ムジカの福岡公演も無事終了し、再度東京に戻ってきたムジカメンバーは毎日のようにテレビや雑誌の仕事が入っており、忙しい毎日を送っていた。
そんな忙しい日々をこなす中で、睦は気づいた。
あの日、あのにゃむと祥子が楽屋で話していた日、祥子が早退した日。あれ以降、祥子の放つ雰囲気がどんどん儚くなっていることに。そもそもここ1ヶ月くらいの祥子は命を燃やすように全力で突き進んでおり、それがとても危うく感じてしまう。
しかも、睦に対して妙によそよそしい。祥子に様々な不幸が降りかかってから2人の関係性は少しだけギクシャクしていたが、今の感じはそれとも違う。言葉にできない。だが睦はこの状況がたまらなく嫌だった。
合宿の夜の祥子の言葉が頭をよぎる。
「きっといつかちゃんと答えを出しますから、今だけ……どうか今だけはわたくしの側にいてくださりませんか?」
祥子は無理をしている。そしてその無理が精神的なものだけでなく、肉体的にも無理をしているのでは、と睦は思う。
最近の祥子は本当に人形の如き白磁の肌をしている。人形のフリをして撮影をする際、椅子に腰掛けた祥子があまりにもツクリモノめいていたため、睦は思わずぎょっとして祥子に駆け寄ってしまった。
「さき、生きてる、よね?」
「む、むつみ? まだ撮影中ですのよ?」
「あ、ご、ごめん……なさい」
「いえ、その、心配してくださったのは嬉しいですが……これは演技ですのよ?」
本当に?
(祥、なんだか人間じゃないみたい。今の祥、色んなことを悟ったような顔してる。どうして? なんでそんな顔をするの? そんなまるで、これから消えてしまうみたいな)
自分でそう思ってハッとする。
この前の楽屋で祥子は何やら不穏なことを言っていた。最後の方しか聞けなかったけど、自分が死ぬならとか、長くないだとか。
そしてある一つの事実が頭をよぎる。
祥子の母親。
家族ぐるみで付き合いがあったから、豊川瑞穂の体調がずっと芳しくなかったことも薄々知っていた。その時が訪れてしまったと聞いた時、真っ先に睦は祥子を心配した。
ーー祥子もまた、瑞穂のように病気で死んでしまうのではないか。
そう思っていてもたってもいられなくなった数年前の睦は、一晩中祥子の部屋で一緒に過ごしたことがあった。あの時は「大丈夫ですわよ、わたくし、健康には気を使っておりますわ」と言っていた。
だがそれ以降あんなことがあって、祥子の生活状況は著しく悪化した。今の祥子がもしあの生活を経て病に侵されているのだとしたら……。
「いや、だよ、さき…………。嘘だよ、ね……? いやだよ…………」
だがそう考えれば全て辻褄が合ってしまう。あれほど追い詰められていたのに急に全て悟ったようになり、睦によそよそしくなり、他のメンバーを気にかけるようになった。
それがもし、親しい人を悲しませないようにとの配慮だったら。心残りかのようにメンバーへ気を配っていたのだとしたら。
(祥の性格上、きっと私を避ける。私は半身だから。私を心配させないようにって、避ける。だからあの時……『もう必要なくなる』なんて言ったの?)
まるで遺書でも読むかのように睦を諭し、自身が不要になるなどと自虐的な発言をする祥子の心情を今理解した。理解したくなかったのに理解してしまった。
「祥、祥に会わなきゃ」
急に祥子に会いたくなり、楽屋に向かって早足になる。そうして扉を開けた時、睦は絶望的な光景を目の当たりにする。
「げほっげほっ!」
「さ、祥ちゃん大丈夫!?」
「え、ええ……大丈夫です」
「…………さ、き……なに、それ」
「あ、睦。その、大丈夫です。お気になさらず」
祥子の口から溢れる真っ赤な液体。それを目にした瞬間、睦は自身の考えが正しかったことを悟った。そして、そんな現実を直視したくなくて、その場から逃げ出した。
(いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。嫌だよ祥、だれか、誰か祥を助けて……)
「美味しくなかった? トマトジュース」
申し訳なさそうに尋ねる初華。
「いえ、喉の変なところに入ってしまって……ああ、衣装は無事ですわね。しかし、睦は何をそんなに慌てていたのでしょう? 忘れ物でもしたのかしら?」
「んー、どうしたんだろうね……。
それにしても、ムジカっぽい『血のトマトジュース』、これ豊川飲料の案件なんだよね? 次は吸血鬼の劇やるのかな?」
「そう言う風に台本を書き上げてみることにします」
口元を拭う祥子。
睦と入れ替わりで入ってきたにゃむがギョッとする。
「うわなに!? 血でも吐いたの?」
「今度の案件のトマトジュースですわ。健康に良いので貴方もいかが?」
「あたし遠慮しとくわ。うみこいる?」
「私健康志向なのでいただきましょう」
◇◆◇
絶望した睦が頼れるのは1人だけだった。
(そよ………)
こんなことを1人で抱えるのは無理だった。元々祥子の諸々を抱えておくのでさえ辛かったというのに、ここにきてもっと大きな爆弾を見つけてしまい、藁にもすがる思いで睦はそよを呼び出した。
長崎そよ。
睦にとって彼女はCRYCHIC時代からの友人であり、クラスメイトであり、祥子を除けばCRYCHICで最も頼れる存在だった。
椎名立希、高松燈もまたCRYCHICの大切な仲間である。自分が口下手なせいで壊してしまったバンド。でももうそんなことを言っていられない。
RiNGで座って待っていると、そよ・立希・燈に加え、愛音の姿まで見えた。何度もMyGO!!!!!のライブに足を運んでいるため愛音のことも知っている。
4人とも各々睦にも思うところがあるため、何か声をかけようとタイミングを見計らう。だがそんな彼女たちの気持ちを切り裂くように、睦は言った。
「祥は……もう長くないかもしれない……」
自分の中に蟠る堪えようのない恐怖感が噴出し、第一声から本題に入ってしまった。4人は最初何を言われたのか理解出来なかったが、睦のあまりにも深刻そうな表情を見て思っていたよりも重い話になりそうだと悟る。
「ごめん……話が、飛んだ。久しぶり、立希、燈」
「え、あ、うん……久しぶり睦」
「元気、だった……?」
「うん。私は元気。愛音は……はじめまして……」
「う、うん、えーっと初めまして! って挨拶とかしてられない気もしてきたかなー……さっきの話、聞き捨てならないんだけど……」
4人とも祥子のことを知っているため、あまりにも不穏なワードが飛び出てきたことに凄まじい不安感を抱いていた。
睦は逡巡の後、口を開く。
「………これから話すことは、祥のすべて。祥が、大切だったCRYCHICを脱退してまで守り通そうとした秘密」
「ーーーーッ!? それって!」
「本当は話すつもりなかった。でも……もう駄目。祥が苦しいと私も苦しい。苦しいだけなら、まだ、よかったのに、祥は……祥は……」
ポロポロと瞳から涙が溢れ出る睦。
普段表情に変化のない睦の泣き顔はあまりに珍しく、彼女をよく知る3人は思わずギョッとしてしまう。
かたかたと震えだし、唇を噛み締める。目の焦点が合わない。本当に怯えて震えている様子を見て、そよは立ち上がり睦へと手を伸ばす。
「そよ……」
「大丈夫、大丈夫だから。落ち着いて? ね?」
睦を抱きしめ、あやすようにして頭を撫でた。
「………うん。ありがとう」
「紅茶でも頼もっか。すみませーん! アッサム1つとアールグレイ1つ、3人とも何飲む?」
「なんでもいい」
「そよちゃんと……同じの」
「いつもので!」
「はいアールグレイ4つで」
いつもので、と言うカッコいい台詞が言いたいだけの愛音の真意を読み取り、アールグレイを4つ頼んだ。睦はアッサムが好きだったからそれを頼むことにする。
暫くして5人分の紅茶がテーブルに置かれ、その香りのおかげか睦の震えは少し収まっていた。
「昔……みんなでお茶した」
「懐かしいね。と言っても1年前とかだけど」
「あの頃の祥は本当に幸せそうだった。悲しみの底に沈んでいた祥にとって、CRYCHICはヨスガだった」
「…………………悲しみ……?」
「祥がCRYCHICを結成したきっかけはモルフォニカ。だけど、ほんとの理由は……祥のお母さん」
「祥ちゃんのお母さん?」
自然と語りが始まり、しかも祥子の脱退理由ではなくCRYCHIC結成理由の話が始まった。元メンバーの3人は特に真剣に聞いている。
「…………2年前に亡くなった」
「え……」
「家族を喪って空っぽになった祥が求めたのは……家族と同じくらい強固な関係で結ばれた存在ーー運命共同体」
運命共同体となるのです!
そんな祥子の明るい声が脳内に響く。だがその時点で心に深い傷を負っていたのだとすれば……。
「祥ちゃん…………」
そよが震えながら呟く。
だが話はそこで終わらない。祥子に降りかかった不幸、その顛末を語る。
そして運命の日、CRYCHIC脱退を告げたあの雨の日。あの時泣きながら雨に打たれていた祥子に傘をさせなかったことを、まるで罪を告白するかの如く語る。あの時の祥子の心情を慮ることは難しい。恐らく自分だったら壊れていた。
「…………………ごめんなさい、祥。ごめん、なさい……………」
いつの間にか外は雨が降りはじめていた。
あの日と同じように。しとしと。しとしと。同じ時を幾度となく上映させるが如く。