咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第6章 第5話:教室

 朝の空気がまだ静かに漂う時間帯。世怜音女学院 東校舎の敷地の一角に、二つの影がそっと身を潜めていた。

 

 「……ほんまにやるんか……」

 

 黒い服のリボンを気にしながら、咲は茂みの陰から建物を見上げた。

 目の前にそびえる東校舎は、西校舎と同じく古風で格式のある造り。

 けれど、どこか異様な静けさが漂っていた。

 

 「……で、西園さん。なんでこんなことに……?」

 

 「うんうん、それがさ~」

 

 横にしゃがんでいる西園チグサが、真剣な顔で小声を返す。

 

 「世怜音女学院の東って、西と建物の広さあんまり変わんないのに、生徒数だけやけに少ないんだよね。

 それでちょっと思ったの。“ちょっとだけうちらに分けてくれないかな~”って……」

 

 「……ええ……」

 

 笹木は呆れた顔でため息をつく。

 

 「そんなんで忍び込んだりすんなや。

 てか、“分けてくれ”って何やねん、人数をおすそ分けする制度ちゃうねんぞ」

 

 「えー、でも同じ学校だし? 建物違うだけだし?」

 

 チグサはいたって真剣な顔で言う。

 それが逆に、笹木を困惑させる。

 

 「ていうか、そもそも“怒られたりしない”と思うし! なんかあったら“迷子になっちゃって~☆”って言えばセーフじゃない!?」

 

 「アホか……」

 

 そう言いながらも、笹木の視線は東校舎の玄関へと吸い寄せられる。

 

 敷地の奥、厚い門と緩やかな階段を抜けた先に広がる静寂。

 目立った巡回もなく、人の気配もほとんどない――逆にそれが、不自然だった。

 

 「……じゃあ、入るで」

 

 「おっけ~!」

 

 チグサはコソコソと先導しながら、人通りのない側廊に向かって小走りする。

 

 そして、そっと扉を押す――

 

 ギィィ……

 

 予想よりも重たい音が、しんとした空気に響く。

 

 ふたりは思わず身を縮めるが、誰かが出てくる気配はない。

 

 「……静かすぎへん?」

 

 「……うん、ちょっと怖いね……」

 

 足音を殺しながら、廊下へと踏み出す。

 そこには、手入れされた木造の床と、古い絵画が並ぶ重厚な空間が広がっていた。

 

 だが、生徒の声も、教師の足音も――まるでない。

 

 「ほんまにここ、生徒おるんか……?」

 

 笹木は不安を押し殺しながら、チグサの背に続いて歩き始めた。

 

 「……ああ……このへんとか、良さそうじゃない?」

 

 チグサが小声でつぶやきながら、廊下の端にある一室のドアをそっと開けた。

 

 キィィ――という鈍い音とともに開かれた扉の先は、

 無機質な、けれどどこか落ち着いた空気に満ちた教室だった。

 

 中には、机も椅子も何もない。

 あるのは、剥がれかけた掲示板と、木の床、そして曇りガラスの窓から差し込む柔らかい光だけ。

 

 「……ほんまに誰も使ってへんのやな……」

 

 笹木は教室の入り口で辺りを見回しながら、慎重に足を踏み入れる。

 

 チグサはまるで「気配」を確かめるように、壁を撫でたり、床を踏みしめたりしている。

 

 「……それでさ」

 

 笹木はやや呆れたように口を開いた。

 

 「西園さんはなんでそんなに教室欲しがってんの?」

 

 するとチグサは、迷いなく即答した。

 

 「演劇同好会のため」

 

 「……え?」

 

 笹木が拍子抜けするように問い返すと、チグサは腰に手を当てて語り出す。

 

 「うちの同好会、部員4人しかいなくてさ。

 しかも“同好会”だから、西の校舎の教室、使わせてもらえないのよね~」

 

 「少な……てか、そんな理由で東まで来たんか……」

 

 「理由、って言ってもさ。こっち、めちゃくちゃ教室余ってるし。

 それなら、正規ルートじゃなくても、“あっちに行かなくて済む場所”で練習できたらな~って」

 

 淡々と語っているようで、その目にはどこか真剣な色が宿っていた。

 

 「で、勝手に忍び込んでええんか」

 

 「……まぁ、勝手に“見に来た”だけだし」

 

 チグサは悪びれもせず笑い、壁に背中を預けた。

 

 「でもね、ホントに“話せる人”が少ないんだよ、東の生徒って。

 “いる”のは知ってるけど、ほとんど、みんな顔も名前も知らない。行事にも来ない。職員室も別。

 だから、“西の人間は関わらないで”って暗黙のルール、なんとな~くあるの」

 

 「そんなん、なんで同じ学校で……」

 

 「うちらも不思議に思ってるよー。でも、そういうもんみたい」

 

 静かな教室に、二人の声だけがやわらかく響いた。

 

 やがて、窓の外から風が吹き込み、埃がひとひら舞った。

 

 廊下の窓から差し込む光の角度が、じわじわと変わっていた。

 笹木とチグサは、東校舎の奥へと足を運びながら、静まり返った空間を進む。

 

 (……ほんまに、どこに人おんねん……)

 

 そんな不安を抱えながらも、ふたりは廊下の突き当たり――

 重たそうな扉の前で足を止めた。

 

 札には何の表記もない。

 けれど、中から漂う雰囲気に、どこか職員室っぽさを感じた。

 

 「開けてみよか」

 

 「せーの……」

 

 ギィ……と、鈍い音を立てて扉が開く。

 

 だが――

 

 中にあったのは、雑然と並んだキャビネット、山積みの紙ファイル、書きかけの名簿。

 誰もいない。机も椅子も、使われた形跡すら薄い。

 

 「……なんやここ。物置……?」

 

 「でも職員室っぽくない?」

 

 笹木がキャビネットのラベルを覗き込もうとしたそのとき――

 

 「そこ、職員室じゃなくて書庫だよ」

 

 背後から突然、静かで冷ややかな声がした。

 

 「――――っ!!?」

 

 反射的に振り返った瞬間、笹木の顔が引きつった。

 

 翡翠色のショートカット。片手には飴。

 制服の上着を崩さずに着こなした少女――北小路ヒスイが、無表情のまま立っていた。

 

 「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!???」

 

 笹木は電流が走ったように一歩下がり、背筋を震わせる。

 

 目の前にいるのは、銃を突きつけられた“本物の殺し屋”その人。

 

 命の危機を感じ、全身が緊張でこわばる中――

 

 「なんだぁ、ひすぴかぁ~」

 

 隣からチグサの気の抜けた声が飛んできた。

 

 「…………え?」

 

 笹木は目を見開いてチグサを見る。

 

 ヒスイの元に駆け寄ると、チグサは笑顔で彼女の頭をポンポン叩かれるようにしていた。

 

 「何もこんなとこまで来なくていいのに、まーた部室探しとかしてるでしょ」

 

 「だって、空き教室欲しいんだもん〜。また外で練習しろとか言われてて~」

 

 「はぁ……まったくもう」

 

 ヒスイは苦笑気味に、チグサの髪をわしゃわしゃと撫でる。

 

 まるで、姉と妹のようなやり取りだった。

 

 「……あんたら……知り合いなんか!?!?」

 

 笹木は叫ぶように言うが、二人はまったく気にする様子もなく。笹木の声は、人気のない書庫に虚しく反響していた。

 

 「――着いてきな。“天下無双”に会わせてあげる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一言に、咲の背筋が凍った。

 

 ヒスイはすでに背を向けて歩き出している。軽い口調に聞こえても、そこに冗談の色はない。

 

 笹木はその背中をしばし見つめてから、チグサの顔をちらりと見る。

 

 「……ちょ……ええんか、うち……これ……」

 

 (もしかして……穴掘らされて埋められるんやないやろな……

 そんで“あとはよろしく”とか言われて……)

 

 想像がどんどん悪い方へ暴走していく中、チグサは屈託のない笑顔でぽんと笹木の背中を押した。

 

 「大丈夫だって~。ひすぴも、演劇同好会の同じ仲間だから!」

 

 「いや、だからって信用してええもんなんかそれ……」

 

 階段を上がる音だけが響く、無人の校舎の西側。

 静まり返った廊下と、薄暗い階段室。鉄製の扉を開けて、屋上へと出た瞬間――

 

 視界が一気に開けた。

 

 秋の東京の空。高く澄んだ青と、うっすらと揺れる雲の筋。

 

 その風の中――

 

 屋上の端に、ひとりの少女が立っていた。

 

 長めのスカート。整った制服。

 胸元には赤いリボン。小柄で華奢な体に、眼鏡が印象的な整った横顔。

 そして、その瞳の奥には、どこか遠くを見つめるような、冷たい光があった。

 

 ――周央サンゴ。

 

 笹木が踏み出す前に、彼女はすでにそこにいた。

 まるで笹木が来ることを知っていたかのように。

 

 「……」

 

 彼女は一言も発さず、ただ風になびく髪の隙間からこちらをじっと見ていた。

 

 (この子……が、“天下無双”……?)

 

 そう直感したのは、たぶん、空気の張り詰め方のせいだった。

 ただそこに立っているだけなのに、存在感が空を裂いていた。

 

 静寂の中、違和感だけが風に乗って笹木の胸を打った。

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