ファミレスの店内は、ちょうどティータイムの終わり頃。客の数もまばらで、やわらかいジャズがスピーカーから流れている。窓際のテーブル席に、四人が並んでいた。
笹木はソファ席の端、目の前に座るのは葉加瀬。その隣には夜見れな、そして唯華は笹木の隣でメニュー表を枕にして仰向けに倒れかかっている。
「ねぇ~……このパンケーキのさ、アイスのってるやつ。三つ頼んでもええんかな?」
夜見が無邪気に言うと、唯華が反射的に「うちの分はバニラな」と寝言のように返す。
その中で、笹木のスマホがふいに小さく震えた。
――ピコン。
机の下、こっそりと開いたメッセージ画面には、葉加瀬の名前と短い文章。
『まあ、潮留は放っておきな。多分笹木先輩には関係ないよ』
夜見に聞こえないように。そう配慮されたやり方だと、すぐにわかった。けど、それがかえって引っかかる。
「……ふん」
笹木はそっけなく鼻を鳴らし、そのまま窓の外へ目を向ける。
春の光がガラス越しに差し込む景色の中で、遠くの交差点に親子連れが見えた。
どこにでもある日常。どこにもない、自分たちの非日常。
(関係ない、って……ほんまに、そうか?)
けれどそれ以上は考えず、スマホを伏せる。
それからしばらくして――
「おまちどうさまです~」と、店員が次々と料理を運んできた。
夜見のパンケーキ、唯華のハンバーグプレート、葉加瀬のサラダ&チーズカレーセット。
そして、笹木のもとには――
「……おお……」
湯気を立てる鉄板のチキンステーキ、山盛りの白ご飯、わかめスープ。
笹木は思わず、スプーンを持つ手を止める。
たった二日、何も食べられなかった日々が、今のこの温かさに溶かされていく。
「……うまっ……」
最初の一口。チキンの肉汁と、ご飯の甘さが胃に染み渡る。
無意識に目尻が緩む。
「……人間って、食べると生き返るんやな……」
その一言に、唯華が横で「……せやろ?」と小さく笑った。
夜見も「おかわりしようね~」と呑気に続ける。
テーブルの上では湯気と笑い声が混ざって、秋の空気に溶けていった。
ファミレスを出た帰り道。
夜の風が頬を撫でるように吹き抜け、街灯の光が歩道にまばらな影を落としていた。
唯華は笹木に肩を預けながらあくびをしており、葉加瀬はスマホを見つめながら何かの演算でもしているのか、黙々と指を動かしていた。
その少し後ろ――夜見れなは、誰にも気づかれないように足を緩めて、ひとり歩きながら夜空を見上げていた。
(……記憶、ねぇ)
ふと、心に浮かんだ。
夜見の一番古い記憶。
頑張れば、もっと思い出せるような気もする。けれど――それは、どうでもよかった。
面倒くさいし、別に、思い出したくもない。
ただ――
――ガシャン。
分厚い鉄の扉が閉まる音。
無機質な白い光。薬品の臭い。
小さな自分の両腕には、金属製の枷。
足元には床に伸びたコードと、カチャカチャ音を立てる機械。
その向こうにいた、一人の女。
怯えた目。焦った手つき。
毎日のように顔を合わせていたその研究者は、いつも夜見に向かって――
「……ごめんね……ごめんね……」
そう、震える声で謝っていた。
「なんで謝ってんだろう、って思ってたけどさ」
夜見はぽつりと呟いた。
声は誰にも聞こえない程度に、小さく。
(笹木先輩の“記憶”……あれ見たときに、なんとなく繋がったんだよねぇ)
潮留あずさ。
かつて何かを抱え、消えた研究者。
笹木が不穏な噂を調べていたその名前。
「……なるほど、そういうことだったんだぁ」
記憶の中の、あの謝り続けていた研究者。
あれは――きっと、潮留あずさだったんだ。
夜見は空を見上げて、ふふ、と不敵に笑う。
笹木たちの談笑が遠くで続いていた。その音を背に、れなは夜空を見上げたまま、一歩一歩ゆっくりと歩みを進めていった。
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ネオンの瞬きが夜空ににじみ、喧騒と排気の匂いが入り混じる繁華街。
葛葉は、一歩ずつ足音を響かせながら、旧式の雑居ビルの裏手に足を踏み入れていた。
「あいつが……ここに?」
薄暗い路地。割れた窓ガラス、はがれかけたテナントの看板。
建物の影に立つ黒い人影――それを見つけた瞬間、葛葉の目が鋭く光る。
「……いたか」
だが、近づくにつれて、その違和感に気づく。
人影は……動かない。
その背は、ビルの外壁にもたれかかるようにして、わずかに斜めに倒れていた。
「おい……まさか……」
葛葉が小走りに距離を詰めた、そのとき。
「……っ、な……!」
息が詰まった。
そこにいたのは――伊ノ渦勝也。探していた、あの男だった。
だがその男は、すでに――
「……死んでるじゃねえか!」
声がひとりでに漏れた。
頭部から流れた血が乾きかけたまま、コンクリートの地面を汚している。
瞳はうつろに開いたまま、呼吸の気配も、鼓動の気配もない。
「……ちっ……!」
葛葉は舌打ちし、素早く辺りを見回す。
だが人の気配はない。
夜のビル街の喧騒から切り離されたように、この裏路地だけが異様な静寂に包まれていた。
(殺された……? 病死でも事故でもねぇ。これは……確実に“事件”だ)
勝也の身体には目立った外傷こそ少ないが、倒れた姿勢と血痕の広がりが物語っていた。
葛葉は拳を握りしめ、静かに息を整えた。その胸の奥には、かすかな安堵もあった。
(……あの先輩、連れてこなくて正解だったな)
もし今、あの無鉄砲な後輩がこの場にいたら、どれだけ危険だったか。
血の匂いと死の気配に巻き込まれるには、あまりにも生々しすぎる現場だった。
「は……? 死んだ……!?」
カーテンの隙間から月光が差し込む自室。
天井をぼんやり見つめながら、咲は布団の中でスマホを握っていた。
着信音は鳴らなかった。
代わりに画面の光が淡く震え、表示された名前に笹木の指がピタリと止まる。
しばしの沈黙ののち、笹木は小さく目を見開いて、搾り出すように言った。
『頭から血を流して、ビルの裏で倒れてた。病気とか事故って感じじゃねぇ。誰かが、やったんだろうな』
通話越しの声には、怒りでも悲しみでもなく、ただ冷たい現実が滲んでいた。
『これで残りは、潮留だけだが――』
だが、葛葉の言葉を笹木が食い気味に遮る。
「……いや、そいつはもうええ」
「え?」
「多分、追ってるやつとちゃう……」
笹木は、ふと夜見の顔を思い出していた。
その言葉に、しばらく無音が続いたあと、葛葉はぽつりと呟いた。
『……そうか。……悪かったな。危険なことに巻き込んで』
それだけ言って、通話はぷつりと途切れた。
「……あー、なんやこれ……」
スマホを置いて、笹木はベッドに再び横たわる。
暗闇の中で天井を見上げながら、胸の奥がもやもやと渦を巻く。
(……ほんまに、これでええんか……?)
だが――
『――笹木先輩、最近働き過ぎだから疲れてるんだよ』
ふと、あの夜見の気の抜けた声が、脳裏に蘇る。
「……うっさいわ」
思わず口に出たその言葉のあと、笹木は静かに目を閉じた。
眠気が、意外なほどすんなりと訪れる。
まるで、脳がこれ以上考えることを放棄したかのように。
布団の中で呼吸が落ち着いていく。
――そして、咲はそのまま、今度こそ深く、静かに眠りへと落ちていった。