合宿2日目、何故か朝から祥子にベッタリな睦に対抗心を燃やし、初華もまた祥子の左腕をキープする。にゃむは朝からゲンナリとしていたし、海鈴はサラダばかり食べていた。
1日目とは異なり、2日目はプロが分析していた1日目の不足分について各自個人レッスンが行われる。演奏はいいが演技の経験が少ない祥子・海鈴・初華と、演技はいいが演奏面(パフォーマンス含む)で不安の残るにゃむ・睦のチームに分かれてローテーションを回す。
「気になるのかー? 睦ちゃんの演技」
「そう、ですね……」
「まー気になるよねー。あの子天才だもん。なんか常に演技し続けてるって感じするしー」
演技に打ちこむ睦を見て、演技指導の先生とにゃむが話しこむ。
先生は少し悔しそうに、しかし面白そうに睦を眺めている。にゃむもまた、睦の演技には舌を巻くばかりだ。
(信じられない数の引き出し……あたしにはない表現技法。指先一つすら演技のために意識しているのがわかる。これで同い年……? こんなの……追いつけるわけが……)
沈み込むにゃむ。そんなにゃむの顔を覗き込み、先生は朗らかに言った。
「そんなにゃむちに祥ちゃまからご伝言でっす!
貴方には睦に食らいついていくだけの根性があります。是非その執念と野心で、喉元を食い千切るくらいの気概をお願いします。その為に貴方をAve_Mujicaに誘ったのですから。
いやー、厳しいねー。祥ちゃまドS!」
「…………なにそれ。なんかすっごいムカつく。なんであたしのことそんな分かったような……」
だがその言葉で火がついた。
そうだ、自分はこのために東京に出てきたのだ。こういう本物と仕事して、自身も努力をもって本物に至るために勉強してきたのだ。
睦は凄い。確かに凄い。
けれどここで負けたままでは祥子は失望する。あの神の如き少女に失望されてしまったら、本当に芸能人生が終わってしまう。そんな気がする。少なくとも、2度と舞台に立つことは出来なくなってしまう。
負けない。
絶対に負けない。
睦にも、祥子にも。
「もう一回お願いします!」
「おっ、やる気なのさー? おーい睦ちゃん! にゃむちと合わせてみてよー!」
「…………わかった。おいで、アモーリス」
(用意された最高の舞台。絶対にモノにしてみせる!)
◇◆◇
2日目午後の全体練習を終える。
睦、にゃむについては心境の変化等あり、様々な面でレベルがあがっていた。初華は初華で祥子とずっと個人レッスンをしていたこともあり、メンタル的にも超絶好調だ。メンタルがパフォーマンスに影響しかねない状態は望ましくないのだが、そこはひとまず目を瞑ることとする。
さて、夕食を挟んで明日の確認をする際、祥子は切り出した。
「明日は各自の音源を録音します。今ある全楽曲、演奏していただきますわ」
「いいけどさー。さきこ、前言ってなかった? 生演奏に拘りたいから、音源の収録はしないって」
「ええ申し上げました。ですが考えを改めます。メンバーに何か不慮の事態が起こることは往々にしてあり得ます。重々しい話ではなく、体調不良などを想定してのことですが」
「そうですね、可能性はあります」
バンドを多く掛け持ちしている海鈴が同意する。
「このバンドで一生やっていく以上、誰か1人に何か起こったからと言って、安易にメンバーを変えたりなんてことは絶対にしません。1人でも欠けたらバンドはお終いだと思ってください」
「なんか重くなーい?」
「大事なことなのです。わたくしは誰1人としてあなた方を置いていくつもりはありません。ですので、全力でついてきてください」
ごくりと唾を飲み込む一同……というかそれはにゃむと海鈴だけで、初華は蕩けた表情で祥子を眺め、睦は「みなよ、おれの祥子を」と言わんばかりに後方腕組み彼女面をしていた。
さて入浴後、火照りを冷ますために庭で紅茶を飲む祥子。初華と睦、にゃむは用事があったのでそちらの対応中だ。
というのも合宿中とはいえ仕事に穴を開けるわけにもいかず、特にメディア露出の多い3人にはインタビュー記事を書く仕事があった。と言うことで3人仲良く執筆部屋に放り込んである。
半分ほど味わったところで、中庭へ続く扉が開く音がしたのでそちらに視線を向ける。すらっとしたスタイルの良さは寝巻き姿であろうとわかってしまう。
「豊川さん、少しお話よろしいですか?」
「ええ勿論。紅茶はいかが? ポットの中に入っているのでまだ温かいと思いますわ」
「いただきましょう」
夏真っ盛りなのだが、中庭は随分と涼しかった。海鈴は紅茶で喉を湿らし、話を切り出す。
「豊川さんは以前言いましたね。信頼は言葉ではなく行動で、と。確かにここ最近の貴方は、行動でそれを証明しようとし、実際証明した。三角さんも若葉さんも、そして言葉にはしないでしょうが祐天寺さんも恐らく貴方を信用している」
「そう言って頂けると有り難いですわね。貴方は違いますの?」
「……わかりません。だから聞きたいんです。貴方はどうして私たちを信用・信頼できるんですか? 特に、出会ってから間もない私や祐天寺さんのことを」
海鈴の目は至って真剣だった。
祥子は回想する。
海鈴については実はまだ深く知れていない。過去のトラウマについて本人の口から聞く機会があり、それもあって30ものバンドを掛け持ちしている理由については知っている。
だが深いパーソナリティの部分は祥子の見てきたものでしか判断がつかない。とはいえ、そんな観察の中で海鈴について分かったことは幾つかある。
「『その人が信頼できるか試す良い方法は、その人を信頼してみること』」
「………?」
「アメリカの詩人、ヘミングウェイの言葉です。わたくしはこの言葉を実践しているだけですのよ」
「実際にはまだ信頼しきれていない、と?」
「いいえ、これは信頼というサイクルの過程です。信頼したいと願い、行動し、信頼していると思い込む。そのサイクルの先に、信頼があると思っています。『信用』『信頼』、いずれもあやふやな言葉だと思いませんか?」
「………………ええ」
「人を信じるのは勇気がいります。裏切られるかも知れない、捨てられるかも知れない、そんな恐ろしい想像は無限に湧いてきます」
実際、清告の失脚は身内を信じてしまったが故の事態である。そんな父の堕ちた姿を見てしまった祥子もまた、信用や信頼と言った言葉に人一倍敏感だ。
信じられるのは我が身ひとつ。未だにそう思う節もある。神も運命も友達も家族も、根本的には祥子を助けてくれなかった。
でもだからこそ祥子は信じてみたいのだ。自分が自分のことしか信じられなかったからこそ、それがこの世の摂理なのだと思いたくなかった。もし自分が誰かにとって信じられる存在になり、それによって誰かが救われるのなら、祥子も自分以外を信じて救われる道もあったのだと納得がしたかった。
(そんな未来を失ってしまったからこそ、こんな気持ちを皆さんに抱いて欲しくない)
「海鈴、わたくしは貴方を信頼したいと思っています」
「ーーーーッ!」
「わたくしと貴方、少し似ていると思いますのよ? 何かによって傷つき、人を信じられなくなって、それでも心のどこかで誰かを信じたがっている。違いますか?」
「どうして……それを……それ、は、誰にも言って……いない……」
「勘ですわ。貴方はきっと傷を抱えている。わたくしも信じることの恐ろしさを知っているからこそ、貴方の恐れが分かる」
祥子はカップを置いて立ち上がる。真っ直ぐ強く海鈴を見つめる。
「信用してみたい。その気持ちを抱いた時から、貴方の言う『信用』は生まれます。ですから海鈴、わたくしを信用してください」
「……それ、は」
「わたくしはその信用に全力で応えます。そして貴方がそう思いたいと願い続ける限り、わたくしは貴方に『信頼』を授けます。
恐れの騎士ティモリス」
海鈴の目が大きく開かれる。大きな満月を背に光り輝く女神へと吸い寄せられるようにして騎士は恭しく膝を折り、首を垂れる。
祥子は近くの花畑から一本花を手折る。紫色の小さな花の名はアイリス。花言葉は『信じる心』。
その花で、まるで剣のようにティモリスの肩へと触れる。両肩に触れ終えたのち、アイリスを手に祥子は微笑んだ。
「ふふふっ。おまじないです。これで少しは」
「豊川さん……いえ、祥子さん」
「へ?」
膝をついたまま、海鈴は祥子の手を取った。そして、手の甲にそっと口付けを落とす。突然の出来事に思わず赤面してしまった祥子だったが、眼下の少女は真剣だ。
神に忠誠を誓う騎士の如く、顔を上げた海鈴の目には一切の曇りがなかった。
「貴方を信じます。貴方のことを信じ、信頼し、貴方と共にAve_Mujicaという箱庭を守護することを誓いましょう」
海鈴は今、まさしく光を見た。月光を背に儚げに微笑むこの少女は、その細い体躯で途轍もなく重たいものを背負っている。
そんな彼女が自分を信じると断言してくれた。だとしたら、自分は恐れに縛られている場合じゃない。忘却の神が自分の恐れを忘却させてくれるのであれば、騎士として神へ忠誠を誓おう。
「真っ赤ですよ、祥子さん」
「貴方が変なことをするからですわ……。ほら、戻りますわよ。先にお菓子やジュースを用意しておきましょう。今夜は親睦会と称してパジャマパーティーをします。諸々ご準備を頼めますか? わたくしの騎士様」
「喜んで」
わざとらしいやり取りに、祥子も海鈴もふふっと微笑を溢す。それでも海鈴にとってこの瞬間は、自分の人生を変えるような決定的な瞬間でもあった。