咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第6章 第9話:つきのみと

 咲にとっては、“次の日”だった。

 

 廊下の光が、やけに白くて冷たい。教室のドアを開けると、ざわざわとした声と笑いが響く。

 

 けれど、すぐに違和感に気づく。

 

「……あれ?」

 

 誰も、こっちを見ない。誰一人、咲の声に反応しない。

 

「おーい、美兎……聞いてくれへん? 動画のこと、ほんまヤバいねんって。パスワード入らんし、どうしたらええか――」

 

 言いかけて、気づく。

 

 美兎の座る席。

 

 その右腕――包帯が巻かれている。何重にも。しかも、その端から、うっすらと赤い染みがにじんでいる。

 

 顔には青黒い痣。左頬が不自然に腫れ、制服の襟も少し破れていた。

 

 「……え……?」

 

 咲は思わず、数歩後ずさる。

 

 けれど誰も、彼女の反応に気づかない。

 

 教室中が、咲を“見ていない”。

 

「なぁ……なんで誰も、何も言わんのや……!」

 

 咲の声が、教室に響く。椅子が揺れ、教壇のチョークが落ちても、誰一人として顔を上げない。

 

「おいっ! あんたら、見えてるやろ!? 何で無視すんねん!! 何で……」

 

 ――涙が、ぽつりと落ちた。

 

 震える声で、美兎に近づく。

 

「美兎……なぁ、うちら親友やろ……? 一緒に動画作って、毎日笑ってて……! そんなんで終わってええんか……?」

 

 席の横にしゃがみ込んで、美兎の顔を見上げる。

 

「何があったんや……っ、言うてくれや……っ……苦しいんやったら、苦しいって言えよ……! ウチら、ずっと一緒やったやんか……っ」

 

 声が震える。喉の奥が焼けるように熱いのに、吐き出せるのは、冷たい嗚咽だけだった。

 

「見捨てへんから……そんなんで、終わってほしくないから……!」

 

 肩に触れようとした指先が、すり抜けた。

 

 まるで、そこに“存在”していないかのように。

 

 咲は床に崩れ落ち、両手で顔を覆った。

 

 苦しい。

 悲しい。

 怖い。

 

 なぜ、手が届かない。

 なぜ、声が届かない。

 

 ただ、教室の蛍光灯だけが無音で光り続けていた。

 

 それが、“現実の終わり”であるかのように。

 

 

 

 

 

 

 

――ぐらり、と重心が傾き、視界が濁った。

 

 目を開けると、笹木咲は、あの寺の一室――“祓室”の中に戻っていた。けれど、部屋の空気は先ほどとは明らかに違う。生ぬるく、張り詰めて、まるで空気そのものが怯えているようだった。

 

 視線の先――月ノ美兎が立っていた。護符の束を手に掲げ、淡い青の光がその指先にまとわりついている。

 

 そして、その表情は――穏やかで、少しだけ、涙ぐんでいた。

 

「……そうだったんですね」

 

 ぽつりと、美兎は語る。

 

「きっと……私から離れて、辛かったでしょうに」

 

 ゆっくりと、懐にしまっていたもう一枚の護符を指先に滑らせる。光が微かに脈打ち、部屋の中に漂う気配が、すっと一点に集まっていく。

 

「でも……それでも、ずっと、私を守ってくれていたんですね」

 

 美兎の視線は、咲の“背後”を向いていた。

 

 咲はぞくりとした。

 肌が、明確に“覚えていた”。

 

 ――あの、文化祭の夜。帰り道の体育館の外で見た、“仮面の幽霊”。

 

 笹木はおそるおそる振り返る。

 

 そこに立っていたのは――

 

 制服姿の、長髪の少女。

 

 そして、顔には、人間の顔を模した仮面――

 

 仮面の女は、無言で咲を見下ろしていた。まるで、そこに立つことが当然であるかのように、動かず、微動だにしない。

 

「……こいつ、あの時の……」

 

 咲は背中にじっとりと冷や汗をかく。呼吸が浅くなり、指先に力が入らない。

 

 だが、美兎は、一歩も退かない。

 

 仮面の女が、すっと両手を伸ばし、仮面に手をかける。

 

 ゆっくりと――

 

 仮面が外される。

 

 現れたその顔は――月ノ美兎に、瓜二つだった。

 

「……我々は……!」

 

 その声は、女の顔から発せられたのに、何層にも重なって聞こえた。幾人もの“声”が、美兎という存在の裏に潜んでいた感情が、口を通してあふれ出していた。

 

「我々は、お前のために……ずっと、お前の近くにいたのに……!」

 

 女は、美兎に詰め寄る。まるで、幼い妹を責める姉のように、涙を浮かべながら訴える。

 

「怪我は……もう治ったのか!? 高校には入学できたのか!? 我々だって、一緒に学校に行きたかったんだぞ!!」

 

 咲は、息を飲む。

 

 その言葉。その想い。

 

 ――(……なるほど。そういうこと、やったんやな)

 

 さっきまで見ていた“あの記憶”。

 あの苦しみも、あの孤独も。

 

 全部――この幽霊、“生霊”の記憶だったんだ。

 

 咲の喉がきゅっと締めつけられる。胸が、痛いほどに軋んだ。

 

 そして美兎は、わずかに顔を伏せながら、静かに――そして、深くうなずいた。

 

「……そうですね……」

 

 その先に続く言葉も、涙も、どんな結末を迎えるのかも。

 

 ――それは、今この瞬間、この場所にいる彼女たちだけのものだった。

 

 

 

 

 

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――夕暮れの風が、山あいの寺にひっそりと吹いていた。

 

 境内の前、古い石畳の広場では「焚き上げ」が行われていた。

 

 藁束、護符、古い札。さまざまな“祓い”の痕跡が炎にくべられ、ぱちぱちと音を立てて燃えている。静かに煙が立ち昇り、空の茜に混ざって溶けていく。

 

 燃えさかるその火は、どこか青白く――不自然に冷たい色を放っていた。火薬に照らされた炎は、黄昏を背にしてもなお、まるで“星”のように明るい。

 

 その光景を、少し離れた高台から、一人の巫女装束の女が見下ろしていた。

 

 黒の装束に身を包み、長い髪を後ろで束ねた女――香子(きょうす)。

 

 じっと燃える火を見つめながら、ぽつりと独り言のように呟く。

 

「……“祓室”で願いが叶うと、必ず焚き上げを行うという。霊を祓った供養か……あるいは、その霊に赦しを乞うためか……」

 

 風が、焚き火の煙を巻き上げる。

 

「……炎は青く、夜空に咲く一つの“星”のように……」

 

 火は強くも儚く、まるで命の残光のように瞬いていた。

 

 そして香子は、小さく眉をひそめる。

 

「……これが、“夜見れな”のしたかったことなのか……?」

 

 微かに疑問の色を滲ませた声。

 

 答えを持たないまま、香子は踵を返してその場を去ろうとする――

 

 だが。

 

 振り向いたその瞬間、息を呑んだ。

 

 立っていたのは、一人の少女。

 

 冷たい視線でじっと睨むように香子を見据えていた――椎名唯華。

 

「……っ、誰……?」

 

 香子は一瞬戸惑うように顔をしかめ、薄暗がりに目を凝らす。

 

 そして、その少女の目の奥に宿る霊力の波――そしてどこか見覚えのある、あの整った面差しに、香子は息を呑む。

 

「……まさか……唯華様……!?」

 

 信じられないというように、震える声でその名を呼ぶ。

 

 唯華は一歩、足を踏み出し、睨みを緩めずに口を開いた。

 

「……お前は、確か……“香子”やったか」

 

 その声音には、明確な警戒と怒気がにじんでいた。

 

 香子は、まるで膝が崩れそうになるのを堪えるように、一歩下がりながら、顔を伏せる。

 

「……唯華様……こんなにも……大きくなられて……」

 

 かすかに口元が震え、涙がこぼれそうな瞳で彼女を見上げていた。

 

 焚き上げの炎は、風に揺れながら、その邂逅を照らし続けていた。




一旦打ち止めになります。再開は未定になります。

お付き合いいただき、ありがとうございました。
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