咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第7章 第2話:呪術

――山道を抜け、ついに二人は「白竜の里」へと足を踏み入れた。

 

 眼下に広がっていたその集落は、近づけば近づくほど“異質”さを帯びていた。

 石畳の道は苔むし、家々はどれも古く、それでいて手入れが行き届いており、不気味なほど整然としている。まるで時間だけがこの里を避けて通ったような錯覚すらあった。

 

 「なんだか、緑豊かなところだねぇ~」

 

 夜見は、足取りも軽く、両手を伸ばして空気を吸い込むように伸びをした。

 

 一方の葉加瀬は、うなだれるように肩を落とし、足元の土道を見つめながらぼやく。

 

 「疲れた……もう、足が限界……」

 

 声に覇気はなく、白衣の裾も裾野の草に引っかかって泥だらけになっている。

 

 そんな対照的な二人に対して、里の住人たちは――まるで“よそ者”に対する本能的な拒絶でもあるかのように、距離を取っていた。

 

 窓の隙間から、軒の陰から、複数の視線が二人に注がれている。

 その視線には、畏れと好奇と警戒と、様々な感情が入り混じっていた。

 

 夜見はその気配に気づくと、にやりと口の端を吊り上げる。

 

 「ふふっ……こういうのも、なんだか悪くないよねぇ」

 

 「……は?」

 

 「ほら……恐怖に震える、その視線。ね? クセになるよ」

 

 ぞわりとするような発言に、葉加瀬が半眼で睨むが、夜見は構わず楽しげに笑う。

 

 里の奥から人の気配が近づいてくる。

 

 足音と、控えめなざわめき。

 道の先に現れたのは、従者を数人連れた正装の高齢の男性だった。

 

 銀灰の髪を後ろで束ね、緋色の羽織をまとったその姿は、どこか“公的な迎賓”の様相すら漂わせていた。

 

 男は二人の前でぴたりと足を止め、深く一礼する。

 

 「――お待ちしておりました。夜見様」

 

 「へぇ、随分と丁寧なお出迎えだこと」

 

 夜見は一歩前に出て、じっと男の目を見つめる。

 

 「……誠実なように“見せかけて”――」

 

 その瞬間、空気がピリ、と張り詰めた。

 

 「……その正体は、疑念でいっぱいみたいだね?」

 

 男の表情が一瞬だけこわばる。従者たちも微かに顔を見合わせる。

 

 夜見は涼しい顔のまま、さらに続けた。

 

 「“鍵を持っているにしては、どうにも食えない娘だ……”――なんて、言われても困るなぁ」

 

 その言葉に、男は驚愕の色を隠せず、思わず後ずさる。

 

 「こ、これは……!」

 

 従者のひとりが、男の耳元に囁く。

 

 「……まさかこの娘、“主様”と同じ力を……?」

 

 「……そんな……馬鹿な……」

 

 彼らのささやきに、夜見はわざとらしく首をかしげて笑った。

 

 「どうする? 帰っちゃおうか、葉加瀬ちゃん」

 

 「……冗談じゃない、せっかく登ってきたのに」

 

 葉加瀬は疲れた足を引きずりながら、なおもこの異様な空間の奥へ進んでいく。夜見はその後ろを、いたずらな瞳で追いながら、ゆっくりと歩き出す。

 

 

 

――白竜の里の中央を走る石畳の道。

 

 高齢の男性は先導するように歩きながら、背を向けたまま声を落とした。

 

 「……この集落も、随分と廃れてしまいました」

 

 その言葉に嘘はなかった。

 

 道の両脇に並ぶ家々はどれも古びて、苔むした瓦屋根がところどころ崩れている。板塀はひび割れ、土壁の一部は崩落して下地が剥き出しだ。

 

 けれど、完全に打ち捨てられたわけでもない。

 

 雨樋のつなぎ目に新しい金具が光り、障子紙はところどころ張り替えられている。洗濯物が干された縁側もあったし、井戸端には水汲み用のバケツが並べられ、まるで昨日も使ったような生々しさを残していた。

 

 人の気配は、確かに“ある”。

 

 だがそれ以上に目立ったのは、開け放たれたまま雨に打たれ続けた空き家、崩れかけたまま放置された土蔵、荒れ放題の家庭菜園跡だった。

 

 雑草が胸の高さまで伸び、泥で埋まった側溝からは濁った水が鈍い音を立てて流れている。

 

 「……なんだか、随分“ムラ”って感じだねぇ」

 

 夜見が小声で呟くと、葉加瀬はスマホを操作しながら無感動に相槌を打った。

 

 道沿いの石灯籠は苔に覆われ、割れた笠の部分を無理に縄で留めてある。杉の根が石畳を盛り上げ、所々に大きな段差を作っていた。

 

 民家の格子窓の奥から、ほんの一瞬だけ人影が覗いたかと思うと、すぐに障子が閉まる。

 

 畑の跡地を歩くと、捨てられた農具が錆びついて転がっていた。

 

 「……誰もいない、ってわけじゃないんだな」

 

 葉加瀬がぼそりと呟く。

 

 「住んでるけど、出てこないだけ、だね」

 

 夜見が口角を上げて笑いながら答えた。やがて集落の中央に近づくにつれ、周囲の空気が変わっていく。

 

 石畳は少しずつ苔が払われ、整えられていく。くすんでいた灯籠はひびを修繕され、白い紙垂が新しく結ばれていた。

 

 鳥居が現れる。二の鳥居、三の鳥居とくぐるたび、空気は濃密な湿気を帯び、冷たさすら覚えた。

 

 その奥に佇むのは、深い緑に覆われた神社の社殿。

 

 苔むす石段を上り、中央には鏡のように磨かれた銅製の鈴。賽銭箱は意外なほど新しく、木材の香りがまだ残っている。

 

 鳥の声すら聞こえなくなる。

 

 葉加瀬はその間も、ずっとスマホを弄っていた。

 

 「ちょっと冬雪、こういうのはちゃんと聞かないと!」

 

 夜見が小声で肘を突くと、葉加瀬は面倒くさそうに目を動かした。

 

 「一応、やれることはしておきたいから」

 

 それだけを答えると、すぐにスマホをポケットにしまった。

 

 男性は立ち止まり、くるりと振り返った。

 

 「……こちらでお待ちください」

 

 そう言って案内したのは、境内に隣接する和風の平屋造りの応接室。

 

 障子戸を開け放つと、畳敷きの部屋には低い座卓と座布団。簡素な床の間には、龍を描いた掛け軸が下がっていた。

 

 「何か御用があれば呼んでくださいませ」

 

 男は頭を下げ、二人を通した後、音もなくその場を後にした。戸が閉まり、再び静寂が訪れる。

 

 夜見は障子越しに差し込む柔らかな光を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 

 「なんか……いよいよ、来たって感じだね」

 

 葉加瀬は黙って座り、天井を見上げていた。

 

 和室の静寂に包まれた空間。時折、外から風に揺れる木々の音が微かに聞こえるだけ。

 

 引き戸を閉められると、途端に外のざわつきも虫の声も、すっと遠のいた。障子越しに差し込む淡い光が、部屋の輪郭をぼんやりと照らしている。

 

 床にはきれいに敷かれた新しい畳。青い香りがほんのりと鼻をくすぐった。中央には低い座卓があり、艶のある漆塗りの表面には、二人分の茶器が整然と置かれている。

 

 湯呑は白磁に青の細い唐草模様。茶托は黒く光り、よく見ると手彫りの木目が走っていた。急須は朱色の土肌が見える素朴な焼き物。蒸気は出ていないが、淹れられた緑茶はまだ温かそうだった。

 

 座卓の横には小さな火鉢があり、既に消し炭だけになっている。壁際には、床の間が設けられていて、墨痕鮮やかな掛け軸がかかっていた。

 

 「鎮守之神」の四文字が、達筆で力強く書かれている。

 

 その下には花入れが置かれ、山から取ってきたばかりのような野の花が数本、慎ましく挿されていた。

 

 障子の向こう側は明るいのに、室内は薄暗い。

 その陰影が落ち着きを与える一方で、どこか空気が重く、神社特有の“迎え入れられる”というより“見張られる”ような気配もあった。

 

 夜見は卓上の湯呑に目を落とし、緑茶の淡い香りを嗅ぎながら葉加瀬に尋ねる。

 

 「これ、飲んでいい?」

 

 葉加瀬は畳に寝転びながら、スマホをいじる手を止めずに答える。

 

 「何か盛られてたりしてなければ、大丈夫なんじゃない?」

 

 そして、さらりと口にする。

 

 「睡眠薬なら……マイスリーとか、ハルシオンとか。あとは……即死ならニコチンか」

 

 「なんか見分ける方法とかないの?」

 

 「ない。匂いや味がほとんどない薬とかもあるし、それを盛られたら私が死ぬ」

 

 あっけらかんとした返答に、夜見は少し引き気味に眉をひそめた。

 

 「……ええ……」

 

 「だから、飲み物は持ってきたから」

 

 そう言って、葉加瀬はバッグからペットボトルのお茶を取り出し、夜見に手渡した。二人は黙ってペットボトルを開け、それぞれ口をつける。ほのかに甘い香りと安心感が、乾いた喉に染み渡っていった。

 

 そのとき。

 

 ――カタン。

 

 和室の引き戸が静かに開く。

 

 現れたのは、紅と白の巫女服を纏った若い女性だった。表情は穏やかで、けれどどこか形式的な厳しさを持っている。

 

 「お待たせしました。こちらへ」

 

 深く一礼しながら、静かに二人を迎えに来た。夜見はふう、と小さく息を吐きながら立ち上がり、葉加瀬も無言でそれに続いた。

 

 ――開け放たれた襖の先、空気がひんやりと張り詰めた部屋。祭壇が据えられたその和室には、荘厳な静寂が漂っていた。

 

 だが、祭壇の前に「主様」の姿はなかった。

 

 代わりにそこにいたのは――正座し、背筋を伸ばした巫女服の女性たち。その整った並びはまるで式典のようで、ひとりとして身じろぎをしない。

 

  畳敷きの床は磨き抜かれ、古いのに清潔感があり、足を踏み入れるたびにかすかな軋みが耳を打つ。

 

 壁には龍の彫り物をあしらった太い柱が等間隔に立ち、その間には薄い和紙の障子が張られ、外の柔らかな光を白く濾過していた。障子越しの淡い光が、室内の埃一つない空間に霞むような静謐を与えていた。

 

 中央には、一段高く設えられた祭壇。

 

 黒漆塗りの台座の上には、翡翠色の宝珠を抱く龍の木彫が据えられ、その周囲を取り囲むように何本もの蝋燭が低く灯されている。炎は小さく、しかし力強く燃え、龍の彫刻の表情を揺らめく陰影で厳かに飾っていた。

 

 祭壇の背後には、さらに分厚い唐紙の屏風が立ち、その絵には山並みと龍が昇天する様子が墨絵で描かれ、その絵は古びているのに、どこか“生き物”のようにこちらを睨むような迫力があった。

 

 香の香りが微かに漂っている。松明やランプの類はなく、蝋燭と外光だけで室内はほの暗く、空気が薄く冷たかった。

 

 静けさはただの無音ではなく、息を呑むような緊張に満ちていた。

 

 そして、祭壇の真正面には、巫女服を纏った数人の女性が正座していた。

 みな黙したまま、背筋を伸ばし、視線を伏せている。

 その整然とした姿勢は、長年の修練を思わせる厳粛さがあった。

 

 その中の一人、柔らかな黒髪を持つ女性が前に出て、ゆっくりと名乗る。

 

 「香子と申します。遠方よりお越しいただき、誠に申し訳ございません」

 

 その声は静かで、礼を尽くしていたが、その眼差しには確かな緊張が宿っていた。

 

 「本日お越しいただいた理由は……お分かりでしょうか」

 

 問いかけに、夜見れなはにやりと笑い、懐から鍵を取り出して掲げた。

 

 「これのことだよね〜?」

 

 途端に、部屋の空気がざわついた。巫女たちが小さな声でざわめき、ひそひそと囁き合う。

 

 「まさか本当に……」「あの鍵を……!」

 

 だがすぐに、その騒めきを制する声が響く。

 

 「静まりなさい」

 

 緑髪の巫女が、一歩進み出て、厳しい目で周囲を一瞥する。場が落ち着くと、再び香子が口を開いた。

 

 「……お話が早くて助かります」

 

 香子は祭壇の方へ視線を向けながら、低く頭を下げた。

 

 「それは元々、我々のもの――富士の山の霊脈にて、地霊の力を借りるための“祓室”の鍵です。

 それゆえ、返していただきたいのです」

 

 夜見は「ふぅん……」と興味深げに香子をじっと見つめようとしたが――

 

 「ちょっと」

 

 その前に葉加瀬がすっと割って入り、夜見の前に立つ。

 

 「……依頼主が見えないようですが、今日はどちらに?」

 

 葉加瀬の言葉に、香子は一瞬ためらいの間を置いてから、答える。

 

 「主様は……本日は、お休みになっておられます」

 

 その言葉を聞いて、葉加瀬は眉を吊り上げる。

 

 「へぇ……依頼した本人が顔も見せないなんて、いいご身分じゃない」

 

 その皮肉に、場の空気が一気に重たくなる。

 

 巫女たちは押し黙り、香子もまた視線を落とすようにしながら、しばらくの沈黙を置いた後――

 

 「……主様も、まだ幼少の身であらせられますので……」

 

 申し訳なさそうに、そう言葉を継いだ。その声には、どこか遠慮と忠誠が入り混じっていた。

 

 沈黙がひとしきり場を包んだあと、葉加瀬が腰を上げるように口を開いた。

 

 「……じゃあ、聞くけど」

 

 香子へ向けられた視線は冷静そのもので、感情を抑えた独特の“理性”が滲んでいた。

 

 「どうしてこの“鍵”が、今必要なの?こんな山奥の集落から、大都会に人を送り込んでまで取り乱して探してた理由は?」

 

 香子は何も言わない。ただ視線を下げて静かに葉加瀬の言葉を聞いていた。

 

 「まさか、“なくしていた鍵が見つかりました。返してください”ってだけじゃないでしょ」

 

 葉加瀬の口調は穏やかだが、その一言一言に鋭い針のような観察眼が乗っている。

 

 その隣で、夜見がゆっくりと周囲に目をやった。壁の装飾、整然と並ぶ祭具――そして、再び緑髪の従者の方に目を向けたその瞬間――

 

 「…………!」

 

 夜見の瞳が、興奮で見開かれる。

 

 けれどすぐに、唇を噛みしめるようにしてその気配を抑え込み、何もなかったかのように正面に視線を戻した。

 

 香子はその反応に気づく素振りも見せず、静かに言葉を紡ぐ。

 

 「この集落……少し、人が少ないことは、ご覧になって分かるかと存じます」

 

 夜見は軽く頷いた。

 

 「うん。確かに、人気のないところも多かったね。さっきも案内してくれたおじいさん、“随分と廃れてしまいました”って言ってたし」

 

 香子は目を伏せ、まるで口にすること自体が恐ろしいというように、小さく呟いた。

 

 「……この集落は、今、“呪われて”いるのです」

 

 その言葉に、一瞬だけ部屋の空気が冷えたように感じられた。

 

 「いつも通り、朝には男性たちは畑仕事に向かい、女性たちは家の仕事をしていました。ですが、ある日を境に……“男”ばかりが、理由も分からず命を落とすようになったのです」

 

 彼女の声は震えていたが、それでもはっきりと伝わる“事実”の重さがあった。

 

 「倒れるように亡くなっていたり、家の中で静かに息を引き取っていたり……まるで“何か”に選ばれたように、男たちだけが――」

 

  夜見は顎に指を当てながら、あっけらかんとした口調で言った。

 

 「ふーん。毒殺でもされたんじゃない?」

 

 葉加瀬はすかさず首を傾げ、眉間に皺を寄せた。

 

 「調理に使う水はどこから仕入れた?」

 

 香子は戸惑いながらも答える。

 

 「……集落の中央を流れる沢からです」

 

 葉加瀬はうん、と頷いた。

 

 「なら、その沢の水源近くで有毒植物がないか調べた?」

 

 香子はかすかに頷く。

 

 「はい……一度、外部の研究者に調査を依頼しました。近くの山に確かに有毒なキノコが生えてはいたのですが、研究の結果、そのキノコの症状と亡くなった方々の症状は、まったく異なるものでした」

 

 葉加瀬は顎に手を当て、真顔で分析を続けた。

 

 「……例えば、有毒キノコなら肝不全や幻覚、神経麻痺の症状が出るけど、呼吸抑制も伴うことが多い。

 

 農薬なら有機リン系で縮瞳、筋痙攣、泡吹き。水銀なら神経症状と長期の経口暴露が必要。

 

 もし、誰にも気づかれずに盛るなら、無味無臭に近いニコチン抽出液もあるけど、血中濃度で致死量を超えるのは難しい。

 

 あと、睡眠薬だって大量に盛れば呼吸抑制を起こすけど、検視でバレる」

 

 夜見は目を丸くして聞き入っていた。

 

 「……さっすがオタク」

 

 葉加瀬は目を細めて夜見を一瞥したが、香子に向き直った。

 

 「つまり、どんな毒物も症状はある程度特定できる。亡くなった人たちに共通する症状って、結局何だったの?」

 

 香子は首を横に振った。

 

 「……眠るように亡くなっていたり、あるいは突然心臓が止まったり……医師にも理由を特定されず、まるで“寿命”と言われるような亡くなり方でした。

 

 外傷もなく、苦しんだ痕跡も少なく……。今では、そのような変死騒ぎも落ち着いておりますが、気味が悪いと出て行ってしまった家も多いのです」

 

 部屋が少し静かになった。

 

 香子はおそるおそる続ける。

 

 「……それに、まだ昭和の帝がご健在だった頃にも騒ぎが起きておりまして……。その話と重ねて考える者も多いのです」

 

 夜見は、薄暗い和室を見渡しながら、悪戯っぽく笑った。

 

 「なるほどねぇ……それで、“どうしても祓室の加護が欲しい”ってわけだ」

 

 香子はその視線を避けるように、うつむいて小さく頷いた。

 




数日間、18時に更新されます。よろしくお願いします。

また、当作品の天下無双(周央サンゴ)と北小路ヒスイを主人公とした同時刻に公開及び更新される小説「ベルリンの本懐」を読んでいただくと、よりこの章の理解が深まると感じます。
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