昼下がりの街に、不穏な空気が漂っていた。
人通りの途絶えた一角、アルカナの前。そこに、剣持刀也は立っていた。
黒い外套の裾を揺らしながら、店の扉を見上げる。
「……ここか」
彼の周囲には、目に見えるほどの瘴気がうっすらと漂っていた。
手にした刀の鞘を軽く撫で、わずかに柄に手をかけたその時――。
「よぉ来たな」
物陰から現れたのは、巫女服姿の椎名唯華だった。
その姿は陽の光を受けて、白と赤の衣がどこか神聖さすら帯びている。
剣持は眉をひそめ、構えを崩さぬまま目を細める。
「……追ってくるなんて、随分と血気盛んな女だな」
椎名は涼しげな顔で肩を竦めた。
「ちょっとした野生児が椎名家にいてな……」
「タダ働きする代わりに、ちょっと手ぇ貸してもろたわ」
その言葉に、剣持はふと椎名の視線を追い、アルカナの屋根の上を見上げた。
そこには――紫髪の少女。
半袖のシャツにジャージのようなラフな服装。鋭さを帯びた猫のような目をした彼女が、屋根に座ってこちらを見ていた。
無言のまま、少女は踵を返し、すぐさまその場から去っていく。
気配を完全に殺したその身のこなしは、野生の獣のように研ぎ澄まされていた。
剣持が視線を戻すと、椎名は既に片手を前に突き出していた。
すっ――と前に出された、人差し指と中指。
その瞬間――。
ドンッ!!!
爆風のような霊気が炸裂し、剣持の身体が後方へと吹き飛ぶ。
アルカナの店先の看板、置かれていたベンチやメニュー表までもが激しく宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「……っ、クソッ!」
剣持は咄嗟に受け身を取り、地を滑るように立て直す。
そしてすぐさま刀を抜き、再び構え直す――が、その目に映ったのは、苦悶に顔を歪める椎名の姿だった。
「……っ、はぁ、っ、ぐ……!」
椎名は、口元を抑え、肩を震わせながら血を吐いた。
地に滴るその紅の雫を見て、剣持の顔が青ざめる。
「お前……!」
思わず声を漏らした剣持の表情には、戸惑いと困惑が混ざっていた。
「……お前……何を、どこまで背負ってる……?」
椎名は、血に染まった手を見つめたまま、ひとつ息を吐く。
その瞳の奥には、どこか諦めと覚悟が宿っていた。
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数か月前、放課後の「アルカナ」。店内にはゆるやかな時間が流れていた。カウンターの奥ではチャイカが新聞を広げ、咲は窓際の席でアイスティーを啜っている。
そんな中、唯華が夜見の隣の席にどすんと座り、真剣な眼差しを向けた。
「なぁ……夜見……うち、どうしても……葉加瀬の実験体になりたいんや」
突然の発言に、夜見はぱちくりと瞬きをしてから、首をかしげる。
「……どうしてそうなるの?」
唯華の顔がぐっと近づいた。真面目そのものの表情。
「最近、ニュースとかで見るやん。欲望を持て余したまま、犯罪とか非行に走る若者の話……うち、考えてん。もし、葉加瀬がいつかそんな風になったらどうするって」
「え……?」
「せやからや。せめて“お母さん”のうちが、その子の夢、かなえてやらなあかん思て……!」
懇願するように両手を握る唯華。その横から、咲がバッと立ち上がる。
「ちょ、あかんあかんあかん!唯華、何言うてんの!? ほんまにバラバラにされてまうで!?」
「離してや咲っ!うちは決めたんや!!葉加瀬の願いを、うちが叶える!!」
「そんな願い叶えんでええわ!!!」
必死に唯華を羽交締めにして止める咲。だが唯華は力強く足を踏みしめ、涙ぐんだ瞳で夜見を見つめた。
「……お願いや……ちょっとだけでも、聞いてやって……」
夜見はしばしの沈黙ののち、軽くため息をついた。
「はぁ……もう……じゃあ、ちょっとだけ聞いてみるよ。ほんと、“ちょっと”だけ、ね」
そう言って、夜見はスマホを取り出し、どこか楽しげな微笑みを浮かべながらゆっくりと画面をタップした。
「冬雪~、今アルカナだけど~、ちょっと面白い相談があってね~♪」
その声は、なぜか温度のない無邪気さを含んでいた。
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境内に吹き荒れた霊力の余波が静まっていくなか――唯華は、赤く染まった自らの掌をじっと見つめていた。
「……うち、元から霊能力あんまり使うと、身体しんどいねん……」
声はかすれ、震えている。
それでも、彼女の瞳はまっすぐ前を見据えていた。
「こんな……デカい霊、除霊しようもんなら……ほんまに……」
「死ぬかもしれん……」
淡々と語る言葉の端々に、弱音でも諦めでもない――ただの「現実」がにじんでいた。
「……はぁ……葉加瀬特注の霊能力増強チップ、すごい威力やな……」
よろり、と身体が傾ぐ。
刀也は反射的に彼女の手を取り、その体を支える。
「……お前……そこまでして……!」
その手は熱を帯びていた。震えていた。
それでも、椎名は弱さを見せず、剣持を真っすぐ見上げる。
「助けたいんや……笹木を……」
「私、勉強苦手やからな……」
「家のこととか、因縁とか……全く分からん」
「だから正直な話、あんたのことも……ちょっと血気盛んな兄ちゃんくらいにしか思っとらんのよ……」
半目で、どこか投げやりにも思える軽い口調。
けれどその実、必死に体を支えながらも、諦めていない。
その姿を見た剣持の表情から、怒りは消えていた。
代わりに湧き上がるのは――不憫さと、滑稽さへの憐憫。
こんな少女が、命を賭けて霊と戦おうとしている。
体を壊しながら、それでも一人の少女を助けようとする。
それがどれだけ愚かで、どれだけ眩しいか。
剣持はふと目を逸らし、空を仰ぐ。
「……何をすればいい」
静かに、だがはっきりと椎名に向けて問いかける。
椎名は剣持の手をもう一度しっかり握り返し――
その手の中に残る霊気の温度に、微かに微笑んだ。