Ange Vierge Désespoir infini 作:黒井押切町
新たなる力、テリオス!
ユニは、人がせわしく行き交う、統合軍本部の廊下を、周囲と同じように早歩きしていた。周りが忙しくしているのは、つい先日、ようやく決まった大々的な人事異動が原因である。しかし、特務隊の欠員は出なかったためか、ユニをはじめとした特務隊には、人事異動は無かった。ユニの立場は、特務隊の隊員で、アインスの上司だ。それは前も今も変わらない。
ユニが急ぐのは、特務隊全体を取り仕切るミロクの呼び出しがあったからである。ユニは、T.w.dの青蘭島占領後、アインスが赤の世界へ行ったのは、T.w.dにより達成が困難となったブルーフォールの代替策として、赤の世界水晶を確保するために、潜入捜査を行うためだと、報告した。そしてアインスに、赤の世界の情報を流すように後から命令したのだった。
(報告をまとめたレポートを提出した直後に呼び出しとは。まあ恐らくは質問か命令の追加だろうな)
ユニはそれほど呼び出しを深刻に受け止めずに、ミロクの執務室にたどり着くと、そのドアをノックして、返事を待って開けた。
「ユニ・ジェナミス。失礼します」
部屋に入り、その中央のデスクに座る男に対して敬礼する。彼こそが、特務隊を取り仕切るミロクその人である。彼は敬礼を返すと、早速口を開いた。
「レポートは読ませてもらった。一部の青蘭学園勢力と天使の離反、そしてアウロラの不調に、内政の荒れ、議会での、軍を中心とする停戦協定破棄派と、七女神を中心とする延長派との対立。これを利用せぬ手は無い」
ミロクは、不敵な笑みを浮かべる。ミロクがこのように笑うのはよくあることだ。彼は何かを思いついた時、決まってこう笑う。
「アインスに新たな指令だ。主戦派が勝つよう工作しろとな。そのためなら暗殺も許可するとも付け加えておけ」
「了解。他にはありませんか」
「ああ。要件はこれだけだ。下がっていいぞ」
ユニは、退出するときの作法を無意識にこなして部屋を出て、自室に早歩きで戻った。そこで、特務隊専用の、異世界間でも通信の可能な通信機を用いて、アインスに命令を下すと、ベッドに仰向けに飛び込んだ。
(主戦派の焚付けか。T.w.dと潰し合わせて力を消耗させる気か。本格的に、世界水晶奪取計画の対象を赤の世界にする気でいるな)
そもそも、緑の世界が青の世界と接続したのは、ブルーフォール作戦のためだ。他の世界とは、元々何の繋がりもない。全ては愛するグリューネシルトのため。他の世界がどうなろうと、ユニの知ったことではない。
***
「今すぐにでも軍を起こし、T.w.d征伐のために遠征することこそが必要! 停戦協定は魔術契約とはいえ、契約は契約。破棄できぬ道理が無いわけではない!」
テラ・ルビリ・アウロラの議会で、そう主張するのは、軍の幹部であり女神のグラディーサだ。主戦派の中心である彼女は、矢継ぎ早に意見を述べる。その剣幕に、穏健派は圧倒されていた。この状況に、アウロラはこめかみを抑えていた。
アウロラをはじめとした七女神の鶴の一声があれば、グラディーサも収まるだろう。個性をもたせてあるとはいえ、元は七女神の分身であるからだ。しかし、それでは以前と何も変わらない。今はテラ・ルビリ・アウロラの在り方を変え、国力を安定させるべきなのだ。そのため、T.w.dとの戦いなどをしている場合ではない。
アウロラがこう考えるようになったのは、レミエルが原因だった。彼女が予言の達成に使ったアウロラの魂の部分は、実はこれまでクレナイとして切り離していた部分だった。クレナイは、アウロラが赤の世界水晶の心に限りなく近付けた、彼女の分身であった。あの時、彼だった部分は、何の躊躇いも無しにレミエルに力を貸した。そして、極め付けはレミエルが顕現したときの赤い水晶だ。アウロラには分かる。あれは赤の世界水晶の一部だ。事実、あの後、アウロラが世界水晶を見に行くと、確かに一部分が割れた形跡があった。つまりは、赤の世界の意思はレミエルを選んだのだ。
(気づくのが遅すぎたかもしれませんが、まだ間に合う。何とかしてあり方を変えなければ。そしてそのためにはグラディーサ達が自力で気付かねば)
しかし、アウロラの望みとは裏腹に、グラディーサの語調は、彼女が何かを言うたび強くなっていっていた。これは、間違いを犯した私たちへの罰なのかもしれない――アウロラは、そのような気がしてならなかった。
***
会議が終了した後、アウロラは顔をしかめて一人で廊下を歩いていた。結局、会議とは名ばかりで、グラディーサがひたすら主張するだけで終わってしまった。
やはり、指針を示すしかないのかと、アウロラが考えたその時だった。正面から、二本のナイフがアウロラめがけて飛翔してきたのだ。アウロラはそれらを杖で弾き落とし、一瞬気が緩んでしまった。気がつけば、首筋が熱かった。さらに、背中に何本も何かが刺さった感触を覚えた。流れる血とともに、力が急速に失われていく。もはや、回復すらできやしない。
(私は死ぬ……。けどその前に、誰がやったのかを見なければ!)
アウロラは最後の力を振り絞って振り返り、その相手の顔が見えようとした瞬間、両目と額にナイフが刺さり、そこでアウロラの意識はこと切れた。
***
「どこに行っていたのです、アインス」
アインスが後始末を済ませて自室に帰ってくると、開口一番、苦虫を噛み潰したような表情のカレンに咎められた。どうやらアインスの部屋で待ち構えていたようだ。近頃のカレンは、このような表情ばかりをする。その原因は、わざわざ考えるまでもない。秀たちに決まっている。何も言わずに去ったのだ。誰だって、特にカレンは、怒らぬはずがない。レボリューション部の二人は秀たちの真意を知っているようだが、カレンに何も話してはくれなかった。
「別に、ちょっと野暮用」
アインスは素っ気なく返事をして、ベッドに仰向けで飛び込んだ。カレンは呆れたようなため息をつく。
「まったく、ついさっきアウロラが暗殺されたというのに」
「へえ」
アインスは無関心を装った。とはいえ、彼女自身が当事者でなくとも、このような反応をしていたことには違いなかった。カレンも違和感を感じなかったようで、アインスの態度を注意するようなことはなかった。
「グラディーサ様辺りが、T.w.dによる犯行だと決めつけて、今緊急議会で、すぐ出兵すべきだと主張してるようですよ。もしそうなれば、私たちも従軍することになります。グラディーサ様たちは優勢らしいですし、準備を進めるべきじゃないですか?」
「T.w.dを倒す、という目的は一致するわけだから、別に私は構わないけど。カレンが気にしてるのはそんなことじゃないでしょ」
カレンは眉をひそめた。図星だったようで、その不機嫌な顔のまま口を開いた。
「ええ、そうですよ。このままでは、秀様と戦わなければならない。かつての仲間と、真意も知らずに敵対するなど、私はできません」
アインスは、一瞬カレンに秀たちのT.w.dへ走った理由を告げようかと考えたが、すぐやめた。仮に言って、カレンが共感したりして、万が一カレンもT.w.dに入ろうとすれば、人間解放軍出身の人員に阻害され、最悪破壊されかねない。友がそのような下らない目に合うのは、アインスは望まなかった。
「他の白の世界の人から連絡とか無いの?」
アインスは、適当に思いついた疑問を投げつけた。すると、カレンは急にはっとした。
「そういえば、白の世界にいるミハイルから連絡を受けていました。レミエルの騒動で、詳しくチェックする暇がありませんでしたけど。さっと見た感じでは、普遍的な内容でしたので、セニアも同じものを受け取っていると思います」
「そ、分かった」
「詳細を聞かないのですか?」
「まさか、教えてくれるの?」
「いえ、内容は極秘とのことでしたので、それは無理ですが」
「じゃあ聞く必要ない」
アインスは布団に入って、カレンに背を向けた。するとカレンはため息をついて、部屋を出て行った。彼女の足音が聞こえなくなると、アインスはアウロラの暗殺と、アンドロイドに動く兆しありとの趣旨の連絡をミロクに送った。
「この戦争、勝つのは私たち。全てはグリューネシルトのために」
アインスは、布団の中の両手を、強く握りしめた。
***
T.w.d総本部、総統室。かつて、青蘭学園の校長室だった場所で、秀とレミエル、シャティーは書類の束をアイリスに提出した。それに、アイリスが手慣れた手つきで判子を押していく。
「はいこれでオッケー。晴れて、正式にT.w.dの構成員になったわけだね。三人には私直属の第一特殊隊に所属してもらうから、宜しくね」
そう言って、アイリスは脇に置いてあった段ボール箱を開けて、ビニールに包まれたT.w.dの制服を一人一人に手渡した。
「ちゃんとサイズ合わせて作ってあるけど、間違ってたら言ってね」
秀はビニールから出して、その寸法を確認する。特に問題はない。黒を基調とし、赤のラインが入ったその制服は、伸縮性だけでなく触り心地も抜群で良質な生地を使っているとすぐに分かった。
「じゃ、問題無いならここで着替えちゃってよ。秀がそっち向かないように、私が見張っといてあげるから」
アイリスは、ブルーティガー・ストースザンの刃を鳴らしながら笑って言った。それを見て安心したのか、秀の背後でガサゴソと、レミエルとシャティーが着替え始めた。しかし、秀はなかなか着替え始められなかった。青蘭学園の制服に未練があるわけではない。単に気恥ずかしいだけだった。
「秀も着替えちゃいなよ」
「いやいや、異性の前ではなかなか着替える気にはならん」
「大丈夫だって。ちんちん出すわけじゃないでしょ?」
「まあ、そうだが」
アイリスがナチュラルにその単語を言ったことはスルーして、秀は羞恥心を覚えながらも着替え始めた。ズボンを下ろしたところで、アイリスが笑顔のまま秀のトランクスを眺め始めた。
「膨らませちゃってかーわいー」
「何をアホなこと言ってるんだ。そんな取って付けたような寒い下ネタを言うんじゃない。そもそも膨らんですらいない」
秀は毒づきながら、新しい制服のズボンを履いた。上着のボタンを留めていると、アイリスが少し表情を硬くして、おもむろに話しかけてきた。
「ねえ、秀」
「なんだ」
「秀さ、自分と同じ思いを、他の人にさせたくないって言ったよね」
「ああ」
アイリスの雰囲気が変わったのを察して、秀も気持ちを引き締めた。
「そんな大きな目標は、一端の兵士が持つもんじゃないよ。大それた理想なんて、リーダーである私が背負うべきものなんだ。レミエルのように、軽い目標でいいんだよ」
アイリスは、儚げな笑みを浮かべた。そのまま泣き出してもおかしくないような、危うい笑顔だった。
「下の者が押し潰されちゃいけない。下の者は、常に簡単に達成出来る目標を持って、戦う気を持続させなきゃいけない。押し潰されたら、戦う気力を失うか、ただひたすらに戦い続けるマシーンになるかのどっちかだから。秀に、そんなのになって欲しくない」
秀は、何も言わずに頷いた。アイリスの雰囲気に凄みがあったわけではないが、秀は何も言うことができなかった。
「着替え終わったよ」
レミエルの声が聞こえると、アイリスはいつものように余裕を持った表情になって、ドアの方へ向かった。着替え終わった二人を見ると、秀と全く同じ制服を着ていた。T.w.dの制服には、男女の差は無いようだ。
「案内するから、ついておいでよ」
アイリスに促されて、彼女の後に秀たちが脱いだ服を抱えて続く。アイリスがドアを開けると、ちょうど目の前に二人組の少女がいた。
「あ」
アイリスが冷や汗を流し始めた。アイリスの向こうにいる二人のうち、黒いローブを着た、袖から包帯を覗かせている少女は最初は虚を突かれたような表情をしていたが、秀たちを見ると、突然その顔を憎悪に染め、アイリスを突き飛ばしてレミエルに詰め寄った。
「あなたは、あなたはッ!」
レミエルに掴みかかろうとしたその右腕を、もう片方の、頭に二本の羊のもののような角を生やし、コウモリの羽を持った少女が、目にも留まらぬ速さで掴んだ。その双眸が、ローブの少女を鋭く射抜いていた。
「抑えて、イレーネス」
「どうしてよモルガナ! こいつらは、ジュリアを殺した……」
「事情は知らないけど、アイリスが連れてきたなら、この人たちをここで傷つけちゃいけない」
「モルガナの言う通りよ、イレーネス。大人しく拳を収めなさい」
今度は女性にしては身長が少し高い、サイドテールの金髪碧眼の少女が現れた。彼女はイレーネスに刺すような目を向ける。すると、イレーネスはため息をついて、レミエルから離れた。
「ありがとうね、アルバディーナ」
「ありがとう、じゃないでしょ。あなたが場を収めなくてどうすんのよ」
アルバディーナと呼ばれた少女は、呆れながらに言った。アイリスは、バツの悪い顔を浮かべる。
「ごめん、気をつけるよ」
「全くもう。ごめんなさいね」
アルバディーナは驚くほど素直に、秀たちに頭を下げた。
「ああ、いやいや。大丈夫ですから。気にしないでください」
少し慌てた様子のレミエルは困ったような、引きつった笑みを浮かべた。その顔を見たアルバディーナはふっと和らいだ笑みを見せると、またアイリスに向いた。
「これから案内でしょう? イレーネスが邪魔して悪かったわね。じゃ、行きましょ、イレーネス、モルガナ」
アルバディーナはアイリスに手を振ると、廊下の向こうへ消えていった。
「はは、かっこ悪いとこ見せちゃったかな。気を取り直して、行こうか」
アイリスは照れ臭そうに頭を掻いた。この一連のやりとりで、秀が思い至ったのは、アイリスには大した権威が無いのでは、ということだった。イレーネスは、アイリスの存在など気にも留めていない様子だった。そして、イレーネスを止めたアルバディーナとアイリスのやり取りは、どう見てもアルバディーナの方が上だった。先のやり取りだけを見れば、アルバディーナの方がよりリーダーらしい。
「秀さん、ボーッとしないで、早く行こうよ」
秀の思案を、レミエルが秀の手を引っ張って遮った。引っかかりを残したまま、秀はアイリスの後を付いて行った。
***
イレーネスとモルガナと別れて、自室に戻ったアルバディーナは、防音の結界を張った後、背後に話しかけた。
「あの三人と再会して、どうだった?」
「顔付きが戦士の顔付きになって、面白くなりそうというか。特にレミエル。あの子、私を倒した時よりも相当強くなってるわ。敵として対峙する時が楽しみね。あとは上山秀。彼、あなたとアイリスのやり取り、ずっと神妙な顔で見てたわよ」
ジュリアは姿を現すと、不敵な笑みを浮かべて言った。
「彼らは、私の檄文を見て応じてくれるかしら」
「考えるまでもないでしょう。アイリスの勧誘に応じたということは、アイリスに感化されたのよ。無理に決まってるでしょう」
「そうね。なら、行動を起こした時には敵同士ね」
アルバディーナはため息をついた。一騎当千の強敵が多くなるのは、そういった人が少ないアルバディーナの檄文に応じた勢力としては、好ましくない。特にレミエルについては、赤の世界水晶の一部を取り込んでいるとの情報もある。青蘭学園の攻略戦の時とは、その強さは比べ物にならないだろう。
「厄介ね。何とかして押さえ込めないかしら」
「そんなあなたに朗報よ」
こめかみを抑えるアルバディーナに、ジュリアは耳元で囁いた。
「赤の世界が、近々こっちに攻めてくるそうよ。決起の時をその日と同じ日にずらせば、アイリス派を挟み撃ちにできるわ。私の人形が議会の一部始終から得た情報だから、間違いもない」
「あら、全面的な協力はしてくれないんじゃなかったかしら?」
アルバディーナが尋ねると、ジュリアは鼻を鳴らした。
「勘違いしないことね。こういうこと言わないと、私がいてもいなくても変わらないじゃない。そういうのがカンに触るだけよ」
「そういうことにしておくわ」
アルバディーナは、檄文を送った相手に決起の日を変える旨をメールで伝えると、天井をぼんやりと見つめた。
アイリスの笑顔が浮かぶ。彼女は好きだ。それは今でも、きっとこれからも変わらない。しかし、その笑顔を砕くと決めた。その意思が揺らぐことはない。
「覚悟なさい、アイリス。己の愚かしさを呪うがいいわ」
アルバディーナは、震える声で吐き捨てた。
***
元青蘭学園の校舎を一通り回ると、アイリス一行は寮に向かった。その入り口の前で、突然真上から人影が降ってきた。その人影は綺麗に着地すると、秀たちに向いた。それは少女で、露出の多い黒っぽいセーラー服らしいものを着ていた。
「あれ、忍?」
アイリスが不思議そうな顔をした。対し、忍と呼ばれた少女はにひひと笑う。
「いやあ、与えられてた任務も終わったので、アイリス殿が連れてきた新人とやらが気になったのでゴザルよ」
「こいつは?」
秀が忍を指差して訊くと、アイリスはぎこちない様子で答えた。
「ああ、その子は風魔忍っていってね。アルバディーナ直属の忍者……なんだけど」
アイリスの話し振りは、妙に歯切れが悪かった。秀が不思議に思っていると、アイリスは眉をひそめて忍に訊いた。
「ねえ、忍。今までに、私が連れてきた子に興味示したことってあった?」
「確かにゴザラんが、まあ、気まぐれというやつでゴザルよ。お気になさるな」
忍の返答にアイリスは生返事を返す。アイリスは納得していないようだが、彼女をよそに忍は秀たちをまじまじと見た。
「秀殿、レミエル殿に、シャティー殿でゴザったか。レミエル殿とシャティー殿は、共に強力な力の持ち主。そして、秀殿はカミュ殿が直々に育てられた戦士。うむ、三人とも天晴れな能力でゴザルな」
はっはっはと笑いながら、忍は校舎の方へ歩き去っていった。
「なんだったの、アレ」
シャティーは首を傾げていた。秀も同じ感想だった。きっとレミエルもそうだろう。結局、秀たちと一言も交わすことなく、忍は視界から消え失せた。単に新入りがどういう人物かを見にきたように思えるが、アイリスの発言を加味すると、忍の行動は意味不明だった。
「気を取り直して、行こっか!」
アイリスが明るい口調で仕切り直す。それで、秀たちも忍のことは一旦忘れて、アイリスに続く。まず案内されたのは、自室になる予定の部屋だった。
「秀とレミエルはここで相部屋ね。シャティーはお隣さんと相部屋」
秀とレミエルは部屋に服を置くと、すぐにシャティーの部屋に向かった。すると、シャティーがドアを開けたまま唖然とした様子で絶句していた。秀たち二人も中を覗いてみると、薄暗い部屋の中で、エクスシアが下着姿のまま、床に寝っ転がりポッキーを加えてテレビゲームに興じていた。こちらに気付いている様子は無い。
「……エクス?」
レミエルが信じられないといった様子で、その名前を呟いた。するとエクスシアはようやく気付いて、秀を目にすると、声も発さず顔を真っ赤にして、部屋の奥へ飛び込んでいった。
「レミエル、素のエクスシアって、あんなんだったか?」
秀が辛うじて口を開いて尋ねると、レミエルは首を傾げた。
「結構抜けてるとこがある子だったけど、あんな堕落はしてなかったよ?」
レミエルはアイリスに視線を向けた。アイリスは口をもごもごさせていたが、やがて折れたのか、誤魔化すような笑いをして話し始めた。
「いやあ、こっちにいる時のエクスシアが、あまりに気を張ってたからさ、私が地球の娯楽を紹介してあげたら、ものの見事に堕落しちゃったわけ。まあ、任務はちゃんとこなしてくれるし、メリハリついてるし、いいっちゃいいんだけどね」
アイリスが話し終えた時、ちょうどエクスシアがちゃんとT.w.dの制服を着て姿を現した。
「ごめんなさい、みっともないとこ見せちゃいました。シャティー、これから相部屋で過ごすルームメイトとして、よろしくです」
「う、うん」
シャティーはぎこちなく首を縦に振った。秀もその気持ちはよく分かった。あのようなだらしない姿を見せられては、誰だってそうなるだろう。
シャティーがあからさまに嫌そうな顔をしたせいか、エクスシアは愛想笑いをして、
「だ、大丈夫ですよ! ちゃんと片付けて、掃除もしますから!」
そう取り繕うエクスシアを、シャティーはしかめっ面のまま見つめながら、部屋の中に入って、入り口に服を置くと、無言のまま出た。
エクスシアが、その黒い翼に似つかわしくなくあたふたしていると、シャティーはため息をついて、ぼそりと言った。
「部屋の掃除、お願いね」
すると、エクスシアはぱあっと顔を明るくして、何度も頷いた。シャティーは困ったような顔を浮かべながら、アイリスをつついた。
「次行こ、次」
アイリスは、はいはい、といった感じでシャティーに応対しつつ、エクスシアに手を振って歩き出した。秀とレミエルもそれに続く。ふと振り返ると、エクスシアが満面の笑みで、一生懸命に手を振っていた。
***
寮巡りも終わりに差し掛かった頃、ある部屋の前を通ろうとした時、そのドアが開いた。そして、そのドアにアイリスが顔をぶつけて転んで、うずくまっていた。
「わー! アイリスさん、大丈夫ですか!?」
ドアの陰から、慌ててアイリスに駆け寄ったその人影に、秀は見覚えがあった。服から見える体の大部分が包帯に覆われていたが、間違いなかった。
「あれ、お前、マユカ・サナギか?」
「あ、上山さん。それにレミエルさんにシャティーさん。始業式の日以来ですかね。暫く振りです」
丁寧に頭を下げるマユカにつられて、レミエルとシャティーも頭を下げる。そのような、アイリスを無視したやり取りをしていると、今度はドアの陰から二人現れた。
「もう、注意しなよ。そう言っても仕方ないとは思うけどさ」
「本当にマユカはドジ。なんで戦闘のときはあんなに頼りになるのか聞きたいくらい」
出てきたのは、手枷をはめたシルトと、少し長身の、短めの亜麻色の髪の、鉄面皮な女性だった。
「あれ、結局あなたたちT.w.dに入ったんだ」
シルトが意外そうな顔で言った。
「そういうお前こそ、ここで何してるんだ」
秀が聞き返すと、シルトは不機嫌そうな顔で手枷を掲げた。
「これ見て分からない? 今の身分は捕虜なの」
「私と、こちらのフィアさんで監視してるんですよ。この部屋はもともと私たちの相部屋なんですが、牢屋みたいなとこがないので、ここで24時間監視してるんです」
マユカが補足するように言った。それに続けて、フィアが無表情のまま告げる。
「監視といっても私たちが四六時中一緒にいるのと手枷はめてるだけで、ほとんど自由にしてる」
「まあ緑の世界水晶そのものみたいなもんだしね。乱暴にしちゃまずいかなーみたいな」
ようやく復活したアイリスが、にょきっと立ち上がって言った。笑顔のアイリスとは対照的に、シルトは不機嫌さを消していなかった。
「確かに乱暴にされてはいないけど、この手枷取ってよ。ご飯とか食べるの大変なんだよ」
「ダメ。あくまで捕虜なんだから。手枷取ったらただのVIPじゃん」
アイリスが即答する。当然というべきか、さらにシルトがむすっとした。見かねたマユカが、宥めるようにシルトに話しかける。
「まあまあ、そのうちちゃんと手枷取れますよ」
「そのうちねえ。いつ来るかも分からないなあ。しかもそれまで障害者の人みたいに、マユカにあーんして食べさせられるのかあ。あれ食堂でやられるの恥ずかしいんだよねえ。あと服も一人で脱ぎ着できないし、お風呂も一人で入れないし」
シルトは余計に凹んで、ぶつぶつと文句を垂れていた。そのような彼女に対し苦笑いをしていたアイリスがふと思い出したように告げた。
「あっそうだ。マユカとフィアも第一特殊隊所属だから。同じ部隊でやってくことになるから、仲良くね」
「あっそれはそれは。よろしくお願いします」
「私もよろしく」
レミエルとシャティーが頭を下げる。しかし、秀はそうしなかった。二人が気に入らないわけではないが、生まれてから、礼儀作法を身に付けたことがないからだった。故郷ではそのようなことよりも痛みが体に染み付いたし、達也からは甘やかされていた。学校でもしていないことが露呈しないように、うまく誤魔化していた。
しかし、これからやっていく場所は殆ど軍隊に近い。孤独ではいられない場所だ。自分だけ周りと違うことをして、孤立するわけにはいかない。そう考えて、秀はぎこちなく頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ、改めてよろしくお願いします」
「よろしく」
マユカとフィアが挨拶を返す。このやり取りの間、シルトはずっとレミエルを見つめていた。そして、一人納得したように呟いた。
「ふうん。赤の世界はレミエルを選んだんだ」
「? 何か言いました、シルトさん」
レミエルが顔を上げてシルトに尋ねる。
「今のあなたから、私に似たものを感じるの。レミエルってその姿になるのに、世界水晶の力でも使った?」
「いえ、そういう自覚はありませんが」
「でもでも、赤の結晶からその姿で出て来たよ」
アイリスがそう言うと、シルトはああ、と頷いた。
「なるほどね。赤の世界水晶がレミエルに力を貸したのか。ということは、もう赤の世界に力を貸す義理もないか」
また一人で納得して、シルトは部屋の中へ戻ってしまった。それでか、マユカとフィアも、別れの挨拶をして部屋に戻った。
「ふう。ま、これで寮巡りも終わりだね。レミエルとシャティーは自由になっていいよ。でも、秀はちょっと来て」
「俺だけになんかあるのか?」
「まあまあ、楽しみにしなよ」
アイリスは悪巧みしているような笑みで、秀の肩を叩いた。
***
アイリスに連れられて秀が来たのは、青蘭島の地下に、占領した後に造られた格納庫だった。そこではジャッジメンティスと、それと同じ大きさの、組み立て途中のロボットが1機ずつあった。
「おお。来たか、秀。では早速案内しよう」
ジャッジメンティスの足元にいたカミュが、早足気味に、格納庫の隅にある小さなドアに向かっていった。秀とアイリスも、そこに向かう。
狭い道を抜けて、現れたのは小規模なハンガーだった。その中心にあったのは、朱色の、人間サイズのジャッジメンティスらしきものだった。
「これこそ、白の世界の発掘兵器、テリオスだ。EGMAが起動した頃に造られたらしい。リーナの家にあったのを、我々が修繕したものになるな」
「なんでそんなものがここに?」
「うむ、このテリオスは、白の世界ではロストテクノロジーと化した技術が使われている部分も多くてな。我々の手に負えなかったのだが、青の世界の技術がそれに近かったから、ここで修繕していたというわけだ。そしてついさっき、それが終わった」
カミュは秀にそう答えると、その両肩に手を乗せた。その瞳は真っ直ぐに週を捕らえて離さない。
「そして秀、貴様がこれを扱え」
「なんで新参者の俺なんだ。もっと適任がいるだろう」
秀はカミュの手を離そうとした。しかし、カミュはより一層の力を込めて、秀の肩を掴んだ。
「その疑問も尤もだ。だがこれは、データ解析の結果、αドライバーにしか使えないことが分かっている。だから、貴様だ」
「まさか、T.w.dに、俺以外のαドライバーがいないのか?」
カミュは、無言で頷いた。アイリスも、神妙な顔をしている。元々いないか、全員死んでしまったか。どちらにせよ、テリオスを秀が受領しなければ、それを直した人たちの努力と、修理費用は、全て無駄となってしまう。承諾する以外の選択肢が無かった。
「分かったが、なんでEGMA起動の時代なんて、そんな世界接続も起きていない時代にαドライバー専用の兵器が作られたんだ」
「分からん。そもそも、その頃何があったのかさえ、詳しくは分からない。我々がEGMAを制圧したときから、EGMAのデータの解析をしているが、テリオスに関するデータはおろか、その時代のデータさえ見つからないんだ」
「なら仕方ないな。ところで、これはどうやって動かすんだ?」
秀が尋ねると、カミュは懐から、手のひらサイズの長方形の機器を取り出した。
「ああ、このデバイスを掲げて、テリオス! と叫ぶんだ。そうすると、テリオスが起動し、貴様の体に装着される」
秀はそのデバイスを受け取ると、赤面しながら掲げて、叫んだ。すると、目の前にあったテリオスがふっと消え、脚から、胴、腕、頭と、秀の体に装着された。その時、秀の視界に大きくTERIOS SYSTEMと表示された。
「使用者、承認。お名前をお教えください」
文字表示が消えると、秀の耳に、そのような低い男性の声が聞こえた。そのことから、アイリスやカミュが言ったのではない。多分テリオスが喋ったのだろう。秀は、自分の名前を思考してみた。しかし、何も反応が無い。秀は、少し恥ずかしくなりながら、今度は名前を告げてみた。
「上山秀だ」
「秀殿。私はあなたの戦闘をサポートさせていただくAIです。好きな呼び名をお与えください」
「じゃあ、テリオス」
「その考えるのを放棄したような安直なネーミング。嫌いではありません。よろしくお願いします」
(なんなんだこいつは)
テリオスが急に人間味を帯びた感じがした。もしかしたら、テリオスもアンドロイドの一種なのかもしれないなどと秀が考えていると、カミュとアイリスが訝しむような目線を向けていることに気がついた。
「秀、何一人で喋ってるんだ」
カミュが呆れ気味に言った。そこで秀は、テリオスに尋ねてみた。
「おいテリオス。お前の声を外部に出せるか?」
「可能です。そうしろとおっしゃるならそうしましょう。……初めましてお二方。テリオスと申します」
秀には分からないが、外部にもテリオスの声が出たようで、カミュとアイリスが目を丸くしていた。
「戦闘をサポートしてくれるAIらしい。俺の方からもよろしく」
秀がそう言うと、アイリスとカミュは戸惑いながらテリオスと挨拶を交わした。それが終わると、秀の視界に、何かの表が現れた。
「秀殿。私の兵装です。しっかり覚えていただきます」
秀は、はあ、と生返事を返しながら、表に目を通した。上から順に、テリオスフィールド、テリオスガン、テリオスバレット、テリオスガトリング、テリオスブレード、最後にテリオスパニッシャーとある。最後まで確認した秀の第一声は、
「なんだこりゃ」
「私の兵装です」
「最初にテリオス、とつける必要はあるのか? あと最後のテリオスパニッシャーってなんだ」
「順にお答えしましょう。まず、最初にテリオスとつける必要ですが、私にも不明です。おそらく製作者の趣味でしょう」
秀はテリオスを殴りたくなった。しかし、本当に殴ろうとしたら自分を殴ることになるため、秀はぐっと堪えた。
「次に、テリオスパニッシャーについてですが、これは高密度のテリオスフィールドを右の掌に展開させ、敵一人に突撃しながらその掌を相手に押し付けるものです。応用もある程度ききますが。まあ、いわゆる必殺技です。必殺技……ああ、なんといい響きでしょう」
テリオスの人格は、製作者そのものなのではないかと、秀は思い始めた。もしかしたら、製作者が、組み上がったテリオスにそのまま精神を移植したのやもしれぬ。そのような気さえしていた。
「ああ、そうそう。秀殿、私は完全音声制御となっておりますゆえ、ご了承を」
「ああ分かった……って、はあ? 何でだよ! 思考制御じゃいけないのか!」
突っ込みながら、秀は、起動するのにテリオスと叫ばなければならなかったり、兵装の名前を覚えろ、と言ってきたのを思い出した。
「あれってそういうことかよ」
「思考制御だと、思考が入り乱れた時に対処できません。しかし、ボイスコマンドならそのようなことはあり得ません」
「分かったよ、好きにしろ、もう」
秀は、反駁したい気持ちを抑えた。いちいち突っ込んでいたら疲れるだけだと悟ったからだ。
「テリオス、聞きたいことがあるが、いいか?」
カミュが、テリオスに話しかける。
「世界接続が起きるよりも、かなり前に造られたあなたが、なぜ世界接続後に出現したαドライバーにしか使えない仕様なんだ?」
「それは、分かりかねます。そもそも私があなた方にデータ解析されているときに、世界接続や、それに付随して起きた様々な異変を知ったのです。ただ、私の起動条件が、たまたまそのαドライバーとやらの能力に合致したのです」
「アルドラの能力?」
「はい。私の起動には、大量の精神力が必要です。それで、無尽蔵の精神力を有するαドライバーが、適任だと私が判断したのです。私のメモリーは封印されているデータも多いので、その真意は分かりませんが」
カミュは唸っていた。それもそうだろう。テリオスの説明はぼやけている。テリオス自身が確かな理由が分からない以上、これ以上の追求もできない。
カミュがテリオスに話しかける様子もないので、秀テリオスに尋ねた。
「お前、どうやったら脱げるんだ?」
「装備解除と言ってください。再び呼ばれない限り、あなたに装着されることはありません。しかし、私のみが所望なら、そう言ってくださればデバイスで私の意思を伝えられます」
「じゃ、装備解除」
秀は即決で言った。自分の体を見てみると、テリオスはとうになくなっていた。右手にはデバイスが握られている。秀はそれをポケットに突っ込むと、アイリスに尋ねた。
「これから何かあるか?」
「特にはないね。自由にしていいよ。あっでも、私とカミュはこれから仲嶺さんの家に行くけど、秀も来る?」
「もちろんだ!」
秀は快く頷いた。久しぶりに会えるから、というのはもちろんだが、転向した理由を伝えねばならない。たとえ意志薄弱と言われても、秀はそれをやらねばならなかった。
「うん。じゃあ、今から行こうか」
アイリスとカミュが、軽い足取りで外へ向かう。そのあとを、秀は踏みしめる様について行った。
***
秀たちが達也邸に向かう途中のことだった。青蘭学園の幼年部の前を通りかかったとき、運動場で遊んでいた園児が、アイリスを見るや否や、一斉に声を上げた。
「あーっ! アイリスお姉さんだ!」
そう言って、一斉に、だーっとアイリスに駆け寄る。秀とカミュは弾き出されて、アイリスは園児に囲まれてしまった。
「今から遊ぼうよ、アイリスお姉さん!」
「またあやとり教えてよ!」
「お話も聞きたいなー」
などと、思い思いに口にする園児に対して、アイリスはせわしなく返答していた。しかし、まんざらでもなさそうな風に見えた。
青蘭学園の幼年部と初等部は、戦闘に参加していなかったためか、T.w.dの庇護のもとで残された。しかし、アイリスの人気は異常だった。いや、アイリスだけでなく、青蘭島の住民とT.w.dの間には、軋轢が全く感じられない。むしろ、かなり友好的な雰囲気を秀は感じた。
「すごい人気だろう、アイリス殿は」
カミュが、園児の相手をしているアイリスを、柔らかい視線で見つめながら話しかけてきた。
「あの人は、住民の心を掴んだ。幼年部には週に一回は顔を出すし、街のイベントも積極的に復活させて参加してるし、道路の舗装のし直しを今やってる。青蘭島に物資が届くのも、アイリス殿が様々な場所へ根回ししたおかげだ。こういうことに反発してる人もいるが、私たちの目的のためにも、軍略的にも、私は良い試みだと考えている」
「目的……。世界を創り直す、か。曲がったこともそうでないこともやり直すんだっけ?」
「ああ。だが、それを行うのに、あの人は極力誰も死なさずに済ませようと考えている。世界は変えるが、人は変えない。一旦は全てやり直すが、良い風習は自然と残り、因習は意図的に消す。あの人が考えているのはそういうのだ」
「俺たちに出来るのはあいつを信じて支えることだけか」
「まあそうなるな。政治的なことはあの人に任せて、武人たる我々は戦闘に集中すればよい」
カミュが何気なく言う。その言葉の後、秀が、園児に囲まれているアイリスを見ると、何故だか非常に小さく見えた。
***
園児たちと分かれて暫くして、達也邸に着いた。秀は意を決して門を開け、飛び石を歩いて行く。そして引き戸を思い切って開け放った。すると、示し合わせた様に、目の前に達也がいた。
「ただいま、達也」
秀の口から、その台詞がすんなりと出た。達也はひどく驚いた様な顔をしていたが、やがていつも見せていたような柔らかい笑みを浮かべた。
「おかえり、秀」
「実は――」
「ただいま、あなた」
秀がここにいる理由を告げようとした時、後ろから耳を疑うような台詞が飛んできた。秀が固まっていると、
「ああ、おかえり、あなた」
「は、は、はあー!?」
今度は、秀がひどく驚いた。互いにあなたと呼び合うということは、考えられるのはひとつの可能性だけだ。
「ま、まさかお前たち……」
「ん? ああ、言ってなかったか。実は結婚したんだ。だから、戸籍上はサングリア=カミュから仲嶺サングリアになった。でもサングリアと呼ばれるのは慣れないから、これまで通りカミュと呼んでくれ」
カミュがそう告げ、達也が照れくさそうに頭を掻く。秀は非難するように、アイリスを睨みつけた。対しアイリスは、ヘヘッと笑った。
「いやあ言わない方が面白いかなって」
「言えよ! 重要だろ!」
「まあまあ落ち着きなよ。言わなきゃいけないことがあるんでしょ?」
「お前らのせいでそんな空気じゃなくなったけどな!」
怒りを鎮めるため、秀は深呼吸をすると、達也に向き直った。
「俺は、見ての通り、T.w.dに入った」
「うん」
「何も、言わないのか?」
秀は達也がその一言だけで済ませたことに驚いて、思わずそう尋ねてしまった。
「秀が正しいと信じて決めたことだ。それに、さっきの秀の顔を見れば分かるよ。いい加減な気持ちで転向したんじゃないって」
達也の顔は穏やかだった。秀は、泣きそうになった。達也は仲間たちを裏切って転向した秀に、前と変わらぬ愛を向けてくれている。なんと幸せなことか。秀は感謝してもしきれなかった。
そのような秀の様子を見かねてか、達也が笑いかける。
「居間に行っていてよ。お茶菓子でも出すからさ」
「うん。分かったよ、達也」
秀は素直に頷くと、すぐ居間に向かった。すると、ちゃぶ台の置かれた、六畳の居間の畳の床に、モコモコした感じの長座布団と思しきものが置かれていた。
「新しく買ったのかな」
秀は特に深く考えずに、その長座布団に勢いよく座った。すると。
「ぐえっ」
変な声が聞こえた。女性の声だ。更に、左手の感触だけ妙に柔らかい感じもしていた。秀がそう思った時には、その座布団が下から物凄い力でひっくり返されていた。それで宙に浮いた秀は、その下にいた者に胸倉を掴まれた。
「な、な、何してくれるんですかあなた人の上に無遠慮に乗るとか正気ですかまあ確かに分かりづらかったかもしれませんがそれでも警戒してくださいよていうかそもそもよくもそんなに平気で人の胸許可なしに触れますね私の体は私が将来これと決めた人に捧げるつもりだったんですよどう責任とってくれるんですか!」
「よく一息でそれだけ言えたな、リナーシタ」
長座布団の下から出てきたのは、制服姿で、怒り顔のリーナだった。そして、よく見たら長座布団ではなく秀が達也の家で使っていた布団だった。
「はぐらかそうとしたって無駄です。胸なんて、誰にも触られたことなかったのに!」
リーナは半泣きになっていた。よほど悔しかったに違いない。そのような顔を見せられては、秀も適当にあしらうわけにはいかなかった。
「済まん。俺の不注意だった。次からは気をつけるよ」
「最初からそう言っておけばいいんですよ、ふん!」
リーナはそっぽを向いてしまった。秀は、やれやれと彼女の顔を眺める。
「私の顔をジロジロ見て。何かあるんですか」
「いや、お前って意外と感情豊かなんだなあと」
「意外とって何ですか。私が感情豊かじゃいけないんですか」
「そういうわけじゃないが」
秀がそう言うと、リーナはすっと立って、秀を見下して言った。
「私からも言わせてもらいますと、あなたには幻滅しました! もっと思慮深い、素敵な人だと思ってたのに」
「まあまあ。これから戦友となるわけだし、今のことは水に流して仲良くな」
そう言いながら、カミュが茶菓子を持って、居間に入ってきた。その後に急須を持った達也と、全員分の湯呑みを盆に載せたアイリスが入ってきた。全員でちゃぶ台を囲むと、アイリスが口を開いた。
「結構仲よさそうじゃん。安心安心」
「どこがですか! こんな、不注意なセクハラ男!」
アイリスの言葉に、リーナが噛み付く。しかし、そう言いつつ秀のすぐ左隣に座っているのは如何なものかと、秀は思っていた。
「じゃあ何で秀のすぐ隣にいるのさ」
アイリスも秀の思っていたことと同じように突っ込んだ。うっとリーナがたじろいだ隙に、アイリスがリーナにまとわりつく。
「本当はもっと仲良くなりたいんじゃなあい? わざわざ秀の布団で寝ちゃうくらいだしさ」
「そ、それどこから聞いたんですか!?」
「ん? カミュからだけど」
リーナはカミュを睨んだ。しかし、彼女は御構いなしに、新婚夫婦よろしく達也にベタベタしていた。
「まあみんな、そこまでにしなよ。お茶冷めちゃうからさ」
達也のその声で全員クールダウンして、茶や茶菓子に手を出し始める。
「そうそう、秀」
達也が茶を飲み干して、秀に話しかけた。
「実は、秀がT.w.dに入って、僕は安心したんだ。秀が入ると知らずに、僕はサングリアさんと結婚してしまったから。戦闘になったらどうしよう、秀の敵の幹部と婚姻関係になるなんて、秀にどう思われるだろうって、情けないことをずっと考えていたんだ」
達也は自虐するように告げた。
「笑うなら、笑ってくれ」
「笑わないさ。少なからず苦しんだってことは、達也が軽々しくカミュと結婚したわけじゃない。それに、結果良ければ全て良しともいうじゃないか。達也とカミュの結婚、俺は祝福するよ」
(二人とも、父や母みたいに慕っているから)
秀は、その言葉は胸にしまっておいた。口に出すのは恥ずかしかった。
「そっか。なら良かったよ。さっきの話をした後に言うのも何だけど、秀、提案があるんだ」
達也は、カミュと顔を見合わせて、それから秀に告げた。
「僕たちの養子にならないか?」
その言葉に、秀は、胸を射抜かれたような感触を覚えた。次いで、涙が溢れてきた。自分一人がこんなにも幸せになってもいいのかと思うと同時に、秀が一方的に父母とみなしていた二人が養子縁組を提案してくれたことが、嬉しくてたまらなかった。
「優しすぎるんだよ、二人とも」
何とか、搾り出したように言った。涙で視界がぼやける。堪えようとしても抑えられない。
ふと、右にカミュが座り、秀をそっと抱きとめた。
「カミュ?」
「好きなだけ泣けばいい。その涙は、きっと秀の人生で、一番の涙だろうから」
「うん、うん」
秀は、堪えるのをやめて、堰を切ったように声を上げて泣き続けた。その様に、達也は微笑み、リーナはあたふたしたが、ただアイリスのみ、複雑な表情を浮かべていた。
***
「じゃ、俺は寮に戻るよ」
夕暮れごろに、秀は玄関でアイリスと立ちながら、そう告げた。すると、カミュと達也があからさまに落胆したような表情を見せた。
「僕の家で泊まるわけじゃないのかい? リーナさんみたいに、居ついてくれてもいいのに」
「T.w.dの雰囲気に慣れておきたいからな。でも、たまにはこっちに来るさ。っていうか、リナーシタは居ついてんのか」
そもそも達也邸にいること自体不思議であった。当のリーナは、不機嫌そうに頬を膨らませて、秀を睨んだ。
「私がここにいちゃいけないんですか」
「いや、そうは言わないが」
「なんかギクシャクしてるな。そうだリーナ。秀と苗字でなく名前で呼び捨てで呼び合ったらどうだ」
唐突に、カミュがそう提案してきた。
「はあ!? 何でそんなこと!」
「俺は構わんぞ。おいリーナ」
「何ですか秀!」
リーナはそう口走ったあと、ハッとして口を押さえた。その様に、リーナ以外のその場の全員がにやにやした。
「あーもう! 皆さん嫌いです!」
リーナはそう吐き捨てて、奥に戻ってしまった。そのように拗ねる彼女に、四人とも微笑ましく感じた。秀は、不安はあったものの、この先もどうにかなりそうだという予感がした。
***
その夜。隣で生まれたままの姿で眠るレミエルの頭をそっと撫でると、秀はベッドから出た。そして冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注いで一息に飲んだ。
「いやはや。今日は貴重なものを見させていただきました」
唐突に、テーブルに置いてあったデバイスから、テリオスの声が聞こえた。
「お前俺が呼ばなくても出てこられるのかよ」
「そうですが、何か」
「特に何も不満に思ってない。ただそう思っただけだ」
秀はぶっきらぼうに言って、ベッドに戻ろうとした。しかし、秀に御構いなしに、テリオスが喋り出した。
「昼には、家族というものが如何なものか。そして、今夜は、人とはああもケダモノみたくなれるものかと」
「お前本当に何なんだよ」
「さあ、それは私にも分かりかねます。何せまだまだ解放されていない機能が多いのですから」
テリオスは飄々とした風に言った。秀はむっとしつつも、気になることがあったので恥を忍んで尋ねた。
「お前のその未開放の機能って、どうしたら解放するんだ」
「さあ、それも分かりません。ですが、あなたを通じて何かしらの経験をすれば何かしらの機能が解放されます」
「殆ど分かってないんだな。もういい。引っ込んでろ。俺は寝る」
秀がテリオスの返事を待たずに布団に入り直すと、レミエルの仏頂面が目の前にあった。
「うるさいよ、秀さん。おかげで起きちゃった」
「ごめん、悪かった」
「まあいいけど。折角だから、もう一回、する?」
「すまん、俺の体力が保ちそうにない」
「じゃあ仕方ないな。私がぎゅってしてあげるね」
否応無しに、秀は頭をレミエルの胸に押し付けられるように、レミエルに抱きしめられた。このような時、秀はレミエルに抵抗できないでいる。レミエルの押しが強いのだ。
「ねえ、秀さん」
レミエルが、手の力を少し弱めて話しかける。
「頑張ろうね」
秀はその声に、不覚にもどきりとした。恥ずかしさを覚えながら、声を絞り出す。
「……そうだな」
養子にすると言ってくれた達也とカミュ。新たな道を示したくれたアイリス。新たに良い戦友として共に歩めそうな、マユカとフィア、そしてリーナ。さらに、新たに得た力、テリオス。何があろうとも、越えられる気がした。
レミエルの腕から抜け出して、秀は北の空を窓から覗く。天の中心で、北極星が輝いていた。