校外学習から1夜明け、朝の教室に入った。
てっきり、紅浦とはどこか気まずい空気が流れるのではと、昨晩は少し考えたりしたが、紅浦はいつもと同じ様子で、俺と明久里に挨拶すると、昨日は楽しかったねと俺の席の前に立って話し始めた。
「それでねそれでね。西澤が途中でやばくなった時はほんと、もう少し虐めたら吐くんじゃないかと思ったよ。あぁー見たかったな。人気者が地に落ちるとこ」
「最低だよこいつ⋯⋯」
特に紅浦に変わった要素はなく、いつもと変わらずろくでもない性格をしている。
と言っても、俺も人気者が大衆の面前でゲロを吐き、その評価を奈落の底まで落とす所は見れるなら見てみたい。
もっともそれは、西澤君のように良い奴ではなく、人によってコロコロと態度を帰るような人間ならの話だ。
もし西澤君がゲロを吐いたなら、俺は喜んで貰いゲロをし、注目を分散させるだろう。
「俺の知らないところで西澤君が吐瀉物を撒き散らすものなら、俺は全校生徒にお前が書いたあの作品を広めて西澤君のゲロ事件のインパクトを上書きしてやる」
「それって業平が1番ダメージ受けると思うよ⋯⋯私は別に気にしないし」
「構わん。西澤君を守るためなら俺の名誉だとか評判なんてものは全て捨ててやる」
「なんでっ⋯⋯? もしかして業平⋯⋯西澤のこと⋯⋯」
紅浦がわざとらしく目を見開き、手を口元に当てて声のボリュームを上げると、周囲がざわめく。
「やめろ馬鹿⋯⋯俺はただ西澤君を人として、友人として尊敬してるんだ」
「なんで昨日1日でそんなことになってるのさ⋯⋯西澤は宗教家の才能でもあるの?」
何とか西澤君に変な噂が出来ることを阻止できただろうか。その代わり、本当に俺のイメージが色々と歪まされそうだが。
「さあな⋯⋯もしかしたらあるかもしれん⋯⋯何しろ彼は万人に好かれる良い奴だ。それよりも、お前も少しは自分の評判を気にしろよ」
「そう言われても、私は今更落ちるようなものないし⋯⋯それに」
言いかけたところで、紅浦は身をかがめて俺の耳元に手を添え、唇を耳に添えた。
「最悪の場合、業平に嫌われなきゃそれでいいかなって」
誰にも聞かれないような小さな声だが、俺には生徒指導の叫び声のように、鮮明に聞こえた。
言い終わって離れると、ほんのりとシャンプーか何かの甘い香りがした。
紅浦を見ると、唇にほんの少し微笑を浮かべている。
「今のがお前じゃなきゃ1発で堕ちてたよ。なんなら行き過ぎてストーカーになってたかも」
「なにそれ⋯⋯まあいいよ焦んないし」
周りに聞かれたら色々と察せられそうな会話だが、紅浦は憤懣やるかたないといった様子で、荒い鼻息を漏らした。
昨日も思ったが、これはこれから女子として自分をアピールしていくという、布告と受け取っていいのだろうか。
だとするならば、俺もできる限り逃げないで、この紅玉のような髪をした女の気持ちを受け止めたいと思う。
「朝から随分と楽しそうだな」
「あ、西澤だ。おはよう」
後ろから声がしたかと思うと、どうやら西澤君が来たらしく、心做しか周りの女子達がザワついている気がした。
いや、気のせいかもしれない。
なぜなら、みんなが見ているのは、クラスの人気者で、学年カーストも上位の西澤君ではなく、クラスでの影が薄く、目立つ場面といえば変わり者の紅浦と話していたり、色々と危うい明久里と居る時しかない、誰かの付属品でしかない俺なのだ。
そんなこと果たして有り得るだろうか。これは俺の被害妄想が産んだ幻ではないだろうか。
だがそれは、こっそりとこっちを見ていた女子の眼鏡が光ったことで、幻ではないとわかった。
「おはよう西澤君、今日はいい日だね。昨夜はちゃんと眠れたかい? 俺は昨日が楽しすぎて中々寝付けなかったよ。特に西澤君の死にかけた顔がツボで」
「お、おぉ⋯⋯どうしたんだ業平、たしかに今日はいい日ではあるけど、あと俺は毎日快眠だよ。それと、それは早く忘れてくれると嬉しいかな」
さすが、いきなり馴れ馴れしくなった俺に対しても、落ち着いて発言をひとつひとつ拾い上げて返してくれる。さらには、爽やかな笑いのおまけ付きだ。
「いやほんと、あと1回乗る時間あったら面白いもの見れたのにね」
さわやかに俺のジョークを受け流した西澤君の努力を踏みにじるかのように、紅浦が嫌な笑い方をしながら畳み掛ける。
周りにただの友人アピールをするため、人の弱点を揶揄した俺が言えることではないが、こんなヤツどうやったら異性として好きになれるというのだろう。
「勘弁してくれよ、遊園地で吐いたりしたらみんなに迷惑がかかるじゃないか」
「西澤君⋯⋯」
突然、俺の頬を一筋の涙が伝った。
彼は自分の名声や地位を気にするでもなく、揶揄う紅浦に怒る訳でも無く、ただ純然と遊園地に関わる人々のことを思って発言した。
果たして、女版出歯亀や陰湿爆弾少女と同じ空間に、彼のような人間がいてもいいのだろうか。
「どうした業平、目にゴミでも入ったか」
俺の涙に気がついた西澤君が、顔を覗いてくる。
やめてくれ、その混じり気のない純粋な目で俺を見ないでくれ。心が浄化されてしまう。
「いや、なんでもない」
目を閉じながら顔を背けることで、俺の心が歪まされることはなかった。
「どうして泣いてるの⋯⋯業平⋯⋯やっはり」
「どうしてお前はすぐそういう方向に考えるんだ⋯⋯彼の気高く透き通った心の素晴らしさが分からないのか」
涙を拭いながら、目を開けると紅浦は俺の言っていることなんてこれっぽっちも理解していないように、上の空でいた。
「そんな褒められるものじゃないさ。俺は普通にしてるだけだしね。じゃあ」
西澤君は俺の肩を叩くと、そのまま友人達の元へ向かっていった。
このまま彼がここにいて、紅浦がくだらないことを言えば、また彼の友人達が俺達に敵意を見せていたかもしれない。
もしかすると、彼はそれを予期して離れたのだろうか。だとするとやはり素晴らしい。
「お前は西澤君の素晴らしさを知るため、暫く彼の後をつけて一挙手一投足を観察しろ」
「いやそれストーカーじゃん⋯⋯まさか業平がそれやって⋯⋯それでそんなに西澤のこと」
「ちがうっ! 断じて違う!」
何故か間違った考えを改めようとしない紅浦に声を荒らげると、見かねたのか明久里がやってきた。
明久里は昨日中々寝付けなかったのか、今朝は寝坊し、時間が足りなかったため、寝癖が少し残っている。
「そうですよ紅浦さん。変な妄想するだけそれこそゲロ案件ですよ。はじめさんが受けでも攻めでも相手が誰でもそんなの誰も求めてないんですから」
「いきなりお前は何を言ってるんだ⋯⋯」
「ようするに⋯⋯はじめさんはひとり大人しく事を荒立てないでくださいってことです」
「うん⋯⋯尚更わからん」
小動物くらいならその冷たい目で気絶させられそうな明久里が顎を上げて俺を見下すように言い放つ。
下から覗いているせいか、若干鼻の穴が膨らんでいるように見えるが、広がる理由も思いつかないので、多分気のせいだろう。
しかし、明久里が来るとやけに視線が集まる気がしてならない。
明久里は紅浦と違い、中身がほとんどバレていないので、男子が注目するのは仕方がない。
「まぁとにかく、大人しく西澤さんのことは忘れて大人しくしててください」
「おい、大人しく2回連続ででてるぞ。さっきのも入れたら3回だぞ」
「⋯⋯」
俺の揚げ足取りに、明久里はさらに顎を上げ、展開から愚かな人類を見下ろしては破壊衝動に駆られる神様のような顔をした。
無言の圧力が、俺の命の蝋燭を描き消そうととんでもない風を吹かせている。
「ごめん⋯⋯俺が悪かった」
その圧力に耐えきれず、何故か俺が謝ると、明久里ら納得したように席に戻っていった。
爆弾で脅されるより、実際態度で示される方が、まだ遥かにマシだ。
「なんだったんだあいつ⋯⋯」
「んー。ちょっとわかる気がするかも」
紅浦が明久里を見て微笑みながら言ったのが、中々の衝撃だった。
「お前⋯⋯女子の気持ちとか分かるんだな」
率直な感想を漏らすと、紅浦は三白眼になって俺に顔を近づけた。
「わかるよ、私も女子だし⋯⋯言っとくけど、私以外の女子にそんなこと言っちゃだめだからね」
「分かってるよ。そこまで無神経じゃないし。ある意味お前の事は信頼してるからついポロッと率直な言葉が出るんだよ」
「⋯⋯ばかぁ」
言ったあとで、少しキザったらしかったかと反省した。
小さく呟いた紅浦の頬がほんのりと色付き、そのまま紅浦は自分の席に戻っていった。
ちょうど、予鈴が近いのか、担任の山本先生が教師に入ってきている。
心做しか、先生の顔が精悍に見える。
だが、化粧では隠しきれない目の隈がうっすらと確認できた。恐らくは今度の連休中に行われるレースに向け、精神修行を積んでいるのだろう。
そんなものが必要なのかは、当然未成年の俺は知らないが。
────
放課後、明久里とふたりきりの部室で、俺は家から持ってきた歴史小説を読んでいた。
うん。やっぱり司馬はいい。色々と批判もあるが、やはり彼は素晴らしい人物だ。史記を書いただけのことはある。
「司馬遷の物語って面白いですか⋯⋯面白いのは史記で、彼の生涯自体に面白さが見いだせないのですが」
「なんてこと言うんだよお前は⋯⋯司馬遷だって色々あったんだよ。皇帝のせいで玉取られたり、親友が帰って来なくなったり⋯⋯」
横槍を挟んできた明久里に熱くなりかけるが、グッとこらえて読書を続ける。
横目で明久里を見てみれば、何やら紙に熱心に書いていた。
ただ勉強している様子ではなく、机にはカラフルなペンが転がっている。
おそらくだが、聞いても素直には答えないだろう。
それどころか、プライバシーかどうたらとか人を貶めるような発言が飛んでくる予感しかしないので、気にしないようにした。
「おー。やってるかなふたりとも」
外から体育館シューズのような柔らかい足音が聞こえたかと思うと、山本先生か勢いよくドアの向こうから姿を現した。
本当は先生もこんな部活の顧問引き受けたくはなかっただろうに、時々快活に様子を見に来てくれることに対しては、ほんの僅かに感謝が芽ばえる。
「やってるように見えますか」
しかし、今は依頼人もなく、退屈していたところだ。
そこに無駄に元気な人が来れば、俺だって癪に障る。
「まあ、暇そうだけどいいじゃない。業平君は何読んでるのかなぁ⋯⋯わ、わぁ⋯⋯司馬遷⋯⋯渋いねぇ」
教室に入ってくるなり、俺が手にしていた文庫本の表紙を覗くと、なんとも言えないように片眉を吊り上げながら苦笑いし、頷きながら下がった。
「渋くないですよ。普通です普通」
「そ、そうだね。歴史は大事だね。あはは」
取り繕う笑いが白々しすぎる。
麻雀やポーカーのように、対面て勝負するギャンブルにはこの人は弱いだろう。
じゃあこの先生に負けた明久里って一体なんなのだろうか。
「どうしたんですか先生。以前負けた分の掛け金はもう全て支払いましたが」
明久里のセリフが、とても教師と生徒のやり取りとは思えない。
この会話を録音して然るべきところに提出すれば先生はどうなるのだろうか。
「いや、借金取りに催促しに来たわけじゃないから。依頼に来たんだよ依頼」
「はあ⋯⋯依頼ですか」
先生は俺と明久里の斜め前の、依頼人用の席に座り、姿勢を正した。
教師が生徒に相談するとしたら例えばだが、クラスに馴染めていない子と仲良くしてやって欲しい⋯⋯というような依頼が想定できる。
もしくは、なにか学校行事の準備の手伝いか。
だが、今のところクラスにはぼっちはいない⋯⋯はずだし、特に設備の準備などが必要な学校行事も近日中には無い。
ではなんの用なのか、少し身構えて待つと、先生はズボンのポケットからトランプケースを取り出した。
そして、トランプケースの中から見えるジョーカーのカードを明久里に向け、目と唇を引き締めた。
「先生⋯⋯まさか」
山本先生にトランプとくれば、答えはひとつだ。
「碧山さん! 明日のレースへ勝負勘を養うため! そして自信をつけるため! 私と勝負して」
「どうしよう⋯⋯教師が生徒に決闘挑むところ目撃しちゃったよ」
やけにきらきらと輝いている先生の目は、勝負師の目そのものだ。
「心外ですね⋯⋯以前は遅れをとりましたが、もう負けるつもりはありません」
「いや⋯⋯何で前もやる気になってるんだよ⋯⋯先生の熱に
明久里はやけに気合いが入った様子で、 何故かセーラー服のリボンを外して机に置いた。
そして眼光鋭く先生を見据えると、口を開いた。
「さあ先生、掛け金はどうしますか」
やる気満々負ける気なしといった明久里だが、現実は甘くはなかった。
おそらくだが、明久里は単純にプレイヤーの技術が重要となる格闘ゲームやFPSのようなゲームであれば、すぐに上達し、上位の強さになれるのだろう。
だが、今しているポーカーのような運が絡むゲームになると、急に頭の中がごちゃごちゃとし、戦局を見れなくなるのだろう。
「ストレートです」
「ふふ⋯⋯残念、フラッシュよ」
先生の手札を見て、ガックリと項垂れる明久里。
先生も随分と自信ありげだったが、ただのフラッシュでよくそんな得意げになれるものだ。
「なぜ負けるのです⋯⋯」
手札を掴みながら、俯く。
たしかに、今の勝負が1番惜しかった。
何しろさっきまではツーペアやワンペアで勝負を挑んでは、無惨にも撃沈していたのだから。
結局、10度の勝負に全勝した先生は、清々しい佇まいで胸を張り、席を立った。
「ありがとう碧山さん。おかげで自信がついたわ」
ただカモを虐めていただけなのに、随分とお気楽なものだ。
先生のメガネがクイッと上げられるが、本当に大したことしていない。
「じゃあ明日のレース、勝負仕掛けるんですか」
別に先生がどの馬にどうやってかけようがどうでもいいはずなのに、気になってしまう。
「ええ! アマグリキャップ単勝よ!」
「ガチガチの本命馬じゃないですか⋯⋯しかも単勝って。買っても利益出ませんよそんなの。もうギャンブラー辞めたらどうです? いっそのこと」
なんのリスクも犯そうとしないくせに、自信だけはありありな先生に、つい言葉がきつくなってしまう。
先生はわなわなと震えながら、俯いて眼鏡を光らせた。
今すぐにでも爆発しそうなくらい、両手を強く握りしめている。
「だ、だって⋯⋯まだ月初めなんだからしょうがないじゃない!」
先生の悲痛な叫びが、目からきらりと光る何かとともに飛び出した。いや、なぜに泣く。
「私だって、本当は大穴に思いっきり掛けたいわよ! でも⋯⋯給料日まで遠いのに⋯⋯私にそんなこと出来ると思う⋯⋯? 親にも言われてるのよ? ギャンブルなんかやめろって」
「いや知らんがな」
先生の頬を涙が伝う。まるでそれは、先生が抱える本音を、全てさらけだしたようで重く力強く、しかしながら俺の胸に響くことは無かった。
「それでも私は掛けたいのよ! あの狂喜乱舞の場所で同じ空気を味わいたいのよ! わかる!?」
力強い語尾と共に凄まれるが、未成年の俺にそんな気持ちわかるわけが無い。
「と、とにかく⋯⋯碧山さん、週末からジュース20本頼んだから。先生はもう行くわ⋯⋯このままここにいると生ぬるい空気に絆されそうだわ」
先生は吐き捨てるように言って、来た時より小さくなった背中で去っていった。
「いや、なんだったんだよあの人」
ただ生徒からジュース巻き上げて帰っただけだ。
先生が居なくなると、明久里は先生が来るまでなにか書いていた紙を取り出し、また書き始めた。
まるで負けたことなんて何も気にしていないように一見したところ見えるが、しっかりと鼻の穴がヒクヒクしている。
「おい明久里⋯⋯もう先生と勝負するのやめろ⋯⋯先生が余計な自信つけるだけだし。お前も精神衛生上良くないだろ」
ピタッとペンを動かす手が止まり、静かにこちらを見てくる。
「いいんですよ⋯⋯大した掛け金じゃありませんし」
「そういう問題じゃないだろ⋯⋯だいたい、ジュース20本って高校生からしたら結構な出費だぞ」
「そこは大丈夫です⋯⋯いつかやり返して回収するので」
「ああだめだ⋯⋯こいつもギャン中の思考になってる⋯⋯」
負けたらギャンブルで挽回しようとしてまた負ける、中毒者のスパイラルにはまりつつある明久里に呆れながら、ふと俺の目に明久里がさっきから書いている紙の中身が目に入った。
数字の横に文字が羅列さら、それが縦に並んでいるところを見ると、タイムスケジュールか何かだろうか。
「なあ明久里、さっきから何書いてるんだそれ」
「あ、これですか」
明久里が紙を持ち、俺に見せてくれた。
「明日からのゴールデンウィークのスケジュール表です」
紙を手に取ると、そこにはびっしりと細かいタイムスケジュールで明日の朝からの予定表が書かれている。
そう、明日水曜日から日曜日までは連休なのだ。
まるで、夏休み前に綿密に立派な計画表を作る全国の少年少女と似ている。
中学生までの俺のことだが。そして計画を実行できたためしがない。
と言っても、明久里のスケジュール表は、起床や食事の時間が決められているだけで、大半はまだ空白のままだ。
「わざわざ作って⋯⋯なにか予定でもあるのか?」
「いえ⋯⋯本当なら皆さんからの依頼でびっしり埋まってるはずだったのですが⋯⋯何故か来ないので」
「なぜかも何も⋯⋯依頼なんてそんなに来るわけないだろ」
「おかしいです⋯⋯私の試算だともっと大きな依頼が来てもいいはずなのですが」
「なんのアニメ見て参考にしたんだ? いっとくけどこの学校は屋上には出れないし、権力を振りかざして気に入らない部活を廃部に追い込もうとする生徒会役員も存在しないからな?」
「えっ⋯⋯」
「えっじゃないよ⋯⋯お前日本の高校にどんな幻想抱いてたんだよ」
「てっきりいつか、生徒会と部の存続をかけて戦ったりするものかと」
「アニメの見すぎだ⋯⋯」
ひと通り言いたいことを言って、スケジュール表に目を戻す。
まだ明日と明後日の分しか書いていないが、なにぶん中身が寂しすぎる。
そして、午前1時就寝、朝10時起床となっているが、スケジュール表くらいまともな生活を取り繕おうとは思わないのだろうか。
「まあいいや。ありがとう」
紙を明久里に返すと、机に置き、腕を組みながら背もたれに持たれて首を捻り出した。
「なにかありませんかねぇ。部活の助っ人とか」
「いや⋯⋯お前助っ人なんて出来ないだろ⋯⋯運動できないんだし」
「いえ、この場合は試合に出るとかではなくて、お手伝いですよお手伝い」
「マネージャー的な?」
「はい」
言われてみればたしかに、そういった類の依頼は来ても良さそうだ。
広義の意味で捉えれば、サッカー部の部室清掃もマネージャー的な仕事といえなくもない。
だがそもそも、部活を作ってから2回しか依頼を受けていないという現実を考えると、今日これから誰かが来る可能性は低い。
と思いきや、廊下から誰かがやってくる足音がした。
こんなところに放課後やってくる生徒なんて、先生とふたりの依頼人以外見たことがない。
これはもしやと思い、来訪者を待っていると、まさかのふたりも同時に現れた。
「お邪魔しまーす。わぁ。久しぶり碧山さん、業平君」
「ここでよかったのかな。お邪魔しますふたりとも」
家庭科部部長の黒崎さんと、文芸部部長の滝沢さんがまさかの同時に現れ、どこか懐かしさを感じさせた。
「お久しぶりですおふたりとも。どうぞこちらに」
明久里は立ち上がって言うと、俺に目配せをし、もうひとつ机と椅子を持ってくるように無言で指示した。
先生が来た時は、最初目を合わせようともしていなかったのに、依頼人相手には随分な違いだ。
俺は急いで後ろに密集した机と椅子をワンセット持ち上げ、前に置いた机から少しだけ離して置いた。
「ごめんねぇ。お邪魔します。そういえば来るの初めてだねぇ」
「碧山さんがまさか部活を立ち上げるとは思ってませんでしたよ」
先に黒崎さんが入ってきて、席に座に、後に滝沢さんが続いた。
ふと思ったが、黒崎さんと志乃さんの髪型がそっくりだ。今どき三つ編みおさげが被るのも珍しい。
なんてどうでもいいことを考えていると、明久里は鞄から取り出した小袋の菓子をふたりの前に置いた。
「どうぞ、食べながら話してください」
明久里がそう言うと、黒崎さんはさっそくありがとうと言って袋を開けた。
滝沢さんはその場に置いたまま、ぺこりと一礼だけして待機している。
「それで、おふたりはどのような依頼を」
いつも通りの様子に思えるが、依頼人が来たことが嬉しいのか、鼻の穴がいつもより多くひくひくとしている。ふたり同時だからいつもの1.5倍くらいだろうか。
「えっと⋯⋯」
「あなたからでいいですよ」
ふたりが顔を見合わせると、滝沢さんがそっと手を差し出して譲った。
「じゃあ、私からお願い言うね」
黒崎さんは軽く咳払いをすると、明久里を見ていた目を、俺の方へ少し向けた。
「実は明後日の木曜、小学生向けの料理教室があって、そこのお手伝いに行くことになってるの」
俺が初めて聞く情報ということは、俺がこの部に来てから話が来たのだろう。
「それでね。本当なら4人で行くはずだったんだけど、安藤君と富山君が急用で行けないってなって」
「富山君が急用だって⋯⋯妙だな⋯⋯」
「いや、妙ってことは無いと思うよぉ? 業平君って富山君と仲いいけどそういう所ちょっとあるよね」
「すみません⋯⋯富山君はずっと同族だと思ってたので」
「んー? まあよくわかんないけど、とにかくそれでふたりに手伝って貰えないかなって。ほら、業平君は一応まだ部員だし」
なるほど、なぜ黒崎さんが一瞬俺を見たのか、合点がいった。
家庭科部部長として、部員である俺に強制召集を掛けたのだ。部長の持つ温和な瞳で。
それと同時に、部長は明久里自信の口から、その恐ろしい程に絶望的な料理の腕を聞いている。
もしかすると、俺が来れないとなると、依頼を取り下げるつもりだったのかもしれない。
「わかりました。明後日ですね。引き受けます」
自信満々に言っているが、料理に関して明久里に手伝えることなんてないだろう。
せいぜい集中力がなくて遊び出した子供を、その自慢の冷たい視線で大人しくさせることくらいだろう。
「っと言いたいところですが、その前に滝沢さんの依頼を聞かせてください」
滝沢さんのことを一瞬忘れてしまったのだろうか。
思い出したかのように明久里は言った。
「ああ、僕達は明日なんですけどね。実は文芸フリマがあって」
「文芸フリマ⋯⋯ですか」
つい俺は滝沢さんの話を遮るように呟いてしまった。
「ああ、まあ同人誌販売会みたいなものです。実は僕達の部員も明日は皆他に用があるとかで手が足りないので、その販売を手伝って貰えないかと思いまして」
どこも色々と大変だなぁと思いながら、これならふたつとも断る理由はないと、明久里を確認した。
「わかりました。両方ともお引き受けします」
もしやどちらかは断ったりしないだろうかと、一抹の不安を抱きかけたが、そんなことはなかった。
「ほんとっ!? ありがとう」
「どうもありがとうこざいます」
黒崎さんは嬉々として顔の前で両手を繋ぎ、滝沢さんは物凄くキレな姿勢で、斜め45度に頭を下げた。
「いえ、私達は
「その発音久しぶりに聞いたらやっぱり不気味だな」
「⋯⋯」
不気味という、ふと口から零れ出た感想を、明久里は音を発さずに反復した。
黒崎さんは苦笑いし、滝沢さんも口を結んで笑うのを耐えながら、息苦しそうにしている。
「じゃ、じゃあ碧山さん、業平君。明後日朝9時に聖信前駅に来てくれるかな。すぐそこの公民館であるから」
「わかりました」
「うん。よろしく頼むね。じゃあまた」
未だ反芻している明久里に変わって返事をすると、黒崎さんは手を振りながら教室を出ていった。
どうやら、その料理教室はこの学校の最寄り駅近くで行われるらしい。
それなら多分、遅刻することもないだろう。
そして滝沢さんも席を立った。
「ではおふたりとも。こちらは明日の朝10時に八子のソルタワーに来てくれますか」
「八子のソルタワー⋯⋯結構遠いですね」
「あそこの地下で行われるものですから。交通費と昼食代は後で出しますので」
「えっ、ほんとですか」
「ええ、部として依頼している訳ですから。そこは」
「ありがとうございます」
「では明日よろしくお願いします」
相変わらず物腰が丁寧な滝沢さんはまた斜め45度のお辞儀をすると、ゆっくりとした足取りで教室を出ていった。
俺と話している時、時々明久里に視線を向けていたが、もしやと思って明久里を見ると、やはりまだ口を金魚が空気を求めるように動かしながら、不気味という単語を無音で表していた。
「おい⋯⋯悪かったよ⋯⋯」
どうすれば明久里が元に戻るかと、そっと肩を叩くと、口の動きが緊急停止した。
「いえ? 何も気にしてませんが?」
「いや⋯⋯それは無理があるだろ⋯⋯」
今気がついたが、ズボンの中でスマホが振動している。
きっと怒りとショックで心拍が上がっているのだろう。
だが良くも悪くも慣れてきたおかげで、俺は落ち着いている。
「ほんとに悪かったから⋯⋯な?」
「だから怒ってませんって⋯⋯」
そう言った明久里の目は、今日最も冷たく感じられたが、スマホが鳴り止んだことから考えて、本当に怒ってないのだろう。