Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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開戦

「フィア・ゼルストの他にも、イレーネス、モルガナ、そしてマユカ・サナギがT.w.dの内通者だと判明したわ」

 

 スレイはアゲハに、普段通りの、愉悦の笑みを湛えながらそう告げた。アゲハは驚き、そしていつもの調子で話したスレイに憤りを覚えた。

 

「ティルダイン中佐……! なぜそのようなことを平然と言える!」

 

 掴みかかる勢いで詰め寄ったアゲハに、スレイは彼女を睨んで答える。

 

「すぐ解決できるからよ。頭を冷やしなさい、サナギ中佐」

 

 スレイに言われ、アゲハは恥じらいを感じながら深呼吸をし、心を落ち着かせ、冷静に考えた。すると、確かに簡単なことだった。この目の前にいる、スレイの異能(エクシード)を考えれば。スレイの異能は記憶を奪い改竄する能力を持った、アーン・ヴァリウスという名の籠手型の武器の召喚たま。

 

「なるほど、あなたの異能でマユカのT.w.dに関連した記憶を簒奪すると、そういうことね」

 

「マユカ・サナギだけではないけれどね。まあでも、同僚のよしみでマユカ・サナギの方に最初に行くとするわ。副とはいえ指揮官が現場に出るのは非常識だけれど、そんなことは言ってられないわね」

 

 スレイはそう言って、一歩下がって敬礼すると、踵を返して走り去った。

 アゲハは、スレイ・ティルダインという人間が好きな方ではなく、むしろ苦手な人間の部類だった。だが、今はそれでも信じるほかない。アゲハは、拳を強く握りしめた。

 

        ***

 

 腕を切断されたソフィーナは、誰の目から見ても明らかなくらいに、普通ではなかった。膝をつき、脂汗を止め処なく垂らし、息は荒くなり、唾を何回も飲み込み、瞳孔は大きく見開かれていた。対して、マユカは無表情でソフィーナに歩み寄っていく。

 その光景を美海は床にへたり込んで、涙を流しながら見ていた。ソフィーナを助けなければいけない。だが、頭でそう分かっていても、体は一ミリメートルも動かない。異能も発動できない。

 そうしているうちに、マユカがソフィーナの脳天にグリム・フォーゲルを振り下ろした。ソフィーナはそれを右に避けたが、グリム・フォーゲルはソフィーナの左袈裟に深々と斬り込んだ。それをソフィーナは、マユカの動きが止まったチャンスと見たのか、詠唱無しで魔法陣を展開したが、その瞬間、マユカがグリム・フォーゲルが斬り込んだ部位を踏み付け、グリム・フォーゲルを抜いた。ソフィーナが悲痛な声を上げ、マユカに踏み付けられたまま、床に倒れる。マユカはグリム・フォーゲルを振り上げた。今度こそ、ソフィーナを殺すつもりだ。

 その瞬間から、美海には時がかなりゆっくり進んでいるように思えた。その永遠とも疑える時の中で思考する。

 

(このままじゃ、ソフィーナちゃんが死んじゃう……。それで、私もマユカちゃんに殺される。死ぬのは嫌だ。まして、何もしなかったって後悔の中で死にたくない!)

 

 思考が加速する。この力は世界を救うためのもの。ここで使わずしていつ使うのか。目の前にいる助けなければならない人一人助けられないで、どうして世界を救うことができようか。

 

(マユカちゃんと殺し合うためじゃない……。ソフィーナちゃんを助けるために、私は……!)

 

 美海は床を踏みしめて立ち上がり、その手に剣を作り、持った。大気の流れを操作し、自分の周りにだけ、風を生み出す。そして、

 

「ソフィーナちゃんから離れろおッ! うわあああッ!」

 

 喉が枯れるほどの絶叫をしながら、美海は風を使い、剣を突き出してマユカに突進する。美海には、これでマユカが死ぬことを無いという確信があった。訓練を受けていて、尚且つ戦闘のセンスのあるマユカなら、この攻撃は何らかの手段で避けるだろうという予測をしていた。

 そして、マユカは予測通り避けた。彼女は一歩下がっただけだ。これなら、すぐに振り下ろせば二人まとめて斬殺できるだろうとの判断だろう。しかし、美海はここで風を使い、強引に己の軌道を変え、一気に加速した。

 マユカの左の脇腹に美海の剣が深々と刺さる。更にそこから、先のマユカがしたことを思い出して、刺さった部分から左に斬り裂き、そこの傷口を蹴った。マユカがよろめく。その隙に風を操り、ソフィーナの方に方向転換した。そしてそのままソフィーナを連れて逃げ去る——つもり(丶丶丶)だった。

 

「禍害変換コンバーツ」

 

 ぞっとするような、マユカの冷たい声が耳朶を打った。美海は思わず振り返った。するとそこには、グリム・フォーゲルを大きく振りかぶったマユカ。その背後には、初めて見た、大きな水晶があった。その側に、秀が持っているのと同型の亜空間収納庫があるのが見えた。後ろの水晶はそれで出したのだろう。

 美海は逃げようと反転した瞬間、グリム・フォーゲルが背中を掠めたのを感じた。掠めたといっても、体が二つに分かれなかったくらいで済んだ、という程度のものだった。とても深い傷を負ったとは思えない威力。右肩から腰まで深く切られた。特に右の肩甲骨は、完全に砕かれた。美海は、すぐに立っていられなくなって、床に伏した。

 血と共に力が抜けていくようだ。這うことすらできない。すぐ側に苦しそうに息を荒くして横たえているソフィーナがいる。手が届く距離にいながら、助けることができなかった。だが、最善は尽くしたつもりだ。ただ、力が及ばなかった。それだけのことだ。

 

(じゃあ、もう、いいよね……。頑張ったんだから)

 

 美海が瞑目した、その時だった。廊下に銃声が響いた。禍害変換コンバーツが割れる。美海は、焦点の定まらない瞳で銃声のした方を見た。するとそこには、グリューネシルトの軍服を着た、一人の女性がいた。

 

「スレイ・ティルダイン中佐……!」

 

 マユカの注意が、そのスレイと呼ばれた長身の女性の方に向いた。そして、相手の獲物に合わせたのか、グリム・フォーゲルを拳銃にして、スレイに銃口を向ける。

 

「丁度いいです。何故あなたがここまで来たかは知りませんが、あなたを倒せば、統合軍は有能な指揮官を一人失うことになる」

 

 マユカはそう告げると、一切ブレの無い正確な射撃でスレイを撃つ。だが、スレイは、それらを全て紙一重で躱しつつ、マユカとの間合いを詰める。

 

「アーン・ヴァリウス」

 

 スレイの白い手袋が禍々しい瘴気を帯びる。その手が、マユカの顔に伸び、あわや掴むか、と思われたその時、二人の間の空間に、突如魔法陣が現れた。その魔法陣から、一人の銀髪の少女が出てくる。その少女は、マユカと同じ服を着て黒のマントを羽織っていて、背はマユカより10センチメートルほど小さかった。

 

「貴様、特種危険生物!」

 

 スレイが攻撃を中断し、狼狽したように叫ぶ。対して、スレイの叫びを聞いたその少女は、拳を震わせ、スレイに歯を剥いて怒鳴った。

 

「私はそんなんじゃない! アイリスっていう、お母さんから貰った大事な名前があるんだああッ!」

 

 少女——アイリスは、スレイの突き出た右腕を掴み、スレイの体を壁に叩きつけ、スレイの腹を踏んで抑え、右腕を引きちぎって投げ捨てた。スレイが痛みに悲鳴を上げるが、アイリスはその口を横から左手で掴み、それを無理矢理止めた。

 

「あなたなんて食べる価値すらない。このまま顔をぐちゃぐちゃにして殺してやる!」

 

 言いつつ、アイリスはそのままスレイの口を握り潰した。顎の関節が砕かれ、頰が裂け、口がだらしなく開く。そして、アイリスはスレイの後頭部を壁に付け、眉間に右拳を入れた。その拳は、文字通りスレイの顔を粉砕し、壁にまでも亀裂を入れた。アイリスの銀髪が、白い肌が真っ赤に染まる。

 美海は吐き気を覚えた。その理由の一つはグロテスクな光景を見たからだろうが、もう一つは、親友だったマユカが、あのような残酷なことをする人物と手を組んでいる、ということだ。アイリス、という名から、銀髪の少女はあの放送を入れた人物だろう。

 

「さあ、マユカ。二人迎えてから、本部陣営に行くよ。ここから青蘭学園を内部から破壊してもいいけど、まだ正午じゃないし、それをやったら約束破りになっちゃう。それに、我がT.w.dは信頼で成り立つ組織だから。マユカって多分みんなに顔見せてないでしょ?」

 

 マユカは強張った様子で小さく頷いた。それを見て、返り血とはかなり不釣り合いな無邪気な笑みを浮かべ、アイリスはその肩を叩いた。

 

「緊張しなくていいよ! リラックス、リラックス! みんな待たせちゃってるし、アルバディーナも待ってるから!」

 

 アイリスのその姿が、美海の心の中で、マユカの方を叩く自分の姿と重なった。その光景を最後に、美海の意識は途切れた。

 

        ***

 

 アイリスは、美海とソフィーナを見つめながら、マユカに訊いた。

 

「ねえ、あの二人、どうする?」

 

「どうするって……? どういうことですか?」

 

「ここで殺すか、今は生かすか。L.I.N.K.sのメンバーの生殺与奪はマユカに任せるってことがマユカがT.w.dに入る時に提示した条件だったでしょ? もしかして忘れてた?」

 

 マユカが目を丸くする。本当に忘れてしまっていたらしい。そして、マユカは少し考えてから言った。

 

「今は、生かしておきます。これが美海さんやソフィーナさん、ユフィさんにルビーさん……青蘭学園や統合軍のみんなと、お姉ちゃんに対して、今までの私としての最後の感情です。これからは、以前のマユカ・サナギという人間は死んだということにします」

 

「いいんだね、それで」

 

 アイリスはマユカに確認する。マユカは、それに対し強く肯定した。それを見ると、アイリスはマユカの手を取った。

 

「じゃあ、早く行こうか。ここにいちゃ、辛いだろうしね」

 

 そう言って、アイリスがマユカの手を引こうとした時だった。立ちはだかるように、一人の短めの緑の髪の、統合軍の軍服を着た、十代前半と思われる容姿の少女が現れた。その瞳には、例えようのない怒りが籠っている。

 

「コンストラクター、シルト・リーヴェリンゲン! スレイの始末が終わった後にあなたが来るなんて、私はなんて運がいいんだろう!」

 

 アイリスは本当に嬉しくて、声高らかに言った。対し、少女——シルトは一歩踏み出して告げた。

 

「あなたのやること全てを私は否定しない。けど、世界水晶の破壊だけは絶対にさせない。人間への復讐までは看過できるけど、いや、肯定できるけどね」

 

 それを聞いて、アイリスは腹を抱えて笑い出した。笑えて仕方がない。まさかシルトの口からそのようなことが聞けるとは思っていなかったからだ。

 

「滑稽だね。じゃあ世界水晶の破壊を止めるって言ったら、あなたはT.w.dに入ってくれるの?」

 

「場合によっては、ね。世界の存続のためなら」

 

「ふうん。あなた程の人は欲しいけど、でも止めない。だって私は世界の存続なんて望んでないから」

 

「じゃあ、あなたとは決裂だね。……マユカ」

 

 シルトは、今度はマユカの方に向いた。その眼差しは、アイリスを見る時よりは柔らかなものだったが、怒りが込められていることには変わりなかった。

 

「一度考え直して。あなたがどんな理由でアイリスの仲間になったかは知らないけど、あなたには、世界水晶の声を聞く者としての義務がある。それを放棄するわけ?」

 

 マユカは沈黙している。シルトは、さっきとは打って変わって、悲しげな目線で言う。

 

「あなたの作るおにぎりは好きだった。それを食べながら、あなたや、たくさんの友達と談笑するのも楽しみだった。それを、あなたは——」

 

「黙って!」

 

 マユカが突然、シルトの言葉を遮るように、髪を乱しながら叫んだ。

 

「黙って黙って! 私を、惑わさないでよぉぉ!」

 

 マユカは憤怒と殺意の混じった目でシルトを睨みつけ、大剣のグリム・フォーゲルをシルトに突き出す。シルトは、そのグリム・フォーゲルと瓜二つの大剣を召喚し、その刀身でマユカの刺突を受け止めた。

 

「この分からず屋! あなたの行動は——」

 

 シルトがどもった。アイリスにはその理由がよく分かった。マユカの気迫だ。彼女の仲間であるアイリスさえも、冷や汗をかいてしまう程の、壮絶な威圧感をマユカが発している。

 

「私は、自分で考えたんです。この世界のことを。私がいくらL.I.N.K.sとして頑張っても、異能の訓練をしても、異変の解決に近づいてるって実感が無かった。どこからか聞こえる、たすけての声が無くなることなんてなかった! だから、私はプログレスという存在に絶望したんです! それを分からないあなたに、私の心を裏返すことなんてできない!」

 

「……なんだ、そんなことか」

 

 シルトは、マユカの言葉を受けて、ぽつりと呟いた。すると、押され気味だったシルトが、今度は逆にマユカに対して優位になった。

 

「目に見えた変化だけでプログレスを否定しないで! あなたの目に見える範囲の人間の営みが世界の全てじゃないんだよ!」

 

 シルトは叱り付けるように言う。アイリスは、これを見てまずいと思った。シルトの言葉でマユカがT.w.dから離反するとは思えないが、確実に動揺はしている。このままでは、シルトに押し負けてしまうだろう。それで、アイリスは左手にブルーティガー・ストースザンを召喚した。

 

「援護するよ、マユカ。あなたの信頼に応えるために」

 

 アイリスはマユカが頷きを返したのを確認すると、右手側からシルトを串刺しにしようとした。が、シルトはマユカをいなし、そしてブルーティガー・ストースザンの爪をバック転で回避した。

 

「二対一じゃ分が悪いか……。ここは逃げよう」

 

 シルトはそう呟くと、瞬間移動でもしたのか、そこからあっという間に居なくなった。

 アイリスは舌打ちをした。出来れば、ここでシルトも殺したかった。アイリスは、シルトは緑の世界の世界水晶と密接に関わっていると踏んでいて、殺せば、いずれ緑の世界を攻略する時に、大分楽になるだろうと予測していた。

 

「アイリスさん、その、ごめんなさい。逃してしまって……」

 

 マユカが頭を下げる。その行為はアイリスが舌打ちをしたことに起因しているだろう。アイリスは取り繕った笑顔を見せて言う。

 

「あ、いや、マユカは気にしなくていいよ。別に今殺らなくても大丈夫だから。それよりもさ、もう二人迎えに行こうか。シルトの相手してて言うのもアレだけど、急がないとダメだから」

 

「どうして……ですか?」

 

 マユカはきょとん、とした様子で訊いてきた。アイリスは、ふっと表情を消して答えた。

 

「あの子たちが戦ってるのは、ユフィとルビーだから。あなたとの約束を果たせなくなるかもしれない」

 

        ***

 

 ルビーは、突如現れ、ユーフィリアを床に倒した少女を見た。淡い青髪と巨大な角を持つ頭に張り付く幼い顔と、とても先のような芸当をできるとは思えない華奢な腕、更に背中に蝙蝠の羽を持つ体にゴシックロリータの黒中心の服を着ている。

 

「イレーネス、来たよ」

 

 たどたどしい口調で、ユーフィリアを壁に上半身を埋め込ませながら、少女は告げた。雰囲気とやったことがまるで釣り合っていない。ルビーは、ユーフィリアを助けることも忘れて、少女を(おそ)れ、震えた。

 

「モルガナ……あなたが戦う必要は無いのよ」

 

 イレーネスが、その少女、モルガナに告げる。モルガナは首を横に振って、

 

「私は戦いたい。たった一人の親友と、私たちを認めてくれたあの人たちのために」

 

 ルビーは、傍で聞いていて、今がチャンスだと思った。卑怯だとは思うが、ユーフィリアを不意打ちしたのはモルガナだ。文句など言わせない。そう思い、大きく深呼吸をし、口を開いた。

 

「祈りよ」

 

 ルビーは小さな声で、囁くように言った。使う魔法は、炎系のもの。その魔法陣は、イレーネスから、モルガナで見えないように小さめのものを展開した。今のところは、話していて気づかれていない。これならやれると、魔法陣から炎を出そうとしたその時だった。モルガナが、消えた。

 

「どこに……がッ!?」

 

 ルビーは、モルガナに背後から頭を掴まれ、壁に顔から叩きつけられた。鼻の骨がひしゃげ、歯が幾つか欠けた。ルビーは怒り、体の大きさを人間並みに変えた。急に大きくなったお陰か、モルガナの握力が微妙に弱くなった。その隙に、ルビーはモルガナの手を振り払い、後退して態勢を立て直そうとした。だが、ルビーのすぐ後ろにはイレーネスがいた。呪いを持った腕が伸び、あわや触れるか、というところで、

 

「ちょっと待った。その子達はまだ殺さないで」

 

 その場にいた全員が、声のした方に振り向く。そこには、悠々と微笑む銀髪の少女と、無表情のマユカがいた。

 

「マユカ! 助けに……」

 

 助けに来てくれたの? ——そう言おうとして、ルビーはそれは違うと、自分で否定した。確かに、マユカは敵意を向けている。だが、その矛先は自分達だ。目で、容易に分かった。分かりたくもなかったが、分かってしまった。

 

「マユカ! あんた、裏切ったの!?」

 

 マユカはルビーの言葉に耳を貸そうともしない。口を開いたが、その対象はイレーネスとモルガナだった。

 

「L.I.N.K.sのメンバーの生殺与奪は私が握っています。この場では一旦生かしておきますから、あなたたちはアイリスと私と一緒に本部陣営まで来てください」

 

「この子たちへの別れの挨拶代わりって訳かしら? まあいいわ。次会ったら殺してもいいの?」

 

 イレーネスの質問に、マユカは頷いた。そして、ルビーの元にマユカが歩み寄ってきた。その瞳には、感情などまるでこもっていないかのようだった。

 

「私は、もうあなたの親友ではありません。分かったら、私のことは忘れてください。私もあなた方のことは忘れますから」

 

「言われなくたって忘れてやるわよ……! あんたなんか、あんたなんか……」

 

 次の言葉が出てこなかった。代わりに、口から嗚咽が出る。マユカを睨む目からは、涙が溢れてくる。マユカはため息をついて、ルビーに背を向けた。

 

「あなた達とここで過ごした日々は楽しかったです。美海さん達や、お姉ちゃんに、これも含めて伝えておいてください」

 

 マユカが歩き出す。それに続いて、アイリスとイレーネス、モルガナもこの場を去っていく。

 壁に上半身を突っ込んだユーフィリアは、そのまま気絶してしまったらしく、ピクリとも動かない。

 自分は、依然として涙を流しながら、鼻から洟と鼻血の混じったものを垂れている。

 惨めだ——ルビーは、更に涙を流す。この涙は惜別のではない。悔しさから来る涙だ。己は無力だ。いくらブルーミングバトルでの成績が良かろうが、いくら異能が強かろうが、それが全く関係ないことを知った。

 

「私たちじゃ……私じゃ、まだまだだったってことね」

 

 ルビーは自分の手を左胸に当てた。心臓の鼓動は確かに感じる。心とは正反対に、力強い鼓動だ。

 

(いや、違うわ。これは私の肉体の力の象徴。肉体の力を、私の心が越えられないはずはない。祈りは心から捧げるもの。だから、この力よりも、もっともっと、私は強くなれるはず。だったら——!)

 

 ルビーは洟を()き取り、涙を(ぬぐ)い、立ち上がる。そして、美海とソフィーナ、ユーフィリアの顔を思い出す。自分も含めたその四人の中で、一番気性が荒いのは自分で、そしてマユカを殺めることができるのは、自分だけだろうと思う。他の三人は甘すぎる。

 

「いや、それを言ったらあたしもか……。でも、次会ったら」

 

 ルビーは、祈りで腕力を強化し、壁を思い切り殴った。壁に亀裂が走り、破壊され、中の鉄骨が露わになる。

 

「私だけで、あんたを殺してみせる……!」

 

        ***

 

 ルビーとイレーネスとモルガナとの戦闘が終わった頃、第二会議室では、ちょうど作戦が煮詰まって、説明のために各部隊指揮官等を召集したところだった。

 

「では、正門からナタク・ブリューナを隊長とした第一歩兵中隊で一回様子見で打って出て、T.w.dの背後から自衛隊一個大隊が叩く。また、校舎から統合軍とアンドロイドの混合部隊で援護射撃を、フェルノ・ガーディーヴァが封印弓フェイルノートで支援する。戒厳令は敷いてあるが、できるだけ街に損害を与えない旨の注意を念のためしておく、と、大まかな作戦はこれでよろしいですね?」

 

 今回の作戦の参謀長、ミギリ・ヴェザルスは、全体を見回し、確認するように言った。

 はっきり言って、作戦を立てるのに三時間も議論していない、即興の作戦だが、T.w.dが正午までに青の世界水晶を渡さないと開戦すると言っていて、青蘭学園側に世界水晶を渡す気がない以上、早急に作戦を立てる必要があった。

 T.w.dが世界水晶の明け渡しの期間をもう少しでも長くしてくれれば、またはT.w.dが襲来することがもう少し早く分かっていれば、もっと綿密に作戦を練れたのだが、悔やんでも仕方がないと、ミギリは意識を切り替えた。

 

「また、青蘭学園内に潜り込んでいる構成員は、T.w.dと判明した時点で、殺害してください。以上……ですね。では、作戦の変更があれば、部隊長に随時連絡します。何か質問があれば、この場で」

 

 ミギリはしばらく待って、質問がないことを確認すると、参謀以外の人間を解散させた。退出していく人々の中にミギリはアゲハの姿を見た。その姿は、いつも通りの凛々しいもののように見えて、脆くも見えた。

 ミギリが声を掛けようとしたその時、突然、ルビーが現れ、アゲハの前にはだかった。

 

「どきなさい、ルビー」

 

 アゲハがルビーを睨んで言うが、ルビーは怯まずに告げた。

 

「あんたの妹から伝言預かってんのよ。聞きたくないってならいいけど」

 

 ルビーの言葉に、アゲハが驚いたように目を開く。そのまま沈黙が続くこと数秒。他の人々が二人を避けて通っていく中、アゲハは立ち尽くしていた。そして、血相を変えてルビーの肩を掴んだ。

 

「何て言われたの!? 言って、早く!」

 

「ちょっと、痛いわよ! 落ち着きなさい、急かさなくても言うから!」

 

 ルビーが迷惑そうに顔を歪める。アゲハは、ハッとしてルビーから手を離した。そして、申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「悪かったわ。取り乱して……」

 

「分かればいいのよ。で、伝言はこう。私はお姉ちゃんのことを忘れる。だからお姉ちゃんも私を忘れてください。ここで過ごした日々は楽しかったです、と」

 

 アゲハはその伝言を聞くと、崩れ落ちるように、床に膝をついた。その目は虚ろだった。余程ショックが大きかったのだろう。ミギリは唇を噛んだ。この場において、自分は無力だ。立ち直る必要がある人に、その支援を、自分は何もすることができない。それは、悔しく、辛かった。

 ルビーが、ため息をついてアゲハに告げた。

 

「多分、あの子もこんなこと言うの、嫌だったと思うわよ。敵対するとしてもね。……私にも姉がいるから、何となく分かるのよ。こんな言葉でも、慰めにはなったかしら?」

 

「……ええ。気休めにはなったわ」

 

 アゲハは少し生気を取り戻した目で言った。そして立ち上がり、歩き出す。そして、ルビーとすれ違いざまに告げた。

 

「伝言、感謝するわ」

 

「どうも」

 

 ルビーはアゲハの方を向かずに答えた。そして、ルビーも踵を返し、会議室を出て行った。ミギリには、その背中が、とても頼もしく思えた。

 戦闘に参加する者たちが、皆あんな背中ならいいのだけれど——ミギリは悲観しながら、ルビーの背中を見送った。

 

        ***

 

 カレンは、病院として使われる体育館ではなく、保健室に運ばれた。まだ正午前のため、生徒の混乱を防ぐための措置だという。秀はカレンの見舞いに、レミエルとセニア、由唯とあずさを連れ、行った。

 青蘭学園の保健室には、アンドロイドの整備、また修復用の設備も、簡易ではあるがある。そのため、パーツさえあれば戦える状態にはできるらしい。

 秀たちはそこに入ると、まず何本ものアームが目に入った。全て自動でやってくれるようだ。そして次に見えたのは、眼鏡をかけ、白衣を着た黒髪の女性で、カレンやセニアの開発者、Dr.ミハイルだった(彼女は有名なので、秀も顔と名前くらいは知っていた)。彼女は秀たちに気がつくと、白衣のポケットに手を突っ込んだまま秀たちに歩み寄ってきた。

 

「カレンのことは心配しなくていい。一週間もあれば戦闘が可能なくらいに修復できるだろう。……もっとも、戦線が一週間持てばの話だがな」

 

「Dr.ミハイル、青蘭学園の戦闘力は、数ではT.w.dに劣りますが、個々の能力は非常に高く、また一騎当千の力を持った者たちが多いため、そして兵站などの状況からしても、戦線を一週間持たせることくらいは可能だと推測できます」

 

 セニアがミハイルに言う。ミハイルは、こめかみに指を当て、呆れたように告げた。

 

「セニア、それは数値だけの話だ。統合軍の兵士やアンドロイド、赤の世界や黒の世界の騎士なら、戦場で的確な行動ができるだろう。だが、青の世界の連中は集団戦に全く慣れていない。いくら異能が強くても、それではその辺の一般人に等しい。それに、精神的な負担もある。それらを加味した上で、一週間持たせられると言ってくれ」

 

 ミハイルの言葉に、セニアは首を傾げる。ミハイルはため息をついて、秀に向いた。

 

「とにかく、そういうことだ。お前らは戻って準備をしろ。正午まであまり時間がないのだからな」

 

 秀は「ああ」と頷くと、保健室を退出した。秀に続いて、レミエルたちも出てくる。全員が出たところで、レミエルが顔を赤らめながら言った。

 

「あの、その、皆さんは先に戻ってくれますか? 秀さんと二人きりになりたいので……」

 

 レミエルの言葉に、あずさや由唯は何かを悟ったような顔をした。そして、うんうんと頷くと、

 

「分かったわ。お熱いお二人ね、ホント。ねえ由唯?」

 

「そうね、あーちゃん。邪魔しちゃ悪いよね」

 

 嫌味っぽい笑みを浮かべて、あずさと由唯はセニアを連れてわざとしているように大股で去っていった。

 それを見送ると、レミエルは意を決したように秀と向き合った。そして、一つ深呼吸をして、少し恥ずかしそうに告げた。

 

「あの、一つだけ、約束をしてくれませんか?」

 

「約束?」秀が訊き返すと、レミエルは首を縦に振った。

 

「私の我が儘みたいな物ですけど……。もし、私が困ってたら、秀さんがいち早く助けに来てくれたら、いいなって。もちろん、逆も同様です。秀さんが困ってたら、私もいの一番に助けに行きますから……」

 

「それくらいなら構わないが」

 

 秀が告げると、レミエルの顔がみるみる歓喜の色に染まっていった。そして、一筋の涙を流して、言った。

 

「ありがとうございます……! とても、とっても嬉しいです!」

 

 秀は、このレミエルの顔が戦闘の前に見れただけでも、良かったと思った。もしかしたら、今日中に見れなくなってしまうかもしれないのだから。

 レミエルは、そのままの顔で続けた。

 

「あの、それでですね。指切りをしてくれますか? この約束を強く心に刻むために」

 

「ん? おう、いいぞ」

 

 秀は、右手の小指を差し出した。レミエルの、柔らかく、細い指がそれに絡まる。

 指切りげんまん 嘘ついたら針千本飲ます 指切った

 レミエルと声を重ね、少し弾んだ調子で言う。

 秀は、そういえば、とレミエルに話しかけた。

 

「そういえばさ、指切りって、何か契約みたいだな。嘘ついたら——この場合だと約束守れなかったらだろうが、針を千本も飲まされるんだろ?」

 

 レミエルは、秀の言葉に聞き入っていた。そして、二、三度繰り返し頷くと、

 

「確かに、そうですよね。じゃあ、魔法の一環なんでしょうかね」

 

「分からんが、とにかく針千本も飲まされたくないな。だから、約束はちゃんと守る。他でもないお前との約束でもあるしな」

 

 秀が言うと、レミエルは顔を真っ赤にしてポカン、としていた。そのようなレミエルの姿に、秀は微笑ましく思うと、教室に向けて歩き出した。

 

「そら、早くしないと置いてくぞ」

 

 すると、暫くしてレミエルは我に返ったようにハッとして、少し駆け足で追いかけてきた。秀は笑いながら歩みを遅くした。いつもなら更に早くするところだが、いつレミエルと別れることになるか分からない以上、そういうわけにもいかなかった。

 秀は携帯電話を取り出し、時間を確認した。正午まであと四十分程ある。そして、達也に電話をかけてみた。実はもう今日だけで三回達也に電話をしているのだが、その三回とも、達也に電話が繋がらなかった。そしてそれは、今回も同じだった。

 

(どうなってる……? 窓から見える範囲なら、街は人影が見えないくらいで、建物なんかは手付かずだ。電波妨害されてると考えるのが妥当か)

 

「……秀さん?」

 

 いつの間にか隣を歩いていたレミエルが、秀の顔を心配そうに覗き込んでいた。秀は「なんでもない」とだけ言うと、ふと窓の外を見た。遠くに見えるのは、暗い海と、人一人見えない街並み。近くに見えるのは、青蘭学園の塀を、黒色の戦闘服を着たT.w.dの構成員が、蟻のように群がっている様だった。

 

        ***

 

 青蘭島の一つの廃ビル内に陣取ったT.w.d本部陣営で、学園内でフィアとアルバディーナと合流したアイリスは、そこに居る構成員に、マユカたちの紹介をすると、ふと時計を見た。もうじき正午だ。あと十数秒か、そのくらい。

 正午になったその瞬間、何かが空を切る音が聞こえた。それは、まっすぐアイリスに近づいて来る。アイリスはそれを振り向かずに掴んだ。

 

「矢? 紙が巻いてあるから矢文か。これを送ってきたのは志藤凛花か、フェルノ・ガーディーヴァか……。矢が日本風だから志藤凛花の方かな。どちらにせよ、へえ、なかなか洒落てるじゃない。まあ、ついでに私を射殺そうと思ったんだろうけど、ツメが甘かったね」

 

 アイリスは、巻かれた手紙を開いた。そこには、拒否、の二文字。アイリスの予測通りだ。世界水晶を渡せと言われて、青蘭学園が渡すはずがない。

 アイリスは、その手紙を構成員たちに掲げて見せた。

 

「交渉は決裂した! これから、私たちの計画……Désespoir infini(無限の絶望)計画の、本格的な始まりだよ! ジュリアが命を賭してやってくれたこと、無駄にしないでね!」

 

 構成員たちが「総統! 総統!」と、次々に声を上げる。やがてそれは、拍動のように、一つの物として纏まりを持つ。この上ない一体感に、アイリスは強い絆を感じ、つい、喜びの笑みがこぼれてしまった。

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