初めて出会った時から彼女は太陽だった。
みなみちゃんとたあくんの子供として、求められるがままの人形を演じてきた睦。接する人によって人格を使い分け、その人との繋がりがなくなった途端人格は死んでいく。無数の人格が蠢き合い、自分が誰なのかもわからなくなっていた頃に睦は祥子と出会った。
当初の睦は、祥子の求めるような人格を生み出そうとした。けれどその頃人格の交代はしょっちゅう起こっていて、祥子の前で違う人格で喋ってしまったことがある。
だが祥子は全く気づかず、それどころか、
「今日の睦はとても明るいですわね! 何か楽しいことでもあったのかしら?」
祥子はおおらか、悪く言えば鈍感だ。子供ながらに悪戯心が湧いた。次の日はまた違う人格で、その次の日もまた違う人格で喋ってみよう。
だが祥子は気付かない。いつもの笑顔で睦の頭を撫でるのだ。
「睦は万華鏡のようですわね! 色んな表情があって、色んな特技を持ってて、どれも可愛らしいですわ!」
「……………ほんとに?」
「……? なにがですの?」
「きもち、わるくないの?」
「……? 気持ち悪くなんてないですわ。睦は睦、それ以上でもそれ以下でもありませんもの!」
太陽の笑顔。
その瞬間、『私』が一歩前に出た。舞台へとあがった。今までひと並びに舞台への出番を待ち、あがっては降りてを繰り返していたのに、太陽に引っ張り上げられた『私』がそこで生きる意味を得た。
祥子と一緒に居たい。
一緒に生きていきたい。
何かアイデンティティが欲しい。
「わたくしがピアノを弾きますので、睦はギターを弾いてくださいな!」
それは直ぐに見つかった。
祥子が求めた。『睦』とともにいるための手段。
何かに沿った人格を求めるのではなく、『睦』のために才能を求めた。この瞬間、若葉睦は生まれたのだ。
だから半身。
だから妹。
そんな半身が消えてしまう。
それなら自分は……もう……。
コンコン。
ノックの音。続けて飛び込んできた声に、思わず硬直する。
「睦、あけてくださる?」
「さき……? どうして」
「押しかけました。スマホ、みてないんですの?」
何も考えたくないのでスマホの電源を切っていたことを忘れていた。
けれど、だとしても、祥子の顔を見て話せる気がしなかった。今は……どんな話をしても心がぐちゃぐちゃになる。
そんな睦の心情を慮ってか、祥子はドアの向こうに背中を預ける。睦もまた、祥と話すためにドアのそばに行き、背中を預ける。ドアを挟んで背中合わせ、それはまるで今の2人の距離を表しているかのよう。
「睦」
「なに」
「1つ聞かせてください」
「うん」
「貴方は今、あの頃の睦ですか?」
心臓を抉り取られるような感覚。
「なん、で……。なんで、祥が、それ」
それは、祥子が知らない筈の事実。祥子が知らなかったからこそ、睦は睦でいられたのだ。知ってしまえば前には戻れない。そんなこと、祥子だってわかってるはずだろうに。
だが祥子の声音はどこまでも穏やかで優しかった。
「睦。貴方はわたくしの半身です。故に、わたくしの貴方への心情を読み解けない現状は、貴方にとっては不可解で気味が悪いことだと思います。
だから、睦。これから話すことは事実です。信じてください」
「………祥?」
「わたくしは貴方を知っている。貴方が自分という人格を持たず、無数の屍の上に立つ存在だということを。わたくしの為にギターを弾いてくれたことで、無数の人格を客席に押し留めてしまったことを」
「…………な、なん、で、どうし」
「睦。わたくし、未来から来たんですのよ」
時が止まる。
こんな時にこんな冗談を言う祥子ではない。
睦は必死に思考する。
「未来……」
「未来の貴方は全て教えてくれました。そして、今の貴方と共に混じって溶けて……消えた」
「…………」
「わたくしは、未来の貴方を救うことが出来なかった。残ったのはわたくしへの想いを失った、出会った頃のままの睦。誰からも好かれるように無数の人格を使い分ける天才的な女の子」
未来の話が本当かどうかはわからない。
けれど睦は……そんな未来は絶対に来て欲しくないと思った。祥子と過ごしてきた時間で育まれた感情たち、それを置き去りにして生きていくなんて考えたくもなかった。
だがこれで合点がいった。
祥子の落ち着きっぷりは、未来から来たと言われれば納得ができるのだ。そして、だとしたらそんな未来で祥子と睦は本当に離れ離れになってしまったのだと悟る。
誰からも好かれる。それが出来たとしても、睦が本当に好かれたい人物はただ一人だというのに。
「それでもわたくしは、貴方を想い続ける。貴方の想いが時の彼方に消えてしまったとしても。貴方が幸せならそれでいい。わたくしが必要なくなって、貴方の無限の可能性を……才能を羽ばたかせることができるのなら、それは」
「それは、私の幸せじゃない」
もう耐えられなかった。
扉を開ける。
祥子は驚いた顔をしていたが、睦はそんなのお構いなしだ。
この感情はなんだろう。悲しみ? 哀しみ? 恐怖? いいや、そんな受動的なものじゃない。
これは怒りだ。
憤怒だ。
そんな酷い未来を選択した自分への怒りであり、そんなふうに思って諦めてしまった祥子への怒りだ。そんな馬鹿なことを、大真面目に言い聞かせる大馬鹿な半身への憤怒だ。
「私は言った。『離れない』って。『本心』だって。祥は、信じられないの?」
「ち、ちがっ! ぐぅっ」
睦は祥子の胸倉を掴む。
鏡を見ずともわかる。俯瞰する目、役者としての目で自分が怒りの形相を浮かべていることがわかる。それでもこの胸の憤怒を止めるつもりは毛頭ない。
「その私を出して。舞台から引き摺り下ろして、噛み砕いて咀嚼するから。祥への私の想いを否定するのは誰であろうと許さない」
「む、無茶言わないで! それは未来のお話で」
「そう、未来のお話。なら私は絶対の絶対にそんな未来を選択しない。この想いを否定するのは、祥でも許さない」
「む、つみ」
「私の覚悟を、甘くみないで」
睦は怒っていた。
睦の想いを否定した祥子に。
祥子自身の幸せを願わない祥子に。
それは即ち、睦の幸せを願わないことに繋がるのだ。
「私の幸せは祥の幸せ。祥が自分の幸せを願わないのなら、それは私の幸せを否定したも同然」
「………ぁ」
「祥はどうしたい? 祥の気持ちが聞きたい」
「わたくしは………」
大きく見開かれた瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
いつだって祥子の最後の砦は睦だ。
あれだけ運命に翻弄されても折れなかった祥子が、睦が壊れた途端あっさりと折れてしまったように。それほど祥子にとって睦は大切な存在だったから。
だから、本音が溢れた。
「わたくしは……いや、です。睦が死ぬのも、睦がわたくしから離れていってしまうのも。
わたくしのことはどうでもよくなったんですの?
わたくしへの想いはその程度だったんですの?
貴方の顔をした貴方が、わたくしになんの想いも抱かずにそこに佇んでいる事実が耐えられないーーッ! わたくしのそばにいて欲しい、わたくしだけのそばにいて欲しい。他の誰のものにもならないで欲しい」
それは偽らざる本音であり、醜い欲望。
歪みに歪んだ独占欲。
この醜い感情を絶対に見せてはならないと思い、神を名乗って自分の気持ちに蓋をした。
これで睦は他の3人と同じ。
睦ーーモーティスは他と同様。
神にとってのただの1騎士に過ぎなくなる。
…………そんなの、絶対に嫌だった。
「やだ、嫌、嫌、嫌、嫌です、嫌……嫌なんです!!!
……でも本当に嫌なのは……こんな気持ちを抱いてしまう醜い自分自身。わたくしは我儘で傲慢で自分勝手で、ただ一人の半身を幸せにすることすら出来ない、なんの価値もない醜い化け物。だから」
「さき」
名前を呼んで、抱きしめる。
心臓の鼓動が重なり合う。睦は祥子を抱きしめたまま、顔を見せないまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私も同じ。きっとこの想いは歪んでる。健全じゃない。でも、それが私の幸せだから。だから。祥の我儘に付き合うから、私の我儘にも付き合って欲しい」
「わが、まま……」
「私と生きて、祥。沢山の愛なんて要らない。才能なんて要らない。ただ祥がいればそれでいい」
「むつ、み」
「これが答え」
弱り切って泣きじゃくった祥子の瞳を見つめ、その唇に"答え"を刻む。祥子は黙ってそれを受け入れた。
無限にも等しい刹那の答え。お互いの答えを唇越しの体温で確かめる。
答え合わせを終えると、蕩け切った表情の祥子の頬に手を添えて、睦は言う。
「『睦は睦、それ以上でもそれ以下でもありません』。……私の全てを受け入れて、祥。私も、祥の全てを受け入れるから」
「いい、んですの……? そん、なの……」
「私は良い。あとは、祥次第。でも答えは一択」
逃げ道を塞ぐかのように睦はそう言って笑った。その笑顔を見て祥子は……。
「……私も、一緒に生きて欲しい……。ずっと、ずーっと、死ぬまでずっと」
ようやく、愛しい半身に自分の醜さをーー1番の望みを曝け出すことが出来たのであった。
◇◆◇
その後泣きじゃくる祥子を宥め、ようやく泣き止んだ頃。睦は切り出す。
お互いの気持ちをぶつけ合ったところでここからが睦にとっては本題だった。
「じゃあ祥、病院行こう」
「………………へ?」
「まだ諦めてない。完治するまで一緒にいる。だから」
「え、ちょ、はい? なんの話ですの?」
「そういうのいい。私は知ってる。祥の病気のこと」
「…………………びょう、き?」
「…………………あれ」
祥子と気持ちを確かめ合い、未来から来たという事実すら共有した睦。祥子の全てが今は手に取るようにわかる。
ゆえに、この反応が嘘ではないこともわかってしまった。
「さき……私を避けてたのは」
「避けてはいませんが……まあ、未来を知っていたので罪悪感とかによるものですわね」
「みんなに優しかったのは」
「未来だと色々吹っ切れてましたので、そこまで仲悪くはないですわよ」
「楽屋で血を吐いてたのは」
「血!?!? あ、ああ、もしかして。……あれ、トマトジュースです……。というか睦にも配りましたわよね? 豊川飲料の案件で」
「……………………」
「……………………あの、睦?」
睦は今、先ほど感じたものよりも更に強い怒りが込み上げてくるのを実感した。問題はそれを祥子にぶつけるのは良くないと分かっているということだ。
これは自分の勘違い。自分の早とちり。そう思って静かにその怒りを抑え込もうとしたのだが、タイミング悪く1件の通知が祥子の元に届く。
「あら、初華ですわね。今日は遅くなると伝えたのですが。えーっと、『先に寝てしまって構いませんわよ』っと」
聞き捨てならない言葉のオンパレードだった。
「さき? 何言ってるの? まるで初華と暮らしてるような……」
「え、あ、ああ、言ってませんでしたわね。少し前から初華の家に泊めて頂いておりますの」
「なんで?」
睦から発せられる凄まじい威圧感に気圧されつつ、祥子は答える。
「その……最近悪夢ばかり見てしまって。だから……その……誰かと一緒に居たくて……」
そのあまりに庇護欲をそそられる表情に、睦はもう自分を抑えられないことを悟った。そして何より凄まじい嫉妬心を抱く。
「なんで私じゃないの?」
「え!? いや、その……睦は実家ですし」
家を出よう。
今決めた、今すぐ出よう。
「もしかしてその悪夢が原因? 最近祥、辛そうだった」
「まぁ……そう、ですわね。でもここ数日は初華のお陰で少しずつ睡眠が取れるように……あの、睦……? お顔が……その、怖いというか、えーっと」
「さき」
「は、はい」
睦は事情を知った上で、静かに圧をかける。
「祥は健康?」
「え、ええ。定期的に検査してますが、なんの異常もありませんわ」
「悪夢で寝不足?」
「……そうですわね、はい」
「そう。それじゃごめん、明日も寝不足になる」
「え」
祥子の腕を強引に引っ張り、無理やりベッドに押し倒す。何が起こったか全く理解できていない祥子を前に、睦はその腕を押さえつけて迫った。
「今夜、悪夢は見ない。一睡もさせない」
「あ、あの、それどういう……」
(腕力よわよわ。怯えた祥も可愛い)
底のない海のように真っ暗な瞳で祥子を見下ろす。
「祥。今更だけど私は1/14うまれ。祥は2/14うまれ。実は私がお姉さん」
「え、あ、はい。そうです、わね?」
「妹は、姉に可愛がられるのが筋。でしょ?」
「へ? あ、ちょ、なにを、んむっ!? /////〜〜〜〜〜!!!」
いつぞやのお返しとばかりに、祥子は睦に捕食された。初華からの不在着信は100件にのぼったが、それらに祥子が反応することは……なかった。