「私たちには報酬無しですか。そうですか」
後片付けをしている子供達を見守りながら、明久里は皮肉めいたトーンで呟いた。
「報酬って言い方よ⋯⋯小学生が作った料理なんて別に食べなくてもいいだろ⋯⋯」
「でもはじめさんより上手かもしれませんよ」
「いや⋯⋯それは絶対にない」
このゆで卵しか作れない女は料理について何も知らない。
料理においてもっとも必要なのは経験と知識だ。
ここのガキ共が薄力粉でパンを作ることが困難だと気づいただろうか。膨張剤なしでパンは膨らまないと知っていただろうか。いや、知らなかった。
俺が機転を利かせたおかげで、このガキ共はなんか嫌な食感の小麦粉の塊を食べるという苦行を回避できたのだ。
つまり、俺より料理ができるなんてありえない。
はい。証明終了。
「ふたりとも今日はありがとねー。って、どうしたの業平君。怖い顔してるけど」
俺と明久里の元にやってきた部長がにこにこと朗らかにやって来た。
俺はそんな怖い顔していだろうか。だとすると明久里が悪い。
「いえいえ、大したことしてないですし、昨日文学部の手伝いしたのより遥かに楽でしたよ」
「へえ、文学部の方大変だったんだ」
「まああっちは一日仕事でしたので」
まあ、子供に何かあったらという緊張感ではこちらの方が上だっただろうか。
とにかく子供が泣いたりするのは俺の心臓に悪い。
「でも向こうは昼食支給でしたから」
チクリと針を刺すように、明久里がそっぽを向きながら呟いた。
まあ確かに昨日は昼食代出してくれたけれども、わざわざ部長に言う必要はないだろうと明久里を見つめる。
明久里は俺の無言の訴えなんて分厚いバリアで防いでしまうのか、俺なんて見ようともせずに子供達を空虚な目で眺めている。
「そうなんだぁ。それはごめんね明久里ちゃん」
「構いませんよ。ただあのシチューは私達の分もあると思っていたので」
「え⋯⋯そこなんだ」
部長が謝っているが、部長の責任ではないだろう。
実際今はまだ昼過ぎだし、帰ってからでも駅付近でも食べるところはいくらでもあるんだし。
部長がこの料理教室の発起人ならともかく、違うなら責任は主催者にあるはずだ。
つまり、本当のところ料理研究家かどうかも怪しい柿谷羽月に。
柿谷羽月は子供達とにこやかに話しながら、周りを見て回っている。
今回1番怖かったのは、あの料理研究家の存在だ。
明らかになにか裏があるというか、あの知識の乏しい女性を操っている人間が裏にいて、しかも恥をかかせようとしていた。
明久里もそれを察していたのだろうが、今のところ本人にアクションを取る素振りはない。
明久里なら本人に助言でもしそうな雰囲気もあるが、まあ不確定情報を柿谷羽月に吹き込み、彼女が周りに疑心を抱くのはあまりよろしいことではないかもしれない。
後片付けが終わると、子供達は迎えに来た親に連れられて帰っていった。
帰る前、皆からお礼を言われたが、素直に嬉しかった。
感謝は感謝でも、子供から感謝されると嬉しさが増すのはどうしてだろう。
廊下の方へ目を向けると、ずっと固定されていたカメラがスーツを着たマスク姿の女性によって撤収されていた。
今日初めて見る女性だ。柿谷羽月よりもそれなりに年齢は上だろう。カメラと三脚を持つとそのまま階段を下っていった。
十中八九柿谷羽月の関係者だろう。マネージャーか何かならちゃんとメニューとか確認しろよと思う。
しかしマネージャーも料理素人ならどうしようも無いかと外の方を向くと、なぜか明久里がマネージャーが過ぎ去った廊下を凝視していた。
顎を引き、瞬きもせずに見つめる姿は、まるで獲物を見つけた獣のようだが、それにしては静寂に包まれている。
「明久里、どうしたんだ」
「⋯⋯いえ、ただちょっと」
明久里も俺と同じことを考えているのか、それとももっと他の⋯⋯しかしながら、首を突っ込むのもどうなのかと俺の中で葛藤している。
これが学校の中でのことなら、俺もしゃしゃり出ていたかもしれないが、相手が人気タレントだと思うと、しり込みしてしまう。
それは相手のプライドを慮ってなのか、ただ俺が小心者だからなのか、ふたつの感情がぶつかり合っては打ち消しあっている。
子供達の居なくなった部屋では、部長と片岡さんと俺達、そして柿谷羽月だけが残っていた。
「みんな今日は本当にありがとう。気をつけて帰ってね」
子供に対する接し方が染み込んだのだろうか。
まるで小学校の温和で優しい先生のような口ぶりで、柿谷羽月は手を叩きながら言った。
「はい。お疲れ様でした先輩。みんなもじゃあね」
俺達を代表してか、部長が挨拶をし、俺達の中で誰よりも早く手を振りながら部屋を出ていった。
その部長の背中に引っ張られるように片岡さんも続く。
「じゃあ、俺たちも帰るか」
「はい。帰りになにか奢ってください」
「奢るって⋯⋯家の生活費からでるんだが⋯⋯」
せっかくなので、外で何か食べるというのは俺としても悪くない提案だが、明久里とふたりで飲食店に入るというのはどうも恥ずかしい気がする。
というか、ふたりで飲食店に入ったことはない。
「まあいいか。何食べたいか考えとけ。じゃあ垣谷さん、俺達もこれで」
「あっ、ちょ、ちょっと待って」
「え?」
柿谷羽月に会釈して部屋を出ようとすると、慌てた様子で呼び止められる。
「なにか?」
明久里が口を開く気配がないから、目配せをして俺が対応する。
「ふたりとちょっとお話したいかなぁってね」
「は、はあ⋯⋯お話ですか」
柿谷羽月が何を考えているのか全く分からない。
なにか俺たちに小言でも言いたいのか、それともさっき話したようにQOS部に対してなにか相談でもあるのだろうか。
また明久里に目配せをするが、QOS部の部長は黙ったまま首をひねり、全てを俺に委ねるつもりでいる。
「おねがい。お昼ご馳走するから」
「行きましょう。ぜひ」
柿谷羽月が両手を合わせて懇願すると、明久里が間髪入れずに声を張った。
さすがは食い意地が貼ってると言うかなんというか。ついついため息が漏れる。
公民館を出ると、日差しがやや西の方角から降り注いだ。
まだ5月だが、随分と暑い。
「じゃあふたりは何食べたいとかある? 遠慮なく言ってね」
中に残ってどこかへ電話していた柿谷羽月が外へ出てくると、明久里は顎に手を添えて首を傾げた。
どうやら本気で色々と考えてるみたいだが、そんなに頭を悩ませることだろうか。
率直にパスタとか言っとけばそれでいいじゃないか。
「ではフォークとナイフで食べるタイプのハンバーガーが食べたいです」
明久里の言うそれは、超有名ファストフードチェーンなどのハンバーガーと違い、チーズバーガーひとつで二千円近くするような店のハンバーガーのことだろうか。
さすが、この爆弾娘は遠慮というものを知らない。
「ハンバーガーか。いいけど、そんなお店あるかなぁ」
柿谷羽月は顔色を変えずにスマホを操作し始めた。
さすが人気タレント。女子高生の図々しい願いなんて簡単に聞き届けてしまう。
「あ、あった。ここから5分くらい歩くところ見たい。じゃあ行こっか」
歩き出す柿谷羽月の後ろを重い足取りで歩く。
心做しか周りの視線が集まっている気がしなくもない。
やはり柿谷羽月はかなりの知名度があるのだろう。
その後ろを歩くなんて、俺には荷が重すぎる。
誰かが柿谷羽月を写真にとってSNSにでも載せれば、俺まで写ってしまう可能性があるじゃないか。
「おい明久里、なんでハンバーガーなんか希望したんだ」
歩きながら、小声で明久里に耳打ちする。
「べつに、食べたかっただけですが」
「まさか俺にも同じもの頼むつもりだったのか」
「いえ、はじめさんに出してもらうならチェーン店で十分ですよ」
「お前⋯⋯強かだな」
「べつに、そんなつもりじゃありませんよ。ただ今日あの人ははじめさんに恥部を握られましたから。お返しに格好つけさせてあげるだけですよ」
「言い方⋯⋯」
明久里の視線は、真っ直ぐ柿谷羽月の背中へ向けられた。
俺もその背中を確認したが、なんてことの無い華奢な女性の背中だ。
「ん? どうしたのかな?」
俺達の視線に勘づいたのか、柿谷羽月が振り返る。
「いえ、なんでもないです」
笑みを浮かべながら前を向いた柿谷羽月を眺めながら、俺が掴んでしまった彼女の恥部について、頭の中で整理していた。
お目当てのハンバーガー屋は、駅から向かって公民館の奥へとさらに進んだ住宅地の中にひっそりと存在した。
店自体はログハウスになっていて、大きさもあってそれ単体だと目立つのだが、本当に住宅地の中にあるため、近づかなければ存在すら認知できない。
店に入ると、中には何組かの客がいて、みな誰かしらと来ていた。
窓際の席に案内され、先に向かい合って明久里と柿谷羽月が座り、俺は無意識に明久里の隣に腰掛けた。
テーブルや椅子は檜をそのまま削ったような色をしていて、すごく落ち着く。目の前にいるのが人気タレントでなければなおさら。
注文を聞きに来た定員に、とりあえず安かったチーズバーガーのセットを頼むと、明久里は流石というかなんというか、パティがダブルになっている重厚なハンバーガーを注文していた。
注文を聞きに来たのと同時に店員が持ってきたお冷を飲むと、柿谷羽月が何故か俺を見つめていた。
彼女の両手は水の入ったコップを包み込むように持ち、覗くように瞼を上げて注視している。
何事かと思って口に付けていたコップを降ろすと、彼女は微笑んで口を開いた。
「今日は本当にありがとう。業平君。それに碧山さんも」
意外⋯⋯という訳ではなかったが、そのひと言は俺の思考を一瞬停止させた。
何に対してのお礼なのか。料理教室に関することなら、俺達だけじゃなく部長と片山さんも連れてくればいい。
ではそのお礼の真意はなんなのか。肩を強ばらせながら、俺は背筋を伸ばした。
「はあ⋯⋯どういたしまして」
「別に口封しようって訳じゃないんだよ? 本当にお礼だから」
「⋯⋯はい?」
厨房から肉の焼ける匂いが漂う。
やはり、少し高いハンバーガー屋は肉と肉に混ぜられたスパイスの質からして違うのだと、意識を逸らすように認識する。
なぜ柿谷羽月は口封じなんて物騒な単語を口にしたのか。もはや確信に変わる。
柿谷羽月は、料理ができない秘密について俺が知っている事に気づいている。
「あんまり大きい声じゃ言えないんだけどね。私本当は料理苦手なの」
背中を丸めながら、柿谷羽月は顔をこちらに顔を乗り出しながら小さな声で言った。
俺としては、べつにそこまでは想定していなかった。
ただパンの知識に疎いだけだと、そう思っていた。
それがまさか料理自体が苦手だとは、料理系タレントとして絶対に握られてはいけないパンドラの箱だこれは。