咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第6章 第8話:未来の子供たちに向けて

――石畳の苔むした小道を、美兎と笹木は並んで歩く。

 

 朝の光はすでに高く、木漏れ日がゆらゆらと二人の肩に降り注ぐ。蝉の声も徐々に遠のき、寺の裏山の奥――誰も踏み込まぬ領域へと足を進めていた。

 

 その途中で、笹木がふと立ち止まる。

 

「……あ、そうや」

 

 リュックの中をガサゴソと探ると、小さな封筒のようなものを取り出す。それは何枚もの紙札だった。微かに香のような匂いがする。

 

「ましろから貰った護符や。ウチ用ってわけやないけど……」

 

 彼女はそれを、美兎に差し出す。

 

「“鍵”くれた知り合いが、くれたんや。ウチ用に調整はしてへんはずやから……多分、月ノさんでも使えると思う」

 

 受け取った美兎は、静かにそれらを両手に包むように持ち、指先で一枚一枚をなぞるように触れた。

 

「……これは、笹木さんのものでは?」

 

「ちゃう。というか、ウチが持ってても意味ないやろ。行くんは、あんたやし」

 

 少しだけ気恥ずかしそうに視線をそらす咲に、美兎は何かを察したように微笑み、護符をそっと懐にしまった。

 

「……大切に、使わせてもらいます」

 

 そして二人は、寺の奥――山の裏手にひっそりと建てられた小さな古屋へとたどり着いた。

 

 その佇まいは、まるで忘れ去られた過去そのものだった。瓦はひび割れ、板戸は沈黙を守るように閉ざされている。

 

 美兎は、戸のひとつ――錆びた引き戸に手をかけた。

 

 鍵は、かかっていない。

 

 代わりにそこには、見覚えのある金属製の錠前。咲が渡した“鍵”が、ぴたりとはまるような構造をしていた。

 

 美兎は静かに、ポケットからそれを取り出す。

 

 「……未来の子供たちに向けて」

 

 ぽつりと呟く。

 

 ――カチリ。

 

 鍵が回り、戸が開く。

 

 途端に、黒い風が吹き抜ける。内部は真っ暗で、明かりひとつ届かない。

 

 それでも美兎は、一歩、また一歩と中へ足を踏み入れた。

 

 「……待てって! 一人で行ったら危ないて!」

 

 咄嗟に咲が後を追う。

 

 だが、戸の向こうは、どこまでも続く闇だった。

 

 光のない空間。重力の感覚すら曖昧で、踏みしめたはずの床も、次の瞬間には消えているかのような錯覚。

 

 咲は必死で声をかけようとするが――声が出ない。

 

 「……っ、美兎……っ!」

 

 空間が揺らぐ。

 

 目の端で、美兎の背がふわりと遠ざかるのが見えた。

 

 「ま、……って……!」

 

 足を踏み出した瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。

 

 耳鳴り。吐き気。冷たい風が背後から吹き抜け、まるで精神そのものを引き剥がすような感覚が咲を襲った。

 

 そして――意識が、じわりと沈んでいく。

 

 これはただの扉じゃない。

 

 「――これ、“祓室”や……!」

 

 心の中でそう叫んだ瞬間、咲の視界は闇に染まり、音も、気配も、すべてが遠ざかっていった。

 

――日差しのまぶしい、放課後の校庭。

 

 グラウンドの端、小さな木のベンチのそばで、数人の小学生が楽しげに集まっていた。手には大きめのハンディカム。三脚も少しガタついていて、扱うには明らかに早すぎる年頃の子どもたち。

 

 「おーけーおーけー、今のカットもっかい撮るで!」

 

 元気な声で指示を飛ばすのは、小学生男子――阿久津。

 

 その横には、しっかり者の女子――倍崎が資料らしきノートを持ち、美兎と肩を並べている。

 

 「えっと、“学校で流行ってるゲームランキング”は、まず『逆鬼』ってことでいいよね? 次に“進化型ドッジ”で――」

 

 倍崎の言葉に、美兎がうんうんと頷く。

 

 「うん、それでいこう! “バズる”には、ちゃんと編集でSE入れなきゃ!」

 

 カメラの傍ら、もう一人――制服ではなく、ジャージ姿でラフに腰かけているのは、小学生の笹木咲だった。

 

 その顔には、どこにも戸惑いや違和感はない。

 

 「あー、ここな、ライトもっと焚いたら絶対見えやすくなるで? 校舎の影で暗なっとるし、顔が潰れてもうてるわ」

 

 「まじ? じゃあ、ほら、阿久津~! そっちのライトもうちょい上げて!」

 

 「あいよ!」

 

 彼女たちは、まるでいつもこうして活動しているような自然さで、それぞれの役割をこなしていた。

 

 カメラの位置、光量、台本の流れ。小学生とは思えないほどに段取りは整っていて、子供ながらに「自分たちの番組」を本気で作ろうとしていた。

 

 咲は、膝を抱えてベンチに座りながら、カメラの画面をちらと覗き込む。

 

 「うん、ええ感じや。……あ、でもその角度やと、美兎の顔がちょい逆光なるかもや」

 

 「ほんと? ありがと、笹木ちゃん!」

 

 にっこり笑う美兎に、咲も気取らない笑みを返す。

 

 その仕草には、何のよそよそしさも、見知らぬ人間同士の距離感もなかった。

 

 まるで、長年連れ添った「親友」として、何年もこの日々を積み重ねてきたかのように――

 

 ここは、記憶の奥底。

 

 あるいは、心の隙間に棲む「過去」の幻影。

 

 けれど、今の笹木咲は、そのことにまったく気づいていなかった。

 

 ここが「いつもの日常」であることに、何の疑いも持たないまま。

 

 太陽は高く、笑い声がこだましていた。

 

 ――翌日も、青空の下。

 

 いつものように、校舎裏の空きスペースに小学生たちが集まり、今日も動画の撮影が始まっていた。ベンチの上には三脚が立ち、阿久津がカメラの調整をしている傍ら、美兎が手書きのネタ帳を手に「次の企画」の話をしていた。

 

 だが――

 

 空気が、少しだけ変わったのは、そのときだった。

 

「なぁなぁ、昨日のことやけどさ――」

 柏原が、妙に興奮気味に声をあげる。

 

「昨日、嫌がらせしてきたあのおばさんおったやん? あいつの家、探して特定してみようぜ! ネットに出てるかもよ?」

 

 その一言に、何人かの子どもたちが「え、マジで?」「それ、ウケるかも!」と笑いながら頷いた。

 

 倍崎ですら、「ちょっとヤバいけど……炎上系って今伸びてるよね」と曖昧に笑い、雰囲気はすでにその“方向”に傾きつつあった。

 

 だが、美兎がそっと口を開いた。

 

「……それは、ちょっと……やりすぎじゃないかな」

 

 声は穏やかだが、その瞳は真剣だった。

 

「……だって、相手は大人だよ? それに、嫌がらせだって……ただの注意だったかもしれないし……」

 

 その隣で笹木も、眉を寄せて口を開いた。

 

「あのおばさんは、仕方あらへんやろ。息子さんが入院してるって話やし、それで寂しくて、声荒げただけや」

 

 けれど、子どもたちはその言葉に耳を貸さない。

 

「うっわ、咲ちゃん、また正論かまし? “そういうの”つまんないんだよねー」

 

「美兎の動画だって、全然再生されてないじゃん。昨日のやつ、たったの“3再生”だぜ?」

 

「なにが“番組っぽくやる”だよ。地味なんだよ、全部」

 

 冷たい言葉が、次々と投げつけられる。

 

 笹木の表情が険しくなった。

 

「……それ、犯罪やぞ! 相手の個人情報調べて晒すって、やったら戻れへんで!!」

 

 声が、少しだけ震えていた。けれどその真剣さは、幼いながらも確かなもので――

 

 だがそれでも、空気は止まらなかった。

 

 「だから何? これが“バズる”んだよ!」

 

 「別にいいじゃん、誰も本名でやってないし!」

 

 笹木が唇を噛んだそのとき、美兎が前に出て、そっと言葉を差し込む。

 

「ねえ……もしこれで、誰かが傷ついたらどうするの? “私たちの遊び”で、本当の人生が壊れたら……戻れないんだよ?」

 

 その声は優しく、静かだった。けれど、それが逆に――

 

 「は? また説教? “先生気取り”すんなよ!」「再生数ゼロの人が何言ってんの?」

 

 ――鋭い刃のような嘲笑が返ってきた。

 

 空気が、決定的に裂けた。

 

 笹木は、美兎の横で拳を握る。どこかで、見たことのある光景だった。けれど思い出せない。

 ただ、胸の奥に渦巻く嫌な感覚が、どんどん強くなっていく。

 

 そして――

 その“違和感”が、じわじわと、笹木の心にしみこんでいく。

 

 (……なんでや……なんで、ウチらが“間違ってる”みたいな空気なんや……)

 

 空は、あいかわらず晴れている。

 

 なのに、胸の中はずっと、雨が降りそうだった。

 

――放課後の、誰もいない父親の部屋。

 

 古びた木の机。上に置かれたデスクトップのモニターは、大人の自分が使うには何の変哲もないサイズなのに、小学生の笹木には、まるでテレビ画面のように大きく映る。

 

 キーボードのキーも重たく、手が届きにくい。けれど、指は迷いなくパスワードを入力していた。

 

「……“Nazono4004”……やろ?」

 

 カチリとエンター。

 

 ――ログインエラー。

 

「は……? 間違えてへんやろ、なんで……」

 

 打ち直す。何度も、何度も。

 

「“Nazono4004”やって……! なんでや……! おとんが教えてくれた、正しいやつやん……!」

 

 ログインできない。消せない。止められない。

 

 動画のアカウントは、そこにあるまま。誰かに乗っ取られて、好き勝手に“使われる”未来だけが、どんどん現実味を増していく。

 

 (早く消さな……早く消さな……全部壊される……)

 

 ――けれど、手はもう震えて、パスワードが打てなかった。

 

 その夜、笹木は眠れなかった。

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