咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第6章 第2話:翡翠の子

 夜――。

 

 咲は、重たい足取りでマンションの角を曲がった。チャイカや唯華の言葉に、頭では納得していた。……はずだった。

 

 けど、心のどこかがざわざわして止まらなかった。

 あの「殺し屋の少女」が、どうしても気になって仕方がない。

 

 そして、そんな思考をかき消すように――

 

 「……やっほー」

 

 低くて、間延びした、けれど妙に通る声が、路地の向こうからかかった。

 

 見上げると、街灯の明かりの下に、あの翡翠色の髪の少女が立っていた。

 制服の裾を揺らしながら、片手には棒付きの飴をくわえている。

 

 「見てらんないんだけど、そういうの。

 なんかさ……私が“悪者”みたいじゃん?」

 

 飴をくるくる舐めながら、まるで人懐っこいようでいて、心の底を読まれているような目。

 

 笹木の喉が、無意識にごくりと鳴る。

 昼間、背中に感じた銃口の感触が、脳裏によみがえる。

 

 (……こいつや……間違いなく、あの時の……)

 

 「……つ、通報するで。アンタ……」

 

 なんとか声を絞り出し、牽制するように言う。

 

 少女は飴を持ち替えながら、片眉を軽く上げて首を傾げた。

 

 「んー、それ、ちょっとムリかも」

 

 「……は?」

 

 「伊ノ渦勝也――あれならもう、警視庁が“自殺”で処理したよ。

 ……だから、たぶん立件できないと思う」

 

 さらりと、何の感情もなく言い放つその口ぶりに、笹木の背中を汗がつたう。

 

 (……何者やこいつ……)

 

 目の前にいるのは、絶対に“同年代のただの女子高生”なんかじゃない。

 

 少女は口の端に飴を咥えたまま、少しだけ笑う。

 

 「私もあんまり、自由の身じゃないからさ。できるだけ手短にね?」

 

 「……」

 

 「“学級委員”みたいなことは言わない。知らない連中のメールをちょっとハッキングする…みたいな軽犯罪を咎めたわけじゃない。」

 

 飴の棒をくるくる指で回しながら、少女は続ける。

 

 「皇族と繋がってる椎名家には、そもそもウチも簡単には手ぇ出せないし、それに――加賀美ハヤト。あれも怒らせると、さすがに“上”も震えるからね」

 

 笹木はもう何も返せず、ただ立ち尽くしていた。

 

 そして最後に、少女は飴を口から外して――

 

 「……でも、“可哀そうだから”って変なことばっか首突っ込んでると、

 うっかり命、落とすよ?」

 

 その声は、ふわりとした音の中に、確かな“警告”を含んでいた。

 

 笹木は、膝が軽く震えるのを自覚しながら、そっと深呼吸した。

 

 (こいつ……やっぱり、ただの人間ちゃう。ホンマもんの“殺し屋”や……)

 

 夜の風が吹き抜ける。

 まるで、彼女の影を、冷たくなぞるように。

 

 「……でも」

 

 咲が、小さくつぶやいた。声はかすれそうで、けれど確かな意志を含んでいた。

 

 「やっぱり……そういうことがあると、放っておけんし……」

 

 まるで、自分自身にも言い聞かせるような言い方だった。少女の足が、ふと止まる。

 

 ゆっくりと振り返ったその顔に浮かんでいたのは、からかいでも冷笑でもない――ごく短く、けれど確かに「心配」と呼べる表情。

 

 「……分は弁えなよ」

 

 その言葉はどこか優しかった。けれどそれは、戦場でしか生きられない者が、外の空気を知る人間に向けた警告のようでもあった。

 

 そして少女は袖をまくり、細い手首に嵌められた腕時計に目を落とす。

 

 「……そろそろ時間か」

 

 ぱちん、と飴の棒を唇に戻しながら、ふいに思い出したように続けた。

 

 「それと、“天下無双”なんだけど――」

 

 「……え?」

 

 「たぶん、君たちが持ってる資料、全部きっちり並べて整理すれば……なんとなく居場所、分かるんじゃないかな」

 

 その口調はあまりに軽い。

 けれど、少女の目は――明らかに“知っている者”のそれだった。

 

 「アイツさ、ああ見えて詰めが甘いんだよねぇ。言ってみれば、答えもう“教えた”ようなもんだし」

 

 笹木は何も言えず、ただその言葉の意味を反芻する。

 

 「だから――来てよ? 東京に」

 

 飴をくわえたまま、片目を軽く閉じて、いたずらっぽく笑う。

 

 「待ってるから」

 

 そして少女は、夜の街へと溶けるように去っていった。

 その背中が見えなくなったあとも、笹木の胸はずっとざわついていた。

 

 (……「東京」)

 

 (「天下無双」……ホンマに、全部の情報を重ねたら……そこにおるんか?)

 

 風が吹き、街灯がじわりと揺れる。

 その下で笹木は、ひとつだけ小さく、深い息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 翌日――。

 

 咲が「アルカナ」の扉を開けると、カラン、と涼やかな鈴の音が店内に鳴り響いた。

 

 その音に反応するように、すでに中にいた椎名唯華が、ぐるっと振り返って満面の笑みを浮かべる。

 

 「笹木! 分かるかもしれんで! 天下無双がどの辺におるか!」

 

 その言葉に、笹木の胸が一瞬高鳴る――が。

 

 「……あー……でも、やっぱ笹木は関わらん方がええかもなぁ……」

 

 唯華は急に眉を下げて、申し訳なさそうに視線を逸らした。

 

 「なんでやねんっ!!」

 

 笹木は思わず声を上げて、前のめりになる。

 

 「何や、うちは何言われようとやるで!? 知りたくないんか! 葉加瀬があんなになっとった、あの制服の少女の正体!」

 

 その言葉に、唯華の表情が変わる。

 夜見と目を合わせると、どこか苦笑いのような顔で答えた。

 

 「……それは……知りたいな」

 

 カウンターの奥からチャイカが顔を出し、ため息をつきながら言う。

 

 「まったく……あんたらは……。でも、もう止められそうにないな」

 

 笹木はこくりと頷くと、真っ直ぐ唯華を見る。

 

 「……それで、場所って?」

 

 「ふふん♪ これ見て!」

 

 唯華がテーブルにスマホを置く。

 そこには、天下無双の関係者らしき人物が写っている一枚の写真。背景にはぼんやりと、古い倉庫のような建物と海が写っていた。

 

 「この写真、背景が微妙に映っとるやろ!? これと似たような場所、探せばええねん!」

 

 誇らしげに胸を張る唯華の隣で、チャイカが椅子を引き、店奥のノートパソコンを起動する。

 

 「よっこらせ……このソフトで、建物の形状と地形、それから写ってる空の角度も参照できる。数分で候補は出せるよ」

 

 しばらくして、チャイカは画面を見つめながら言った。

 

 「多分、これ――東京都内、23区外の列浜駅周辺。拝山駅にはこんな古い建物はないし、唐岡駅からは海は見えない。記憶に残ってる景色とは一致しないな」

 

 「列浜か……」

 

 笹木は呟きながら、椅子に手をついて立ち上がる。

 

 「その辺りやと……どの学校の生徒なんやろ」

 

 「……だから、“学生”って可能性自体が、もしかすると――」

 

 チャイカがそう言いかけたとき、笹木はそれを遮って、カウンター奥の別の端末へと歩いていく。

 

 「いや、違う。……“中身”、絶対に変わっとるで」

 

 「……?」

 

 チャイカたちが怪訝な顔をする中、笹木は端末に自分の虹彩をかざした。

 

 ――ピッ。

 

 「社(やしろ)」のデータベースが開かれる。

 その中の、「天下無双」初期記録のフォルダを開き、そこに保存されていた古い音声ファイルを再生する。

 

 スピーカーから流れたのは、かつての天下無双――

 厳格だが、どこか優しげもある、だが意志の強い“誰か”の声。

 

 「これが……昔の……」

 

 チャイカが静かに呟き、腕を組む。

 

 「……なるほどね。確かに、メールで見た“天下無双の雰囲気”と、全然違う。音域も、喋り方も……」

 

 夜見はじっと黙って聞いていたが、やがてぽつりと口にした。

 

 「……誰かが、“代わった”んだね。名前も、肩書もそのままで。

 でも“中身”だけ、違う誰かに」

 

 「……なら、やっぱり行かなあかんやろ。列浜」

 

 笹木の声には、迷いはなかった。

 

 「……きっと、あいつの――友達やしな」

 

 天下無双が“学生”かもしれないという考えに至った理由。

 笹木咲は、それを心の中にしまったまま、口には出さなかった。

 

 その瞬間、夜見れなが壁の地図を指差しながら口を開いた。

 

 「この近くだと、学校は“列浜国際高校”ってところが一番近いみたいだね~」

 

 「……でも、それだけで決めつけるのは早いで」

 

 すかさず唯華が反論する。

 

 「分からんやん。うちとか夜見みたいに、わざわざ電車で私立通ってるパターンかもしれへんし」

 

 「それもあるな……」

 

 チャイカは腕を組みながらうなずきつつ、ふと思い出したように言った。

 

 「そうだ。列浜には、観光目的で設置された“駅前のライブカメラ”がある。

 あれ、動画投稿サイトでアーカイブ残ってるはずだ」

 

 「……!」

 

 「まあ、関東の学校の制服だからって、笹木みたいに関西から制服で学校当てるのは無理だけどな……ただ、ヒントくらいには」

 

 「それを先に言えや!」

 

 笹木はすでにノートパソコンの前へと移動していた。

 すばやく動画投稿サイトを検索し、「列浜駅 ライブカメラ 映像 アーカイブ」のワードで絞り込む。

 

 すぐに複数のアーカイブがヒットした。

 

 (よし……)

 

 笹木は映像をひとつひとつ確認しながら、通学時間帯の録画を再生し始めた。

 

 画面の中、改札を抜けて歩く学生たち。

 その制服のデザインを、一着一着見比べる。

 

 「……あっ」

 

 笹木の目が止まる。

 

 「……こいつら……」

 

 列浜国際高校の制服とは明らかに違う制服を着た学生が、それぞれ数人ずつ――どうやら二種類、別の学校の制服が混ざっている。

 けれど、その中に。

 

 ――二人だけ。

 

 明らかに“見覚えのある”制服を着た生徒が、改札を抜けていく姿があった。

 

 白地に、特徴的な濃紺のライン。

 昨日、背中に銃を突きつけてきた、あの翡翠色の髪の少女と――文化祭で唯華が追った、あの「翡翠の子」が着ていた制服。

 

 「……おった」

 

 笹木の声が低くなる。

 

 「なあ、唯華……」

 

 画面を指さして呼びかけると、唯華も目を凝らして映像を確認し――次の瞬間、息を呑んだ。

 

 「ここの奴やな……!」

 

 「……間違いないわ」

 

 二人は顔を見合わせ、無言で頷き合った。静まり返った店内に、唯一、夜見のスプーンがグラスの中でカチリと音を立てた。

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