咲-saku- 【完結】   作:えいどら

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第1章 第3話:ビジネス

 カラン――と、扉のベルが鳴った。

 

 午後の『アルカナ』は、陽の光がカウンターの奥まで届き、磨かれたテーブルにぼんやりとした影を落としていた。花畑チャイカはいつものように棚の整理をしていたが、その音に反応して振り返る。

 

 現れたのは、仕立ての良いスーツに身を包んだ男と、その背後に控えるもう一人の男――黒縁眼鏡の秘書風の人物。

 

 「ようこそ、お堅いビジネス二人組。」

 

 チャイカが皮肉まじりにそう言うと、先頭の男――加賀美ハヤトは、微かに笑みを浮かべて店内に足を踏み入れた。

 

 「どうも、ご無沙汰しております、チャイカさん。相変わらずですね」

 

 「そっちこそ。よく働くわね。前回の“除霊”の疲れで、てっきり長期休暇にでも出たのかと思ったわよ」

 

 「はは……おかげさまで、なんとか。あの件については改めて感謝しています」

 

 チャイカは、カウンター越しに彼を見つめたまま、わざとらしく片眉を上げた。

 

 「じゃあ、感謝ついでに今日は何しに? うち、慰労会とかやってないんだけど」

 

 加賀美は、傍らの秘書と視線を交わしたあと、静かに腰を下ろす。

 

 「別件です。ですが、その前に……前回の件について、やはり正式に礼をお伝えしたくて。あの場所――今では完全に浄化されているようです。あのまま放置していたら、他の人間にも被害が出ていたかもしれません」

 

 「ま、その件でうちは結構儲かったんだから、結果として霊には大助かりだったのよねぇ」

 

 「ふふ……それはそれは。ビジネスとして結構なことですよ。ただ、今回は前回以上に“複雑”な情報を探していまして。ですので、その「ビジネス」の報酬も……それに見合った額を用意させていただきます」

 

 加賀美の言葉に、秘書が鞄から分厚い封筒を取り出して机に置いた。無地の紙に包まれたそれは、いかにも重そうな代物であった。

 

 「―これが報酬ってわけ?」

 

 「いえいえ、あくまでこれは前払金です。今回の依頼は私にとても大事なものなので…報酬は別に」

 

 ハヤトは、立ち上がるとスーツの裾を軽く直し、傍らの秘書に無言で合図を送る。

 

 秘書はカツン、と革靴の音を響かせながらカウンターに寄り、手にしていたアタッシュケースの金具を外す。カチリ、と小気味よい音と共に蓋が開き、その中身がチャイカの視界に露わになった。

 

 そこには、厳重にクッション材に包まれた一本のボトル――深緑色のガラスに、黄金のラベル。封蝋には王家の紋章を模したような繊細な意匠が施されている。

 

 「……ほう」

 

 チャイカはわざとらしく鼻を鳴らし、目を細めた。

 

 「“クローネ・グラン・オブ・ヘルエスタ”、百年物の洋酒。リゼ=ヘルエスタ王女が国外公式訪問の際、唯一献上を許したっていう、幻の酒じゃないか」

 

 加賀美はわずかに笑みを浮かべた。

 

 「……さすが、よくご存知で。やはり、ここに持ってくるには少々芸が必要かと思いまして」

 

 「芸というか、もはや道化。まったく……この街じゃあ、金持ちの趣味もずいぶん進化したものねぇ」

 

 チャイカはあきれたように呟きながらも、ボトルを包む布の手触りを楽しむように撫でる。

 

 「まぁ、嫌いじゃないけど」

 

 「では、詳細はまた“適当な機会”に」

 

 そう言って、加賀美は丁寧な所作で一礼すると、秘書を従えて店を出ていった。扉のベルがカランと鳴り、その姿が消える。

 

 店の空気が、再び静寂に包まれる。

 

 しばらくすると、カウンターの奥から別の客がひとり、読んでいた新聞をゆっくりと下ろしながら顔を上げた。

 

 「あの人、なんかすっごい“できる男”って感じだけど、やってること大人のごっこ遊びだよねぇ」

 

 チャイカは、くっ、と喉の奥で笑い、先ほど受け取った封筒をぱらりと開いた。

 

 中から出てきたのは、きちんとローダーに収められた高額トレーディングカードの束。希少イラスト、シリアル入り、初版タグ――コレクターなら卒倒するレベルの品ばかりが、隙間なく揃っていた。

 

 「ちょっと!!こんなんどうやって管理すれば良いのよ!!もう!!」

 

 文句を叫びながらも、カードの光沢を確かめる指先は、どこか楽しそうだった。

 

 「でも、まぁ――あいつらしいわな」

 

 チャイカはカードをそっと封筒に戻しながら、窓の外をぼんやりと見つめた。

 

 「“本気の遊び”ってのが一番厄介なんだよ、まったく……」

 

 それでも、その口元には、皮肉まじりの笑みが滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒸し暑い夜だった。

 

 窓を少しだけ開け、薄いタオルケットを腹にかけたまま、咲はベッドの上で眠っていた。扇風機の風が、回るたびに部屋の中の空気をわずかに揺らす。

 

 けれど、咲の額には汗がにじんでいた。

 

 夢の中――

 

 彼女は、白い部屋にいた。無機質な蛍光灯が天井から照らし出す空間。壁も床も天井も、清潔すぎるほど真っ白だった。

 

 その中心に、金属製のベッド。

 

 そして、自分は――そのベッドに、縛られていた。

 

 「……え、ちょ、なに……なんで……?」

 

 声はかすれ、身体は動かない。手首と足首には冷たいベルトの感触。胸の奥がざわつき、心臓が早鐘のように打ち鳴らされていた。

 

 キィ、と扉の開く音。

 

 そこから現れたのは、白衣の学生だった。

 

 昼間に旧校舎で出会った、あの銀髪の少女。今は白衣の前をきちんと閉じ、手には何かの器具を収めたトレイを持っていた。

 

 「うんうん、いい感じだね~。やっぱり、こういうのは“動かない状態”で観察するのが一番なんだよ」

 

 彼女は無邪気に笑いながら、器具のひとつ――金属のピンセットのようなものを持ち上げる。その先端が光を反射して、きらりと光る。

 

 「まずは脊椎まわりの反応から見てみよっか。痛かったら言ってね? あ、でも動いたら困るから喋るのもダメだよ?」

 

 「っ……や、やめっ、やめてやっ……!」

 

 叫んでいるのに、声は外に出ない。喉がふさがれたようで、掠れた呻きしか漏れなかった。目を見開き、もがいても、ベルトはびくともしない。

 

 銀髪の学生は笑顔のまま、器具を咲の背中に向けて構える。

 

 「どんな悲鳴を上げるのか、すっごく興味あるなぁ……」

 

 「やめろおおおおおおお!!」

 

 バッ、と跳ね起きた。

 

 暗闇の中、息が荒く、汗が背中を伝って流れていた。時計を見ると、深夜2時過ぎ。

 

 部屋の隅で扇風機が静かに回っているだけで、他に音はない。

 

 ただの、夢。

 

 咲はしばらく呼吸を整えたあと、タオルケットを握りしめたまま、ぽつりと呟いた。

 

 「……最悪や……マジで最悪や……」

 

 でも、その最悪の夢の中の光景は、やけに“現実感”があった。

 

 白衣の学生が見せたあの目。あの声。あの距離感。

 

 忘れようとしても、まぶたの裏に焼き付いて離れなかった。

 

昼休み、学校の屋上。

 

 真っ白な空の下、フェンス沿いのベンチに座って、咲は持ってきたパンを片手に、唯華に向かって身を乗り出すように話しかけていた。

 

 「なぁ椎名!! 昨日うちが黒曜崎行ったって話、聞いてたやんな!?」

 

 椎名は紙パックのミルクティーをちゅーっと吸いながら、だるそうに片目だけ開ける。

 

 「うん。制服貸したしな……なんやねん、またなんかあったん?」

 

 「いや、なんかどころちゃうって!! マジでヤバいねん!!」

 

 咲はパンを置き、身振り手振りを交えて必死にまくし立てた。

 

 「白衣の女子に会ってな、最初は普通やってんけど、だんだん言動がおかしなってきて……解剖がどーとか脳がどーとか言い出して、うちマジで実験台にされるかと思って、命からがら逃げてきたんやって!!」

 

 「へぇ~」

 

 「“へぇ~”じゃないっ! んでな、その帰りに、今度はうちに妙な質問してくる女子おって……なんか、うちが通ってる学校が本物か偽物かとか、制服が似合ってたとか……めっちゃ怖ない!?」

 

 椎名はペットボトルのキャップを閉め、少しだけ眉を寄せる。

 

 「……で? それが霊の仕業ってこと?」

 

 「間違いないって! だって! 人間があんな目ぇするか!? あと! 気配おかしいもん!! 絶対何かに取り憑かれとるか、もしくは本人がもはや人ちゃうかや!!」

 

 「……あのなぁ」

 

 椎名は、ため息と一緒に視線を空へ向けた。

 

 「うち、そいつらのこと一回も見てへんし、会ってもない。けどな――霊障が出とらんって時点で、うちは関係ないと思うわ」

 

 「えぇっ!? でも! 気配がっ!」

 

 「笹木、たまに“失礼”ってこと言うよな」

 

 バッサリと切り捨てるように椎名が言うと、咲は口をぱくぱくと動かして固まった。

 

 「どんな言動しようが、変なこと言おうが、気味悪い人間なんていくらでもおる。そんなんいちいち“霊”に押しつけてたらキリないで」

 

 「で、でも……夢まで見たんやで……!」

 

 「そんなん“おまえの心がビビっとるだけ”やんww」

 

 「弱ってへんわ!! ちょっとビビっただけや!!」

 

 椎名は肩をすくめながらも、少しだけ笑みを浮かべた。

 

 「ま、アンタが無事やったんならええけどな。とりあえず、霊のせいにするんはやめとき。そいつら、たぶん“人間として”めんどくさいだけやから」

 

 「……そんなん言われても……」

 

 咲は不満げに頬を膨らませながらも、それ以上言い返せなかった。

 

 椎名の目は鋭い。もし本当に霊が関わっていたら、彼女はもっと早く気づいていたはずだ。その事実が、逆に咲をもやもやさせる。

 

 「……マジで人間なんやろか、あいつら……」

 

 ぼそっとつぶやいた言葉に、椎名はあくびを噛み殺しながら小さく返す。

 

 「人間でも、幽霊より怖いヤツなんて、山ほどおるで」

 

 午後の授業。

 

 教室の空気はほどよくぬるく、先生の声は子守唄のように遠のいていた。

 

 咲は、教科書を立てかけてその裏で腕を組み、机に突っ伏していた。目を閉じると、体温がじわじわと広がっていく。昨晩の悪夢の疲れもあり、ほんの数分のつもりが、すっかり深い眠りに落ちていた。

 

 ――チャイムが鳴る。

 

 その音に、咲はゆっくりと頭を上げた。

 

 「……うわっ、寝てもうた……」

 

 教室はすでに閑散としていた。ちらほらと残っていた数人の生徒も、すでに帰る準備をしているか、廊下へ出ていっている。

 

 咲は大きく背伸びをして、鞄を引き寄せる。

 

 「は~、やってもうたわ……ってか、なんか夕方の空気ってだけで“自由”って感じすんのええよなぁ」

 

 制服の襟を少し緩めながら、荷物をまとめて立ち上がる。

 

 と――そのとき。

 

 廊下の奥、同じ階にあるはずの“空き教室”から、ふいに人の声がした。

 

 「……ん?」

 

 誰かが笑っている。数人分のざわめきと、机や椅子がわずかに動く音。

 

 だが、咲は覚えていた。その教室は使われていないはずだった。クラス替えのタイミングで空きになり、今は備品置き場のようになっている、と聞いていた。

 

 「……誰か残ってんのかな?」

 

 ふらりと興味を引かれるように、咲はカバンを肩に引っかけ、足音をなるべく立てずにそちらの廊下へと向かった。

 

 夕方の陽射しが斜めに差し込む廊下。ガラス窓に照り返す橙色が、少しだけ非日常の気配を運んでくる。

 

 音のする教室は、廊下の突き当たり、右手の角の一室。

 

 咲は足を止め、ドアの前で耳を澄ませた。

 

 笑い声。囁き声。紙をめくる音。何かが机を叩くような音。

 

 どれも、普通の放課後にあるはずの――けれど、何故かほんの少しだけ“違う”空気を孕んでいた。

 

 「……あれ、部活とかじゃないよな……?」

 

 そう呟きながら、咲はゆっくりとドアに手をかける。

 

 ギィ――。

 

 静かな音を立てて、空き教室の扉が開いた。

 

 笹木咲が中を覗き込むと、思わず「は?」と声が漏れそうになった。

 

 教室の中は、想像していた“空き”とは程遠い賑わいを見せていた。机と椅子が端に寄せられ、中央にぽっかりと空いたスペース。その真ん中に、あの少女――灰色の制服が立っていた。

 

 「さぁて、次は誰かな~? ……あ、そこの窓際の子!今開いてるの、“都市伝説系のまとめサイト”だよね。しかも“学校の七不思議特集”。へぇ~、怖いの好きなんだ?」

 

 「えっ!? 当たってる! なんで!? なんで!?」

 

 「ね? 楽しいでしょ~」

 

 教室中にどっと驚きが広がる。

 

 「じゃあ次~……あ、そこの子、スマホ貸して。……バッテリー、12%? じゃあ、いくよ~」

 

 1。

 

 2。

 

 3っ!!

 

 手をかざすようにスマホに触れた瞬間、画面の上部に表示された充電表示がみるみるうちに上昇し――

 

 100%。

 

 「うっそ……充電器も繋いでへんのに……!」

 

 またもどよめき。教室の空気が熱を帯び、拍手や歓声が飛び交う中、咲は呆然とその光景を見つめていた。

 

 ――なんや、これ。マジで何してんねん、あいつ。

 

 マジック? それともトリック? 

 

 でも今のスマホの充電は、どう見ても普通じゃなかった。

 

 少女は笑顔で生徒たちに手を振った。

 

 「みんな、ありがと~。……あ、そうだ!わたし、“夜見れな”っていいます。よかったら、またどこかで遊んでね~」

 

 「よるみ……れな……?」

 

 咲は、ぽつりとその名前を口にした。

 

 今初めて知った。あの灰色の制服の少女の名前――

 

 “夜見れな”。

 

 そして彼女は、咲の存在に気づいたように、くるりとこちらを振り返る。

 

 あのときと同じ、底の見えない笑顔で、まっすぐに。咲は背中にひやりとした汗を感じながら、その場に立ち尽くしていた。

 

 「笹木先輩、また会えましたね~♪」

 

 扉の向こう。教室の中から顔を覗かせる少女は、いつも通りの笑顔だった。灰色の制服に黒いマントをひらひらさせながら、楽しげに小首をかしげて咲を見つめている。

 

 「……なんで、あんたがここにおるん……」

 

 咲は半開きの扉の外に立ったまま、呆れと戸惑いを入り混ぜた表情で問いかけた。

 

 「昨日先輩、黒曜崎に来ていただきましたよね? だから今日はそのお礼に、先輩の学校に来てみましたっ♪」

 

 「……その言い方おかしいやろ。」

 

 「でもほら、こうしてちゃんと“再会”できたし、ね?」

 

 にこにこと言う夜見に、咲はじりっと半歩後ずさった。

 

 「……で、その再会ついでに、うちを呼び出したってワケ?」

 

 「ううん? それは……偶然?」

 

 「どっちやねん!!」

 

 バンッと咲が扉を押さえようとしたそのとき、夜見がくるりと振り返って、教室の中の生徒たちに向き直った。

 

 「みんな~、ちょっと注目! 今から、“この扉を閉めると、笹木先輩がどこかにワープする”っていうマジックをやりま~す♪」

 

 「……は?」

 

 耳を疑った。

 

 「……え、ちょ、ちょ待て待て待て!? いやいやいや!? 何言うて――」

 

 「わぁ~~!」

 

 「ほんと!?」

 

 「すごーい!」

 

 盛り上がる生徒たちの拍手と歓声。

 

 「……ちゃうって!! なぁ!? 普通に考えて無理やろ!? どこにワープすんねん!? そもそも物理法則どうなってんねん!? 椎名ァァ!!」

 

 叫んだが、扉の向こうはすでに夜見の「それじゃ、3・2・1……」という軽やかなカウントダウンが響いていた。

 

 「ちょ、おい、やめ――」

 

 ――バタン。

 

 扉が閉まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ちゃぷっ。

 

 ぬるい水の感触が、頬に当たる。

 

 「……んぐ……え?」

 

 目を開けると、そこは青空の下――学校の中庭にある、深さもない観賞用の小さな池の中だった。

 

 スカートの裾はびしょ濡れ。腕も腰も水に浸かっている。背中には石の感触。どうやら、そのままごろんと仰向けに倒れているらしい。

 

 鯉が、一匹、顔のすぐ近くをすぃーっと通過していった。

 

 「……いや、ちょっと待てや……」

 

 ぽつりと呟いた咲の顔に、鯉が水を跳ねさせた。

 

 「誰がワープ芸人やねん!! どないなっとんねんマジで!!」

 

 周囲には誰もいない。ただ、風が吹き抜け、どこからかチャイムの音が微かに響いていた。

 

 制服はびしょ濡れ。

 

 咲は、池の中で仰向けのまま、ただ空を見上げた。

 

 「……うち、絶対もうマジックとか信じへん……」

 

 水の音を引きずるように、廊下を歩く笹木咲の足元からは、ぴちゃ……ぴちゃ……と悲しげな音が響いていた。

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