Ange Vierge Désespoir infini   作:黒井押切町

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堕天

 自室の真ん中で、秀は、顔を真っ赤にし、正座して口をもごもごさせているレミエルと向かい合ってあぐらをかいている。アインスたちに見守られながら、中々話し出さないレミエルを見つめていた。

 この状況を用意したのはレボリューション部の面々だが、どうしてもレミエルが、自分の口で謝りたいということらしい。秀に心労をかけさせたことについて、責任を感じているようだ。

 レミエルは意を決したように表情を固めると、勢い良く床に手をついて土下座をした。

 

「迷惑かけてすいませんでした!」

 

「許す」

 

 秀は即答した。もとよりレミエルを責める気は無かったし、レミエルが復活したならそれでよかったからだ。

 秀が告げると、レミエルは顔を上げた。その顔がぱあっと明るくなると、秀に抱きついてきた。

 

「ありがとうございます、秀さん!」

 

「レミエル、変わったなお前」

 

 秀はレミエルの背中に手を回して、呆れながらに告げた。以前のレミエルなら、礼は言っても、抱きついてくるほど積極的でなかったはずだ。

 

「やっぱり大人になったってことでしょうか。たくさん、たくさん可愛がってくれましたしね」

 

 レミエルがさりげなく言った、その言葉で、場の空気が一瞬で気まずくなった。誰もどう反応すればいいかわからないようだ。

 しかしセニアだけ、レミエルに食いついていた。セニアはレミエルに詰め寄って尋ねる。

 

「大人になる、と、可愛がる、との間にどういう関連性があるのでしょうか。詳しく聞かせてください」

 

「どうしても言わなきゃダメかな」

 

 レミエルは、体を少しのけぞらせて、セニアから目を逸らした。その視線は、微妙に秀に向いている。何かを期待している視線だ。

 

(俺に助けを求めてるのかこいつ)

 

 秀は表情を消して、レミエルに「いやだ」と目で訴えた。レミエルが目を潤ませるが、秀は無視する。すると、レミエルは恨めしそうな目で秀を睨んだ。

 しかしすぐに、レミエルは、急にハッとしたように立ち上がると、部屋の外に駆け出していった。慌てて、秀はそれを追いかける。

 

「どうしたレミエル!」

 

 秀はレミエルの背中に向かって問うた。建物の外まで走ると、レミエルは立ち止まり、秀に振り向いて告げた。

 

「T.w.dが来ます。私の感覚が、(ハイロゥ)に大勢の者が接触したのを捉えました」

 

 レミエルはそう告げて、一瞬でいつもの紫の装束を纏い、左肩に金色の翼を広げ、左目を十字の入った金に変化させた。

 

「時間がありません。飛びます」

 

 レミエルが杖を秀にかざす。すると、秀は、青蘭島脱出の時にも使ったカプセル状の結界の中に入れられた。

 レミエルが飛び立つと、それに自然と秀が入った結界も追随する。眼下にはテラ・ルビリ・アウロラの街並みが見える。何も知らずに、誰もが不気味なくらいにニコニコ笑いながら生活している。何か裏があるのではと疑り深くなってしまうくらいだ。

 そのようなことを思うと、秀は街から目を逸らし、門の方に向いた。秀には何も分からないが、レミエルの言うことが確かならば、その向こうにはT.w.dの軍勢がいる。レミエルが誰にもそのことを言わなかったことに関しての真意は掴めない。

 レミエルは門の前で停止すると、秀にリンクを促した。言われた通りに秀がレミエルとリンクする。すると、レミエルは杖を体に引き寄せ、目を閉じて、祈りを唱えた。

 そうして起こったのは、雷を纏った、巨大な剣の顕現だった。そして、レミエルは自らを落ち着かせるように呟く。

 

「剣先は絶対に下に向けない。街には危害を加えないように」

 

 レミエルは目をカッと見開くと、ちょうど槍投げ選手のように、剣の柄を持った。

 そうしていると、やがて門から、青蘭島での戦闘の際、嫌という程見たT.w.dの戦闘服を着た軍勢が現れた。その瞬間、レミエルは門に向かって剣を投げた。その剣は門と衝突し、眩い光を放ちながら、徐々に徐々に消えていった。その光に呑まれた敵は、次々に、音も立てず消えていった。

 終には、テラ・ルビリ・アウロラの空には、二人の姿だけが残った。

 

        ***

 

 元青蘭学園校長室で、現T.w.d総統室。ブラインドは閉められていて日の光が少なくなっている。そこの、かつて青蘭学園の校長が座っていた椅子。それにマントをかけて、鎮座しているアイリスは、先発部隊の全滅の報をアルバディーナから受けると、したり顔で呟いた。

 

「保身だけを考えて裏切るような奴が、この先上手くいくはず無いんだよ」

 

 アルバディーナが顔を少し顰めるが、アイリスは気付きながらもあえて無視した。

 

「さ、各部隊に通達して。これからテラ・ルビリ・アウロラへの侵攻を始めるって。今回は私も前線に出るよ」

 

「ちょっとアイリス」

 

 アルバディーナは憤慨した様子で、アイリスに詰め寄った。

 

「青蘭学園から離反して来たあの子たちに関してだけど、いくらあなたが裏切る、という行為を嫌ってるとは言え、あまりにも処理が雑すぎる。他の手はなかったの?」

 

 アルバディーナは、アイリスの顔に息がかかるくらい接近している。どうやら、だいぶ癇に障っているらしい。

 

「あれは赤の世界の人に、私たちの戦力を誤解させるためだよ。青の世界から逃げてきた人たちは私たちを知ってるけど、赤の世界の人は、そういう人から伝え聞いても実際の目で見たものを信じるだろうからね」

 

 アイリスは、アルバディーナに気圧されることなく、面と向かって言った。対し、アルバディーナは唾がかかるくらいに怒鳴った。

 

「そういうことじゃない! ひと通りの訓練を受けさせて、戦闘員として戦力の補充をするとかいう、有用な選択肢はあなたに無かったの?」

 

「裏切り者を使ったら、いつ私たちを裏切るか分からないじゃん。いくら能力が優れていても、そんなのに私は背中を貸す気になれないね。みんなだってそう思ってるんじゃない?」

 

 アイリスがそう返すと、アルバディーナは言葉を止めてしまった。そこに、アイリスは更に続けて言った。

 

「それに、アルバディーナも分かってるはずだよ。このT.w.dは信頼によって成り立つ組織だって。裏を返せば、全員の信頼に足る人物以外は、みんないらないってこと。私の言いたいことは分かるでしょ」

 

 アルバディーナは黙っている。彼女の眉間には皺が寄っていて、簡単にアイリスの言うことを認めたくないと見える。やがて、折れたように大きなため息を吐いた。

 

「分かったわよ。けど、次にこういうことがあったら、もう少し考えた使い方をしてくれる? 兵力も、人材も無限にあるわけじゃないのよ」

 

 アイリスは、その頼みを了承した。アイリスは感情が前に出がちなことを自覚してはいるから、アルバディーナの言うことは、合理的に考えればもっともであった。

 その後、アルバディーナが退出しようとした時、アイリスはその背中に告げた。

 

「ひとつ補足させてもらうと、裏切り者全体が許せないんじゃなくて、裏切った後に自分に降りかかってくることを、いいこと悪いこと全部含めて覚悟せずに裏切るやつが嫌いなんだ。それだけ、覚えていて」

 

 アルバディーナは、半身振り返って、「わかったわ」とだけ返事をして、部屋から出た。

 彼女の足音が聞こえなくなったところで、アイリスは大きなため息をついた。最近、アルバディーナとは意見が噛み合わないことが多い。アイリスはT.w.dの人員の感情に配慮した考えを、アルバディーナは組織のための、合理的な考えをすることが多い。これらのうちどちらが正しいとは、アイリスには判断がつかない。

 

「やっぱり議会とか作った方がいいかな。昔は私の一存で組織を回せたけど、そういうわけにもいかなくなってきたみたいだし。理想の実現のためにも必要だよね、きっと」

 

 そう呟いて、議会の構想を練ろうとしてしまったところで、はたと我に返った。議会よりも、もっと重要なことがある。真の理想の実現のために。

 

「もうすぐ出撃の時間だ。みんなが待ってる。議会の設立は、色々なことが落ち着いてからにしよう」

 

 アイリスは椅子から勢いよく立って、マントを豪快に羽織り、校長室のドアを勢いよく開けた。ドアノブは妙に軽かった。はてなとドアの外を伺うと、少し驚いた様子のリーナがいた。目が合うと、彼女は機敏な動作で姿勢を整え、敬礼した。

 

「総統殿がいらっしゃるのがやや遅いと感じて、私の独断で呼びに行こうとお思いした次第であります。お気に障りましたら、何なりと処罰を」

 

「いや、大丈夫だよ。問題無い」

 

「ありがとうございます」

 

 リーナは深く一礼した。それから、アイリスとリーナは講堂に向かった。その道中で、アイリスはリーナに話しかけた。

 

「人間解放軍のみんなには居留守を任せてるから、なんだか悪いね」

 

 その言葉に、リーナは前を向いたまま堅苦しい言葉遣いで答えた。

 

「いえ、本隊のいない本拠地をお守りするのも立派な務めのひとつであります。青蘭学園は我々に任せて、総統殿は思う存分暴れてくださいませ」

 

「そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 アイリスは短く受け答えした。前を見れば、講堂の扉はもう目前だ。彼女の理想の実現に最も必要な、絶対に失敗できない闘いが、幕を開けようとしている。

 

        ***

 

 レミエルは、報告のためにユラの神殿に行った。テラ・ルビリ・アウロラのシステムとして、何かしらのトラブルがあった場合には、その関係者などが、近くの神殿の主の女神に知らせ、その女神である程度解決できたら、七女神の元に知らせる、というものらしい。とはいえ、レミエルがほぼ解決してしまったも同然なので、報告のみで終わる。

 レミエルが報告から帰ってくるまでの間、秀は待ちぼうけだ。とりあえず、秀は街を歩いてみることにした。一人で歩くことで、何か見えるかもしれないと考えたからだ。

 相も変わらず、殆どの人が出来すぎている程に、顔に笑みを貼り付けている。秀は、その考えは思い込みかもしれない、と少なからず思っているが、やはり不気味さを禁じえなかった。

 十分ほど歩いただろうか。気が付けば、レミエルの実家の前にいた。街の住人で唯一、知っている人がいるところだからだろうか。秀には自分でも納得できるような理由付けが出来なかったが、深く考えないようにした。

 目的も無いが、せっかく来たのだからと、秀はノックしてみた。すると、すぐ返事が聞こえて、木が軋む音がして、木のドアが開いた。

 

「あれ、あなたが来るなんて」

 

 レミエルの母は、秀の来訪が意外だったのか、弛んだ目を丸くしていた。

 

「なんとなく。話題も無いが、できたら話がしたいと思って」

 

 秀は少し緊張して、素っ気ない声でそう言った。しかし、レミエルの母は快くリビングに通してくれて、椅子に座ることを勧めた。秀は、何も考えずに座った位置が、前にレミエルと共にこの家に来た時に、レミエルが座っていた場所だと気付いた。

 しかし、それについては深く思考せず、秀を通した後、茶を出すためにキッチンに入った、レミエルの母の後ろ姿を見つめていた。ふとその姿が、いつかのカミュの姿と重なった。

 それで、秀はカミュのことを思った。彼女の細かい表情や仕草、頭をかき撫でる手の動きや、太ももの感触。それらが、奔流の如く秀の心の内を駆け巡った。だが、その末に想起したのは、白い軍服を返り血で赤に染め、血の滴る日本刀を携えたカミュの姿だった。敵としての、T.w.dとしての彼女。秀が最も忌避した彼女を、思い出してしまった。それで、夢想は終わってしまった。

 

「大丈夫?」

 

 我に帰ると、レミエルの母が秀の顔を覗き込んできていた。言われて、秀は自分が涙を流していたことに気がついた。

 

「目にゴミが入っただけだ、気にするな」

 

 秀は平静を装い、涙を急いで拭いた。それを見たレミエルの母は、ふっと笑って、ティーポットとカップをテーブルに置いて秀の向かいの席に着いた。

 

「そういうことにしておくよ」

 

 そう言いながら、レミエルの母が茶をカップに注ぐ。彼女はおもむろにその茶を飲むと、口を開いた。

 

「あの子は、あれからどうだい?」

 

 きまりが悪そうな表情をしながら、レミエルの母は尋ねてきた。あの子とはレミエルのことだろう。経緯を細やかに話すと、レミエルの母の反感を買うかもしれないと思い、秀は簡潔に話すことにした。

 

「ついさっきまで紆余曲折あったが、今は元気だ。ただ」

 

 秀はこの先を言おうか迷った。この先に言おうとしていることはあくまで秀の憶測で、間違っている可能性も否めない。

 数秒悩んだ挙句、秀は続けることにした。

 

「あんたやユラ達のことは、多分許していない。そもそも、あれからあんた達に関することを何一つあいつは言っていない」

 

 秀が言い終えると、レミエルの母は、何かに耐えるように、拳を握りしめていた。だが、少ししてからその手を開いて、秀を真っ直ぐに見つめて告げた。

 

「どんな形でもいいから、私はあの子の幸せを第一に願ってる。たとえあの子が私を殺しに来たって、最後まであの子が幸せになることを祈る。軽いって言われるかもしれないけど、これが、あの子から幼少期の幸せを奪った、私の罪滅ぼし」

 

 秀は、レミエルの母の言葉を反芻してから、席を立って告げた。

 

「あんたの言葉、確かに受け取った。それと、やっぱりあいつは、あんたと腹を割って話すべきだ。今度ここに来るときは、あいつも連れて行く」

 

「本当に、連れて来てくれるのかい」

 

 レミエルの母は、震える声で秀に尋ねた。秀はそれに頷きを返す。すると、レミエルの母は安堵したようにため息をついた。

 それから、何気ない世間話を小一時間ほどして、秀はレミエルの家を後にしてユラの神殿への帰路に着いた。五分くらい歩くと、秀を呼ぶレミエルの声が、後ろから聞こえた。

 振り返ると、私服のレミエルがそこにいて、少し怒ったような表情を浮かべていた。

 

「探しましたよ。勝手にいなくならないでくださいよ」

 

「それは悪かった。報告は済んだみたいだな」

 

「はい」

 

 秀には、そう答えるレミエルの表情に、少し翳りがあるように見えた。そのことを尋ねると、レミエルは一瞬虚をつかれたように顔を固まらせたが、すぐに「なんでもないです」と答えた。秀は、その表情の変化が気になったが、特に追求しないことにした。今はレミエルの精神が安定してきているとはいえ、まだ安心できない。みだりに彼女の心を惑わすようなことを言うのは避けるべきだ、という判断を下したからだ。

 二人がユラの神殿に戻ろうと方向を変えた。すると、青年から老人まで、およそ十数名のテラ・ルビリ・アウロラの住民たちが、秀たちの前に、道を塞ぐように立っていることに気がついた。彼らの視線は、少なくとも好意的なものには思えなかった。

 そのうちの一人の青年が、古代ギリシア調のゆったりとした服を風に靡かせながら、おもむろに歩み寄ってきて、秀には想像もつかなかったことを言った。

 

「あんたたち、余計なことをしてくれるなよ」

 

 秀は目を白黒させた。青年の言う「余計なこと」の心当たりがつかない。混乱している秀をよそに、さらに青年は続けて言った。

 

「我々住人には抵抗の意思は無い。ふざけたことをしないでくれ」

 

「彼らが世界水晶を望むならば、我々は喜んで差しだそう。争いが起きないならばそれで構わない」

 

 青年に続いて、一人の老人が理解に苦しむことを言った。

 秀は、彼らの考えが分からなかった。確かに、レミエルは門から到来したT.w.dの軍団を問答無用で全滅させた。確かに、そのことには非があると言われても仕方が無いから、それを責められるなら理解できた。しかし、抵抗の意思も無く、世界水晶に対する執着も無い。そのような彼らの考えが信じられなくて、ついに秀は耐えかねて怒鳴ってしまった。

 

「お前たちは頭がおかしい! 侵略者に対して抵抗の意思もなく、世界の象徴とも言える水晶を差し出すなどということが、どうして簡単に口にできるんだ!」

 

 しかし、秀の言葉は住人たちには届いていないようで、彼らは不思議そうな目で秀を見ていた。そのことが、さらに秀の怒りを掻き立てた。

 

「お前たちは自分たちの世界をなんだと思っているんだ。ただ居住するためだけの場所か!?」

 

「愛すべき故郷だ」

 

 秀の言葉に誰かが答えた。その答えはまるで火に注がれる油のように、秀の剣幕を激しくした。

 

「だったら! たとえ自分の命を犠牲にしてでも、自分たちの世界の盾になろうとするのが普通だろう! お前たちが最も愛するのは世界の光景か? そうじゃないだろう」

 

 秀はさらに捲し立てようとしたが、レミエルが秀を抑えるように秀の手を掴んで、秀に耳打ちした。

 

「この人たちに何を言っても無駄です。だから秀さん、抑えて」

 

「どういうことだ」

 

「あの人たちは根っからああいう考えをするように刷り込まれてるんです。だから、あの人たちが自分自身の認識を変えようと心の底から思わない限り、私たちにはどうすることもできません」

 

 そのレミエルの言葉で、秀はさらに混乱した状態に陥りそうになった。しかし、いちいち意味不明なことについて考えるの馬鹿らしいと思い直して、頭を一度落ち着かせようとした。だが、一度血が上りきった頭がすぐ落ち着くはずもなく、また、言い始めた意見を途中で止めるのは、非常に気分が悪かった。

 

「お前の言うことは分かった。だがひとつだけ言わせてくれ」

 

 秀はレミエルの手をどけた。レミエルは観念したのか、再び止めようとはしなかった。

 心の中でレミエルに礼を言いながら、秀はテラ・ルビリ・アウロラの住人たちに軽蔑の目線を向けて言い放った。

 

「故郷を守るというのは、たとえ全滅してでも、その地に根付いた文化や伝統、誇りを守り抜くことじゃないのか!? その気が無いお前たちなど、人間の屑だ。犬畜生以下の、生きている価値の無いクソッタレだ!」

 

 秀が言い切ったその時、住人たちの秀に対する視線が変わった。敵意の消えた、しかし、まるで障害者を哀れむような、秀にとって陵虐的な視線だった。

 

「きっと戦い疲れて気ちがいになってるのよ」

 

 一人の中年女性がそう言った。その一言が、さらに秀の神経を逆撫でした。いよいよ我慢できなくなって掴みかかろうとしたその時に、急に住人たちが道を開けた。秀は何かあったのかと開けた道の先を見ると、ユラがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 彼女は住人たちを一人一人一瞥しながら歩いてきて、秀の前で立ち止まった。

 

「話があります。ついて来てください。それから、レミエルも」

 

 そう言って、すぐユラは踵を返して神殿に向かって早足で歩き出した。秀もその背中について行こうとしたが、レミエルは、躊躇っているように足を地にべったりと付けていた。恐らくはついて行くのが怖いのだろう。

 

「レミエル。行きづらいのは分かるけれど、ここにいるよりは余程マシだろう」

 

 秀は言い聞かせるように言った。すると、レミエルは渋々といった感じで、秀の手に指を絡ませてきた。手を引け、ということだろうか。レミエルは何も言わない。ただ、目を伏せて頬を染めているだけだ。

 秀はやれやれ、と微笑して、レミエルの手を引いた。歩幅は小さく歩みも遅いが、レミエルはちゃんとついてきた。

 やがて、古代ギリシアの神殿のように、突き出た屋根を五、六本の巨大な石柱が支えている、ユラの神殿の入り口まで来ると、ユラがため息を吐いて立ち止まった。

 

「ここまで来れば安心でしょう。話を聞かれる心配も無いはず」

 

 それからユラはまず秀たちに謝ると、日の光が映える漆喰の町並みを眺めながら、物憂げに話し始めた。

 

「あの人たちは、平民階級の戦闘能力の無い人たちは、みんなああなんです。ただ、平和を病的なまでに求めるのは彼らだけです。私たちのような戦闘能力のある者はこの世界を守る義務がありますから、あのような考えを据え付けられることはありません」

 

 そのユラの言葉を聞いて、秀は少し安心した。全員が全員、あのような屑にも劣る考えをしていないのだと思うと、救われるような気分にもなった。

 

「話らしい話は以上ですね。話がある、というのはあなたとレミエルをあの場から遠ざけるための方便ですし。何か聞きたいことはありますか?」

 

 まるで、それがあることを確信しているような尋ね方だった。秀は頷くと、単刀直入に聞いた。

 

「なんの目的があって、あの連中に据え付けたり刷り込んだりしている?」

 

 ユラはすぐそれに答えようとして、やめた。秀がどうしたのかと思っていると、いきなり秀の手を引いて、一番端の石柱の影に連れ込んだ。その際、一瞬だけレミエルの目が禍々しく光ったような気がした。

 

「他の世界出身の者に話していいのか分かりませんが、話さねばあなたは納得しないでしょう。露見しても大事ないとは思いますが、くれぐれも内密に」

 

 ユラが声を潜めて耳元で囁いた。秀は小さくかぶりを振って同意を示した。

 ユラの話はこうだった。遥か昔、テラ・ルビリ・アウロラの住人たちは野蛮で、争いが絶えなかったらしい。その頃から七女神の統治がなされていたらしいが、実際のところ、その権威はあって無いようなものだった。しかし、住人がいくら争って死のうが、七女神には実害が無かったため、放置していたとのことだ。

 ところが、ある時から、住人たちが七女神の殺害を試みるようになった。その存在意義に、誰かが疑問を感じたのが発端らしい。最初は刺客が一人二人やってくる程度だったが、やがて老若男女を問わずテラ・ルビリ・アウロラ中の人間が一斉に七女神を殺しにきた。撃退はしたものの、その戦いの爪痕は凄惨で、生き残った住人はほぼおらず、世界もすっかり荒廃してしまった。そこで、七女神は世界を創りなおした。決して争うことの無いように、生まれた時から七女神の力によって狂気的な平和主義を刷り込まれた住人と、万が一反乱を起こした場合にそれを鎮圧できる力のある天使と妖精、下級女神と一部の人間を創りだした。これが経緯とのことだ。

 

「お前には悪いが、七女神が情け無い存在に思えてきた」

 

 秀は話を聞き終えた後、率直に言った。ユラは一瞬だけ顔を顰めたが、少しの間をおいてからため息を吐いた。

 

「私たちには七女神様への絶対的忠誠心が植え付けられてますから、全くそういう発想に至らないのですが、他の世界の人間にはそう捉えられるんでしょうね」

 

 ユラは肩を落としながら言った。彼女の言を聞いたとき、秀は、平和主義など刷り込まなくても忠誠心だけで良かったのではと思ったが、すっかり落ち込んでいるユラを見ていると、そのことを言うのが可哀想に思えてきた。

 

「じゃあ、俺は宿舎に戻るよ」

 

 秀がユラに背を向けて帰ろうとすると、

 

「待って!」

 

 ユラが秀の制服の袖口を掴んだ。彼女は目に涙を溜めて秀に視線を向けている。秀が戸惑っていると、ユラは縋り付くように体を寄せた。

 

「レミエルに、もう友達として接してこないでって言われました」

 

 秀は驚きを隠せずに、ただ目を剥いていた。ユラは秀の胸に顔を押し付けて、嘆くように吐露した。

 

「私が悪いっていうのは分かってます。あの子の人生を操作するのに加担していたんですから。でも、私はそれは最初だけで、仮の友達としてあの子と出会って一ヶ月を過ぎたあたりから、私はあの子を本当の友達として見るようになったんです。あの子も私を友達として見てくれてたから、計画が終わったら、裏表なくあの子と仲良くしたかったんです」

 

 ユラの言葉はそこで止まった。まだ何かを言おうとしているようだが、口から出るのは嗚咽のみだ。

 

「話はそれだけか?」

 

 秀はユラの頭を撫でながら困ったように尋ねた。ユラは秀の胸に顔を埋めたまま、小さく首を横に振った。落ち着くまで待ってくれということだろう。

 やがて、ユラは顔を上げた。まだ目は赤いが、視線に弱々しさは無かった。

 

「私は、青春をあの子ともう一度やり直したい。我が儘って言われてもいい。けど、心に裏表の無い、あの子と本当にやりたかった青春を、私はやりたいんです。そのためにも、あの子と仲直りしたい」

 

 ユラの言葉を聞いて、秀は少し考えてから、ため息を吐いておもむろに口を開いた。

 

「まあ、いざT.w.dと戦闘するってことになったときに、上と下でプライベイトなイザコザがあると困るしな。仕方ない。仲直りの場を作ってやるよ」

 

 そう言うと、ユラの顔がぱあっと明るくなって、彼女は深く頭を下げた。その行動に秀は戸惑って、そのことを隠すように場を離れながらユラに言った。

 

「ほ、ほら、丁度いいことにレミエルがまだ待っててくれてるから、早く行こうか」

 

 ユラは無邪気に頷いて、秀の後ろに着いた。

 秀は、ユラの様子に微笑ましく思う一方で、一抹の不安を感じていた。アインスのお陰でようやく外に出られたとはいえ、レミエルの今日の言動を見る限りだと、まだまだ彼女の精神は不安定であると思える。恐らくは秀がレミエルとユラの話に立ち会ったほうが何事もなく過ぎるのだろうが、腹を割って話させるのなら、二人だけの空気を作った方がいいかもしれない。

 そのような迷いも晴れぬまま、秀たちはレミエルの待っているところまで着いてしまった。仕方なしに、秀はレミエルが何か言う前に口を開いた。

 

「ユラが話したいことがあるそうだ。俺は宿舎に戻るから」

 

 秀はそう言うと、素早く宿舎に戻るフリをして、石柱の影に隠れた。こうすれば、うまく二案を折衷することができる。何かあれば、すぐに飛び出すつもりだ。

 秀は今にでも駆け出すことができるよう準備をして、息を潜めてレミエルとユラを見守ることにした。

 

        ***

 

 レミエルは、非常にストレスフルな状態にあった。大変鬱陶しい、胸中のわだかまりを感じる。原因は明白だった。秀とレミエルの母や、ユラとの会話を盗み聞きして、彼女らの姿勢を見ていると、己が今まで取ってきた態度が惨めに思えるのだった。

 

「あの、レミエル」

 

 ユラが恐る恐る話しかけてくる。悪意は無いと分かっているはずなのに、彼女の一挙手一投足が、レミエルの心に揺さぶりをかけてくる感じがした。

 レミエルは自分を制止しようとして、拳を握りしめて、下を向いて黙っていた。この態度を無視したと取ったのか、ユラは落胆したように肩を落とした。

 

「やっぱり、怒ってるよね。過去の私の非道な行為を顧みたら、当然だもの。でも、我が儘言うようで悪いけれど、私の話を聞いてくれる?」

 

 レミエルは、小さく頷いた。彼女にできる、精一杯の返事だった。ユラはレミエルが反応したのが嬉しかったらしく、少しだけ溌剌とした風で話し始めた。

 

「私、やり直したいんだ。あなたとの青春を。もちろん、これまでのことを水に流そうなんてことは言わない。けれど、あなたのことが大好きだから、このままじゃいられないんだ」

 

 ユラは一旦言葉を止め、勢いよく息を吸い込んで、深く頭を下げた。

 

「だから、ごめんね。謝って許されることじゃあないって分かってる。でも、一度でも謝らないと、気が済まなかったの。これで、私からはもう言うこと無いから、せめて、返事だけでもくれないかな?」

 

 レミエルの心で、苛立ちが激流となって渦巻き始めた。ユラも、母も、自分の過ちを認めつつ、それぞれ彼女ら自身の考えに基づいて前を向いて進もうとしている。それにひきかえ、レミエル自身は——。

 

「い、や」

 

 掠れた声が出た。涙が溢れてくる。拒絶してばかりの自分に嫌気がさしてきた。レミエル自身は被害者で、その権利があって、誰も、レミエルがその権利を行使しても責めることは無いと分かっている。だが、ユラと母の、受け入れて前に進もうとする態度を見ていると、拒絶して進もうとしている自分が、非常にちっぽけな存在に思われた。

 かつてレミエルを支配していた、劣等感が蘇る。気色が悪い。寒気がする。膝をついて頭を抱えた。青の世界で得た様々なことが、どんどん失われて、また以前の自分に戻っていく気がした。

 

「レミエル!?」

 

 ユラがレミエルの異常に気がついたのか、慌てて手を差し伸べてきた。その手がレミエルの視界に入った瞬間、レミエルは反射的に、その手を跳ね除けてしまった。

 その瞬間の、ユラの失意に満ちた泣き顔が、レミエルの脳に焼き付いた。その刹那、レミエルは激しい後悔を覚えた。そして、猛烈に居た堪れなくなって、天敵を目にした獣のように、一目散に逃げ出した。その時、背後から石に硬い何かが当たる音がした気がした。

 

        ***

 

 秀は、レミエルがユラの手を弾いたのを見て、すぐに飛び出そうとした。だが、何者かに羽交い締めにされ、阻まれてしまった。

 

「今あなたが出て行ったってどうにもなりません。諦めてください」

 

 聞き覚えのある声だった。振り解いて、犯人を見てみると、そこには真顔のエクスシアがいた。秀は、エクスシアが初対面の時に見せた、間の抜けた感じの態度とかなり違っていて、意外に思った。一瞬だけ呆然としていたが、すぐに我に返ってレミエルとユラの元に行こうとして、柱から体を乗り出すと、レミエルの姿はとうになく、立ち膝で虚空を見つめるユラの姿だけがあった。

 

「ユラに言葉をかけるのもダメですよ。私の方が付き合いが長いので、私が慰めます。ですからあなたは宿舎に戻ってください。くれぐれもさっきの出来事に関してレミエルに話さないように」

 

 まさにそうしようとしていた時に、エクスシアに右手首を掴まれた。そう言われては仕方がないので、秀は渋々とどまった。レミエルに先程のことについて話すな、と言うのも、冷静に考えれば合理的なことだ。恐らく、レミエルはあの場に秀がいたと知ってしまえば、更に精神が不安定になってしまうに違いない。悔しいが、放っておくか、事情を詳しく知らない者に任せるのが一番だろう。秀はそう判断した。

 

「分かった。大人しく宿舎に戻るよ」

 

 秀はエクスシアの手を振り解いて、踵を返して速足で宿舎に向かった。振り向きざまに、エクスシアが深く礼をしているのがはっきりと目に焼きついた。

 

        ***

 

 レミエルは涙を流しながら、ただただ走っていた。周りは見ておらず、行くあても無い。出来るだけ遠くへ行きたかった。

 体が疲労を感じ始めた時、誰かとぶつかった。その反動で転んだレミエルには、立ち上がる気力は無かった。体は起こしたものの、日に照らされて熱くなっている石畳の上で座り込んでしまった。

 

「あんなに走って、どこへ行きたかったの、レミエル」

 

 ぶつかった者から、声をかけられた。顔を上げるが、日の光の逆光で姿はよく見えないが、そのシルエットで、誰かは判別できた。

 

「シャティー」

 

「せっかく元気になったのに、また暗くなってどうするの」

 

 レミエルの、転んで一度止まった涙が、また流れ出してきた。そして、気がつけば、レミエルはシャティーに抱きついていた。

 

「助けて、助けて」

 

 弱々しく縋るレミエルの背中に、シャティーは優しく手を回した。親友とまではいかないが、なんのしがらみもなく、気の置けない友の優しさが、レミエルにはありがたかった。

 

「とりあえず、私の家に行こ? すぐ近くで、ちょうど帰りだったの」

 

 レミエルが泣き終えた頃に、シャティーがそう提案してきた。レミエルには断る理由も無く、また宿舎に戻るより気が楽だろうと考えたため、シャティーに合意した。

 その後数分歩いて、シャティーの家に着いた。外観も内部も普通のテラ・ルビリ・アウロラの民家で、漆喰の壁に囲まれた、一階建ての石造りの簡素な家だ。

 

「この家は私一人だから、気楽にしてていい」

 

 シャティーは何でもないように言いながら、リビングの中央のソファに座った。そして、シャティーは彼女の隣の、人一人座れるくらいのスペースのところをぽんぽんと叩いた。座れ、ということだろう。レミエルは頷いて、シャティーの隣に座った。そして、やって来たT.w.dを全滅させたところから、つい先ほどまでのユラとの会話のところまでを話した。話すことに抵抗はあったが、話さねば何も始まらない気がした。

 レミエルが話し終えると、シャティーは懐古するように、天井を見ながら語り出した。

 

「私にも、そういう時期があった。レミエルに比べたら軽いけど。アルドラに裏切られて、青の世界の人間を拒絶して、それで、それ以外の世界の人からも疎まれてた。居場所を失ったのは辛かったけど、それを口に出すことは決してなかった」

 

 レミエルは、その話をどこかで耳にしたことがあった。それで、彼女が青の世界の人間が主宰するレボリューション部に入ったのはおかしな話だと思ったことも思い出した。

 

「そんな時に、しつこく勧誘してきたのがあずさだった。最初は拒否したし逃げた。何か裏があるんだろうって。だけど、あずさは諦めずに勧誘してきた」

 

 不意に、シャティーがレミエルに視線を移した。その紫水晶のごとき瞳が、レミエルにはとても美しく感じられた。彼女のまなこに吸い寄せられるようだった。

 

「あずさの行動が、裏表のない、真心のこもったモノと分かった時に、私はあずさを受け入れて、レボ部に入った。それからの生活は幸せのひとこと」

 

 そう言って、シャティーは笑った。屈託のない、美しい笑顔だ。可憐とはまさにこのことだろう。

 

「レミエルは、ユラとよりを戻すか戻さないかの判断を、自分でするのに決めかねてるのよね」

 

 レミエルは頷いた。だから、どちらか一方に自分を押してくれる人を求めたのだ。

 

「私は、真心を以って、真摯に訴えてくれる人とは、仲良くすべきだと思う。勿論、その人と一緒にいることで、劣等感に苛まれることも多々あるかもしれない。だけど、その人はあなたのことを生涯愛してくれるはずだから、そういう人を大事にしていくべき」

 

 シャティーの言葉について、レミエルは考える。母にせよユラにせよ、レミエルがいないと思っているときに言ったあの言葉には、嘘偽りは無いと考えられる。そして彼女らの言葉から感じられたのは、彼女らの非道に対する後悔と、レミエルに幸せになってほしいという確かな願いだった。レミエルはその言葉を聞いたとき、確かに嬉しかったのだ。だが、それはすぐに、自身の、彼女らとは関わる気はないという無言の宣言、乃ちこだわりによって嫌悪感に変わり、劣等感を自覚させ、彼女らを拒否するに至った。俯瞰してみれば、何と陳腐なことをしていたのだろうと、レミエルは呆れた。可笑しくって腹がよじれそうだった。

 

「ありがとう、シャティー。私、仲直りするの頑張ってみるよ」

 

 レミエルがそう意気込むと、シャティーは嬉し恥ずかしといった感じで、顔を崩しながら頰を掻いた。

 

「その気になったようで嬉しい。今日レミエルを助けるのを、アインス一人に任せちゃったことの罪滅ぼしにもなる」

 

 シャティーはレミエルに対し罪の意識を抱いていたようだ。レミエル自身は、アインス以外の者が説得に来なかったことに、何の恨みも無かったのだが、責任を感じてくれたことは嬉しかった。

 レミエルとシャティーは互いに笑い合った。以前まで、呼び捨てで呼び合う仲と雖も、そこまで親しいわけではなかった。しかし、シャティーは真摯にレミエルを助けた。持つべきものは友達だという言葉が、レミエルには感慨深く感じられた。

 

「じゃあ、私行くね。まずは一番近いお母さんかな」

 

「うん。じゃ、そこまで送ってく」

 

 レミエルとシャティーが家を出たその時、少女の声がこだました。その声は、かつて青蘭島で聞いた、T.w.dの声明の声と同じであった。レミエルはハッとして空を見上げると、先ほどの者たちとは、発する雰囲気が明らかに違う、T.w.dの黒い装束を纏った集団が、門から日を背に降りてきていた。声と合わせて考えると、彼らがT.w.dの本隊だろう。レミエルは不覚にも、背筋が凍るような戦慄を覚えた。

 

        ***

 

 美海、ソフィーナ、ユーフィリアが、夕方のアウロラの神殿の中庭で、戦闘の特訓をしているところに、ルビーが血相を変えて飛び込んできた。

 

「ルビー、どうしたのよ」

 

 ソフィーナは、特訓を邪魔されたのが気に障ったのか、怪訝そうに尋ねた。

 対し、ルビーは血走った目で、息を上らせながら、ソフィーナたち三人に告げた。

 

「T.w.dがこの世界への侵攻を始めたそうよ。レミエルが撃退したって」

 

 三人は、雷撃を受けたように固まった。そして、すぐさま全員の表情が引き締まった。

 

「とうとう来たわね」

 

 ソフィーナは短く言った。そこまで動揺はしていない。青蘭島から脱出して、一週間あまりが経った今なら、T.w.dが来ても十分に考えられる。

 

「とにかく、アウロラちゃんのとこに行こうか。私たちに出来ることをしよう」

 

 美海が、四人の中心に立って言った。美海は、脱出前に比べれば元気になった。が、それが空元気かどうかは、ソフィーナには区別がつかなかった。 しかし今はそれを気にしている余裕は無く、また美海の提案に反対する理由も無いため、四人揃ってアウロラのところに向かった。

 その道中で、ルビーの頭の中にノイズが発生したような感覚がした。そして、聴覚を通じて、少女の声が聞こえた。

 

「T.w.d総統のアイリスだよ。七女神の最高神、アウロラとの対談を求める」

 

 アイリスと名乗る少女の声はそう響いた。この声は青蘭学園に放送を入れてきた時も聞いたが、その時とは雰囲気が少し違うと、ルビーは感じた。

 

「私がアウロラです。何をお望みですか」

 

 アウロラの、堂々とした声が聞こえた。七女神の最高神として相応しい、威厳溢れる響きだ。

 

「私たちは、赤の世界水晶と、一時的な赤の世界の実行支配権を望む。これらを受け入れられるのなら、赤の世界を戦場にするようなことはない」

 

「先に尖兵を送ってからそう仰るのですか」

 

 アウロラの声から苛立ちが感じられた。確かにアイリスの言葉を聞いていて、ルビーも違和感を感じていた。アウロラの言う通り、先に攻撃を加えておいて、それを無かったかのように言うのはおかしい。

 

「まずあなた方の非礼を詫びてから話をしてください」

 

 アウロラの要求に対し、アイリスが最初に返したのは大きなため息だった。

 

「あれはそっちの誰かが全滅させたから、一旦私たちが手を引いただけで、むしろ非礼な行いをしたのはそっちなんだけど。でも、こんな議論をしに来たんじゃないんだ。要求に対して何かしらの返答をしてよ。タイムリミットは今日。日が完全に沈みきった時ね」

 

 それまでに返答が無ければ、問答無用で武力行使に出る、と言ってそれきり、アイリスの声は消えた。

 ルビーたち四人は互い互いに顔を見合わせると、決意を固めたように四人同時に頷いて、アウロラのところへ駆け出した。日は地平線に接しようとしている。あと一時間半ほどで日は沈みきってしまうだろう。そのことが、四人の焦燥感をより一層掻き立てた。

 

        ***

 

 アイリスたちは、T.w.dの本陣を、アウロラの神殿の近くの森の中に構築した。守備隊は、土地勘のある赤の世界の兵士階級出身の者で固めてある。下手に他世界の者で守っても、特に夜は連携が取れないだろうと、アイリスと幹部たちで判断したからだ。

 

「最後の確認ね。作戦としては、街からアウロラ神殿に続くみっつの大街道を通って神殿を襲撃。敵もそこを押さえてくるだろうから、苦戦は避けられないけれど、ひとつでもこちらが押さえれば勝ちも同然だから、頑張って」

 

 アイリスは、本営にて戦闘前の最後のブリーフィングを、各部隊の指揮官に対して地図と指示棒を使って行っている。先のアウロラの様子では、戦闘になるのはほぼ必然に思えた。

 

「それで、私がマユカを連れて目的のモノを取りに行くって感じね。その影響で、総司令官としての采配はアルバディーナに振るってもらうよ。わかってると思うけど、一応ね」

 

 アイリスが言い終えると、アルバディーナが挙手をして立ち上がった。彼女の眉間には、シワが濃く刻まれていた。

 

「私たちは、あなたが何処に何を取りに行くのか、何故あなた自身が取りに行かないといけないのか、それらを全く聞かされていないのだけれど、いい加減聞かせてくれないかしら」

 

 アイリスは何も言い返せなかった。実際、アルバディーナの言う通りで、今のところ、目的のモノが何か知っているのは、アイリスとあと二人だけだ。アルバディーナの質問に答えるためには、目的のモノが一体何なのかを話す必要がある。このことばかりはアイリスにはできないのだ。

 

「本当に悪いって思ってるけど、こればかりは手に入れるまで誰にも言えないんだ。手に入れたら、内容も、私の思惑も全部話すから、お願いだから今は堪えて」

 

 アイリスは頭を下げた。誰がどこで何を聞いているのか分からないが故に、誰にも話すわけにはいかなかった。もしそれが漏れて敵に知られてしまえば、入手は困難になってしまうだろう。

 

「ちゃんと一回で取ってきてよね。私たちも大して忍耐強い訳じゃないのよ」

 

 アイリスの必死さが伝わったのか、アルバディーナは折れたように席に座った。

 

「他には無い? なら、各自解散して各部隊にブリーフィングの内容を伝達。日が沈むまで時間があまりないから早急にね」

 

 アイリスがそう言うと、一人一人立ち上がっては敬礼して、本営から去っていく。

最後に、アルバディーナがウインクをして退出した。しっかりやれ、ということだろう。

 アイリスも外に出ると、ちょうど日が沈み、アウロラの声が響いた。その旨は、要求は拒否、徹底抗戦の道を取る、とのことだった。その言葉が終わった瞬間、アルバディーナが全軍出動の号令を掛けた。

 

「さ、私たちも行かなきゃ」

 

 アイリスはマユカを呼び出し、彼女が来たのを確認すると、反転しアウロラ神殿とは真反対の方向に駆け出した。

 二人は夜の森を疾走する。背後から微かに聞こえる戦いの音には気も留めず、ただひたすらに走っていく。

 

「アイリスさん」

 

 道中、アイリスの隣で並走するマユカが、前を見つめながら尋ねてきた。

 

「ちょっとだけ気になってるのですが、何故私を同行者に指名したのですか?」

 

「ルビーたちと戦闘になるような状況にしたくなくてね。お節介だったら悪かったけど」

 

 マユカは、ほんの少しだけ沈黙した。ものの二、三歩進む間くらいだ。

 

「お心遣い感謝します」

 

 マユカは簡潔に言った。アイリスは何か彼女の胸中でわだかまっている物がありそうな気がしたが、あえて尋ねることは避けた。余計なことを言ってマユカの意欲を削いでも困るだけだ、と心の中で呟いた。

 ちょうどその時、森を抜けて視界が開けた。が、その瞬間。

 

「その首、貰いうける」

 

 無骨な男の声とともに、太刀の一閃が、アイリスを襲った。アイリスは咄嗟にブルーティガー・ストースザンを召喚し、その斬撃を弾いた。その衝撃で、アイリスは地面に叩きつけられた。

 

「動きが鈍いね。最近お肉(丶丶)は食べられてないのかな?」

 

 もうひとつ、幼さを感じさせる少女の声がした。アイリスはマユカの力を借りて立ち上がると、正面に佇む、彼ら男女の顔を睨んだ。

 

「シルトとクレナイか。どいてよ」

 

 しかし彼らは頑として動かなかった。代わりに、背の低い状態のシルトが、挑発するようにアイリスをなじる。

 

「総大将が自軍を(ほう)ってどこ行くの?」

 

「あれ、私の目的のブツが分かってて襲ってきたんじゃないんだ」

 

 アイリスも仕返しにと、超然とした態度で言い返した。しかしその裏で、アイリスは非常に焦っていた。シルトの言う通り、アイリスは一ヶ月近く人肉を食べていない。一応人間と同じように食事ができるといっても、やはり食人鬼なのである。心の面では仮初めの満腹感しか得られず、食の幸せは感じられない。また体の面でも、人間と同じように食べていては、エネルギーの吸収効率がかなり悪い。今まで体を騙しながら過ごしてきたが、それももう限界に近い。体の各部分に故障が生じ始めている。シルトとクレナイ、二人の攻撃を捌くのは、マユカと一緒でも困難に思えた。

 アイリスが諦めかけたその時、上空から微かな羽音が聞こえた。その方を向くと、ルビーがいた。彼女はアイリスと目を合わせると、急に落下してアイリスたちに向かってきた。

 その時シルトたちの方を一瞥すると、その時においてはルビーに注意が向いていた。この機を逃さないはずはなかった。

 アイリスはマユカの手を引くと、脇目も振らず突撃して行った。突飛な行動にシルトらの反応が遅れたのか、アイリスたちはシルトの脇をすり抜けられた。

 

「逃がさない!」

 

 シルトが蛇腹状の剣を召喚し、アイリスの首を目掛けてその刃が襲いかかってきた。アイリスの走る速度を上回って急襲してくる斬撃を、アイリスには今の状態で避けられる確証が無かった。絶体絶命かと覚悟した瞬間だった。

 

「アイリスさん、行って!」

 

 マユカがアイリスの手を振りほどき、アイリスの身代わりに、シルトの斬撃を腹で受けた。

 アイリスの視界に、崩れ落ちるマユカの姿が映る。しかし、ここで立ち止まってしまえば、マユカが身を挺して守ってくれた意味が無くなってしまう。アイリスは何度も何度もマユカに詫びながら、目的のモノがある場所、ユラ神殿を目指し走り続けた。

 

        ***

 

 秀たちは、アウロラ神殿に続くみっつの街道のうち、神殿から最も離れた街道に配置された。カレンを指揮官とした、秀とレミエル、レボリューション部、そしてアインスとセニアで構成された、一個分隊としての配備だ。課せられた任務は、遊撃部隊として街道に来る敵を引きつけながら駆逐すること。悪く言えば、簡単に切り捨てられる捨て駒だ。

 

「敵はまだ来ないか」

 

 秀は、双眼鏡を覗きながら呟いた。しかし敵が来ないのも当たり前で、まだ日が沈んで数分しか経っていない。T.w.dの本陣のある森から、この街道の入り口に到達するには、馬を使っても半時間はかかるという。そのことは秀にもわかりきっていたが、黙ったままでは息が詰まる、と思って呟いたのだった。

 周りの様子を見ると、アインスは無言で双眼鏡を覗いており、カレンはセニアと、レボリューション部は部員同士で何かを硬い表情で話していて、レミエルだけ、虚ろな感じでどこか遠くを見つめていた。秀は、はじめ索敵をしているのかと思ったが、顔はピクリとも動かない。ただただ不安げに、ボーッとして彼方を見ていた。

 

「おい、レミエル」

 

 秀は不審に思って、レミエルに声をかけた。しかしレミエルは少しも反応せず、よく聞いていなければ聞き逃しそうなくらいに小さな声で呟いた。

 

「ユラが危ない」

 

 秀が彼女の言葉の意味を考えているうちに、レミエルは瞬時に紫の戦闘装束を纏い、黄金の翼を広げて飛び去ってしまった。

 

「あ、おい!」

 

 秀が呼び止めるが、レミエルは既に、声が届きそうもないくらい遠くにいた。

 秀はカレンを呼び、レミエルを呼び戻す許可を求めた。カレンは渋っていたが、やがて折れたように告げた。

 

「十分以内に戻ってくるのであれば、まだ敵も来ないでしょうし、大丈夫でしょう」

 

 それを聞いた時、秀は不可能かと思えたが、瞬間移動の能力を持つ者が、すぐ近くにいることを思い出した。

 次にユノを呼び、レミエルを連れ戻すための協力を仰いだ。ユノは快諾して、すぐ瞬間移動をしようとした。しかしその時、シャティーが秀の腹をつついてきた。

 

「何の用だ」

 

「レミエル、頼んだよ」

 

 それだけ言って、シャティーは秀の背中を押した。なぜシャティーがこのような発言をしたのか分からないが、 どうも応援してくれているらしい。それだけは分かった。

 

「秀君、行くよ」

 

 ユノが笑いかけてくる。秀が頷くと、一瞬で周りの風景が変わった。アウロラ神殿の麓の街の郊外くらいだろうか。民家の数が、先程いた場所よりも少々少なめだ。そこまで遠くに移動できないようだが、これが瞬間移動かと感嘆していると、ユノが思い出したように尋ねてきた。

 

「レミエルちゃんの行き先、わかる?」

 

「多分ユラ神殿だ。あいつは飛び立つ直前にユラがどうのこうのとか言っていた」

 

 知らずに瞬間移動したのかと呆れながら答えた。そういう秀の雰囲気を察したのか、ユラは申し訳なさそうに謝って、また瞬間移動をした。秀は、ユラ神殿に近づくにつれ、夜の闇が深くなっていくように感じた。

 

        ***

 

 アイリスは息を切らしながら、ユラ神殿の近くの家の陰で休んでいた。テラ・ルビリ・アウロラの兵力の大多数がアウロラ神殿付近に集まっているとはいえ、神殿に一人で乗り込むのだから、少しは体力を回復しようという魂胆だった。

 住民の気配は全く無く、恐らくはどこかに疎開したのだろうとアイリスは予測した。そのおかげでシルトらが追ってくる気配の有無もよく分かった。それは今は無い。マユカが引き留めてくれているのだろうか。アイリスは心底マユカに感謝した。

 暫くして、体力が十分回復したと判断すると、ユラ神殿に向かって走って行った。すると、ユラ神殿の正門あたりに、出陣の準備を整えた、中隊クラスの部隊がいるのを見つけた。この時間に、ユラ神殿に部隊がいるとすれば、当然T.w.dの本陣を裏から襲撃するのが目的の部隊であろうことは予測がついた。

 

「潰すついでに食べていこうか」

 

 アイリスはそう呟くと、わざとゆっくり歩きながら部隊に近づいた。すると、案の定、鋼鉄の鎧に体を包んだ部隊の人間の一人が訝しげに近寄ってきた。

 

「貴様何者だ。テラ・ルビリ・アウロラの者でも、青蘭学園の者でもないな。名を名乗れ」

 

「私は君たちの天敵だよ」

 

 アイリスはそういうと、目の前の兵士の脇腹を殴った。その拳は鎧を容易く貫通し、体の内部まで到達した。兵士の絶叫をよそに、アイリスは手探りで兵士の肝臓を掴んだ。そしてそれを引っ張り出すと、まるでパンを食べるかのように頬張った。

 

「やっぱり本来の食料は美味しいな。肝臓だからスタミナ満点だ」

 

 アイリスは完食ののちそう呟いた。周りを見てみると、誰もが青ざめた表情でアイリスを見ていた。肝臓を抜かれた兵士は泡を吹いて倒れている。

 

「さあ、かかっておいでよ。いい加減、声で私の正体分かってるでしょ?」

 

 アイリスが一歩踏み出した。すると、部隊の人間は、一人残らず武器を放って、叫びながら逃げ出してしまった。

 

「全く、根性ないなあ」

 

 そう言いながら、アイリスは先ほど肝臓を抜いた兵士をものの数分で食べ尽くすと、逃げている兵士のうち、追い付けた者を始末しながら、ユラ神殿に侵入した。そこで、テラ・ルビリ・アウロラに潜伏させているスパイから得た、ユラ神殿の見取り図を開いた。

 

「図書館は地下か」

 

 アイリスは見取り図を仕舞うと、出会った警備兵を殺しつつ、全速力で図書館に向かった。

 

        ***

 

 ユラが、ユラ神殿の会議室で指揮官と作戦の確認をしていると、血の気を失った兵士が、会議室に飛び込んできた。彼は、しどろもどろになりながらも、敵が侵入してきたこと、敵が人を食って中隊の士気が完全に失われたこと、その侵入者が図書館に向かったことを伝えた。

 

「こうしてはいられない。侵入者を討伐しましょう」

 

 ユラは指揮官たちに呼び掛けたが、誰一人として、地蔵のように動こうとしなかった。彼らの顔には恐怖の表情が張り付いていた。人食いというので、誰も恐怖で動けないのだろう。

 ユラはため息をついて、決意を固めて言い放った。

 

「私が行きます。図書館なのですね」

 

 指揮官たちが止めるのを無視して、ユラは会議室を飛び出した。いつでも抜刀できるよう、腰の剣の柄に手をかけながら、図書館に向かった。

 ユラが図書館についた頃には、とうに図書館の番人は殺されていて、侵入された後だった。結局誰もついてくることは無かったが、気を落とさず図書館に入った。すると、暗い図書館の中でも一層暗い奥の方で、感極まった風で、ボロボロの本を眺めている一人の銀髪の少女がいた。ユラは音をできるだけ立てず、慎重に近付いたが、その少女と目が合ってしまった。少女はおもむろにユラに歩み寄りながら、話しかけてきた。

 

「君、今までの人たちとは違うようだね。でも残念。私はもう目的のモノを手に入れたから、もう此処には用はない。大人しくどいてくれないかな。邪魔しなけりゃ命は取らないよ」

 

 少女の声を聞いて、ユラは電撃が走ったような感覚を覚えた。彼女の声は、T.w.dの総大将、アイリスのものと全く同じだ。ユラはすぐさま抜刀して、アイリスと思しき少女に剣先を向けた。

 

「貴様がT.w.dの総大将か」

 

「そうだけど?」

 

「何が目的でこの図書館に来た」

 

 ユラの問いに、アイリスは手にした本を見せびらかすように掲げながら、まるではしゃいでいる子供のように答えた。

 

「この本。正確に言えば魔術書か。まあ、まさかこんな辺境の神殿の図書館にあるなんて普通思わないだろうから此処に置いたんだろうけど、逆に命取りになったね」

 

「その本は何だ」

 

 ユラが質問を重ねると、アイリスは少しも嫌がる気配を見せず、自慢げに答えてみせた。

 

「知らないなら教えてあげるよ。これには七女神がこの世界を作り直した時に使った、秘術の数々が封印されていて、最初に手に取ったものがその秘術の使用方法やら諸々を継承することになってる。それで今現在この秘術を使えるのは私だけだ。他の人が読んでも、この本はもはや意味不明のぼろっちい本に過ぎない。さ、他に聞きたいことはある?」

 

「いや、もう無い。あとは貴様を殺すのみ!」

 

 ユラはアイリスに八双に構えて斬りかかった。アイリスはそれを物ともせず、紙一重でかわすと、ユラの背中に右の裏拳を叩き込んだ。

 ユラは今まで感じたことの無い痛みと衝撃を受け、本棚に頭から激突した。

 気絶しそうになるくらいの痛みを堪えてアイリスの方を見ると、ユラを倒したとすっかり思い込んでいるのか、背を向けて図書館から出ようとしていた。

 

(この機を逃したら、勝機は無い!)

 

 ユラは、渾身の力を入れて剣をアイリス目掛けて投擲した。その刀身は、ユラの祈りに応えるように、アイリスの右の肩口に突き刺さった。

 ゆらりと、アイリスがユラの方を向いた。彼女の目は今までの余裕綽々としたものとは違い、ユラを威圧するような目つきだった。アイリスはユラに近づきながら、肩に刺さった剣を抜いて、ユラの側に放り投げた。

 

「なんのつもりだ」

 

「素手じゃ私に勝てないでしょ。本気で勝負してあげるから、かかってきて」

 

 アイリスはその左手に鉤爪状の武器を召喚した。ユラも剣を拾い、再び八双に構えた。そして、回避されることを承知でアイリスに突撃した。狙うのは、負傷済みのアイリスの右肩。何も考えずに斬りつける。

 しかし当然、アイリスは避け、そこから、左の鉤爪でユラを斬ろうとした。対し、ユラは回避されたのち踏みとどまり、アイリスの斬撃を剣で受け、そのまま鍔迫り合いに持ち込んだ。

 負けられない、ただその一心で、ユラは柄を握る手に力を込めた。だが、アイリスの力の方が強く、このままでは押し切られてしまいそうだった。しかしその時、図書館に誰かが駆け入った。ユラの角度からは、その人物がよく見えた。レミエルだった。そう判断するや否や、ユラは必死になって叫んだ。

 

「レミエル! 逃げて! こいつは——」

 

 言い終える前に、ユラは押し切られ、首筋に冷たい刃の感触を覚えた。

 

        ***

 

 レミエルは、信じられない物を見た。ユラの首が、宙を舞い、レミエルの足元に落ちた。

 

「嘘」

 

 レミエルは、杖を放って、その首に触れた。まだ暖かい。しかし、流れ出る鮮血とともに、だんたんと冷たくなっていく。そのことが、ユラの死をレミエルに自覚させた。

 レミエルは膝から崩れ落ち、ユラの首を抱いて、乾いた声で呟いた。

 

「どうして、なんで。まだ仲直りしてないのに。なんで死んじゃうの」

 

 涙が溢れ、レミエルの心に悲しみが広がる。しかし、それはすぐに、ユラを殺した敵への憎悪へと変貌した。

 

「絶対に許さない。殺してやる。生かしておくものか」

 

 レミエルは感情のままに呟いた。しかし、冷静さを欠いた現状でも、レミエルには敵の力量がよく分かっていた。今の自分では倒せない。この敵を完膚なきまでに叩きのめし、ユラにしたように首を飛ばすためには、力が足りない。そう考えたその時だった。

 

「力を欲するならば、祈れ」

 

 これまで、何回か感じた意思だった。しかし、今回ははっきりとした、声のようなものを伴っていた。その声は、どこか懐かしく、愛しく、しかし煩わしく、不快な声だった。

 

「だが、今回貴様が欲している力は余りにも大きい。下手をすれば、貴様自身が変容してしまうかもしれん。それでも、力を欲し、祈るか」

 

「愚問です。私は敵を殺さなきゃいけない」

 

 レミエルは、意思に対してそう答えると、力を欲する祈りを上げた。その瞬間、両目と、両の翼が強く疼いた。疼きに耐えて体を見ると、紫の装束は足の方から血赤色へと変貌していき、やがて装束全体が血の色に染まると、次は翼を見た。右の純白の翼は漆黒に染まり、左の黄金の光の翼は、閻浮檀金の輝きを放っていた。そして、ユラの血溜まりに映る己の顔を見た時、藍玉の右目は狂気を思わせる紅玉の如く、黄金の左目は、翼と同じように閻浮檀金の如く輝いていた。更に、杖が変形し、上部の円環状の部分が背中の中央から十数センチほど離れた位置に位置し、杖の残りが六本の魔剣に変化し、円環を囲むように配置された。

 己の姿をはっきりと目にした時、レミエルは自覚した。自分は堕天したのだと。かのユラを殺した敵を、凶殺せんがために。

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