咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第5章 第12話:夜空

 ファミレスの店内は、ちょうどティータイムの終わり頃。客の数もまばらで、やわらかいジャズがスピーカーから流れている。窓際のテーブル席に、四人が並んでいた。

 

 笹木はソファ席の端、目の前に座るのは葉加瀬。その隣には夜見れな、そして唯華は笹木の隣でメニュー表を枕にして仰向けに倒れかかっている。

 

 「ねぇ~……このパンケーキのさ、アイスのってるやつ。三つ頼んでもええんかな?」

 夜見が無邪気に言うと、唯華が反射的に「うちの分はバニラな」と寝言のように返す。

 

 その中で、笹木のスマホがふいに小さく震えた。

 

 ――ピコン。

 

 机の下、こっそりと開いたメッセージ画面には、葉加瀬の名前と短い文章。

 

 『まあ、潮留は放っておきな。多分笹木先輩には関係ないよ』

 

 夜見に聞こえないように。そう配慮されたやり方だと、すぐにわかった。けど、それがかえって引っかかる。

 

 「……ふん」

 

 笹木はそっけなく鼻を鳴らし、そのまま窓の外へ目を向ける。

 

 春の光がガラス越しに差し込む景色の中で、遠くの交差点に親子連れが見えた。

 どこにでもある日常。どこにもない、自分たちの非日常。

 

 (関係ない、って……ほんまに、そうか?)

 

 けれどそれ以上は考えず、スマホを伏せる。

 

 それからしばらくして――

 「おまちどうさまです~」と、店員が次々と料理を運んできた。

 

 夜見のパンケーキ、唯華のハンバーグプレート、葉加瀬のサラダ&チーズカレーセット。

 そして、笹木のもとには――

 

 「……おお……」

 

 湯気を立てる鉄板のチキンステーキ、山盛りの白ご飯、わかめスープ。

 

 笹木は思わず、スプーンを持つ手を止める。

 たった二日、何も食べられなかった日々が、今のこの温かさに溶かされていく。

 

 「……うまっ……」

 

 最初の一口。チキンの肉汁と、ご飯の甘さが胃に染み渡る。

 無意識に目尻が緩む。

 

 「……人間って、食べると生き返るんやな……」

 

 その一言に、唯華が横で「……せやろ?」と小さく笑った。

 夜見も「おかわりしようね~」と呑気に続ける。

 

 テーブルの上では湯気と笑い声が混ざって、秋の空気に溶けていった。

 

 

 

 

 ファミレスを出た帰り道。

 

 夜の風が頬を撫でるように吹き抜け、街灯の光が歩道にまばらな影を落としていた。

 

 唯華は笹木に肩を預けながらあくびをしており、葉加瀬はスマホを見つめながら何かの演算でもしているのか、黙々と指を動かしていた。

 

 その少し後ろ――夜見れなは、誰にも気づかれないように足を緩めて、ひとり歩きながら夜空を見上げていた。

 

 (……記憶、ねぇ)

 

 ふと、心に浮かんだ。

 

 夜見の一番古い記憶。

 頑張れば、もっと思い出せるような気もする。けれど――それは、どうでもよかった。

 面倒くさいし、別に、思い出したくもない。

 

 ただ――

 

 ――ガシャン。

 

 分厚い鉄の扉が閉まる音。

 無機質な白い光。薬品の臭い。

 小さな自分の両腕には、金属製の枷。

 足元には床に伸びたコードと、カチャカチャ音を立てる機械。

 その向こうにいた、一人の女。

 

 怯えた目。焦った手つき。

 毎日のように顔を合わせていたその研究者は、いつも夜見に向かって――

 

 「……ごめんね……ごめんね……」

 

 そう、震える声で謝っていた。

 

 「なんで謝ってんだろう、って思ってたけどさ」

 

 夜見はぽつりと呟いた。

 声は誰にも聞こえない程度に、小さく。

 

 (笹木先輩の“記憶”……あれ見たときに、なんとなく繋がったんだよねぇ)

 

 潮留あずさ。

 かつて何かを抱え、消えた研究者。

 

 笹木が不穏な噂を調べていたその名前。

 

 「……なるほど、そういうことだったんだぁ」

 

 記憶の中の、あの謝り続けていた研究者。

 

 あれは――きっと、潮留あずさだったんだ。

 

 夜見は空を見上げて、ふふ、と不敵に笑う。

 

 笹木たちの談笑が遠くで続いていた。その音を背に、れなは夜空を見上げたまま、一歩一歩ゆっくりと歩みを進めていった。

 

 

 

 

 

 

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 ネオンの瞬きが夜空ににじみ、喧騒と排気の匂いが入り混じる繁華街。

 葛葉は、一歩ずつ足音を響かせながら、旧式の雑居ビルの裏手に足を踏み入れていた。

 

 「あいつが……ここに?」

 

 薄暗い路地。割れた窓ガラス、はがれかけたテナントの看板。

 建物の影に立つ黒い人影――それを見つけた瞬間、葛葉の目が鋭く光る。

 

 「……いたか」

 

 だが、近づくにつれて、その違和感に気づく。

 人影は……動かない。

 その背は、ビルの外壁にもたれかかるようにして、わずかに斜めに倒れていた。

 

 「おい……まさか……」

 

 葛葉が小走りに距離を詰めた、そのとき。

 

 「……っ、な……!」

 

 息が詰まった。

 

 そこにいたのは――伊ノ渦勝也。探していた、あの男だった。

 

 だがその男は、すでに――

 

 「……死んでるじゃねえか!」

 

 声がひとりでに漏れた。

 頭部から流れた血が乾きかけたまま、コンクリートの地面を汚している。

 瞳はうつろに開いたまま、呼吸の気配も、鼓動の気配もない。

 

 「……ちっ……!」

 

 葛葉は舌打ちし、素早く辺りを見回す。

 だが人の気配はない。

 夜のビル街の喧騒から切り離されたように、この裏路地だけが異様な静寂に包まれていた。

 

 (殺された……? 病死でも事故でもねぇ。これは……確実に“事件”だ)

 

 勝也の身体には目立った外傷こそ少ないが、倒れた姿勢と血痕の広がりが物語っていた。

 

 葛葉は拳を握りしめ、静かに息を整えた。その胸の奥には、かすかな安堵もあった。

 

 (……あの先輩、連れてこなくて正解だったな)

 

 もし今、あの無鉄砲な後輩がこの場にいたら、どれだけ危険だったか。

 血の匂いと死の気配に巻き込まれるには、あまりにも生々しすぎる現場だった。

 

 

 

 

 

 「は……? 死んだ……!?」

 

 カーテンの隙間から月光が差し込む自室。

 天井をぼんやり見つめながら、咲は布団の中でスマホを握っていた。

 

 着信音は鳴らなかった。

 代わりに画面の光が淡く震え、表示された名前に笹木の指がピタリと止まる。

 

 しばしの沈黙ののち、笹木は小さく目を見開いて、搾り出すように言った。

 

 『頭から血を流して、ビルの裏で倒れてた。病気とか事故って感じじゃねぇ。誰かが、やったんだろうな』

 

 通話越しの声には、怒りでも悲しみでもなく、ただ冷たい現実が滲んでいた。

 

 『これで残りは、潮留だけだが――』

 

 だが、葛葉の言葉を笹木が食い気味に遮る。

 

 「……いや、そいつはもうええ」

 「え?」

 

 「多分、追ってるやつとちゃう……」

 笹木は、ふと夜見の顔を思い出していた。

 

 その言葉に、しばらく無音が続いたあと、葛葉はぽつりと呟いた。

 

 『……そうか。……悪かったな。危険なことに巻き込んで』

 

 それだけ言って、通話はぷつりと途切れた。

 

 「……あー、なんやこれ……」

 

 スマホを置いて、笹木はベッドに再び横たわる。

 暗闇の中で天井を見上げながら、胸の奥がもやもやと渦を巻く。

 

 (……ほんまに、これでええんか……?)

 

 だが――

 

 『――笹木先輩、最近働き過ぎだから疲れてるんだよ』

 

 ふと、あの夜見の気の抜けた声が、脳裏に蘇る。

 

 「……うっさいわ」

 

 思わず口に出たその言葉のあと、笹木は静かに目を閉じた。

 

 眠気が、意外なほどすんなりと訪れる。

 まるで、脳がこれ以上考えることを放棄したかのように。

 

 布団の中で呼吸が落ち着いていく。

 

 ――そして、咲はそのまま、今度こそ深く、静かに眠りへと落ちていった。

 

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