた、丸二日寝てたんやで!!」
「……は?」
血の気がサッと引く。ポケットからスマホを取り出し、ロックを開くと――
表示された日付は、確かに“翌々日”になっていた。
「う、うせやろ……」
思わず呟いたあと、混乱しながら制服の前をはだけていく。
「……とりあえず、これ脱がな……」
パチン、パチンとボタンを外し始めたその時――
「ちょっ!? ここで脱いだらあかんて!!」
母親が慌てて部屋のドアを閉め、咲を押し戻すように部屋に引っ張り込む。
「ほら、あんた運んできた友達、制服見とったけど……あれ、どこで知り合ったん?あんなん、ええとこのお嬢やろ!?椎名さんもエラいとこの子やのに、あんた、はしたないことせんときや!!」
「……戻った途端これかいな……」
笹木は制服の襟を半分脱いだまま、盛大にため息をついた。
部屋着に着替え、ようやく落ち着きを取り戻した笹木は、手に持っていたクタクタの制服のワイシャツとスカートを洗濯機に放り込んだ。
「制服もボロボロやなぁ……」
洗剤を入れようとしたところで――
――ピンポーン。
チャイムの音が鳴り響く。
「……宅配かなんかか……?」
笹木は特に気にも留めず、「おかんが出るやろ」と背を向けたが――
リビングから聞こえてきたのは、
電話の受話器を手に持ち、
どこかに真剣な口調で連絡している母の声。
(誰も出る気配、ない……)
「……しゃーなしやな」
笹木はだるそうにスリッパを引きずり、玄関へ。
ガチャッ――と扉を開けると、
そこにいたのは――
「しゃしゃぁ!!」
「許せねえぇ!!一体誰がこんなことをぉ!!」
――椎名唯華だった。
「うおっ……」
叫びながら勢いよく飛びついてくる唯華に、笹木はよろめきながら思わず後ずさる。
「ちょっ、椎名っ……!?お前なぁ……!」
唯華は、涙目……に見えなくもないが、顔は明らかに笑っており、ふざけ半分の様子。
「見舞いに来たんやでぇ~?うちが咲の代わりに犯人ぶん殴ってくるわ!!」
ぎゅぅぅっと笹木に抱きついたまま、ぴったりくっついて離れない。
「……お前、本気なんか冗談なんか分からんわ……」
反応に困った笹木は、結局、そのまま唯華にされるがまま抱きつかれながら、呆れ顔でため息をついた。
「……どいて」
――カチャッと音もなく、玄関の扉がもう一枚、無言で開いた。
そこに立っていたのは、私服姿の――葉加瀬冬雪。
「わっ!? はかせ!? いつからおったんや!?」
驚く唯華を無言でつかまえ、ヒョイッと笹木から引きはがす。
「ちょ、咲!ノックくらいし――」
「……はい、飲んで」
葉加瀬は笹木の言葉を無視して、無言でスポーツドリンクのペットボトルを差し出す。
「……は?」
「飲め」
ごくり。
笹木が戸惑いながらもドリンクを飲み始めた瞬間――葉加瀬の動きが変わった。
ポケットからスマホと機器を取り出し、手際よく意識レベルの確認に入る。
「氏名は?」
「え、ささきさ――」
「今日の西暦、日付、曜日」
「に、20XXねん……9がつ……あれ、今日……水曜……?」
「反応正常。次」
葉加瀬は手際よく、スマホアプリと外部機器でバイタルサインを測定。
体温、脈拍、血中酸素飽和度、血圧――すべてチェック。
続けて、外傷や火傷の確認も行い、服の下や首筋などを
素早く、だが乱暴にはせずに目視確認。
「……異常なし」
次に瞳を覗き込み、対光反射の確認。
ペンライトで片方ずつ光を当てて瞳孔の反応を見る。
「目、動かす。上、下、左、右」
「え、えぇ……こう?」
「顔、四肢、知覚の麻痺なし。ろれつ、記憶、理解、すべて正常。……意識レベルも問題なし」
葉加瀬は、一息ついたように小さく頷いた。
そして、最後に――強い口調で笹木に言い渡した。
「……すぐに病院に行って」
「……へ?」
「尿検査、血液検査、心電図の検査ができるとこ。理由聞かれたら、こう答えて」
葉加瀬は真っ直ぐ目を見て言った。
「『友達の家で壊れたコンセントに触って気絶した』って」
言葉にこもった冷静で鋭い圧に、笹木も唯華も――息をのんだ。
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「そろそろ休ませた方が良いって言ったの、椎名先輩じゃ~ん」
夜見が、笹木のベッドに腰を下ろしながら、無邪気な笑顔で言い放つ。
その横で、机に肘をつきながら書類を見ていた葉加瀬冬雪が、小さくため息を吐いた。
「……確かに、そろそろ無理にでも休ませろとは言ってたけどさ。まさか電撃で気絶させるとは思ってなかったよ……」
呆れたように言いながら、背もたれに寄りかかり、頭を軽く振る。
「……電気ショックで眠らせるなんて、ドラマでよく見るけどなぁ」
「そんなに……マズいんか?」
唯華がキッチンから顔を出しながらのんきに尋ねたその瞬間――
「心不全で最悪死ぬけど」
葉加瀬の即答に、部屋の空気が一瞬止まる。
「ひ、ひぃぃ……っ!!」
唯華は声にならない悲鳴を上げ、その場に凍りついた。
おかん、もっと病人なんやから大事にせえや…
そんなぼやきを胸に抱えながら、咲は一人で帰宅した。
玄関の扉を開けて、靴を脱ぎながら「ただいま」と小さく呟く。返事はない。やっぱり、誰か寝とるんやろな――そう思ってリビングの扉をそっと開けたその瞬間。
「……はあ?」
視界に飛び込んできたのは、床に並んでごろ寝している椎名唯華と夜見れなだった。
二人は毛布にくるまって、ぴったりとくっついて眠っている。唯華の腕には夜見の頭が収まっており、その表情はどこか満足げで、いつになく穏やかだった。
「……こいつら、なんのカップルムーブやねん……」
呆れた声を漏らしつつ、笹木の視線はすぐ近くに座っている葉加瀬冬雪に移る。
葉加瀬はというと、二人の隣に陣取り、コントローラー片手に黙々とゲームに没頭していた。
「よし……ここのバグは直ってない……やっぱ公式、手抜いてんな……」
独りごちるその口調は、あまりに日常すぎて逆に非日常感を強調していた。
「なんやこいつら……」
笹木は心底あきれた顔でぽつりと呟きながら、キッチンへ向かう。
ポットのスイッチを押して、湯が沸くのを待ちながらふとリビングを振り返る。
唯華が寝返りを打ち、夜見に顔をうずめるようにしている。
夜見は……起きてるのか起きていないのか、微動だにせず、ただ静かに息をしていた。
「なんやねんこの空気……百合百合しいのと、無感情ロボしかおらんやん……」
ポットがコポコポと音を立てはじめる。
笹木はマグカップを取り出し、インスタントの紅茶を入れると、ひと息ついてからソファにどさっと座った。
「……まあ、誰も死んでへんだけマシか」
ほんの少し微笑みながら、カップを口元に運ぶ。湯気の向こう、唯華の髪に夜見の黒髪が混ざるのをぼんやりと眺めていた。
しばらくして。
静けさの中、ゲームの効果音がひときわ鋭く響く。
葉加瀬冬雪がコントローラーを操作する手を止めることなく、ふいに言った。
「ちゃんと尿検査と血液検査してきた? 心電図はどうだった? 結果いつ出る?」
視線は画面のまま。声色も抑揚のない、いつも通りの無表情。
「……え? あ、ああ……一週間後やて」
笹木はカップの湯気越しに目を丸くする。
「心電図は……まあ、別に異常は言われんかったけど」
「ふーん」
葉加瀬はゲームの中で敵を撃退しながら、ぽつりと続ける。
「血液検査は時間かかるからね。……社長の会社行って、私が検査した方が良かったかも」
「えぇ……」
コーヒーを淹れていた笹木は手を止め、じわりと葉加瀬を振り返る。
「……あんた、何でもできるんやな……」
その声には、少しだけ呆れと、ほんの少しの尊敬が混ざっていた。
コーヒーが静かにドリップされていく音だけが、リビングに満ちる。
唯華と夜見は相変わらずくっついたまま微動だにせず、時折どちらかが寝息を立てるだけ。
葉加瀬は、しばらく黙ったままゲームを進めていたが、不意に淡々と口を開いた。
「まあ、大丈夫でしょ」
その一言に、笹木は少しだけ口元を緩めた。
「……なんか今日のあんた……普通やな」
「まあ――強いて言うなら」
唐突に、葉加瀬がぽつりと呟いた。
「ここまでおんぶに抱っこされてる椎名ママの友達、死なせると……目覚めが悪いからね」
「……うわぁ」
コーヒーを注ぎながら、笹木は思わず眉をひそめる。
「そんなん理由なん……」
葉加瀬は返事をせず、淡々とゲームの中で次のステージに進んでいた。
しばしの沈黙のあと――
笹木は、思い切ったように口を開く。
「……なあ、葉加瀬」
「ん?」
「“潮留あずさ”のこと…なんやけど」
「……」
ゲームのBGMだけが響くリビングで、葉加瀬はふと指を止めた。
だが、次の瞬間には何事もなかったかのように操作を再開しながら、あっさりと答える。
「……解剖でもしたんじゃない? 赤ん坊の方」
「……やっぱりそういうと思ったわ……」
笹木は額を押さえながら、静かにため息を吐いた。
「ちょっとは濁すとか、ないんか……」
「無いね。事実の方が、情報としての価値がある」
葉加瀬の声は平坦だったが、その目元には微かな苛立ちが浮かんでいた。
「てかさ」
彼女はふいに、コントローラーを置いた。
「私、8歳くらいの頃から夜見のこと知ってるんだけど」
「……え?」
「なのにさ、“どこの誰とも知らない奴の生き返り”とか言われんの、正直――不愉快すぎるわ」
珍しく、感情がにじむ言い方だった。
それまでと違い、どこか刺のある言葉の選び方。
笹木は、しばらく口を閉じてから、素直に言った。
「……そーなんか、悪かったな」
静かな謝罪に、葉加瀬は少しだけ顔をそらし、「……別に」とだけ、ぽつりと息を漏らした。
「……じゃあ、なんで……」
笹木は小さく呟きながら、マグカップを持ち上げる。
自分用に淹れたコーヒーは、まだ湯気を立てていた。
一口すすって、はふっと息を吐く。
――ほんまに、ようわからんわ。
そのとき、不意に毛布の中でゴソゴソと動く気配がした。
「……ん~……ふぁ……」
もぞもぞと起き上がってきたのは、夜見れな。
銀黒の長い髪をボサボサのまま、目元をこすりながら笹木の方へ顔を向け、
眠たげな声でぼやいた。
「笹木せんぱい……ご飯連れてって~……」
「……はぁ?」
目をぱちぱちさせる笹木の反応も待たずに、夜見はそのままソファに転がり込む。
そして――その背後で。
「……しゃしゃあ……うちにもご飯食べさせてや……」
毛布の中から、椎名唯華がぬぅっと顔を出した。
ぐしゃぐしゃの前髪、目元に残る涙のあと。明らかにまだ半分寝ている。
「うっわ……こいつら……」
笹木はカップを置いて、ぐっと額に手を当てる。
「なんでうちが保護者みたいになってんねん……」
だが、そんな彼女に夜見が目を細めて優しく囁く。
「まぁまぁ……笹木先輩も、お腹空いてるんじゃない?」
「……っ」
その言葉に、笹木はふと口を閉じ、自分の腹に意識を向ける。
――ぐぅぅぅ……
タイミング悪く響いた腹の音に、笹木の肩がぴくりと跳ねた。
「……うるさいわ」
小声でぼやきながらも、立ち上がって財布を取りに部屋へ向かうその背中は、どこか諦めにも似た頼もしさをにじませていた。