にゃむとのやり取りの後、少しだけ心が軽くなったがやはり体は重たかった。
「眠そうですね。大丈夫ですか?」
「ええ……まあ」
どこか上の空な祥子。海鈴は無表情のまま祥子に歩み寄る。
「祥子さん」
海鈴の手のひらが祥子の前髪をくぐって額に触れる。祥子は思わず仰け反りそうになったが思いのほか海鈴の表情は真剣なものだった。
「熱はないですが顔色が良くないです。今日はもう家で休んでください」
「……ですが」
「あとの打ち合わせは私が出ます。信頼は行動で示すもの、でしょう?」
「そう、ですわね。……ではお願いできますか海鈴」
「任されました。三角さん、祥子さんを送っていってくださいませんか?」
睦とにゃむは撮影のため、ひと足先に撮影の終わって写真を確認していた初華に声をかける。初華は何かあったのかとキョトンとした顔をしたが、祥子の様子を見て態度が変わる。
「さ、さきちゃん、顔色悪いよ!? どうしたの!?」
「ごめんなさい初華、早退させて頂くことになりました。海鈴、1人で帰れますわよ」
「駄目です。三角さんお願いできますか?」
「勿論! 私も今日は仕事切り上げるから!」
頑なに聞かない初華。結局タクシーで送ってもらうことになった。
気分はすぐれなかったが、家が近づくにつれ、憂鬱は増していく。今は母のこともCRYCHICのことも考えたくなかった。
(わたくしは……こんなに弱かったかしら)
心配そうに見つめる初華。祥子は彼女の手を取った。
「さ、さきちゃん?」
「初音。お願いがあります。暫く、初音の家に泊めて貰えませんか?」
「………………………へ?」
フリーズする初音。祥子はそんな初音のことはお構いなしに話を続ける。まるで泊まることがもう確定事項かのように。
「取り敢えず荷物を取りに豊川邸まで戻りましょう。わたくしの寝る場所はいつものロフトで構いませんので、布団を上に上げるのを手伝っていただければ」
「ちょ、ちょ、ちょっとストップ!!! え、さきちゃんウチにくる、え……ええ、ええええええ!?」
真っ赤になって狼狽える初音。祥子はそれを不思議そうな顔で見ていた。そして気づく。当たり前のように同居を提案したが、それは例の出来事があったからで、今のこの提案はあまりに唐突すぎる。
当然OKを貰えると信じて疑わなかったのだが、ここにきて祥子は急に不安に襲われていた。
「駄目、ですの?」
上目遣い。
初音に拒否など出来るはずもないしするはずも無い。
「駄目じゃない!!! その、こんなに幸せなことがあっていいのかなぁって……あ、で、でも、どうして急に?」
「………………貴方に隠しても仕方ないですわね。あの家にいると母を思い出すのです。だから、全部忘れさせてほしくて」
伏せ目がちに呟く弱々しい祥子をみて、弱った祥ちゃん閉じ込めたい症候群の初音は脳みそを焼かれて情緒をぐちゃぐちゃにされていた。
(え、祥ちゃん可愛い。弱々祥ちゃん可愛い。いやお母さんのことで凄く傷ついてる祥ちゃんにそんなこと思うのは失礼というか酷いというか……あぁでも祥ちゃんが私を頼ってくれた。嬉しい。幸せ。幸せでおかしくなっちゃう。大丈夫だよ祥ちゃん、私がたくさん愛してあげるからね。全部忘れさせてあげるからね。だって私たち家族だもんね。血が繋がってるんだもんね。この世界で1番愛してるよ。大好き、大好き、大好き祥ちゃん。祥ちゃん、祥ちゃん、祥ちゃん、祥ちゃん、祥ちゃん)
という色々込み上げてくる感情を抑え込み、初音は祥子の手を強く握り返した。
「ず、ずっと居ていいからね!」
「大袈裟ですわよ。なんだか心が軽くなりました。少し眠ります、家に着いたら起こしてくださいますこと?」
「もちろん!」
その後、祥子を起こすのは忍びないということで、スーパー無敵モードの初音は何の恐れも抱くことなく豊川邸に1人で突き進んでいき、定治と清告に事情を説明した。
2人とも祥子のメンタル面をずっと心配していたので、定期的に病院に通わせることと充分な支援をすることを条件に、あっさりと同棲は認められた。
「じゃあ下で祥ちゃん待ってるのでもう行きますね! あとで荷物全部送ってください! それじゃあ!」
尻尾を振ってタクシーへと駆けていく初音。その様子を見て、ポカンとしたままの定治に清告が尋ねる。
「………初音ちゃんって、あんなに明るい子でしたっけ?」
「………あの顔をファンに振り向かないよう、事務所の社長には念を押しておかねばな」
「親バカですね」
「うるさい」
◇◆◇
ロフトに持ち込んだ敷布団で寝転がり、すやすやと寝息を立てる祥子。Ave_Mujica解散時の悪夢はにゃむとのやり取りで安心材料を得たことで見なくなり、また母の悪夢も家を離れて、『母のことを知らない家族』と暮らすことで見なくなる。
祥子にとって初音は、母に代わる新しい家族だった。家族という存在を何より求めていた祥子は初音といる時だけ母を喪った悲しみを忘れられる。
(あったかいなあ。祥ちゃん、子どもみたいだなあ)
祥子の手を握りながら、慈愛の瞳で寝顔を眺める初音。
祥子は言った。初音は何も奪ってないと。
だが初音は知っている。祥子がどれだけの悲しみと苦しみを耐えてきたか。その結果が今の状態だ。心の傷は深く、それが体調にまで現れてしまっている。
そんな祥子が安心した顔で眠っているのを見て、幸せが溢れ出るのを実感する。
(私と過ごして穏やかな顔をしてくれてる。本当に私が祥ちゃんの支えになれてるんだ!)
いつも強がりで中々弱さを見せてくれない祥子がちゃんと弱さを見せて心安らいでいる姿が自身の存在の結果と気付き、初音は存在証明を与えられたような気持ちになった。
「私が幸せにしてあげるからね、祥ちゃん」
◇◆◇
「さき、ちゃん……」
「最近祥子ちゃん全然学校来ないね〜。Ave_Mujicaの武道館からもう1ヶ月も立つのに1回も見てないよ」
燈は祥子の下駄箱を見つめながら名前を呼んだ。愛音はそんな燈を心配そうに眺めつつ、嘆息する。
燈、そよ、立希。その3人はクライシックというバンドのメンバーで、そこには祥子と睦がいた。それだけ、それだけしか愛音は知らない。だから燈にとってそのバンドがどれほど大切なものだったのかも想像することしかできない。
それから数週間の間、燈はずっと暗い顔のままだった。RiNGでAve_Mujicaの映像を見てから、そして祥子がこのバンドを作ったと知った時からずっと。
自分の知らない祥子がいる。太陽のように眩しくて、いつも燈を引っ張っていってくれた大切な人。そんな祥子の悲痛な叫びを聞いているようで、燈はAve_Mujicaの曲を聴くことを拒む。MyGO!!!!!の練習もここ最近はどこか沈んだような雰囲気で、愛音はなんとも言えない気持ち悪さを抱えることとなった。
(んー、祥子ちゃんが学校来てくれたらお話しできるんだけどな〜。……あれ、そよりんからLINEだ)
MyGO!!!!!のLINEグループにそよからメッセージが入っていた。
『睦ちゃんから、祥子ちゃんのことで大事な話があるんだって。放課後、ちょっと時間貰えないかな?』
「睦……ちゃん……」
「え!? 睦ちゃんに会えるの!? やばっ、超楽しみなんだけど!」
少し穏やかな表情になる燈とテンション爆上げな愛音。
だが放課後、そんな2人の情緒は最悪レベルの勘違いによってベキベキのぐちゃぐちゃに踏み荒らされることとなった。
「祥は……もう長くないかもしれない……」
深刻な表情でとんでもないことを相談しに来た睦を見て、4人(楽奈は不在)が絶句したのは言うまでもない。