豊川祥子は行動力の化け物である。
それが良い方向にも悪い方向にも作用することを、本人はすでに自覚している。その上で、心の安定さえ保っていれば自分はそこそこ優秀な方の人間だということも理解している。
故に、真っ先に取る行動は1つ。
ーー豊川家の掌握である。
「ご機嫌ようお祖父様」
「……意地を張るのをようやく辞めたのか。長く持った方だと私も驚いてい」
「そんなことはどうでも良いんですのよ。お祖父様。
単刀直入に申し上げますが、初音の件でお話があります」
「なーーッ!? 祥子……それを、どこで……まさかあの男!」
「お父様なわけないでしょう? あの人は廃人同然になろうとも絶対に口を割らなかった。……守られていたんですのね、わたくし」
豊川家の問題に娘を巻き込まない。
それだけが清告にとって最後の矜持だったのだろう。本当に誠実で、優しい父……祥子にとって自慢のお父様だ。
「ならば何故!」
「ご想像にお任せします。それで、わたくしのお話は聞いていただけるのでしょうか」
冷徹な瞳を定治へと向ける。
定治にとって豊川の血とは畏れの対象だ。圧倒的なカリスマ性、誰もを惹きつけてしまう破滅的なまでの魅力、有り余る天性の才能。それらはまだごく一部であり、神に祝福されたと言わんばかりの存在が豊川の女性である。
そしてその生き証人が今、自分の目の前にいる。前当主である妻、その前の当主であるその母が乗り移ったかのような変貌を遂げた祥子を見て、定治は震えが止まらなくなっていた。
「何を要求するつもりだ……」
「要求は2つ。1つ、豊川家の親族会議を開きます。そこでわたくしを次期当主に指名してください」
「なッ!? 何を言っているのか分かっているのか祥子! それは」
「お話は最後までお聞きになってくださいお祖父様。マナー違反ですわよ?」
物語の悪役のように笑う祥子。定治の大声に一切怯まず、詩でも歌うかのように言ってのける。
「お祖父様にとっても悪い話ではないですわよね? 入婿であるお祖父様は本流の血筋であるわたくしを擁立しない限り、グループ内での権威はハリボテに過ぎない。
いつどこで他の親族から刺されるか、下手すればお父様と同じ末路へと追い込まれかねないのが今のお祖父様の立場です。少なくとも初音のことを教えれば、大叔父様や川尻家のお婆様なんかは喜んでお祖父様の失脚に動くでしょう」
「祥子……! お前、どこでそれを……何故豊川の内情を把握して……」
「別にいいのですよ? わたくしがその方々を頼っても。豊川本流の血はさぞ担ぎやすいお神輿でしょうから」
初音の身を豊川家の内紛に使うつもりなど毛頭ないが、ブラフは大事だ。少なくとも今の祥子からは平気でそれを実行しかねない雰囲気が滲み出ている。
「そして2つ、豊川清告の復権です。お祖父様はご存知でしょうが、あの人には人の上に立つだけの才はありません」
「…………………」
冷酷に見えるだろうか。
でもそれでいい。
少なくとも父親に微塵も情を抱いていないかのように振る舞う事、そしてそれを本気だと定治に信じさせること。それが大事なのだ。
「ですが仮にも豊川グループの後継として教育を受けてきた身です。代替不能な存在であり、尚且つそれなりに人脈もある。
そもそも、お祖父様は豊川清告をちゃんと家に戻すおつもりでしたよね?」
「……なぜ……そう、思う」
「パワーバランスが崩れるからですわ。現状、豊川家の親族の誰かに経営を渡した場合、やはりお祖父様の立場は危うくなる。だから今の豊川物産の社長は豊川の親族ではなく、お祖父様の息のかかった人物です。
ですがそれでは豊川家内の権威は保てない。最終的にわたくしを擁立するにしても、『繋ぎ』が必要であることを、お祖父様ご自身が誰よりも実感していらっしゃるのでは?」
「…………………」
ここで畳み掛ける。
「わたくしを養子とし、豊川清告をその後見としてください。それでお祖父様の望む院政は実現します。
その根回しの為なら、わたくし何でもするつもりですのよ?」
定治の机に写真を並べる。
そこには豊川家の親族の数名の顔が写されている。
「この方々を味方にして、別派閥を失脚させましょう。本来、総裁であるお祖父様にはそれだけの力がある。わたくしという"錦の御旗"があれば、お祖父様自身が"豊川家の闇"になることも出来る。
手を組みましょうお祖父様? お互いの醜い保身とエゴの為に、わたくし達で豊川家を完全掌握いたましょう」
自分史上最も悪い顔で笑みを作り、手を差し出す。
定治はただただ恐怖していた。
この少女は本当に孫娘か?
記憶の中にいる天使のような笑みを浮かべる祥子と、今目の前で悪魔的な笑みを浮かべる祥子が一致しない。どこまでも深い闇が瞳の奥に広がっており、それに飲み込まれて溺れてしまうような錯覚に陥る。
亡き妻、亡き娘にもその血に見合う恐ろしさはあった。だが、それらを遥かに凌ぐ血の濃さを見せつけてきたのが豊川祥子だ。とても15歳の少女の出せる威圧感ではない。まさしく悪魔と契約でもしたかのような変貌っぷりに、息をすることすら忘れていた。
「答えは?」
女王の如き振る舞いで定治に回答を促す。
この瞬間、自身が豊川の血に呑まれたことを悟った。目を奪われ、思考を奪われ、体を奪われ、孫娘の皮を被った悪魔に惹かれてしまう。恐ろしいのに、失神しそうなのに、手を取ってしまう。取って、しまった。
「契約成立、ですわね」
まるであの時ーー妻に自分の人生を捧げた時のように、今度は孫娘の操る糸によって、定治は自身の人生を捧げることに同意してしまったのだった。
◇◆◇
「ただいまですわ! はい起きてくださいお父様! 支度しますわよ!」
「ぁ、さき、こ……なに、を……がぁぁっ!?」
虚な瞳の清告。そんな清告の首根っこを引っ掴み、目線を合わせて迫る。
「本日の親族会議をもって、わたくしが豊川家の次期当主となることが決まります。お父様にはわたくしの補佐をしていただくことになります。よろしくて?」
「………へ、へ? え、な、なに……を」
「お祖父様公認です。よってお父様は本日より豊川家に復帰し、わたくしの指示通りに動いて頂きます。ほらさっさとスーツに着替えてくださいまし、酒を抜く為に大量のヘパリーゼと水としじみ汁を買ってきましたわ。今のうちから全部胃にぶち込んでください」
「え、あ、ちょ……がぼぉっ!? がぼがぼ……」
豊川飲料のロゴが入ったペットボトル水を清告の口に無理やりぶちこむ。
その後は無理やりスーツを着せてリムジンに放り込み、運転手に指示を出す。清告は未だに混乱していたが、酒は抜けてきたようで呂律も回るようになっていた。
「だ、だけど祥子……俺には」
「お父様はあくまで手足。復権と言っても前より権限は制限されてますし、豊川の後継者としての役割は期待されてません。やれますわね?」
「そ、それはそうかもしれないが、豊川家が……」
「初音の件は知っています」
「な!?」
絶句する清告。祥子はお構いなしに続ける。
「お父様の誠実さは確かに美徳ですが、いい加減誠実さの持つ欠点とも向き合ってください。初音は、わたくしがなんとかします。だからお父様はご自身と向き合って」
「……………ぁ」
「人が人を救える数は上限があります。お父様の上限は低いです。あれもこれもなんて思わないでくださいまし」
祥子は腹が立っていた。
弱く脆い人間でありながら、祥子と初音を守る為に奔走した結果失脚した清告。彼は確かに器ではなかったのかもしれない。けれど、その思いは本物だった。それに気付かずこの人をクソ親父と罵った自分に心底腹が立つ。
やり直せる。
やり直せるのだ。
無理やりでもいい。情けなくたっていい。父が戦える理由を作ってやることで、適切な役割を与えるだけで、父が1人ではないと教えることで、この人はまた立ち上がれるだろうから。
「わたくしを信じて。お父様。お父様は1人じゃない。お父様がわたくしを守ろうとしてくれたように、今度はわたくしがお父様を守ります。"豊川の恐ろしさ"などと形のない恐怖なんて木っ端微塵に粉砕して差し上げましょう」
「祥子……お前、ほんとうに……」
「……………?」
「……本当に、瑞穂に似てきたよ。無茶苦茶なところなんてそっくりだ……」
懐かしむように、くしゃりと笑う父の姿を見て祥子は思わず泣きそうになった。
ダメだ。ここで泣いてはいけない。弱い豊川祥子は死んだのだ。いつだって自信満々、大胆不敵、傲岸不遜な神で在れ。
そう、自分に言い聞かせた。
車が止まる。
今日の親族会議の舞台。
既に一度クリアしたゲームの2回目、負ける気は一切しない。
「さぁ、行きますわよ。お父様を嵌めた連中に地獄を見せてご覧に入れましょう」
「……そこまでしなくてもいいような」
「どこまでお人好しなんですの……」