第2章 第1話:死に逝く者
店内は、夕方のやわらかな光と、スチームミルクの香りに包まれていた。
窓際のカウンター席。そこに並んで座るのは、制服姿の咲と唯華。
「はいはい、トールサイズのアイスカフェラテ、二つな。約束通りやからな!」
「おお~、やっと奢ってくれたんや。笹木、やればできるやん」
椎名はドリンクを受け取ると、早速ストローを刺して一口すする。
「ん~、やっぱスタバはミルク濃いわ。うまっ」
「うちの財布には濃すぎるわ……」
咲は隣でぐったりと項垂れながら、ついでに自分のドリンクをちびちびと啜った。しばらくは、お互いに授業の文句や、昨日のテレビ番組の話など、くだらないことで笑い合っていた。
ほんの束の間、平和な時間だった。
……ふと、咲の目線が、店内の奥の方に吸い寄せられる。
「……ん?」
ふいに目に留まったのは、窓際の二人席で一人、ノートパソコンを開いて紅茶を飲んでいた、見覚えのある姿。
銀色のショートヘア。細身の体躯に、制服の上から羽織られた白衣。
背筋のまっすぐな座り方。無表情にディスプレイを見つめる横顔。
咲の手から、ストローがすべり落ちた。
「……あ、あれ……あれぇ……っ!!?」
声にならない声が漏れた。
「あ、か、かかかか……」
「かかか? なにカフェインでバグってんの?」
椎名が不思議そうに顔を覗き込むが、咲は答えない。ただ、目を見開いたまま震える指で奥の席を指さした。
「おるやん……白衣の……あいつやん……!なんでここに……!」
「……ああ、銀髪の人?」
椎名は何の緊張感もなくそちらを見やり、「へぇー」と呟いた。
「そんな風に見えんけどなぁ。てか、咲、カフェでパニック起こすのやめてな」
「パニックにもなるわっ!! ヤバいヤバいって、うちマジであの人には近づきたないねん! 唯華、帰るで! はよ!」
咲は立ち上がり、椎名の手を引こうとする。
――が、次の瞬間。
「こんにちは~。おふたり、仲良しですね?」
気づけば、白衣の学生は目の前にいた。
椎名の隣の空席に、自然な動作で腰を下ろす。どこか楽しげな微笑みを浮かべて、まるで最初から一緒にいたかのように馴染んでいた。
「……っっひぃいいいいいいぃ……っ!!!」
咲は喉の奥で小さく悲鳴を飲み込んだ。
椎名は、そんな彼女の様子も気にせず、スッとストローを咥えてミルクを吸う。
「……で、誰?」
咲は震える手でカップを持ち直しながら、白衣の学生を警戒するように睨んだ。
「――ああ、そうだ。自己紹介がまだでしたね」
カフェの空気に溶け込むような穏やかな声で、白衣の学生は微笑みながら言った。
「私は葉加瀬冬雪。科学と変なものとコーヒーが好きな、ただの学生です。今日は実験の合間に、ちょっと人間観察に来てまして」
「じ、実験の合間て……人間観察て……」
咲はじわりとカップを机に置き、警戒の色を隠さないまま睨む。
葉加瀬は軽く首を傾げながら、二人の顔を見比べる。
「ところで――夜見と、会いましたよね? 二人とも」
その名前が出た瞬間、咲の背筋がぴんと伸びた。
「なんで知って……っいや、やっぱり知り合いなんか!! いやー……そらそうやわな!! 白衣着てるし!? 変なこと言うし!? そら繋がってるわ!!」
「繋がってるって言い方が失礼すぎる」
椎名が淡々と突っ込みを入れたが、咲は気にも止めない。
「聞いてくれや!! あいつな!? うちをマジでワープさせたり、教室で変なマジックして人騙したり、しかも勝手にポケットに手紙入れてくるし……マジでヤバいやつやねん!!」
「ワープ……ははぁ、やっぱりやってるんだ」
葉加瀬はどこか納得したように、ふんふんと頷いた。
「夜見は……まぁ、わかりやすく言うと、“超能力者”なんですよね」
「ちょ、ちょちょちょ待って!? 超能力者!? は!?」
咲はスプーンを落としかけた。
葉加瀬はそんな彼女を見ても落ち着いたまま、指を一本立てて数え始める。
「エレキネシス、パイロキネシス、読心術、それとテレポート。あと、動物と会話したりとかもできるみたいです。まぁ、私は専門じゃないんで、“だいたい”ですけど」
「だいたいの範囲がだいたいじゃ済んでないんやが!?」
咲の声が一オクターブ上がった。
「いやいやいや、そんなポケモンみたいな能力ほんまにあんの!? え!? え、なんでうちら普通に学校通ってんの!? 文科省とか動けよ!?」
「でもまぁ……あいつが使うのは、“遊び”のためだけだからね」
葉加瀬の目が、一瞬だけ鋭さを帯びた。
「面白いことがあると、反応する。興味を持ったものには手を伸ばす。でも、何かに“責任”を持ったり、“線引き”したりはしない。そういう子です、れなは」
咲は何も言えず、ストローの先をじっと見つめたまま、肩を落とした。
「……それで池にワープさせられたんか、うち……」
「うん、それも聞いたけどちょっと笑った」
葉加瀬がさらりと返し、椎名が「あてぃしも」と小さく笑った。
咲は机に突っ伏して、ぎゅうっと紙ナプキンを握りしめた。
「マジで付き合いきれへん……あいつらみんなおかしい……」
机に突っ伏したまま呻く笹木に、隣の椎名がストローを咥えたまま冷ややかに言った。
「それ言うなら、あんたも、うちも普通じゃないやろ」
「……ぐっ……!」
鋭い一言が、咲の背中に突き刺さる。
「てか、あてぃしは霊見えるし、咲は霊符持って飛び回ってるし、なんなら地下にない階まで潜って除霊してるやろ」
「せやけど、うちらは……ちゃんと現実に生きとるねん……あいつらはなんか……ルール外の存在っていうか……運営が調整放棄したボスキャラっていうか……」
ぐだぐだと呟く咲に、対面の葉加瀬冬雪が、ふと楽しげに笑った。
「ふふっ、まあまあ。そんなつまらない話するより、さ――」
葉加瀬は身を乗り出して、ニヤリと笑う。
「こないだ話しそびれたゲームの話、しよっか?」
「いややぁあああああ!!」
咲は即座にのけ反り、声にならない悲鳴を上げた。
「ゲームって言うけど! うちそのあと夢で縛られて! 解剖される夢見てんからな!? リアルすぎてマジ泣きしそうやったんやぞ!!」
「……むぅ……」
葉加瀬は唇を尖らせ、あからさまに拗ねたようにカップを手でぐるぐる回し始めた。年相応にも見える、子供っぽい態度。けれど、そのギャップが逆に怖い。
「……なんか、わたしが悪いみたいじゃん……」
「事実や!! 100対0であんたが悪いやつや!!」
「で、葉加瀬。あんた、夜見とはいつも一緒におるん?」
「んー?」
「同じ学校っぽいのはわかるけど、なんかこう……あいつ、ほんまに人付き合いしとるんか謎やし。どうやって仲良うなったん?」
そう訊ねると、葉加瀬はくるりとストローを回して、いたずらっぽく笑った。
「答えたら――解剖、させてくれる?」
「は?」
「先輩のお腹、すっごく綺麗そう。開いて観察したいな~って、ずっと思ってたんだよねぇ」
椎名が瞬きもせずに葉加瀬を見つめる中、咲はガタンと椅子を引いて立ち上がった。
「断るうううううううう!!! 絶対やめろや!!! やめろ!!! あんたマジで、冗談に聞こえへんからな!!」
「えー……つまんないのー……」
葉加瀬は肩をすくめると、つまらなそうにラテの最後の一口を吸い上げ、カップを机に戻した。
「じゃ、わたしそろそろ実験に戻るから。またね」
立ち上がると、コートを軽く羽織って背を向ける。そのままドアへと向かいかけたところで、ふと振り返る。
そして、ほんの少しだけ不敵な笑みを浮かべて――
「“幸運を、死に逝く者より敬礼を”…かな?」
意味ありげな一言を残して、葉加瀬冬雪は店を出ていった。
カラン……と扉のベルが鳴り、静かになったスターバックスの中。
咲は顔を青くしたまま、椎名の肩を小突いた。
「なあ椎名、今の意味深なやつ……ヤバいやつちゃう? うち、また変なもんに巻き込まれるんちゃう……?」
椎名はストローを咥えたまま、ぼそっと呟いた。
「うーん……せやけど、“死に逝く者”って、笹木のことやったら……まぁ……うん、似合っとるな」
「うちが一番普通や言うてるやろがあああああ!!」
再び、店内に咲の叫びが響いた。
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足音だけが、コツ、コツと乾いた音を立てていた。
誰もいない廃墟のような集合団地の中。ひび割れたコンクリートの壁、剥がれたタイルの床、錆びついた手すり。光の差さないその空間は、まるで時間が止まったように静まり返っていた。
黒髪の少年がひとり、その中を歩いていた。
長くて重たげな前髪が、真っ白な顔の半分を覆っている。小柄な体格にだぶついた服。肩はわずかに震えていて、細くて白い指が壁をなぞるように歩いていた。
少年の目は焦っていた。
何かを探しているようで、何も探していないようでもある。ただ、落ち着きなく、あちこちを見渡しては、誰もいない団地の廊下を延々と彷徨っていた。
――奇妙なのは、その空間だった。
壁という壁には、クレヨンやチョークで描かれたような落書きが無数にあった。
笑っている顔、泣いている顔、ぐちゃぐちゃに塗り潰された顔。紙芝居のように繋がれた線画、意味のない文字列、空中に浮かぶように重ねられた「だれかの家」の地図。
階段の裏には、子どもの手のひらを塗りつぶしたような赤い印がいくつも連なり、狭い踊り場には、足のない子どもが描いたような「ともだちの絵」が、扉いっぱいに広がっていた。
少年は足早に歩きながら、それらを見ても表情を変えなかった。ただ焦りだけが彼を動かし、音もなく、誰にも呼ばれることなく、その空間を進んでいく。
やがて――
一つの、古びた扉が現れた。
取っ手に触れたとき、少年の指先はわずかに震えていたが、ためらいはなかった。
――ギィ……
鈍い音と共に、扉が開かれる。
途端に、色が広がった。
眼下に現れたのは、どこまでも続く“団地の集合体”。
夕焼けに染まったその景色は、まるで巨大な蜂の巣のように、何層にも積み重なり、延々と連なっていた。無数の建物、無数の廊下、無数の窓と扉。誰もいないその光景には音がなく、風さえも吹いていない。
けれど、少年はその景色を見ても驚かなかった。
まるで――最初から知っていたかのように。
当たり前のようにそこに立ち、無言のまま、ただその景色を見つめていた。
顔に感情はなかった。
けれど、目は閉じられていなかった。
焦りは、どこかへ消えていた。
まるで、この世界そのものが、彼にとっては“最初からそうだった”かのように。