夜の東京。
湿った路面にネオンの灯りが反射し、街の喧騒が遠くでぼんやりと響いていた。
とあるビルの裏手。
街灯の届かぬ細い路地に、無地のワゴン型の車がひっそりと停まっている。
そのスライドドアが、ギィィ、と静かに開いた。
「……疲れた~……」
制服姿の少女――北小路ヒスイが、スニーカーのつま先を地面に下ろしながら、重たげに車内へ滑り込んだ。
ワゴンの後部座席にどさりと身を投げ出し、背もたれにぐったりと寄りかかる。
運転席には、同じ制服を着た黒髪の高校生。
鋭い印象の眼鏡の奥から、ちらとルームミラー越しに視線を向けてくる。
「私さー、専門は斥候なんだけど?」
ヒスイがぼやく。
「なのにさ、なんでシューターやらされてんの。アスカにやらせなよ、ああいうのは……」
「はいはい」
運転席の黒髪は、手元の端末を確認しながら、半ば聞き流すように答える。
「今回は斥候やらせたでしょ。……で、何の話?」
「大阪の話に決まってんじゃん!」
ヒスイがすかさず返す。
目元にじわりと疲労がにじんだまま、テンションだけが妙に高い。
「伊ノ渦とかその仲間とかさ! 私、むっちゃくちゃシューターやったんだけど! 全弾私よ!? 何あれ、狩りじゃん!!」
後部座席で膝を抱えながら叫ぶように言う姿に、黒髪の少女は小さくため息をつく。
「……ちょうどその時、現場の工作員が全員出払ってたんだから、仕方ないでしょ。
第一、嫌なら“関西旅行”になんて行くな」
「うわぁー、それ言う!? マジで言う!?」
ヒスイは思いきり座席に顔をうずめた後、むくりと顔だけ上げて睨むように言った。
「ついでにたこ焼き食べて帰ってきたけど、全然気分転換になってないからね!? こっちはこっちで命懸けなんですけど!?」
「知るか。次の報告までにデータまとめといてよ、あんたのログだけすっごい量あるんだから」
「……はーい」
ヒスイは気怠そうに答えながら、再び椅子にだらりと沈み込んだ。
ワゴンの中に、エアコンの低い音と、キーボードを叩く電子音が交錯する。
――しばらくして。
ワゴン車のスライドドアが、ふたたびゆっくりと開いた。
カツ、カツ――と音を立てて、無言で乗り込んできたのは、もう一人の少女。
制服はヒスイたちと同じ――白と紺を基調とした、あの印象的な制服。
長い銀髪をひとまとめにして、右肩には黒いガンケースを背負っている。
「……ただいま」
彼女――セイラは、後部座席にライフルのケースを静かに置くと、そのままヒスイの隣に腰を下ろした。
「大阪、どうだった?」
振り返らず、ただ小さく尋ねる声。
けれど、返ってくるのは――長い、ため息だけ。
「……ふぅぅ~~……」
ヒスイは座席の背にもたれ、天井を見たまま一切言葉を返さなかった。
セイラは「なるほど」と小さく笑って、それ以上は何も聞かなかった。
そのまま車内に、微妙に湿った沈黙が流れる。
やがて、運転席の黒髪の少女がちらりと後ろを見てから、セイラに声をかける。
「夕飯、何か食べて帰る? こっち、深夜でもやってる定食屋ならあるよ」
「魚なら食べる。脂っこいのは無理」
「……じゃあ焼きサバ定食にしとく?」
「悪くない」
ヒスイはそのやりとりを、隣で無言のまま横目で見ていた。
会話は穏やかなのに――どこか、歪に整いすぎている。
そんな中、運転席の少女のインカムから、かすかに無線のノイズが響いた。
「……」
彼女はすぐさま小声で応答し、短くやり取りを交わす。
やがて、無線を切ったあと、ぽつりと――まるで事務処理のように言い放つ。
「……もう全員殺したのね。
なら――さっさと帰ってきて」
言葉に、何の感情もなかった。
命令された“誰か”が、どこかで命を奪ってきたことを、まるで日常の一幕のように受け入れている。
ヒスイは、それを聞いても、もう驚かない。
ただまたひとつ、ため息をついた。
「はぁ……もうちょっとマシな仕事回してくんないかなぁ……」
その呟きだけが、静かなワゴン車の中にぽつりと響いた。
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朝の光がまだ柔らかく、東京への高速道路は穏やかに流れていた。
チャイカが運転する黒のワゴン車は、淡々とアスファルトを走り続けている。
助手席では、咲がタブレットを手に、何やら真剣な表情で画面を睨んでいた。
「これや……“世怜音女学院”」
画面には、白と金を基調としたクラシカルなデザインのホームページ。その中に映るのは、まるで旧宮家の邸宅のような重厚な学舎の写真だった。
「めっちゃ古風な建物やな……」
スクロールしながら、笹木はふとある記述に目を留める。
>「※東校舎への入学・転入には、関係者からの推薦が必要です。」
「……これ、どういう意味やろ……」
思わず声に出し、画面を見つめる笹木の眉が寄る。文字の背後から、じわりと漂ってくる“普通ではない”気配に、胸の奥がざわめいた。
「え、なにそれ……?」
後部座席から覗き込んでいた唯華が、顔を近づけてきた。
「そんな注意書きしてる学校、見たことあらへんけど……」
「うん……なんか、物々しいなあ」
夜見も隣で髪をかき上げながら、ちらと画面を覗く。その時、運転席のチャイカがルームミラー越しに淡々と口を挟んだ。
「知られてないだけで、意外とあるぞ。そういう学校」
「えっ、ほんまに?」
唯華が驚いた声を上げると、チャイカはブレーキを踏まずに続けた。
「新大阪にはないが、難波まで行けば何か所かある。」
「……なるほどな……」
「ただ、そういうのは普通、学校ごと囲うのが基本だ。こうして“推薦枠の東校舎”と、“通常入試の西校舎”が混在してるのは――かなり珍しい」
「ってことは……一般人と、そうじゃない人が、混ざってるってことか」
笹木はタブレットを指でトントンと叩きながら、考え込んだ。
(“あいつ”が、仮にこの東校舎に通ってるとしたら……)
車窓の向こう、朝日が高層ビル群に反射してきらめく。その光とは裏腹に、笹木の心には、ますます濃い影が射し込んでいた。
東京都心の中心地――駅からすぐの高層ビルの一角にある、そのホテルは、明らかに学生が気軽に泊まるには不釣り合いな格式を備えていた。
白いクロスが張られたベッド、ガラス張りのバスルーム、天井まで届く窓からは東京タワーがちらりと見える。
「……これ、ほんまにホテルなんか?」
ベッドに腰を下ろした笹木咲が、どこか落ち着かなさげに天井を見上げる。
「わ~、めっちゃ広いなぁ……テレビのリモコンどれやろ~……」
夜見れなはすでにソファに体を預け、リラックスモード全開。
「なに言うてんの、ここくらいが基準やで」
椎名唯華が得意げに窓辺でポーズを決めながら振り返った。
「選んだんうちやし! 旅先のホテルは“勝負”やで? 泊まるところがしょぼかったら気分も落ちるしな!」
「……いや、気分の問題ちゃうねん。財布の話や……」
笹木が軽く呆れながらも、ちゃぶ台代わりのガラスのローテーブルにタブレットを置く。
「チャイカは……?」
「『ガキどものお守りなんてしてられない』ってさ。
知り合いのとこ寄ってるらしいでー。帰る時は連絡しろって」
唯華が気楽に答えると、笹木はひとつ深く頷いた。
「……結局、うちら三人ってことか」
「まーでも気楽でええやん?」
唯華はすでにクッションを抱えてくつろぎモード。
笹木は姿勢を正し、タブレットを開いたまま思案顔を見せる。
「うちは思うんやけどな。
アンケート装って、世怜音女学院の生徒集めてみたらどや?」
「……アンケート?」
「せや。“地域教育活動調査”とか“生徒の生活環境調査”とか、それっぽく装ってさ。
ついでに“部活やってるか”とか“趣味で情報収集してるか”とか、それとなく聞いて――
東校舎について知ってる子、おらんか探るんよ」
「……う~ん」
夜見が髪をかき上げながら、けだるそうに言う。
「そもそも今、長期の連休でしょ? その学園も休みじゃないの?」
「うっ……」
笹木が一瞬たじろぐが――すかさず唯華が応援に入る。
「でもさ、部活帰りの奴くらいなら捕まるやろ! 特に吹奏楽部とか美術部とか、休日活動多いやつな」
「たしかに、それはあるな……」
笹木は再び画面に目を戻し、メモアプリに項目を打ち込む。
「とりあえず、駅周辺で生徒の動線張って、調査に協力してくれそうな子がいたら声かけてみよか」
夜見は小さく笑ってアイスティーをひと口すする。
ホテルの高級感あふれる静寂の中、学生三人の情報戦が、ゆっくりと幕を開けていく。