咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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最終章(笹木・椎名編)
最終章 第1話:久々の


 春の空は、まだ少し白っぽく霞んでいた。新学期の始まり、午前中で終わった授業を背に、咲は校門を出て、ゆっくりと歩き始める。

 

 通学路沿いの桜並木はちょうど満開だった。風が吹くたびに、淡い花びらがひらひらと落ち、地面を染めていく。散る音はしないのに、不思議と耳の奥が寂しくなる。

 

 「……そろそろ、進路とかも考えなあかんのか…」

 

 制服のポケットに手を突っ込んだまま、ぼそっと呟く。いつもなら唯華あたりが「考えときや」ってうるさく言ってくるのに、今日は誰もいない。

 

 一人きりだ。

 

 足元のアスファルトはまだ冬の名残をとどめたようにひんやりしていた。校門を離れると、周囲は一気に静かになる。グラウンドの歓声も、チャイムも、全部置いてきたみたいに。

 

 花びらを踏みつけながら歩くたび、靴底がかすかに擦れる音だけがついてくる。振り返ると、校舎の屋上の柵が小さく見えた。

 

 サボって寝てた芝生の斜面も、今日のこの空気だとやけにきれいに見えた。

 

 「50万かぁ……」

 

 天下無双の一件で手に入れた、大金。財布に入るわけでもなく、通帳の数字になってるだけ。

 

 一人暮らしでも始めるか。

 

 大学行くんやったら、交通費も生活費も馬鹿にならんし。

 

 そもそも大学行くんか、就職するんか。

 

 考えなあかんことは山ほどあるのに、結論はひとつも出ぇへん。

 

 道路を渡ると、もう学校の敷地は途切れていた。フェンスの向こうに枯れ草の空き地があって、その先は住宅街であり、舗装はちょっと荒れてて、マンホールの周りがうっすら黒ずんでる。道端の花壇には誰が世話してるのかパンジーが咲いてて、でもちょっと乾き気味だった。

 

 「なんやねん……めんどくさ」

 

 ぶつぶつ言いながらも、歩みは止めない。狭い住宅街の道は、少しずつ曲がりくねっている。

 

 ブロック塀には苔が生えて、家々の屋根からは古いアンテナがのぞいていた。自転車のカゴに荷物を詰め込んだおばちゃんとすれ違って、会釈されて、思わずペコっと頭を下げる。

 

 曲がり角をひとつ抜けると、街路樹は桜からツツジに変わっていた。塀の向こうから犬の鳴き声がして、玄関先に吊るされた洗濯物が風で翻る。空はもうすっかり春の色で、少しだけ雲が流れていた。

 

 「……うち、これまで散々人のために動いてきたけど」

 

 立ち止まって、ポケットから手を抜いて空を見上げた。手のひらには、何もない。ずっと握りしめてたつもりのものは、もうどっか行ってしまった。

 

 「自分のためにしたいこと、全然できてへんな」

 

 声に出すと、思ったより弱々しかった。

 

 深く息を吐いて、くるっと方向を変えて、家に向かう細道へと曲がった。

 

 風がまた吹いて、桜の花びらが、まだ少しついてくる。

 

 桜並木を抜けたところで、笹木は足を止めた。ひときわ強い風が吹いて、髪がばさっと乱れる。

 

 落ちた花びらが舗装路を転がり、ひとつふたつ、靴のつま先に当たって止まった。

 

 「……チャイカ、か」

 

 ぼそっと呟いて、視線を落とす。

 

 なんで今こんなとこで思い出すんやろ。春の空気のせいやろか。

 

 あいつと初めて会ったのも、こんなやたら青い空の日やった気がする。

 

 「ほんま、わけわからんおっさんやな」

 

 苦笑しつつ歩き出す。唯華と仲良くなってしばらくしてから、あの喫茶店に行きついた。

 

 古びた木の扉、薄暗い照明、妙に落ち着く匂い。店主というより、番人みたいな雰囲気。

 

 いつも変に達観した目で、話す内容もどっか胡散臭い。

 

 そもそも、あいつ、一体どこから来たんやろ。名前すら本名かどうか怪しいし。

 

 なんであんな仕事してんのかも、全然知らん。けど、唯華は普通に顔出してるし、うちもいつの間にか入り浸るようになってた。

 

 「……信用してるんか、してへんのか、自分でも分からんわ」

 

 独り言に、誰も答えない。住宅街はすっかり人通りが少なくなって、夕方の気配がゆっくりと染みてきていた。

 

 電柱の影が伸びて、コンクリの壁にぶつかって歪む。犬が遠くで鳴いて、すぐに黙った。窓からテレビの音が漏れて、家の生活がひそやかに感じられる。

 

 チャイカのことを考えるのをやめた。

 

 そんなもん、答え出るわけない。

 

 それより――

 

 笹木は足を速めた。家まであと数分。

 

 早く帰って、制服脱いで、道具まとめて、今日の除霊の約束、遅れるわけにはいかん。

 

 「……あー、めんどくさ」

 

 でも結局、こういうのは全部、自分で決めて背負ったことや。住宅街の道を曲がり、薄暗い玄関灯が見えてくる。

 

 あの店主。

 

 あんなに何でも知った風で、けど全部は話してくれへん。

 

 どっから来たのか、どこに行くのか、何を見てきたのか。唯華もたまに「あの人は変やけど信用できる」って言うけど、ほんまかいな。

 

 「……どこまでホンマなんやろな」

 

 そんな独り言が風にさらわれたそのときだった。

 

 ――「こっち」

 

 耳元に息を吹きかけるような、誰ともつかない声がした。

 

 「……は?」

 

 足を止めて振り返る。けれど、後ろには誰もいない。

 

 暗くなりかけた路地、曲がり角の街灯がジジ……とくぐもった音を立てて点滅しているだけ。

 

 人の気配はない。なのに、確かに呼ばれた。

 

 ――「こっち」

 

 今度はもっとはっきりと、耳の奥をこじ開けるように囁く声。笹木の背筋にざわっと冷たいものが走った。

 

 「……は、なんやねん……」

 

 なのに足が、勝手に動いた。頭では「やめとけ」と叫んでいるのに、身体が言うことを聞かない。

 

 住宅街の家々から漏れる明かりが、みるみる遠ざかっていく。

 

 自分から外れていく。もっと暗い方へ、細い路地へ。

 

 足音が乾いたアスファルトを打ち、そのリズムが途中から、もう一組の足音と重なりだす。

 

 ピタリ、ピタリ。

 

 真後ろにいる。

 

 振り返りたくても首が動かない。

 

 「っ……う、うそやろ……」

 

 電灯の明かりは途切れ、代わりに月光すら差さない闇が満ちた。

 

 塀の上に絡むツタがざわざわと蠢く音がして、ブロックの隙間から暗い穴のようなものがいくつも口を開ける。

 

 生暖かい風が吹いて、頬を撫で、声もなく笑っているような気配が、四方からまとわりついてくる。

 

 ――「こっちだよ」

 

 くぐもった声が、鼓膜を内側から撫でた。

 

 もう聞こえるというより、脳に直接刺さり、心臓が早鐘を打つのを感じた。

 

 けれど足は止まらない。やめたいのに、止まらない。

 

 どこに向かっているのかも分からない。

 

 ふと目の前が開けた。

 

 そこは――

 

 もう住宅街ではなかった。

 

 霧が立ち込めるように白いもやが足元を覆い、木々が奇妙にねじ曲がっていた。

 

 葉は黒ずんで、風が吹くたびにギシギシと骨のような音を立てる。

 

 地面は濡れてぬめり、足を取られるたびに水音ともつかない何かがぐちゅりと鳴いた。

 

 どこかで女のすすり泣きが聞こえた気がした。

 

 いや、笑い声か。

 

 判別できない。景色が、どんどんおかしくなる。

 

 頭が痛む。

 

 「……あかん……これ……霊障や……!」

 

 声を出した瞬間、世界がぐにゃりとひしゃげた。

 

 地面が開き、闇が渦を巻く。

 

 中から無数の手が、白く濁った瞳が、にゅるりと這い出そうとしていた。

 

 「うそ、やろ……っ」

 

 肩口を何か冷たいものが掴んだ。咄嗟に振り払おうとした瞬間――

 

 意識が、プツリと途切れた。

 

 ……気づいたとき、笹木は自分の家の近所の道路脇にうずくまっていた。息が荒く、汗が首筋をつたう。

 

 頬に貼りついた砂利の感触が痛いほど現実を教えてくれる。周囲は、見慣れた街灯の明かりが淡く照らしていた。

 

 でも、さっきまでいた場所の感触は、まだ指先に残っている。ぬめった土の感触も、嗤う声も。

 

 住宅街の街灯の下で、笹木咲は肩で息をつきながら、じっと周囲を睨んだ。

 

 喉がからからに乾いていて、心臓はまだ早鐘を打っている。耳鳴りのように自分の血の音が響く中、意識を必死に研ぎ澄ませた。

 

 「……まだ、おるはずや。」

 

 自分に言い聞かせるように小さく呟く。あれはただの幻覚じゃない。

 

 霊が囁いて、呼んで、あんな場所に連れ込まれた。完全に祓えたわけがない。

 

 笹木は周りをゆっくり見回した。

 

 街灯が落とすオレンジの光と、闇の境目。風で擦れる電線の音。

 

 隣の家の雨樋から滴る水の音。

 

 霊の気配を探そうと、神経を尖らせた。

 

 ……でも、何もいない。

 

 「……っ、どこや……」

 

 息が白くもならない夜風が、急に冷たく感じた。背中に、じっとりと冷や汗が張り付く。

 

 霊媒師としてやってきた経験が、こんなにも空振りするなんて。

 

 分かるはずなのに。霊障の気配を読むのは、体の感覚みたいなもんやったのに。

 

 「……最近、間空いたから……」

 

 呟いた声は弱かった。

 

 学校、進路、バイトのこと――考えなあかんことばっかで。

 

 霊媒の仕事を、本気でサボってた。

 

 歯を食いしばる。

 

 こんな時、どうしてた……?

 

 指先がわずかに震え、でも頭は必死に回転する。

 

 ――そうや。

 

 さっき除霊したやつの「残滓」があるなら、同じ気配を辿れる。霊障は繋がる。

 

 完全に切り離しきれてなかったら、その気配を引っ張れる。

 

 笹木は乱雑にポケットを探り、胸元を探った。

 

 「……あった。」

 

 懐にあった、しわくちゃの札。文化祭でましろにもらったものだった。

 

 簡素な紙に、青黒い墨で書かれた不可思議な符号。それ自体が霊力を帯び、気配を惹き寄せる餌にもなる。

 

 笹木は荒い息を吐きながら、札を取り出した。風が吹いて、札が微かに鳴ったように感じた。

 

 「……来い。」

 

 絞り出すように低く呟くと、札を正面に向けてかざす。周囲は相変わらず静かだったが――

 

 視界の端で、闇が動いた。笹木は反射的に身構える。

 

 街灯の下に落ちた自分の影が、まるで誰かに踏まれたみたいに歪んだ。

 

 そしてその歪んだ影が、ぬるりとこちらへ伸びてくる。

 

 「……おったな。」

 

 札がびり、と小さく震えた。霊力が反応して、周囲の気配を乱す。

 

 風が一気に冷たくなった。

 

 街灯の光が弱まったように見えた。それとも、霧が出たのか。

 

 さっきまでの住宅街の形が歪んで、暗闇が染み込むように広がった。

 

 「来んなや、ボケ。」

 

 声は震えたが、札を強く前に出した。

 

 その瞬間、札が青白く光った。ましろの霊力が残っていた。

 

 呪符が裂けるような音を立て、紋様が浮かび上がる。

 

 闇の中で蠢く影が、低く呻いたような音を発した。

 

 ざわざわと、何本もの腕のようなものが伸びて札を掴もうとした。霧の中で瞳が無数に開いて、咲を睨んだ。耳元でまた声がする。

 

 ――こっち。

 

 「来んな言うてるやろ!」

 

 笹木は札を握りしめて、息を吐き、最後の一歩を踏み込むように前に突き出した。

 

 札が閃光を放った。青白い炎のような霊力が一瞬で辺りを焦がすように走った。

 

 影が裂け、霧が悲鳴を上げるように巻き上げ、耳をつんざくような甲高い声が空気を裂いた。

 

 そして。

 

 ――シン……

 

 霧は一瞬で消えた。暗闇も、影も、声も。

 

 笹木はその場に立ち尽くしたまま、肩で息をしていた。

 握り締めた札は、燃え尽きたように黒く炭になり、ばさりと地面に落ちた。

 

 「……はぁ、はぁ……終わった、んか……」

 

 夜風が戻ってきた。街灯はいつものオレンジ色を取り戻していた。

 

 誰もいない、ただの住宅街。

 

 でも、笹木は確かに分かった。今度こそ、完全に祓った。

 

 息を吐くたび、肺が痛むくらいだった。

 

 「……ましろ、サンキューな。」

 

 空に向かって小さく呟く声は、風にさらわれて消えていった。笹木は擦り切れたような笑みを浮かべて、ようやく重い足を家に向けて動かす。

 

 夜はもう深く、街灯の光もどこか冷たかった。靴音だけが乾いたアスファルトに打ちつけられ、耳につく。

 

 「……はぁ。」

 

 息を吐くたび、胸が苦しくなる。息が乱れているのを抑えようとしても、喉がつっかえたみたいにうまく吸えなかった。

 




「笹木が本当は大学3年生で、体が縮んでて」っていう没案がありました。かざリリが出る予定でしたが、悩んだ末、没にしました。前に「少女との邂逅」なんて変なサブタイがあるのはそのせいです

同人だしね、あんまり重いのもよくない
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