翌朝。
校門を抜けた笹木咲は、ぼんやりとした頭で昇降口へと足を運ぶ。
眠気が残る足取り。けれど、下駄箱の前で、その目が細くなった。
自分の靴箱の上に、一枚の白い封筒がそっと置かれていた。
「……は?」
裏に書かれていたのは、ただ一言。
『屋上前の扉まで来て』
差出人の名前はない。けれど、どこかやけに整った文字に、なんとなく覚えがあった。
(……本間、やろ)
仕方なく封筒を折りたたみ、靴を履き替えて廊下を上る。
屋上へ続く階段の踊り場――
その鉄扉の前に、制服姿の本間ひまわりが立っていた。
「……おはよ、咲ちゃん」
「なんやねん……朝っぱらから怪文書送りつけて……」
ぶっきらぼうに言う笹木に、ひまわりは頬を膨らませながらも、ふうとため息をついた。
「葛葉君が、迷惑かけたみたいやね~」
どこか不服そうな口調。それでも、その瞳にはまっすぐな真剣さが宿っていた。
「……『吸血鬼』について、教えるよ」
ひまわりが、ふと視線を外してそう言ったとき、笹木は眉をひそめる。
「歯止めが利かんで、全部の闇を暴いてまうから、やろ?」
しかし、ひまわりは静かに首を横に振った。
「……それだけじゃないよ」
踊り場の窓から射す光が、彼女の横顔を縁取る。
「葛葉君……一度、死んだことがあるんだ」
その言葉に、笹木の目が大きく見開かれる。
「……死んだ……って……」
ひまわりは、太陽を背に受けながら、どこか寂しそうな声で続けた。
「子供の頃、事故か――もしくは事件に巻き込まれたらしい。
お母さんと一緒に、重傷を負って病院に運ばれたって。
二人とも、心肺停止の状態で」
「……」
「でも、助かったのは葛葉君だけだった。
お母さんは、そのまま亡くなって……」
静かな空気が、階段の隙間から流れ込んできた。
制服の袖がわずかに揺れる。
笹木は、何も言えなかった。
ひまわりは、窓の方を見たまま、ぽつりと続ける。
「どこまでが本当かは、正直わからないよ。
でもね……葛葉君の母親自身、あんまり“望まれて”妊娠したわけじゃなかったって噂もあるんだ」
「……!」
「それで、“スンダル・ボロン”っていう吸血鬼の伝説と結びつけて、変なこと言う人が出てきた」
“スンダル・ボロン”――未婚のまま命を落とした女性が、幽霊や吸血鬼になって現れるという伝承。
「……つまり、“望まれなかった子どもが、母親の命と引き換えに生き残った”って話と、勝手にくっつけられたんやな」
笹木の声には、怒りと哀しみが混じっていた。
ひまわりは、そっと頷いた。
「うん。だから、葛葉君は“全部見えてしまうようになった”のかもしれない。……ある意味で、“生き返った代償”なんだよね」
階段の影に落ちるふたりの影が、ゆらりと揺れた。
しばらくの間、どちらも口を開かなかった。
静かな時間が流れていた。
ひまわりは窓の外を一度見てから、ふっと息を吐くように笑った。
「……でも、ダメだよ」
ぽつりと、そんな言葉が落ちる。
「人の男に手ぇ出したら」
「……は?」
「良い男でしょ? 葛葉君。
悪いけど、咲ちゃんになんて――あげないから」
ひまわりがくるりと振り返り、いたずらっぽくウィンクしてみせる。
「な、なな、なに言うてんねんっ!? そんなんちゃうわ!!」
顔を真っ赤にして手を振る笹木に、ひまわりは肩をすくめながら、くすくすと笑った。
「じゃあ――そういうことで♪」
ひらりと手を振り、制服のスカートをひるがえして、軽やかに階段を下りていく。
笹木は、呆然とその背中を見送る。
「……なんやねん……朝から……」
ぽつりと呟いて、笹木はそっと屋上前の鉄扉に背を預けた。
差し込む光が少しまぶしくて、思わず目を細めた。